2019年12月10日火曜日

なぜにキヨシを嫌がった?

内視鏡室で、ピッピDrから「昨日は弟の胃カメラをありがとうございました」と言われた。うん?彼の弟を自分は検査したっけな。人間ドックの内視鏡画像チェックすると確かにやっていた。そうと知っていたら、しかとお顔を確かめ、もしかしたらデジカメ写真も撮っていたかも。で、名前が「ヒロシ」となっていてピッピDrと同じ一文字だった。その時少し気になったのが、ピッピDrは音読みで「セイ」なのはなぜかということだった。そこを尋ねると、「そうですねえ、親に言わせると『本当はキヨシにするつもりだったんだ』そうです。私は東京オリンピックの年の生まれですからそれにちなんでらしいです」「ではなぜキヨシを嫌がった?」「それがですね、渥美清のキヨシと同じ音になるのが嫌だったとか」「はあ?」

渥美清といえばフーテンの寅さんでおなじみ、しかも国民栄誉賞をもらうほどの名俳優だ。その御尊名を嫌がる理由などあろうか?私が思ったのは、渥美清は当時TVや映画に出てNHKでも「夢であいましょう」などのバラエティーにも出て人気があった(そうだ)が、コメディアンでしかもあのお顔だから生まれてきた子どもがそうであって欲しいとは思われないタイプだったというもの。今だったらビートたけしや北野武は好きであってもあのようなお顔であって欲しいとは思わないのと同じか。渥美清が映画「フーテンの寅」で大ヒットを飛ばすのは1969年(昭和44年)のことでピッピDrの生まれる5年後だし「人様に笑われるような人生を送って欲しくない」という親心だったかな(笑)。

寅さん以前の渥美清がすでに相当人気があったとすぐに分かる映像が残っている。1963年12月31日の第14回紅白歌合戦は日本の番組史上最高視聴率81.4%を記録した伝説の回だが、冒頭に出て来る人物はなんと歌手でもない渥美清だった。来年がオリンピックの年だというので聖火ランナーを模した格好で会場の東京宝塚劇場へ向かったのが彼だったのだ。そんな大事なシーンを任されるということは人気と信頼がないとできないはず。「へー、寅さんってこのころから人気あったんだな」と録画ビデオを見ながら私は思った。さらに渥美清は梓みちよの大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」の場面で森繁久弥が押す乳母車に入って「こんにちは赤さん、あなたの勝ちよ」というギャグも飛ばしたりしていた。生まれる赤ちゃんがこれであってはいけないとピッピDrの親が思ったのも肯けるね、ふんふん。

なお、この時の紅白は全編の映像(白黒)がNHKに現存する最古の回でもあり、たまに再放送されることがあるから機会あれば御覧あれ。

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