歯科口腔外科の山守先生から「こてる先生、これ持って来ました」と渡されたのが、福田晴夫著「チョウが語る自然史ー南九州・琉球をめぐってー」という本だった。表紙裏に著者記名がある。322ページもある立派な本である。福田晴夫先生は私の高校時代の生物の恩師であり、日本蝶類学会の重鎮である(元会長)。山守先生は福田先生の蝶学の弟子でありいっしょに蝶を捕り、研究する仲間でもある。福田先生が齢80半ばにして集大成となる本を書かれたと聞き、私も1冊求めて山守先生に頼んだのだった。
先生は1974年に「チョウの履歴書」という本を出版し、これが第1回南日本出版文化賞を受賞するという栄誉に輝いた。翌年高校に入学した私も読んで夏休みの読書感想文として提出したら「良く書けている」と福田先生に誉められた記憶がある。チョウの生態が興味深く書かれ、昆虫や生物好きとは言えない私でも面白く読んだ。今回の本はチョウの生態はもちろんだが、ぱらぱらとめくるに日本列島や南西諸島の何百万年前の形成史(日本列島や南西諸島は大陸とつながったり離れたりを繰り返した)もあって地学、そしてヒトが関わってきての歴史をチョウや昆虫を介して語り論じているようだ。そしてここ何十年かの環境の激変ぶりに大いに警鐘を鳴らしている。
出だしはアサギマダラのマーキング調査の話題から紹介されている。1960年台に沖縄の愛好家たちがこのチョウが盛夏には沖縄からいなくなることから春と秋に季節的移動をしているのではないかという仮説を提示したのが始まりである。やり方は捕獲したアサギマダラの左右の後翅裏面に、日付、場所、番号、自分の名前を略号で記入し放蝶する。この作業を何百頭と行う。しかしそうそう発見されるものではない。そのうち1981年に種子島で4月に離した雌が5月に三重県四日市で、5月に雄が7月に福島県白河市で再捕獲された。今度は10月にマークした雄が11月に奄美大島で採れ、ここに春から初夏の北上と、秋の南下が確認されたのだった。その後北は北海道、南は台湾、中国東南部という行動範囲が確認されているという。
なぜこのチョウはこんな移動をするのか、するようになったのか?その前に。なぜここに棲んでいるのか、いつ、どこから九州や琉球にやって来たのか?これらがこの本主題のようだ。先生は「正解は出ないかもしれないが推理小説の犯人捜しより面白く、厄介である」と書いている。そして「気の向くままに、謎解きの楽しみを味わってみよう」ということだ。なるほど、単にチョウチョを捕獲して標本にして飾るのが好きなタイプとは違う。それは「チョウの履歴書」を読んだときにも感じたことだ。
それでも根本は野外に出てひらひら舞うチョウを追いかける原始的な楽しみが根幹にあるはず。山守先生は「この年(還暦前)になっても休み前に明日チョウ採りに出かけると思うとワクワクして寝付けない時があるんですよ」と言う。そんな昆虫少年らが成長して今度はチョウが示す謎解きに夢中になり、それに伴う環境の破壊問題に心を痛め、子どもらの環境教育についても論じるようになっている。300ページにも及ぶ本なので少しずつ読んでチョウに絡む謎解きを私も楽しんでみようと思う。
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