2015年6月1日月曜日

「八ヶ岳」

6月になった。そろそろ梅雨入りも近い。梅雨前線が上がって来ている。

山のニュースで八ヶ岳での滑落死亡記事があった。

「昨日(5/31)、八ヶ岳連峰の赤岳で男性が滑落し亡くなった。信濃毎日新聞によると赤岳で亡くなったのは、名古屋市の64歳の弁護士の渥美裕資さんで、仲間二人で前日から入山し山小屋に泊まり、朝、山頂から権現岳を目指していて山頂付近で二百メートル、山梨県側へ滑落した模様」

この記事に反応したのは例によって深田久弥の「日本百名山」でちょうど「八ヶ岳」の項を読んだばかりだったからだ。新潮文庫の表紙には4つの百名山の写真が分割して載せられている。その右下が「赤岳」でその名の通り稜線が赤色で美しい山容だ。本でも指摘されているが実は八ヶ岳という山はない。八つのは多くのくらいの意味でその山々を総じて八ヶ岳と呼ぶ。まず北八つと南八つの八ヶ岳連峰に分かれ、南の最高峰が「赤岳」で2899mの高さを誇り、北は諏訪富士とも呼ばれる「蓼科山(たてしなやま)」が百名山に入っている。「日本百名山地図帳」も広げ本文に出てくる地名、登山コース、小屋名など確かめたりしていた。(↓八ヶ岳連峰の赤岳

写真は夏山で天気のいい日のきれいな写真だが実際は雨や霧、残雪などがあって一歩間違えれば滑落、道迷いなど遭難する危険性が高いはずだ。亡くなった人は「モンブラン、ユングフラウ、北岳バットレス、雪の阿弥陀南稜などの登山経験もある」というベテランだった。そんな人ですら遭難する。山は怖い。

深田久弥の八ヶ岳の項の終わりの文章は初めて登ったときのいきさつが淡々と書かれてある。
「四十年前(私注:大正末期と思われる)、私が初めて登った時は、八ヶ岳はまだ静かな山であった。赤岳鉱泉と本沢温泉をのければ、山には小屋など一つもなかった。五月中旬であったが登山者には一人も出会わなかった。もちろん山麓のバスもなかった。
 建って二、三年目の赤岳鉱泉に泊り、翌日中岳を経て赤岳の頂上に立った。横岳の岩尾根を伝って、広やかな草地の硫黄岳に着き、これで登山が終わったとホッとしたが、それが終わりではなかった。そのすぐあとに友の墜落死というカタストロフィーがあった。
 今でも海ノ口あたりから眺めると友の最後の場であった硫黄岳北面の岸壁が、痛ましく私の眼を打ってくる。」

まかり間違えば墜ちた友人は深田であったかもしれない。

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