2014年8月25日月曜日

「私は家老の子孫」

アミヤンDrがこの前の土曜日に医学部卒業30周年の同窓会に出席したそうだ。「こてるもだったよな」と彼は勘違いしていたが、入学はいっしょでも私はより勉強したかったので卒業が1年遅れた。だから呼ばれなかったのだった。それはいいとしてその中でもマッチャンこと松浩Drの若々しさが目立っていたという。松浩Drはアミヤンよりは1年下私より3才年上でサブアラドDrとは大学は違うがツル前高校で同窓生で、ともに親が小さなクリニックを開いていていずれも現在は閉鎖されているのも似ている。学生時代から格好良く一見ホスト風で実際それらしきこともしたことがあったと聞く。家を出るのに髪の毛セットが決まらなくて1時間以上かかったとかの伝説もあり、かつてカールやサブアラド妻も松浩Drと聞けば「きゃーあの松浩先生?!」と声を上げるのが常だった。スマホ撮影の写真を見てなるほど若い。ぱっと見30才頃と変わりない。「でもなあ、子どもの教育費がかさんで最近は『服も買っていない』って言ってたぞ」とアミヤン。ふーん、確かに大学生に一番お金がかかるよなー。みんなも似た境遇だろう。来年うちらも卒後30周年があるのかしらん。

ある患者から障害者年金の申請をするから診療証明書を送ってくれという封書が届いた。某精神科にかかっていて進行癌になっていたにも関わらず手術をしたがらずどうにか入院した先の病院でもガラスを割ったりなどの粗暴行動を起こし強制退院になったらしい。1年以上前のことでカルテを見つつ診療経過をまとめたが年金が下りるかは全く不明だ。ま、それはいいとして、この患者の依頼した封筒の差出人名が可笑しくてみんなに披露してみた。仰々しく由緒ある家系を名前の前に書き連ねてあったのだ。こうあった。

「薩摩藩島津家家老平○靱○源氏子孫 平○俊○」

ちょいと郷土史を知っているか鹿児島の学校で習ったことを覚えている人ならきっと分かるはずで、江戸中期の有名な武士である。某地域の治水工事の責任者を任され難工事の末にやり遂げたはいいが幕府役人のいじめに耐えかね抗議の自殺を図る家来が続出しそれでも恭順の姿勢を貫かざるをず、さらに莫大な借金も必要でそれらを藩にも幕府にも迷惑をかけないよう工事が完了し幕府の見方を終えた3日後に割腹自殺で果てた。薩摩と某地域ではその立派な業績を顕彰し銅像や記念碑が建てられているほどでまさに知る人ぞ知る有名な人物なのである。で、その子孫だとまさにひけらかすように手紙には書かれてある。私は一発で嘘くさいと思った。だいたいそんな家柄の人が名前の前にそんなこと書きますか?ついこの前某女性患者の名前が「調所(ずしょ)」だったのでこれも幕末有名な薩摩藩家老で膨れあがった借金を帳消しにし財政立て直した調所広郷の末裔かと尋ねると、「夫が確かにそうらしいですね」とあくまで控えめな応対だった。それが普通でしょう。でも、医局の医療事務作業補助者の二人に見せると「へーえ」と感心したようでどうやら信じたようだった。カールにデジカメで撮った写真を見せると素直に「そうなんだ」だった。お前ら簡単に信じすぎ!絶対違うよこれは。

で、私は○田○負について調べてみた。さすが有名家老だけあってちゃんと家系の由来があった。そこで分かったのは平○家は源氏の出ではなく桓武平氏の流れをくむ家系だと分かった。源氏じゃないのだ。ちゃんとした家系なら平氏だと知っているはず。これだけでも嘘っぱちと分かる。例えば島津家は出自の詳細は不明だが源頼朝の御落胤説もあるなど源氏ということになっている。そこからの連想だったのかもしれない。

私はもう一度この患者の精神科からの以前の紹介状を読み直した。そこではっとした。「妄想型統合失調症」これが主病名であった。やっぱり!

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