2009年9月20日日曜日

価値あるもの

私にはトイレ本なるものがある。トイレの棚に入れっぱなしで便器に座った時に取りだし少しずつ読み進めて行く本で、買ったはいいがなかなか読み始められない類のものが多い。一冊だけでなく何冊もあり何年も前から棚に鎮座し遅々として進まない本も何冊かある。

このトイレ本でいいのは積ん読本が少しずつ片付くことだ。トイレに入ると他にすることがないので本に手が伸びる。5分ほどで今回はここまでとしおりを挟み立ち上がることも多いが、時には用は済んだのにお尻痛いのに座り続けて読み続けてしまい、子供が戸を開け「うわっ」と言ってバタンと閉めるのを見てようやく腰を上げることもよくある。

20年ほど前に買った新書「世界自動車産業の興亡」もこうして1ヶ月ほどで読み終え、アメリカの自動車メーカーの衰退がなぜ起きたかという点や、日本のメーカーがGMのマーケティング、フォードの生産ラインの技術などいい点を取り入れたことが繁栄の基礎になっていることなどよく分かった。

最近では文庫本の「篤姫」もチマチマ読んでいる。ドラマは見たものの原作本は買ったのに読んでなかった。でもある程度流れは知っているためわざわざ読む気が失せていたがトイレだと少しずつ読み進められ、2ヶ月ほどで上巻の半分ほど進んでいる。

さらに今読んでいるのが半藤一利氏の「昭和史1926ー1945」平凡社文庫で500ページ超の分厚い本である。これは厚くとも一気に読めるほどだが内容がじっくり読むにふさわしいかと思いトイレ本にした。

まだ第3章の途中までだが、軍部の独走だけが戦争へと突き進んで行ったわけではないことが昭和の初期からして如実に表れていることに気付く。特に戦争記事があれば売れる時代の風潮もあり販売拡張の思惑もからみ新聞がその片棒をいかに担いだのかが厳然たる事実として出てくる。さらに日本国民自体が愚かであったことも。

そんな本を読んでいる私にブログ「噂と樽」の今日の内容は思わず唸るものだった。ただし著者の六代目・傳右衛門氏も書いているように7月28日に寄稿された歴史学者磯田道史氏の記事が元になっている。

磯田氏がまだ貧乏学生のころ(氏は高校時代から古文書読みの没頭するというまさに将来は歴史学者になるべく生まれたような人)、露天商から1枚500円の政治家の色紙を2枚購入したところ、そのうち1枚は岡田忠彦という戦前の翼賛選挙の後、衆議院議長となった人物の色紙で、もう1枚は「第七十五帝国議会去感・・・隆夫」とあり、達筆すぎてよく読めないもののなにやら漢詩が認めてあった。そしてこの色紙は当時の衆議院議員斎藤隆夫のもので結構なお宝だったのだ。

私は岡田忠彦も斎藤隆夫も知らない。しかし斎藤隆夫は知る人ぞ知るの人物だった。

以下、六代目・傳右衛門氏のブログをそのまま載せる。
・・・
「昭和15年(1940)、2月2日、兵庫県出身の衆議院議員、斎藤隆夫は、歴史に残る国会演説をした。 

「政府軍部の進める大陸政策は間違っている。そもそも中国全土を日本が占領するのは無理がある。泥沼化した日中戦争の目的もはっきりしない。」と述べ、さらに、

「国家百年の大計を誤るような事がありましたならば、現在の政治家は死してもその罪をつぐなえない」と断言した。 

斎藤の演説は黙殺された。議会からも、大新聞からも、放送局からも。そして多くの日本人から非難を浴び、国賊呼ばわりされた。以後、斎藤には脅迫状や自刃用の短刀などが送りつけられ、命の危険を感じるようになる。

磯田氏が500円で手に入れた色紙は、その斎藤が暗殺・横死を覚悟し、せめて死ぬまでに我が思いを後世に残さんと思い書いた漢詩の内の一枚だった。

この後は原文の磯田氏のものを載せる。斎藤隆夫の漢詩を紹介し、自ら歴史学者としての使命を悟る感銘深い内容である。

「・・・私がみつけたのはそのなかの一枚であった。

  吾が言は即ち是れ万人の声

  褒貶毀誉(ほうへんきよ)は世評に委(まか)す

  請う百年青史の上を看る事を

  正邪曲直おのずから分明

  第七十五帝国議会去感斎藤隆夫

読んで涙が出て来た。斎藤は「百年後の歴史の上」をみて国を誤らぬよう命がけで自説を述べたのだ。

自分は歴史家の卵だ。自分がきちんと歴史を書かねば正しいことをして不遇に終わった人物は犬死にになる、と思った。

それから露天商をさがした。数ヶ月後、やっとみつけた。寒風吹きすさぶなか小さなイスに座っていた。「先日の色紙の一枚は斎藤隆夫でした。衆院議長のはただ同然ですが、斎藤は何万円もします。500円で買ってしまって‥‥」そういうと件(くだん)の露天商はいった。「この商売。店が客に一本とられることもあれば逆もある。気にせんでいい」。偉い男だと思った。(終)」

斎藤隆夫のこの演説はNHKの「その時歴史が動いた」でも平成15年5月に紹介されている。国会はそのような発言をした斎藤を議員にふさわしくないとして国会から除名した。賛成296、棄権144で反対はわずか7。斎藤の演説も議事録から削除されたのだった。

このような人物がいたことを我々は知らずにいるのは恥ずかしい。ネットで斎藤隆夫や歴史学者の磯田道史氏のことなど調べていると、またまた半藤一利氏の近著『文藝春秋増刊 くりま 2009年9月号 半藤一利が見た昭和』が目に止まった。

目次など見ているとある章は何と磯田道史氏との対談特集になっているではないか。ほーぅ。そして半藤さんの鑑定つき「昭和人物列伝」70名の中に斎藤隆夫の名前がちゃんとあった。ネット上での書評もこの特集本をみんな誉めていた。

これはぜひ買わねばとネットで注文しようとしたがどこにも売ってない。品切ればっかしなんだ。ようやくamazonで見つけたと思ったら、中古本で定価980円なのに1800円プラス送料となっていた。げげっ。安く買おうと思ったのにお古が高くつくとは。

でもハッと思い直したのだ。価値ある本物は高いのが当たり前なのだと。1年後には二束三文の100円程度になる本も多い中でこれは1800円で買えればまだ安い方かもしれない。で、私にしては珍しく割高中古本を注文した。そして5分後には「この本は現在お取り扱いできません」に変わっていた。よかったよ、この値段で手に入れられて。本物と思った時にけちってはならないよな。

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