昨日、田舎のあこネーサ母よりカライモとミカンが届いていた。この時期によく送ってくれる。芋がメインでミカンは余り物のデコポン2個だった。ややしなびてはいるが味は良い。で、お礼の電話をすると、「ああ、届いたかなー」とまずは元気な声で返事しその後、実は「庭に成っているサワーポメロを送りたかったがカラスに突かれてダメになってしまった、だから送れなかった」という意味のこと鹿児島弁で言い訳をしていた。ふーん、べつにいいよそんなこと。まあ、とにかくありがとさん、だった。
ところで、そのやりとりを聞いていたカールが「何だったの?」と尋ねるので、鹿児島弁で説明すると「え?え?」と何言っているのかさっぱりという表情だ。以下、鹿児島弁訳してみよう。
「さわーぽめろん、おくいたかったどん、カラィがちくじって、やっせんごっなっしもたで、おくいやならんかった」
いやー、文にすると私でもぱっと見、よくわからんわ。特に「カラィがちくじって」のところ、カラスをカラィと訛る部分、聞けばまあ分かるが難しい。鹿児島弁では気が急くのか言葉を縮める癖がある。同様にガラスも「割れたガラィがあるから気をつけろよ」とか訛る。あこネーサ風に言えば「ガラィがチンガラッ、うっがれた」は「ガラスが木っ端みじんに打ち壊れた」の意味になる。そうそう、「チンガ(グア)ラッ」や「チンガ(グア)ライ」は私が訳したように「木っ端みじん」や「全面的破壊」を意味し地元人には妙に人気がある。いかにも鹿児島らしい鹿児島弁だからだろうか。
カールに「うちの子どもらにしゃべってもきっと分からないと思うわ」と言われ、今急速に鹿児島弁が使われなくなっていることに気がつく。彼らは共通語をしゃべりなさいと言われる方が楽なのだ。ああ、かつて「方言しゃべったら罰当番」と言われていたのに今は「方言を大事にしましょう」と廃れるのを心配しなくてはいけない。
そもそも言葉とそこの文化は切っても切れない関係にある。外国人が日本語を学ぶということは日本文化を学ぶに等しい。鹿児島弁も同様である。鹿児島を大事にしたければ鹿児島弁を大事にすべき、これは当然のことだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿