よく晴れて暑くも寒くもない気持ちのいい土曜の朝だった。おまけに仕事もないしのんびりと居間で過ごしていた。ふと、TV横のBOSEのCDプレーヤーの上を見ると、むき出しになったCDディスクが何枚かあって片付けようとしたら「古賀政男ベスト」という自作のディスクが目に付いた。ほうと思って久しぶりにCDをかけてみた。
「♪目ン無い千鳥の〜高島田〜」
うわー、いいねえ。歌っているのは古賀政男の最後の弟子の大川栄策。「目ン無い千鳥」は昭和15年発表の古い曲だが昭和44年大川のデビュー曲となった。この曲をトップに持って来たのは大川栄策の歌唱が出色の出来だからだ。少し鼻にかかるような味のある節回しですぐに大川栄策と分かる。ただB面での発売で兄弟子のアントニオ古賀「新妻鏡」とのカップリングでのデビューとなった。レコード会社側は無名の大川をA面にしても売れないだろうと判断したそうだがB面に人気が集まった。結局ロングセラーになり最終的には100万枚を超えたと言われている。
2曲目にはこれも戦前の曲「男の純情(昭和11年)」でこのCDでは細川たかしが歌っていた。昔、実家には古賀政男全集という5枚組か6枚組かのLPレコードがあって立派な解説書を読みながら私はよく聴いていた。CDの時代になり昭和63年に「古賀メロディベスト(1)(2)」を買い車中で聴きいっしょに歌ったものだった。その中でもお気に入りが先の「目ン無い千鳥」であり「男の純情」だった。後に従妹のヒトミンチョから「(父の)イチオジが好きだった」と聞かされ血は争えんなと思ったものだ。
3曲目には「女の階級(昭和11年)」。当時の日活映画の主題歌であまり知られてはいない曲だが、出だしの都はるみのうなりが効いているのとサビの盛り上がりがいい。
そして4曲目に「影を慕いて(昭和6年)」。ここでは美空ひばりが絶品の歌い回しで、あれこんなにいい曲だったかと自身驚いた。いや、古賀政男のデビュー曲にして代表曲とも言えるのだが、昔の私は暗くてマイナーマイナーした曲調があまり好きになれなかった。しかし心にしみるいい曲だと感じた。もともとは佐藤千夜子が歌ったがヒットせずレコード会社を変えて藤山一郎が歌ったらヒットしたというから歌い手を選ぶのかもしれない。
5曲目がその藤山一郎が歌う「東京ラプソディ(昭和11年)」。「影を慕いて」と打って変わって明るく元気な曲で開放感いっぱいになった。そうだ、マイCDを作る時には私は意識していた。前曲が女の暗い歌なので次は男の明るい歌にしようと。その流れで6曲目は同じ藤山一郎の「酒は涙か溜息か(昭和6年)」で同じ藤山のよくとおる声でじっくりした歌を聴いてみたい。この曲はNHK朝ドラ「エール」でもレコーディングのシーンとして出てきた。
7曲目が「三百六十五夜(昭和23年)」。確か映画音楽でオリジナルは霧島昇・松原操だがここでは都はるみが歌っている。今ではほとんど知られていないがさすがにギボヒサコは知っていたねぇ。8曲目が同じ昭和23年の大ヒット曲「湯の町エレジー」。これは近江俊郎本人の歌唱だ。今回改めて見直した(聴き直した)のがこの曲だ。「影を慕いて」の戦後版とも言える暗い曲調で歌詞もギターを弾いている主人公がとうに結婚した初恋の人を伊豆に訪ねるという内容だ。昔の私はそんなにいい曲かなと思っていたものだ。作詞者が野村俊夫で朝ドラ「エール」では作詞家村野鉄男として福島三羽ガラスとして登場する。元々は霧島昇を想定して作られたそうだが近江俊郎が歌うことになり彼の代表作となった。
9曲目がその霧島昇の「誰か故郷を想わざる(昭和15年)」。若い人にタイトルを読ませれば「だれかこきょう」と言うはずだが、曲を聴けば分かるように正しくは「たれかこきょうをおもわざる」である。いやこの曲も文句なしにいい。発表年で分かるように戦地で大流行した。その後内地でもヒットし、作詞の西条八十、古賀、霧島とそれぞれの代表作になった。2年後、同じトリオで「陥したぞシンガポール」という曲が作られたが全くヒットしなかった。
その後「二人は若い(昭和10年)」「柔(昭和39年)」「サーカスの唄(昭和8年)」「丘を越えて(昭和6年)」と続き、全20曲が「マイベスト古賀政男」には入っていた。まだまだ一曲ごとに解説していきたいが、今日はすでに夜が明け書く時間がなくなった。昭和の大作曲家にして国民栄誉賞受賞の古賀政男の素晴らしさはまたいつか書く機会もあるだろう。ではまた!
そうです
返信削除それとぴんからトリオの「女の道」も
「星影のワルツ」もやね。
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