歴史に学ぶとはこういうことなのだろうが、一方で護憲派は違う歴史に学ぶ姿勢を見せている。内田樹は自信のブログで「ワイマール共和国の末期、ヒトラーへの全権委任についての国民投票では89.9%が賛成票を投じました。第三共和政の末期、フランスの国民議会議員の85%はペタン元帥への全権委任に賛成票を投じました。なぜ、ドイツやフランスの市民たちは自国を近い将来破滅に導く指導者にこれほどの権限を気前よく委譲したのか」との例を上げている。
私は、よく分からない。どちらの意見も聞けばなるほどと思うところがある。安倍総理が憲法を変えずに解釈を変えて対応しようとしたのは改憲を目指しても国民には反対されるからだとの護憲派の指摘は当たっている。日本国民はそれほど平和憲法を守ろうとしているのか。いや、どうもそうではない気がする。
そもそも日本人は憲法のような大本になるような法律は変えたがらない民族なのだ。安部総理でなくても都合が悪くなったら末端の法律を変えたり解釈を変えたりして対応してきた。大宝律令は後の養老律令になりおおよそ200年くらいで実情に合わなくなったのに何と名目上は1885年の内閣制度開始まで残るのだ。日本人はそれらを捨てて新しく憲法のようなものを作ろうとはしなかった。そういう国民性なのだ。
ちなみに先進国と言われる国が1945年以降どれくらい憲法改正しているかというと、アメリカは6回、カナダは1867年憲法が16回、1982年憲法が2回、フランスは27回、ドイツは57回、イタリアは15回、オーストラリアは3回、中国は9回、韓国は9回である。日本は0回だ。大丈夫、実情に合わなくても解釈を変えればどうにかなるから。きっと今後も0回が続くことだろう。
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