入職するにあたって、一番のネックだったのが、ここが救急病院で当直もしなくてはならないということでした。それまで私は救急車がバンバン来るような病院の当直はあまりしたことがなかったんです。
少し迷っているとき、たまたま田舎の父親にこのことを話しますと、「お前も、他の先生がしているんだから当直ぐらいせんか」と言われて「あ、そうか、そうだな」とふっと心が軽くなるのを感じました。この時は父親のこの一押しがあって有り難かったと思っています。心の中で何かしらもやもやとして決断が鈍っている時、それを人にしゃべってみると反応が返ってきてすっと前に進めることがあるんだと印象に残っています。
入職当時は内視鏡の仕事が7割、残りが病棟や外来、救急という割合でした。今はというと逆に病棟外来それに救急当番が半分以上を占めるようになっています。ま、それはそれでどうにか上手くいっているようです。救急も最初のころは当直室の風の音もピーポーに聞こえてその都度びびっておりました。それが今では救急車が到着しても降りてくるのが一番遅いかもしれないくらいになっていまして、まあそれくらい余裕が出て来ているということです。
もし私が内視鏡をすることにだけこだわって外来もしない救急もしないとなっていたら、スタッフのみなさんとも上手くいかなくなっていただろうし、自分自身も病院での仕事を面白く感じなくなっていたのではないかと思います。
仕事について言えば、自分がやりたい仕事を最初から最後まで全うできる人ってほとんどいないのではないかと思います。与えられたりやってみたらと言われてやってみる、そうするとそれが意外と自分に合っていたり、それほどでもない、イヤな仕事でもなかったということが大いにあると思うんです。
みなさんも意に沿わない仕事を割り振られることもあろうかと思いますが、こんな仕事はしたくないと思っていても具体的にいえばまずは3ヶ月くらいは頑張ってやってみてはどうでしょうか。それだけやってやっぱり自分には合わないと思えばその時はその時です。頑張っておれば回りも仕方ないとみてくれるのではないかと思います。
私が鹿大の第二内科を辞めて青雲病院に就職するとなったときに、当時の教授は「何であそこに行くんだ、他にないのか」と言いまして、せっかく決まっている話が怪しくなりかけました。そこで私は「いや、先生、ほんの腰掛けで行くだけです。すぐまた別の病院に行くか開業でもしますから」と言い逃れて事なきを得ました。
「ほんの腰掛けがなぜか15年」そんなこともあるという話でした。」
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