年賀状ネタが続くが、今年は昨年の賀状を見直しつつ一言コメントを書いていった。その中に中学3年時の担任の美術教師ケンキュウ先生のものがあった。ずっと年賀状のやり取りが続いており、たまにお会いすることもあった。前回は6年前、個展を鹿児島のミニギャラリー「白回廊」で開くというのでカールといっしょに見に行った。年賀状も必ず個性的な絵を描いてくれていた。
ところが去年のは非常にやつれた自画像で、文面も「今年はこんな年賀状になりました。体調を崩しいろんなことが望むようにできなくなったということです。せめて気力なりとも取り戻せたらいいのですが、どうなりますやら。そういうわけでで賀状は今年までということになりそうです」と無念さがうかがえる内容だだった。でも正月が過ぎればそんなことは忘れていた。ところが11月に欠礼状が届いて驚いた。何とケンキュウ先生、今年の5月15日に亡くなっていた。死亡広告も出ておらず届くまで同級生の誰も知らなかった。そこで最後の年賀状だ。読めば納得した。まだまだ続けたかったが体調には勝てないかもと年賀状じまいの文を書かれたのだ。
私は中学時代、ケンキュウ先生に約束したことがある。年賀状は例えプリントで済ませようと必ず一筆手書きで添え書きをするということだ。私がもらった時に手書き文字がないとさみしい気分になるからで、そのように提出日記に書いたら「そのことを忘れるんじゃないぞ」を返信されていた。時に「面倒くさいなぁ」と思うことがあったけれど、その約束はずっと守り通して来た。その先生がいなくなって約束を守るべき相手がいなくなった。だからといって今回から添え書きを止めるつもりはない。年賀状を続ける限り私は継続するだろう。葬式には出られなかったけれど、それが先生へのせめてものはなむけだ。合掌。
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