2016年12月7日水曜日

B・エプスタインとマキノノゾミ

仕事も忙しいがボウリングや麻雀、たまの外出などで、読みかけの本、録りだめのビデオをなかなか消化できない。前にも書いたが録りだめビデオの半分以上がNHKBSプレミアムからのものだ。今日は2004年に放送されこの前再放送されたビートルズもの「ビートルズをつくった男」を見た。何度も再放送されていたようだが私は初めて見た。これはビートルズおたくなら誰もが知っているマネージャー、ブライアン・エプスタインの足跡をたどる番組で日本から劇作家のマキノノゾミ氏がイギリスに渡り関係者やゆかりの場所を精力的に取材していた。

エプスタインはリバプールの一介のレコード店主だったにも関わらずビートルズに興味を持ちマネージャーを買って出た。やんちゃでやや不潔なビートルズの連中にスーツを着せステージでの態度を改めさせ、メジャーデビューのために奔走する。ヒット曲が出た後も見事な戦略であっという間に世界制覇を成し遂げさせのはビートルズの実力もさることながら彼の手腕によるところが大きい。しかしツアーに辟易しレコーディングに興味を持ち始めたビートルズはツアー撤退しスタジオにこもるようになる。サージェントペパーのアルバム製作のころになると、彼はメンバーとも直接顔をあわすことも少なくなり酒と睡眠薬などドラッグに溺れるようになり自室で亡くなっているのが発見された(アスピリンの過剰摂取といわれている)。32才だった。

この辺りはこの番組でなくてもビートルズ関連の本を何十冊も読んだ私は知りすぎるくらい知っていた。しかしエプスタインが若い頃、俳優を目指し英国の王立演劇学校(RADA)に所属していたことがあったとは初めて知った。しかし芽が出ず父親のレコード店で働くことになる。RADA時代、後に有名になる女優の卵とデートしたエピソードが紹介されていた。うん?と思った。エプスタインはゲイだぞ。するとその女優は「ただの友だちでした。彼はゲイだったんです」とそこはちゃんと指摘していた。これは今の時代だからこそきちんと言える。なにせ当時の英国では同性愛は犯罪だったのだ。彼の苦悩はそこにもあったようだ。ビートルズ初期のころ、彼とジョン・レノンが二人でスペインに旅行に行ったことがあった。帰ってからジョンはさんざん冷やかされる羽目になる。周囲はエプスタインの習癖をみんな知っていたのだ。(ただしジョンとの肉体的な関係はなかった可能性が高いといわれている。エプスタインはジョンに好意を持っていたがえこひいきなどは一切なく4人平等に接するよう気を遣っていたのは周囲が認めていた)

劇作家のマキノノゾミ氏は俳優としては下手だったエプスタインが唯一生き生きと演じたのがチェーホフ作「かもめ」の主人公トレープレフ役だったことにピクリと反応していた。エプスタインは中毒死ではあるけれど自殺のようなもの、確かに番組を見れば納得がいく。ショービジネスのマネジャーとして世界最高の成功を収めたにもかかわらず自身は寂しさを感じていた。トレープレフも最後は自殺してしまう。お金や名誉が成功を感じられるとは限らない・・人間は複雑な生き物だ。マキノ氏は自分が好きなビートルズの曲だという「ノーウェアマン」が実はビートルズの中で行き場をなくしたエプスタインのことを歌っているのではないかと言っていた。確かにそうみることは出来るだろう。結局、ビートルズはエプスタインの死がきっかけでグループとしてのまとまりが弱くなり解散へ向かっていくことになる。実はそれくらい彼の存在は大きかったのだ。

この番組はマキノノゾミ氏をパーソナリティに迎えたことでかなり面白くなった。私は彼のことを全く知らなかったが、番組の中で中学時代にビートルズに夢中になりバンドを組むも、同志社大学で演劇にハマり劇作家、脚本家として大成した人らしい。2002年NHK朝ドラの「まんてん」の脚本を担当している。また女優キムラ緑子の夫としても知られている。番組ではキャバーンクラブで即興演奏したりアビーロードでは横断歩道を渡ったりとビートルズマニアならではのアクションをしていた。何か自分と近いものを感じたのだが、生年月日が3日しか違っていなかった上に彼の愛唱歌が「ノーウェアマン」。実は私もそうなのだ。「♪ヒーザーリィールノーウェアマーン・・」って何回歌ったか分からないよ。

私もイギリスに行くことがあったらきっと彼と同じようなことするだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿