子猫のゲンちゃん
昨夜、コンビニへ「遊び」に出かけて帰って来たテルがとんでもないものを持ってきていた。「かわいいだろ、飼いたい」と白と黒の混じった子猫を持ってきたのだ。これにはみんなびっくり。 コンビニで友だちが「中学校の近くで拾ってきた」と持ってきたのを、おバカでお調子者のテルはもらったのだと。まだ生後2、3ヶ月くらいだろうか。元気ですぐに家の中を走り回ってカールや子どもらみんなが見に来た。ミャーミャー鳴いて触っても逃げない。カールは「きっと飼われていたんだ。捨て猫だったらこんなになつかないもん」と家の中で唯一猫を飼った経験のあるところをみせた。セージは携帯で撮影を始めるし、カールは触りたがり、テルも同様。チッチは遠巻きに見ていた。私はデジカメで写真、動画ともに撮影した。でも、これだけははっきりさせねばと、「絶対に飼ってはいけないからな。元に返すかどうかしなさい」ときつく言いつけた。撮影はこの一件を記録しておきたいのと飼う飼わないは別にして子猫はかわいいと私も思っているからだ。でもテルはすぐに従わず、それどころかうるさいなという態度で、さらに「飼ったらどこにも行けなくなる」と口では言うカールも突き放す雰囲気がなく、このままでは成り行きで飼ってしまうのではという懸念が・・。テルは段ボールの箱に敷布を敷いてそこに子猫を入れ、飼うんだということをアピールしているようでもあった。
ただでさえ手のかかる人間の形をした猫3匹もいる我が家に4匹目も来ては世話が焼けすぎる。それに受験第一のはずの予備校生がこんなことにうつつを抜かすことへの失望感も伴って気分がぐったりとなった。急に鬱気分にさえなった。将来子どもらが大学や就職などしてさみしくなればペットを飼うもいいかもしれない。でも今のこてる家の現状では混乱の元になるだけだ。旗幟(きし)鮮明にせねば。
今朝起きると、すでに子どもらは学校に出かけていたが、子猫はやっぱりいてミャーミャーしている。ギボヒサコも見てどうするんかねぇという。彼女は猫を触ろうとはしない。飼う気は全くないようだ。カールが子どものころ、今回同様飼いたーいと子猫を家に持ってきたのを捨てて、帰宅したカールを落胆させたことがあったという。かわいそうでも飼う側の責任や面倒を考えれば仕方ないことだったろう。「絶対飼ってはならないからな。今日必ず家から出しなさい」私は言明した。カールの返事はあいまいだった。こいつどうする気だ。確かにポイッと捨てるのは出来そうもないが・・。
仕事中、この子猫のことが気になっていた。もし飼う羽目にでもなれば・・。どうもテルは飼う派、私とギボヒサコは飼わない派、セージ、チッチはどっちつかず派、カールは飼わないと言明しそのようにしているが本音は飼いたい派のようで、捨てられなかったら一悶着あるななどと思っていた。さらに、まだ飼っているわけでもないのにあの子猫の名前は付けるとすれば何と付けようと考えている自分がいた。テルはふざけてゲンノジョー(源之丞)とか言っていたな、ちょっとそれは言いにくいし変すぎる、縮めてゲンくらいか、元気な猫だったしそれがいいんじゃないか。
帰宅前にどうなったか家に電話してみた。半々の確率でいるかいないか・・。「それがねえ。ゲンちゃん、お外でトイレした後、いなくなったの。帰って来ない」とカール。実はカールも子猫の名前をゲンちゃんと呼んでいたのだった。この雨の中いなくなったと聞き、えっ?と驚き心配になった。あのギボヒサコも気になって近くを探したり、帰宅途中の小学生が喚声を上げるのが聞こえると「あら、子猫がいたのかしら」と気にかけているそうだ。追い出しなさいとは言っても小さな命が無事であるようにと人は思うものなんだ。「おしっこしたそうだったから庭に出すと自分で穴掘ってちゃんとしたのよ。また入ってきてお昼前にまた庭でおしっこしたとおもったら今度は戻って来なかった」そうだ。おそらく躾けられた子猫だったに違いないがいったいどこに行ったのか。チッチも帰宅早々「猫は?」と気になっていたし、テルもいつもより早く帰ってきて同じセリフだった。ただ落胆した様子はなく切り替えの早さはいつものテルそのものだ。
たった半日ほどなのにすでに情が湧いてしまう。カールはどうやらこれは飼う運命にあると思っていたようだ。それと夜に帰宅したセージが顔にかゆみを訴え、どうも猫アレルギーの症状かもしれなかった。数年前に田舎のヒトミンチョ宅で猫のみんとちゃんを抱っこして同様の症状が出たことがあった。
結局飼えない運命だったろう。私はこの結末で良かったと思った。
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