2020年5月25日月曜日

懐かしの2006年甲子園

沖縄のカールの従弟フミナンからLINEに「こてるさんたちが興味があるかと思って」と記事のコピーが届いた。日刊スポーツ紙の「あの球児は今」シリーズであの2006年甲子園鹿児島工業の代打専門今吉晃一選手を紹介するものだった。現在31才、高校卒業後は岡山の製鉄所で鉄鋼マンとして働いていて2人の息子の父でもある。代打専門という珍しいポジションで鹿児島県予選から10打数7安打とヒットを打ちまくり一躍時の人となった。
私とセージ、チッチは初戦の2回戦対高知商との試合を甲子園バックネット裏で見た。今吉君が次打者サークルに入っているところをたまたま写真に撮っていた。で、ヒットを打ち独特の走り方で2塁に到達したときは歓声と笑いが起きたのを思い出す。
(代打での出場がメインだがブルペンキャッチャーもやっていてレーガスを付けている)
このときはKKBの応援実況ゲストであの是枝昭男オヤジが鎮座していてそれも写真に撮ったら、こいつ何者?ってな感じでじろりと見られたわ。「いけいけどんどん!瀬々串の茶屋ずい行けー!」「かーっ!なんつぁーならんど」など鹿児島弁丸出しの応援怪説が懐かしい。そういえば是枝さんは谷山出身、今吉君はさらに南側の瀬々串出身だった。
(↓このとき是枝さんは確実に私を見ていた)
3対2の接戦で高知商を下した時は「おい、勝っちゃったヨ」と子どもたちと喜んだ。中迫監督の息子とチッチは同級生だったし、奥さんとカールは飲み会をする仲だった。さらにカールは榎下投手の母ともPTAを通じて知り合いだった。私と中迫監督は同い年だったが私だけは誰とも知り合いでなくちとさびしかったな。この試合の後は大阪桐蔭と早稲田実業の2回戦でいまでは高校野球界の王者たる大阪桐蔭だがこのときは斎藤佑樹を打てずさらに早実打線に滅多打ちされて2対11の完敗だった。中田翔など3三振の4打数無安打だったしー。斎藤投手は後に駒大苫小牧との決勝で延長引き分けを演じるなどこの大会の主役だった。(9回裏の斎藤投手。大阪桐蔭の代打も全く手が出ず↓)
私とチッチは5月の鹿児島招待野球でも斎藤投手を見ていて、その意味でも2006年の甲子園大会は一番印象に残る大会だった。今日のこの記事はチッチにもカールが転送すると「フミナンおじさんにありがとうって言って。懐かしい」と返事が来た。そう、この頃からチッチは高校野球オタクになっていくのだった。(左セージ、右チッチ)

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