「病院に持っていけば誰かもらう人がいるかも」と私が預かって、今日持っていった。すると村弓副院長が「鼓隊看護部長のお母さんが作るようですから私から持っていきましょう」とすぐに受け取ってくれた。鹿児島のお母さん連中にはあく巻きを作る人がまだ多いんだろう。ギボヒサコは純粋な沖縄人であったけれど、戦時中、家族で鹿児島の大口に疎開していた小学生時にあく巻きを知り、大好きになって沖縄でもよく食べていたそうだ。弟のキシュン叔父さんも同様に好きということだ。しかし娘のカールは食べる習慣がなくさほど好みでもない。私も子どもの頃から普通に出てきて、べたべたはするけれど、きなこをかけ美味しく食べていた。上のあく巻きの写真を見ると懐かしさも覚える。ギボヒサコもまさか鹿児島に住み、鹿児島で人生を終えるとは思っていなかっただろう。あく巻きの汁を譲ることでまた一つギボヒサコの思い出がなくなっていく。来月で一周忌を迎える。人生ってあっという間だ〜。
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