2022年9月23日金曜日

おじさんの告別式

新聞の死亡広告欄に近隣の亀ハメ派のおじさんが88歳で亡くなったとあった。うちの家族とも親しく、この団地に引っ越した24年前からお世話になっていた。ギボヒサコとは特に親しく、水道局の元職員の人たちとドライブや旅行にもよく出かけていた。ギボヒサコも亀ハメ派のおじさんもに老人施設に入ってしまい、この数年は会うことも叶わなくなっていた。カールは帰宅してじいさんたちとヒサコの写真を見てみたら「ああ、こんなところにも」と初めて知った旅行先がいくつもあったという。「ヒサコもあの頃はずっと太っていたわ」とカール。20年前は親世代もずっと元気だった。

亀ハメ派のおじさんは1986年7月10日に起きた鹿児島大水害に巻き込まれた。いわゆる7・10水害である。有名な1993年の8・6水害より7年前に起きたもので、鹿児島市内で、死者33名重軽傷15名、全半壊家屋94棟を出す大災害だった。おじさんの家は当時郡山にあり、土石流に巻き込まれ、奥さんと娘の2人が犠牲になった。おじさんは意識不明のまま助け出され入院し意識が戻ったのは確か1週間くらい後だったと聞いた。息子さんは結婚したばかりで別のアパートにいて難を逃れた。このことがきっかけで新築の家は絶対に高台に建てると思ったんだそうだ。会葬お礼に被災のことが書かれていた↓。(注:35年前とあるが実際は36年前)

カールが家族LINEでおじさんの訃報を子どもたちに知らせると、テルが「ご冥福をお祈りします」「米くれたもんなー」と反応すると、チッチが「お米ありがとう」と同様の返信をしてきた。おじさんは自分の土地でお米作りもしていていたのだ。さらにセージが「カブトとクワガタありがとう」と返信した。子どもの頃「男の子だから喜ぶだろう」とプレゼントしてくれたのだった。

じいさんは公私の区別がないというか良い意味で古き田舎の人だった。カールといっしょに式に参列したママ友のバンブックさんとも親しく、ある時家の玄関で某業者と話をしていたら、野菜をプレゼントしに来たのいいが、「あ、これは失礼」とすぐに帰る人ではなく、そのまま話の中に入り込んで業者との打ち合わせに参加してしまったという。当然、業者はバンブックさんのお祖父さんと完全に勘違いしてしまっていたそうな。またある時、私たちが家の庭でバーベキューをしていたらいつの間にか輪の中に入っていっしょに食事をしていたりもあった。匂いがしたから・・だって。それがどちらも不自然じゃなかったのよね。私は今まであの時のバーベキューはじいさんを呼んでのことだとずっと勘違いしていたわ〜。

今日の秋分の日は特に何の用事もなく、朝から内科学会の生涯教育講演会のAセッションのビデオを視聴していた。これをやるのは初めてだ。全部で7講演3時間半以上あり、きちんと再生しておかないと記録として残らない。前半は胃がんや慢性膵炎、気管支喘息がテーマでこれらは実診療で関わっているので興味を持って視聴出来た。後半の膠原病や脳卒中などはやや流して見た。ともかくもこれで10単位取得だ。再来年の申請までに計25単位必要だ。何ヶ月前はやり方が分からずしばらく放置していたが、今日は余裕があり、時間さえ取れれば後に配信があるセッションもちゃんと視聴できるとホッとした。

昼間はまだまだ暑いが朝夕はだいぶしのぎやすくなった。まさに「暑さ寒さも彼岸まで」だね。

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