夕方、空港にカールを迎えに行き、10日ほどのギボヒサコとの共同生活も今夜でようやく終わりを迎えた。つくづく思ったのは、親娘と言えどもキャラは全く違うということ。世代や多少のボケ具合はあっても元来の性格が違うんだろうなと思うことしばしばであった。自分にきびしく細かいことにも神経を使う娘に対しておおらかというか自分に甘くマイペースの母親、帰宅した娘はさっそく母親に呆れ、詳細は書けないが「何でこんなことしているの」とおかんむりだった。まあまあ、でも確かにカチンカチンになったキュウリを見せられれば娘も機嫌が悪くなるだろうな・・。
カールが帰って来てまた元のリズムに戻りホッとしている。体重もついに昨日81kgという過去最重量クラスになったのでもうこれ以上太るわけにいかない。あのままギボヒサコと生活していると85kgまで行ったかも。やれやれだ。
2日前の南日本新聞死亡広告に「〇村〇人」満92才で亡くなると出ていた。括弧で(元中学教諭)とあったから、もしかして自分らの「光頭」中の時の学年担任だったかもとアルバムで確認したらはたしてそうだった。きびしくもユーモアのある先生で普通に行けばどこかの校長先生にもなれたはずだ。でも、私らが中3の時、隣の「天誅」中と河原で乱闘事件を起こし翌日の新聞に大々的に報道され責任を問われヒラに降格された。ただ、はっきり言って先生には全く責任はなかった。その後の光頭中の問題を見れば一教諭が解決出来るものではなかったはずだ(10年もしないうちに当時の校長が校内暴力問題で中央警察署に介入を要請するまでになった)。
セントラル高校に入ると、同級生に先生の娘さんがいると知るも口を聞いたことあるくらいで、それから25年くらい経ったころ、青雲病院(当時)に偶然娘さんのことで来院した彼女に出合い、「〇村先生はどうしている?」と尋ねると、当然教諭は定年退職し鴨池の県営駐車場番をしていると知った。それから15年ほど、会うことはなかったが天寿を全うされたとみていいだろう。広告では葬儀は近親者のみで済ませ弔問はお断りとのことだ。そうか、先生に迷惑をかけた一生徒として陰ながら御冥福を祈ろう。
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