ええーっ!また希望OK病院から突っ返されただって?
実は今日も超高齢女性をOK病院に転院のはずだったが、向こうでインフルチェックしたらA型が出たんだってよ。病院出る前はわずかに微熱がある程度で普段なら特に気にはしない。だが2日連続でインフル患者を送り込んで断られるという失態を犯してしまった。いずれも4階病棟からの患者で今当院で一番インフル患者が多い部署だ。うう、恥ずかしいやら呆れるやら。
先週のタミフル予防投与が過ぎて職員にもちらほらインフル発症者も出ている。20日の日曜は郡医師会からの要請で当番医をまた引き受けたはいいが臨時で日勤しインフル検査を何十人も検査担当したチェリピアNsは発症、オイドリッチNs は一応陰性だったものの全身倦怠、発熱がありゾフルーザ を処方された。インフルエンザというだけあってインフルーエンス(influence=影響)はすごい。
錦織はやっぱりジョコに完敗というか疲労がひどすぎて試合を続けられなかったか。生では見ていなかったので返って良かった。夜はTV見ていて寝てしまい、ハッと目が覚めるとNHKの歴史ヒストリアが流れていた。まだ始まったばかりで内容は植物学の牧野富太郎博士の特集だった。牧野博士と言えば誰もが知っていると思うのは、学校の教科書に出ていたからだ。だが博士が教科書の伝記に採用されていた時期は調べると昭和36年から54年までこれは私の世代前後にあたり、年配者や最近の若者には案外知られていないかもしれない。伝記の内容はほとんど忘れていて今回番組で新たに知ったことが多々あった。
富太郎少年が今でいえば極めつけの「植物オタク」であったということ、これは彼を語る上で一番の特性だろう。小学校中退という学歴とは無縁の経歴ながら郷里の高知の植物採集や江戸時代の植物本(本草綱目啓蒙)に熱中し独学で力を付け、成人してから東京に出て東大の植物学教室に出入りして実力を認められ文献や資料などを自由に使用してよいとなった。その後助手になり(小学中退でこれはすごい)、金銭感覚はないものの献身的な妻にも支えられ植物の採集、研究を続けていく。戦前に出版された植物図鑑は今でも使われているそうで植物の命名は2500種以上(新種1000、新変種1500)とされ、自らの新種発見も600種余りとすごいもんである。生前の博士を知っている人が「現場の採集で先生に『この植物は何でしょう』と尋ねると『そうだな・・』と考えこむことは全くなく常に『それは何々』と即答されていた」そうだ。まるで「何年の夏の甲子園の優勝校は?」と質問された私が「あ、それは〇〇高校」と答えているシーンとダブるねえ。ハハ。
博士は江戸、明治、大正、昭和と最後まで植物と植物学に生涯を捧げた人生でオタクの鑑(かがみ)といえよう。
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