2025年9月13日土曜日

閉所恐怖症から昭和戦前の子どもまで

特に予定を入れていない3連休の初日、休みなのに病院へ行って、入院患者の指示出しをした。重症の患者が2人いて、今朝の採血結果をもとに点滴指示を出そうと思ったからだ。着いて見ると、昨日までより悪化しているデータもあって変更を行った。まあ家から電話指示でもいいのだが、重症患者となると指示も多くて細やかになるので、やっぱり行って正解だった。

さて昨日のこと、外来で看護師らが話題にしていたのが、閉所恐怖症の中年男性患者の一件だった。MRI検査を受ける予定のその患者が検査室に入るのを怖がりその扱いに大変だったんだそうだ。見た目屈強ないわゆる強面(こわもて)の男性だったらしがなかなか検査台に入ろうとせず難儀だったんだとか。まあ本人にしてみれば怖くて仕方なく、MRI検査ではたまにこういった反応を示す患者もいて鎮痛剤を使うこともある。

さて、そんな話題を今日カールに聞かせたら、その後話がどんどん進み、亡くなった父デンコーが靴を履きだしたのが40歳代半ばだったという話題になってしまった。まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話だが、いったいどういうこと?

先ほどの話題の後、私はカールに「閉所恐怖症の人の気持ちって私には分からないが、高所恐怖症だったら分かるナァ」と解説してみせた。例えば私が地上100mくらいのビルの屋上から出ている幅20cmくらいの板を歩けなんて言われたらMRI室に入りたがらない例の患者と同じような反応をするに違いない。まあ分かりやすい例えでしょ。

で、その時ふと思い出したのだ。ある日、自宅兼旅館の鉄筋3階のビルの屋上でデンコーはそれこそ幅20cmくらいの塀の上にぴょこんと乗って網で囲う作業をしていた。足を踏み外せば地上へ15、6mくらいは落下し命に関わるというのに平気で作業を続けていた。私は背筋が冷や〜として正視出来なかった。

何でそんな危なっかしい作業をデンコーはしていたのか?実は自宅で卓球が出来るようにと卓球台を購入して、日頃は屋上のボイラー室に保管して晴れた日には台を出し卓球を楽しもうということだったのだ。で、ピンポン球が下に落ちないように棒を立て網で囲ったのである。近所の人たちは「あの網は何のため?」なんて訝(いぶか)っていたよ。私たちもちょくちょく卓球をして楽しみはしたが、いかんせん本格的に卓球をやっているわけでもなく早々に飽きが来て台も網もへたってそのうちほとんど遊ばなくなった。

すると、今度は魚釣りをやろうとデンコーは思い立った。小さなボートを買ったのか借りてたのかは知らない。私が中学生の頃、ある日曜の朝早く、私と弟はデンコーに起こされ、「今から魚釣りに行くぞ」と錦江湾に連れて行かれ、ボートでの海釣りに付き合ったのだ。私は今でも魚釣りはしたこともしたいとも思わない質(たち)で、その日も眠いし船酔いするしで最悪の日曜だったことしか記憶はない。もう二度と魚釣りには誘わないでと切に思った。

すると私が中学の終わりか高校の始めのころ、デンコーはゴルフを始めた。これはハマったね。打ちっぱなしにもよく行っていたし、そしていよいよゴルフコースデビューとなった。私が覚えているのは、帰って来た日に「足が痛くてきつくて・・」とゴルフシューズを履いてのコースを回ったのがえらくきつかったとぼやいていた。そしてその時のデンコーの言い分に少し驚いた。「靴なんてこれまで履いたことはなかったのに、何キロも歩き回ってきついのなんの」と言うのだ。靴を履いたことがない?大げさなと思われるかもしれないが、デンコー親父の人生を振り返ればあながちウソでもなかった。昭和一桁で田舎生まれのデンコーは「小学校には裸足で通っていた」そうで高校も戦争末期から終戦の混乱期でどうにか卒業したくらいで、すぐに祖父デンシローの貨物船で働き始め、その後大きな貨物船の船長をするようになっても皮靴とは無縁の生活だった。船が沈没し保険が下りたのを幸い、祖父に勧められて鹿児島で旅館を買取りそこのオヤジになった。だから靴を履いてあちこち回る仕事はしてこなかったのだ。

そんな昭和の初めのころの人たちの話題に、カールは「ギボヒサコから聞いたことあってー」と戦争末期に沖縄から鹿児島に疎開したヒサコ一家のことを思い出した。ヒサコ一家は那覇の市街地に住み比較的いい暮らしをしていたそうな。すると疎開先で「(沖縄の人なのに)靴を履いている!」と驚かれたんだとか。今じゃ考えられない発言でしょ。それを聞いて、デンコーが裸足で通学していたという話もやはり本当のことだったんだと思った。昭和の前半の子どもらの写真を見てもせいぜいわら草履か下駄を履いているくらいで靴を履くなんて滅多に見られないことだったんだ。↓の写真はネットで拾った戦後まもなくの田舎ではなく都会の子どもの写真だ。靴ではなく草履だね。戦前の田舎の子たちの履き物は推して知るべし、だ。

閉所恐怖症から靴なしで通学の話題に飛んだわけだが、たかだか80数年前の日本はまだまだ相当に貧しかったのだ。

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