2014年1月7日火曜日

あの日から10年

今日は可愛いんだ理事長の招待で術後10周年のお礼の会が青雲タウン内のイタリアンレストラン「ザ・ハート」で開かれた。検査、手術、管理に関係した人たちだけでなく院外の一外科Dr(奥マラ、公方、ホキヤン)まで呼んでいた。公方Drとは何年ぶりだろう。でも全然お変わりない。今は鹿屋の病院勤務で帰りは代行でいくらかかったのやら。シマッチDrとは当然阪神の話題で鹿児島県ゆかりの選手の父親と会ったなどというマニアックさがいかにもらしい。奥マラDrは今は大学の医局長で非常勤医、当直医の派遣などで連絡を今でも取り合っている。話しぶりなどはやはり変わらない。人ってまあ変わらないもんだ。

会のメインは術者でもあったラブカメ教授がスライドでその一部始終、紆余曲折、起承転結をまとめての発表だった。手術日はラブカメ先生は教授会があったにも関わらず可愛いんだ理事長が勝手に「その日にしてくれ」と決めていて結局出られなかったというエピソードも出てきた。その年3月の老健青雲荘オープンに間に合わせるには1月7日あたりに手術しないといけなかった。それは理事長の都合だったわけで「患者に手術日からなにから決められたのは初めてのことじゃった」と教授はぼやいていた。

その後は私も含めた職員全員のスピーチがひっきりなし。途中休みを入れても1時間以上は続くも意外と飽かずに聞けた。また日頃おとなしい元無か毛放射線科長が飲んだせいもあってしゃべりが止まらない止まらない。その様子の方がおかしかったくらい。ともかくもにぎやかに宴会(?)は終了した。そういえば10年前のこの日のこてる日記では理事長の手術のことを書くわけにはいかずかといってウソは書かないという日記のポリシーもあってちょいとひねって書いたことを思い出す。以下その時の文を再掲しよう。事情を知らず読んだ人は手術を受けた患者がVIP=可愛いんだ先生とは絶対分からなかったはずだ。

2004/1/7の日記より

「今日は朝からVIPのオペがあるため、医者はもとより看護部から総務に至るまで皆忙しかった。癒着がひどい患者だったようで胃の手術にしては時間がかかり、通常の倍近い時間がかかったと外科の先生も言っていた。私も術中内視鏡検査に立ち会わねばならなかったり外来をしたりで、夕方にはぐったりだった。VIPゆえ、鹿児島で一番大きい病院の院長先生(ラブカメ教授は当時鹿大病院長だった)をお呼びし、その部下の先生や麻酔科医などもいて、一時オペ室には総勢10人以上もの人があふれかえっていた。外科のDrも疲れただろうが、一番疲れたのはやはり可愛いんだ院長(当時青雲会病院院長、現理事長)だったろうね。」

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