2025年10月17日金曜日

あく巻きの汁

カールが「このボトルを誰かもらってくれないかしら」と玄関前に茶色のボトルを置いていた。
商品のラベルには「あく巻用あく汁」とプリントされてあった。「あく巻きを作るってギボヒサコが買っていたのよねぇ。私は作らないし作れもしないからいらないの」とカール。購入したのはギボヒサコが老人施設に入所する前だろうからすでに5年は経っている。キャップも開封しておらず新品を変わらない品だ。カールによると「Aコープで同じボトルを買っているお客さんを見かけたことがあったけど、『うちにあるのをもらいませんか』なんて声かけするのも気が引けてー」なんてこともあったそうだ。

「病院に持っていけば誰かもらう人がいるかも」と私が預かって、今日持っていった。すると村弓副院長が「鼓隊看護部長のお母さんが作るようですから私から持っていきましょう」とすぐに受け取ってくれた。鹿児島のお母さん連中にはあく巻きを作る人がまだ多いんだろう。ギボヒサコは純粋な沖縄人であったけれど、戦時中、家族で鹿児島の大口に疎開していた小学生時にあく巻きを知り、大好きになって沖縄でもよく食べていたそうだ。弟のキシュン叔父さんも同様に好きということだ。しかし娘のカールは食べる習慣がなくさほど好みでもない。
私も子どもの頃から普通に出てきて、べたべたはするけれど、きなこをかけ美味しく食べていた。上のあく巻きの写真を見ると懐かしさも覚える。ギボヒサコもまさか鹿児島に住み、鹿児島で人生を終えるとは思っていなかっただろう。あく巻きの汁を譲ることでまた一つギボヒサコの思い出がなくなっていく。来月で一周忌を迎える。人生ってあっという間だ〜。

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