さて1977年というとヒットした曲といまだに歌い継がれている曲との解離が激しい年だった。以下にその両者のベストテンを並べて見た。
ヒット曲で10曲中4曲が入っているピンクレディーがカラオケランキングでは1曲も入っていない。逆にベストテン圏外の石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」が堂々の1位だ。これはすごい曲で私も文句ない。2位に河島英五の「酒と泪と男と女」、これはいかにもカラオケ向きで納得いくが歌番組にはほとんど出ていなかったのにいまだに歌い継がれるとは名曲やろね。そしてこの前話題にした高田みづえのデビュー曲「硝子坂」が9位に入っているのは少し驚いた。だってこの時期に出ていた10代アイドル歌手の曲でヒット、カラオケともにランクインしているのは他には今じゃ伝説の歌手山口百恵の「秋桜」しかないんだよ。そして両方ランクインしているのが沢田研二の「勝手にしやがれ」、森田公一の「青春時代」、小林旭の「昔の名前で出ています」の3曲で記録、記憶ともに残るいい曲ということだね。なお、都はるみの「北の宿から」は実は1976年のレコード大賞でヒットしたのは前年故にヒットランキングに出ていないだけだ。
それにしても驚くのは作詞家阿久悠だ。ここに出ているヒット、カラオケの8曲が彼の作品なのだ。ピンクレディーの4曲、「勝手にしやがれ」「津軽海峡・冬景色」「青春時代」「北の宿から」でこの年は彼のピークとも言える年で、Wikipediaによると、「「勝手にしやがれ」が首位を獲得以降、12月5日付首位の「ウォンテッド (指名手配)」まで、25週連続で阿久悠作品が首位を獲得しほぼ半年にわたり首位を取り続けるという前人未到の記録を打ち立てた。またこの年は他に、「北の宿から」、「青春時代」なども首位を獲得。阿久悠作品は年間39週(約9か月)首位を獲得した。」と今では考えられないほどの多作、活躍ぶりだった。作詞家の生涯レコード売り上げランキングではAKBで毎回ミリオンセラーの秋元康がすでに追い抜いてしまったがそれでも阿久悠の業績にはきっと敵わないだろう。ヒットする瞬発力と歌い継がれる永続性、その二つを兼ね備えるというのは並大抵のことではない。こうして振り返れば作詞家阿久悠のすごさ、巨人さが分かる。そこで私が不満に思うのは作曲家や歌手には国民栄誉賞受賞者が何人もいる(古賀政男、服部良一、吉田正、遠藤実、美空ひばり)のに作詞家にはいない。これは片手落ちじゃないか。まあ、どんな賞よりずっと歌い継がれていることの方が作詞家にとってはずっとうれしいことのはず、草葉の陰で俺は咲くしか(作詞家)・・ってことで・・。
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