2020年11月30日月曜日

垂水千本イチョウ

今日は鹿児島市長選から明けて1日経った。下鶴さんは夕方のローカルニュースに出まくっていたねぇ。

朝礼でラブカメ先生が隣にいたので「市長選は行かれましたか。私は下鶴隆央に入れました」と言うと「私は松永さんに入れました」とのことだった。ほう、先生にも下鶴を頼もうと思っていたが言わずに良かったかな。でもラブカメ先生「あちこちから頼まれましてね。私は甲南高校出身ということで松永さんでしたが、妻は下鶴さんにと分けました」んだそうだ。大御所ともなるとなかなか一方だけに肩入れというのは難しいようだ。

昨日の話になるが、朝7時投票所に行き投票を済ませ、すぐに垂水フェリーに向かった。先週に引き続き紅葉狩りということで、垂水の千本イチョウを初めて見に行くことにした。前回の曽木の滝は遅すぎたが、今回は南日本新聞に「ライトアップされ、幻想的な雰囲気が漂うイチョウ並木」と写真付きで出ていて、それがYahooニュースにも出ていた。これじゃー混雑するかもと朝一で出かけることにしたのだ。

垂水港に着いて10分ほどで高峠途中の千本イチョウ園には着いた。あっという間だ。すでに見に来ている人たちがいたが直近の駐車場(約30台)はまだまだ余裕があった。イチョウ林は全部で3つあってそれぞれAコース、Bコース、Cコースと名付けられている。3つに分かれているというのは実は知っていた。というのも今月の南日本新聞カレンダーが千本イチョウでその空撮写真を見れば一目瞭然だからだ。その写真が見事で、遠くに桜島が見え下に2ヶ所(道路はさんで向こう下がBコース、上がCコース)、上に1ヶ所(手前がAコース)の大量のイチョウが植えられていることが分かる。自分で写真を何枚も撮ったがさすがにこの写真にはかなわない。素晴らしい写真でひょっとすると実際に見に行くよりもいいかも。↓。
まずはBコースから見物した。イチョウ園はコースそれぞれ趣が違い、このBコースは坂になっていて少し暗い感じがした。葉のつき具合も少なく、それになんていうかまだ色づきが弱いんだ。真っ黄色をイメージしていたのに緑っぽいよ。

次はCコースにしたがここはちょいとした坂登りだ。あるおっさんなんか途中でへばってせーせーしていた。おたく、労作型狭心症?って尋ねたくなったぜ。一番上まで行くとこれが眺めがとても良い。垂水市街と錦江湾、開聞岳が遠くに見え、ここでカールと何枚も写真を撮った。色づきも若干Bコースよりは良かった。

さて最後はAコースだ。このコースはまさにイチョウ並木だ。写真によく出てくるのはここだ。ただやはり色づきが今ひとつで来週くらいが一番の見頃じゃないだろうか。カールは無人販売にあった銀杏を一箱200円で買っていたが、「あら、あちこち落ちているわ」と拾い始めた。で、すぐに手一杯になって「これなら買わなくてもよかったかしら」だって。

Aコースからは桜島とBコース林がよく見える。もう少し後なら黄色が鮮やかだったろうに。













帰りがけの駐車場を見るとまだ余裕があった。1kmほど下に大きな駐車場がありそこから送迎バスが期間中は出ている。そこからやって来る人たちも多いようだ。あはー、上まで来ればまだ自家用車を駐められたのにねえ。

帰りは桜島フェリーで帰ることにした。ちょっとは趣を変えないとね。桜島を走るのはいつ以来だろう。有村溶岩展望所付近から見上げる桜島は迫力があった。ていうか、爆発があったら怖いところだよここは。














桜島フェリーは結構待たされ、それに料金も2千円を越え垂水フェリーよりちょい安いくらいで15分しか乗らないにしては少し高い感じがした。湾岸周りで帰宅しても良かったナ。ともかく無事にフェリーを下り、帰路につこうとしたその時、病院から携帯に連絡が入ったのだ。うん?(この続きは明日の日記で)

2020年11月29日日曜日

下鶴隆央、市長選当確!

 20時過ぎにてげてげ先生やスチョル先生から早くも「当確!ありがとう!」とメールや電話で連絡があった。あれ?もう当確が出たのかなとこっちは戸惑った。NHKではまだ出ていないが・・。「KYTで出ていた」とスチョル先生。21時前のローカルニュースではKYTのみが「最年少市長の誕生です」と報じていた。

NHKでは出口調査の結果です、と状勢分析を報じていて明らかに下鶴優勢という内容だったが、「当確」は銘打っていなかった。
KKBは開票所の様子が画面に出ているだけで結果や分析も出ておらず、MBCは全国ニュースのみでKTSはニュースすらまだない。各局の報道姿勢の差がこの時間帯は顕著だ。

まあ、良かった良かった。応援していた下鶴候補がまず間違いなく鹿児島市長だ。行政側に回ることでより思い切った政策を実行できるようになることだろう。現在11月29日の21時20分、もうしばらくすればNHK以下他の局も下鶴隆央新市長誕生を大きく報道するはずだ。私に直接や電話で下鶴推しを頼まれた皆さん、この場を借りて感謝感謝だ。ありがとう!

2020年11月28日土曜日

その牌を切って負けても正解である

 土曜に仕事がないとやはり楽だ。明け方に起きてネットやビデオを見てぼんやりとやり過ごした。

午前には1ヶ月ぶりに散髪に出かけた。1200円カットで今回はあまり短くし過ぎないないよう頼んだ。

15時からリアル麻雀を控えていて天鳳を1半荘やってみた。東場で白ドラ3の満貫手を上がり2番手で南場に入った。そこでラス目の対面からリーチ。もったいないが現物の赤5索を切って一向聴になった次、2ピンを引いて聴牌した。切るべき牌は4ピン。こっちの手は高くはないが他に切る牌もないので4ピン切りリーチとした。↓。だがこれがもろ当たりだった。

相手の待ちは147ピンで役はリーチピンフドラ1の3900点の手だ。しかし私の切った4ピンが裏ドラになりリーチピンフドラ3の満貫8000点になってしまった。これで私が代わりにラスに落ちた。結局のその差が縮まらずこの半荘、ラスで終わってしまった。

しかしあの時点で一体何を切れば正解だったというのか。安全牌らしき牌は2索くらいか。しかしそれとてもろ引っかけ当たりの可能性もある。自分の手が聴牌で待ちも悪くなければ聴牌を維持する方がいい。つまりこの時点での4ピン切りに問題はないと考える。今後同じ場面が来ても4ピンを切って放銃する方がトータルとしては勝ち組だろう。

ネット麻雀は後からこうして牌譜検討が出来るところがいい。見直してこれで問題なかったと納得出来た。麻雀にラスは付きもの。どんな名人でも強者でも一定確率でラスを引く。ラスになった局面を絶対と思ってこの場面では4ピンを切るべきではなかったと打ち方を変えるのは間違いだ。結果論から物事を考えてはいけない。

さてリアル麻雀ではサブアラドDrが序盤飛ばしまくった。親の四暗刻をツモりしかも3コロ、ドボンも加え+150の超大トップを取った。

私はその暴風雨をよけながらちょい浮きくらいで少しずつポイントを増やしていった。9回目の最後の半荘、私は3コロトップを取りサブアラドDrは3位。終わってみたら私が+86でトータルトップ、サブアラドは+80でトータル2位だった。悔しがっていたねえ。ネット麻雀でラスは取っていてもそれはそれで仕方なかったと判断していたのはやはり正しかったわ。

2020年11月27日金曜日

優勝セールで買ったもの

 当直明けで外来を終われば午後は帰れる・・ところが最近はそううまく行かないんだよなあ。

また大腸憩室出血の患者さんが来ていた。現に血が出ていれば大腸内視鏡をせざるを得ない。そして結局、出血源を突き止められないまま観察だけに終わってしまった。絶食点滴、安静の入院指示を出してこの後再出血しないことを祈るのみ。だがもし再出血すれば大変だがその時は逆に出血源を見つけるチャンスでもある。出血源さえ見つけられればー。

終わっても月末とあってレセプトや書類などいくつも仕事があり、病院を出たのは16時半を過ぎていた。全然、午後の早帰りじゃない。ほぼフル勤務ぜよ。

帰宅すると、カールが新しいパーカーを買ってきてくれていた。ほぼ部屋着用であったかくていい感じだ。

「ソフトバンクが優勝して、イオンのバーゲンで買ったの」と。ほうほう、そりゃええこっちゃ。「私はぜいたくしてネコの刺繍入りマスクを買っちゃった」と洗えるマスク2枚を買ってきていた。
右の白黒ネコのマスクはこの間買っていたもの↓。マスク掛けが日常になれば差別化もされこんなマスクも出てくるんだねぇ。しかしこれらのマスク、私のパーカーの値段の8割ほどもする。びっくりやー。

夕食終えて、私はカールと何かダベっていたようだったがいつの間にか椅子寝していたようだ。おつかれ〜〜。

2020年11月26日木曜日

心肺蘇生実況中継

 今夜は当直だった。最近は当直が当たるのは月に2、3回で以前よりはやや少なくなってきている。その内容はというと忙しい時もあるが案外ヒマなときもある。今夜はどっちだったか・・。

準夜帯では胆嚢の疝痛発作様の患者を入院させ、日付が変わって隣町の老人施設から「呼吸困難で状態がおかしい」という高齢女性患者を救急で受け入れることになった。当院には来院歴がなくどんな病歴や背景を持っているのか分からないが、近くの病院が受け入れできないとあればうちが診なくてはならなくなる。伝え聞く情報から画像診断は必要だろうとレントゲン技師を呼ぶことにした。

果たして搬送されてきた患者は・・一目でこれはまずいと思った。努力呼吸様でいかにもすぐに息が止まりそうだ。施設の職員にこれまでのいきさつなどまずは尋ねたが、チラチラ患者さんを見るにこれはもういけない。

「気管挿管するぞ、心臓マッサージ(胸骨圧迫)もやって!」

気管チューブを挿入後は救急隊員にマッサージをしてもらい、当直看護師には点滴ライン確保をしてもらった。数分マッサージをしても心臓の動きがないので強心剤を静注する。まだ動かない。数分後また静注。すると反応が出た。

その間、施設職員は患者の家族に携帯で連絡をしていた。一人息子が東京在住らしい。「今、心臓マッサージをやってはいるんですがまだ動かなくて」と実況中継さながら連絡している。「あ、心臓が動き出したそうです」マッサージを止めしばらく様子をみる。するとまた心臓が止まった。またマッサージ。すぐに反応が出た。そし今度はすぐには止まらなかった。で、このタイミングと胸部CTを撮影した。

肺炎があるのは予想どおりだったが、明らかに癌の転移かと思われる像もあった。「これは?」と職員に尋ねると「女性器の進行癌で放射線治療はやったのですが」とのことでなるほどと合点がいった。息子さんとまだつながっていた(施設職員はほぼ実況中継だった)ので代わって「とりあえず危機は脱したので、入院させるが、まだまだ予断を許さない状況」と説明した。それで息子氏は夜が明けて東京から鹿児島に向かいたいとのことで「当院でPCR検査を受けて新型コロナ陰性を確認しないと面会出来ない」ことを伝え了承してもらった。母が危篤とあれば一人息子はすぐにでも駆けつけたいだろう。心拍が戻って本当に良かったと思った。

入院指示を出し当直室に入ったのは午前3時半を過ぎていた。すぐに寝てそれから3時間以上は起こされなかった。それで午前7時前には目が醒めてわりにすっきりした朝を迎えることが出来た。

だがー。当直用ピッチに病棟から連絡があった。「先生、心臓止まっています」

結局今度は戻らなかった。詰め所に戻り、まずはーと息子氏の携帯に連絡を入れた。「はいXXです。今、羽田空港です」「そうでしたか、でもですね・・」「え・・」と嘆息。それでも今から向かうという。御遺体を引き取るだけならPCRは受けなくて良さそうだ。

病院はその人その家族の人生の一断面に向かい合う場所でもあった。

2020年11月25日水曜日

ボウリングで大事なこと

 このところ、毎月曜の夜にボウリング練習を一人でしていた。今週は月曜が休みだったので昨日の夜行った。と、歯科医師会のメンバー3人が先に投げていた。その中でMノ下君は久しぶりで、大盛り先生が「彼は先週から投げ始めて1年ぶりだよ」と教えてくれた。

↑ピースするMノ下。右は御年70才越えのノゾえもん先生。
怪我をしていたからかな、投げている姿を見るとまったくそんなことを感じさせなかった。昔の仲間が相変わらずボウリングを続けているのはうれしいことだ。

私のボウリングは出だし195でこの後182、178とまたじり貧パターンになった。最終4ゲーム目、8フレ終了時は132でこのままスペアで終われば170前後と悔しいじり貧決定になりそうで気合いを入れ直した。そこで4連続ストライクと192まで持っていった。200アップは出来なかったがどうにか満足、ふう。

ただ、終わってスコアシートを見直して今日の課題がはっきりした。
上の写真でも分かるように全部で6回も10ピンスペアミス(ピンクの丸)があった。これを全部取っておればアベレージ200は行っていたのだ。かのピート・ウェーバーが「ボウリングで大事なことは?」と聞かれ「メイク・スペア」と答えたのは至言である。次は10ピンミスをなくすこと。連続ストライク(黄色の資格)よりも大事なことであった。

2020年11月24日火曜日

テルちん、TVに登場

昨日、紅葉狩りに出かける前のこと、カールにヒトミンチョから電話があった。前日の家の塗装修理のことで何か言い残しでもあったのか?しかし「あらま、そう。見てみるわ」とカールは電話を切り「あのね、テルがたった今TVに出ていたって」だと。何だそれ?

こういう時にREGZAのタイムシフト機能は絶大な効果を発揮する。もしそれがなければ見ようにもすでに放送は過ぎてしまっているはずだ。出ているという局を番組冒頭から見てみた。いわゆる旅&紹介番組でレポーターの男女二人が地元の名所、店、施設などを紹介していくものだ。すると、某上等なホテルで「わぁーなんて素敵なお部屋ー」と女性レポーターの背後に付いていたのがテルだった。
これだけでテルだと気づくのは無理だろうが、その直後、レポーターの質問に答える場面があってフルネームでテルが紹介されていた。うぉほっほー、ちゃんと働いているねえ。こんなシーンでその姿を見るとは思いもよらなかったナ。
↓画面はテルとワイプの中の石原良純のみ。

これなら知る人ぞ知るで、先ほどの電話になったというわけ。そして他にもカールのスマホに数人「テルちゃん見たわよ」とLINEなどで連絡があった。すべてテルの同級生のママさんたちだった。

テルにこのことを連絡すると、「(はずかしくて)死にたい」とこぼし、「それは1ヶ月前に放送されたもの。TVだったら別にXX(元AKB48のメンバー)がMCを務めたコマーシャルムービーもある」とのことだった。「鹿児島でも絶対放送されているはず」というのでネットで検索すると確かにあった。こちらにもセリフがある。おいおい全く知らなかったぜ。

上の写真、いつもと髪型が違う。収録前で髪にチト気合いを入れたかな。しかし顔を隠してもエラの張り具合でテルと分かるわ。

それはともかくも親は思う。子どもはいつまでも子どもじゃないんだなって。

2020年11月23日月曜日

紅葉はどこにある

「せっかくの休みだから今日は紅葉でも見に行こう」とカールの提案で午後から出かけることにした。で、その行き先だが、垂水の千本イチョウに行ったことがないのでどうだろうと言うと「少し遠い」と賛同を得られず、私が「20年くらい前に子どもたちと行った曽木の滝がいいかな」ととりあえず北薩摩方面を目指した。

その前に姶良のスマートインターで降りて姶良イオンに寄った。西と東があり東街区に入り、ここだと食べるところがイタリアン、トンカツ、回転寿司、定食などある。カールがソバとの「うまや」と洋食の「カフェレッドダイニング」の両方に待ち客記入をし「どっちか早いほうにしましょ」と両方の店の中間で待つことになった。実はそこまで混んでいるように見えないが、ソーシャルディスタンスとやらで座席に間を設けなくて待ち時間が生じていたのだ。状況を見るに「レッドダイニング」の方が早そうでそっちの入り口に立って待っていた。

その間、「何回かここに来て食事をしているけど、半年前は医局の女子と来てトンカツ食べに来てその時に泣かん薗Drが娘さんといっしょに来ていたよ」とカールに話していた。その時のいきさつはこてる日記にも書いている。とー。なんとレッドダイニングから出てきた客はその泣かん薗Drだった。娘もいっしょだ。今回は奥さんもいて家族で食事だった。いやー、奇遇だねえ。そうそう姶良イオンに食事に来るわけではないのに、また店も違っていたのに今度も同じ店とは!
カールは「マウンテンローストビーフ丼」を私は「ハンバーグオムライス」を頼んだ。私って基本、お子ちゃまメニューが好きなんだナ。

満腹になって一路北薩へ向かった。高速を栗野で降りナビに従って曽木の滝を目指す。着くと休日だけあって人は多かった。だが・・。なんと目的の紅葉はほとんど落葉しきっていたのだ。あれれ、少し遅いがまだ見頃ってネットには出ていたがなー。
仕方ないんでもう一つの見所、滝そのものを見物した。少し望遠で撮ると迫力あるが・・。
普通に撮るとまあこんなもの。「東洋のナイアガラ」とは・・ねえ。
ただ、ここに来ると気温が16℃で栗野で24℃だったのが8℃も低くなっていた。で、帰りの栗野のスーパーで買い物をしたが、その時の気温は夕方だったのにまだ24℃だった。せいぜい15kmくらいしか離れていないのにすごい気温差だ。さすが鹿児島の北海道、大口伊佐地域だねえ。今回のドライブで一番印象に残ったのがこの気温差。曽木の滝付近は高地の霧島あたりと変わらないのでは?

公園内には赤と白のさざんかがあって赤白対称的で↓ここはなかなか良かった。


帰宅して調べるにまだ串木野の冠岳あたりが紅葉の見頃だったらしい。うーん、またの機会だな。職場の山ガール床杉さんに聞くと「春の登山は花の見頃に出会えるけど秋はなかなか紅葉の見頃と合わないことが多い」と言っていた。そうか、それを思えば去年のちょうど今頃、京都は永観堂、東福寺と紅葉真っ盛りの時期に見に行けたのは非常にラッキーだったんだ。
↓は永観堂のごく普通のスナップ。こんな風景がそこかしこにある。まさに錦秋そのもの!
2019/11/22の日記「秋は紅葉の永観堂」もどうぞ→。http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2019/11/blog-post_24.html

2020年11月22日日曜日

下鶴隆央候補、市長選出陣式

 朝、鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」の広場で鹿児島市長選の下鶴隆央候補の選挙出陣式に参加した。スチョル先生から来ないかと言われ即答でカールと行くことにしたのだ。

選挙の出陣式って生まれて初めてだ。支援者らが数百人集まり、まずは応援をする若手の地方議員が下鶴先輩を持ち上げ今こそ市長に必要な人材であることをアピールした。次に年齢では上だが県議としては後輩の女性議員が応援演説でこれがみんなよどみなくうまいんだ。そして満を持して下鶴隆央候補本人の決意表明だった。若さ、未来、変革など最年少候補としての特徴がよく出ていた。市政の継続を訴える某候補に対してだと思うが「待機児童の数が全国の市区町村の中でワースト6位」で、これが何年もおおよそ変わっていないのはなぜかとチクリとだが鋭い指摘をしていた。出陣式を「若き薩摩の群像」銅像前で行ったのも氏自身の思いと通じるものがあるからだろう。↓。

予定の30分を若干上回り出陣式を終え、支援者に握手ではなくグータッチで挨拶をする候補を各社TVカメラが追っていた。↓ではカールと同じ画面に写っている。
気がつけば36年も市役所出身者が市長を務めてきたのか。今、こんな大変な時代に背景団体を持たず地方自治への強い思いとそれだけでなく県議として実務も経験してきたこの若者に鹿児島の未来を任してみたいと思ったよ。

この後、イオンでちょっと買い物して帰宅した。するとそこにはヨカトモ従兄とヒトミンチョ従妹の兄妹がこてる家の外壁修理の手伝いに来ていた。この前のカールの過分なお願いに応えてくれたヨカトモ兄だが玄関のタイルと木材の塗装をした方がいいとまた来てくれたのだ。わざわざ塗料も買って来てくれていた。そんな有り難いことをまた・・私も側で手伝わないわけにはいくまい。結局3時間以上もかかり、昼ご飯のカールの作ったカレーが出てきたのは14時を過ぎていた。このいきさつは日記ネタに使えるが長くなりそうで、選挙中でもあり今日は下鶴さんの話題にだけにしておこう。鹿児島市に住む皆さん、選挙は大事、今度の日曜はめんどくさがらず選挙に行きましょう!

2020年11月21日土曜日

たった2局で天国から地獄へ

 今日で4週続けて土曜日勤務だった。だが患者が少なくぽつぽつ外来だった。あんまし余裕がありすぎて合間に11月17日分のこてる日記「ネコと武田信玄に相通じるものとは」を書き上げてしまったくらい。

しかしそんなに甘くはないのが青雲会。下血の高齢女性患者が来ていて最初はいつもの虚血性大腸炎かなと思ったが下血のパターンから憩室出血を疑った。土曜で午前までということもあり、ニフレックやモビプレップなどの前処置なしで大腸内視鏡を挿入した。血液が大腸全般にこびりついていて「上行結腸の憩室出血か」と大腸深部を探るもはっきりした出血源がない。よーく見るとバウヒン弁から血が出ているのを見て「小腸出血だったか」と驚いた。大腸と比べ小腸からの出血は滅多にない。

回腸(小腸)末端を探ると新鮮血がじわじわ出ている。その血が多すぎて出血点がよく分からない。そこでHSE(高張エピネフリン液)を粘膜に注入し出血を抑えると小さな憩室から出血しているのが分かった。よし!これで止められる。憩室出血は出血点が分かれば勝ちだ。クリップを掛けて一件落着となった。ただ入院は必要でその指示を出したりなんかで病院を出たのは13時半を過ぎていた。急がねば!

というのもいつもの見せたまえ雀荘での麻雀の約束があったからだ。今日は7年ぶりにアンベ君と打つ。遅れるわけにはいかない。私が麻雀を復活できたのは8年前で当時の眼科のドクターだったOhツカンネ先生やアンベ君のおかげでもあった。彼らと打ち、久々に麻雀の楽しさを味わい、OhツカンネDrやアンベ君が転勤でいなくなった後も昔からのサブアラド、見せたまえドクターらと麻雀を打ち続けている。

さて、アンベ君、最初は久しぶりでもあって何かしら固く、ビリからのスタートだった。3回戦までずっとマイナスだったが4回目の半荘でトップを取った。さらに続く半荘もトップ、さらにさらに6回目も序盤で大きく上がりずっと4万点以上維持しオーラスを迎えた。で、ここからドラマが始まる。アンベ君は上がればトップのため早鳴きし聴牌気配だった。そこで私が満貫手のリーチ。上がっても浮かないが2位にはなれる。アンベ君は私に満貫を振っても3コロのトップという有利な状況だ。危険牌を握ったか少考の後、私の当たり牌6ピンを切ってきた。「ロン!」「ロン!」え?

何と、親の見せたまえ5800点とのダブロンだった。私への満貫だけならば終わるはずがこれで彼の持ち点は3万を切りオーラスが続くことになった。それでも2万7千ほどあり彼はまだトップ目だった。

次局。9巡目にアンベ君がリーチを掛ける仕草を見せた。しかし思いとどまってそのまま6万を切った。(↓は6万を切った直後のアンベ君。ううむと迷いがあった様子だ)


場が緊張する。その6万を親の見せたまえがポンしてそのまま場は進んでいった。明らかにアンベ君は聴牌している。3千点以上上がればトップだ。親も聴牌気配で、私は苦しい状況ゆえにノーテンで海底を迎えた。海底牌を握った親の見せたまえは「あーこれは槓出来ないな」と言いつつ6万を河に捨てた。

「ロン!」とはっきりアンベ君は言った。トップ宣言のような言い方だった。あーと私は思ったが、見せたまえは「ええ?それはないよ」と抗議した。「ほら・・」と。

6万はアンベ君が自ら捨てた牌、すなわちフリテン牌だ。上がることは出来ない。しかもはっきり「ロン」と宣言したということは誤ロンでチョンボ、親に4千、子に2千ずつ罰点を支払わねばならない。あちゃー。

実はアンベ君、聴牌した時の手は待ちが間3万でリーチしても役はリーチのみ1300点で上がっても3万越えせず手変わりを待ってのだ。その間に当たり牌は見せたまえが3枚も切っていた。私ならたとえそうでもリーチしていたナ。それはともかく、終盤になってアンベ君、5万を引きこれで36万待ちのピンフ役が付いた。そんな中、海底で6万が出たものだからフリテンなのを忘れ誤ロンしてしまったのだ。これで持ち点1万9千とラスに落ちたアンベ君、次局2万7千になった私が2千点プラス積み棒で3千2百をアンベ君から上がり、ギリギリの3コロトップを取って終わった。

結局、10回戦まで戦い、アンベ君は負け、私は勝った。この場面がなかったら結果は逆だった可能性が高い。麻雀は怖い。オーラスのたった2局で天国から地獄に落ちるんだから・・。

2020年11月20日金曜日

こてる先生、PCRを受ける

 一昨日の水曜日は忙しかったと書いた。今日、金曜日もこれまた忙しかった。自分の外来に加え「発熱外来」も担当になっていたからだ。「発熱外来」とは、ありていに言えばコロナ外来だ。現在、発熱患者はまずはコロナか否かを調べないと先へ進めない。青雲会病院では毎日数名から5、6名は検査をしている。

ところが本日はなんと45名も検査を行ったのだ。なんという・・。始めに言っておこう。すべて結果は陰性でつまりコロナ患者は一人もいなかった。こんなに検査数が多くなったのは、他医で判明したたった一人の陽性者と接触した可能性がある人たちが多かったから。保健所からの検査依頼の要請もあった。その人たちはみんな無症状で、私は接触なしで検査指示と結果確認のみ行った。通常の発熱があって検査した人数人には、私は結果を車内へ伝えただけでほとんど接触なし。

実は検査した45名の中に一人だけドクターがいた。それは私である。朝からなんとなく疲れ気味で狭い風除室にいるとじとーっと汗もかいてきた。試しに体温はというと36.7℃で発熱はない。しかし日頃の自分は35℃前半のことが多い。万一のことを考えPCRを受けることにした。副師長のズッシリNsが「ちょっとだけ我慢してー」と鼻奥に細くてしなやかな綿棒を入れてきた。じっと我慢する。採り終わったと思ったら「あらぁ?」と戸惑うズッシリNs。そして言うことが「この綿棒じゃないー!」

現在青雲会病院では一度にまとめて何人も検査出来るが数時間かかるPCRや1人1回だけだが1時間で分かるPCR、抗原検査などいく種類も検査法がある。唾液で判定出来るものもある。私の場合1時間で分かるPCRだったが使う綿棒が違っていたため「もう1回だけー」とぐりぐりをまたやられてしまった。くーっ!

結果が出るまで風除室で電カル記載などして待っていた。結果は先ほど書いたとおり陰性。午後には症状もすっかりなくなっていた。ところが「こてる先生がPCRを受けたらしい」と噂(真実だが)が広がっていた。内視鏡室のスタッフなどかなり心配していたらしい。いや、念のためですって。↓風除室にて。私の右背後にあるのは陰圧にする器械。

冬を迎えるにあたって、病院は近くの大駐車場にプレハブを作り効率よく検査出来るようにする。近々それが始まる予定でまだまだ対コロナとの戦いは続く。

2020年11月19日木曜日

大腸挿入自己最短記録

 今日は内視鏡検査がメインの日。そんな中で26才の男性患者の大腸内視鏡があった。この間、大腸憩室炎の疑いで治療を受け、症状は消失するもまだ内視鏡で大腸を観察していないとのことで依頼があった。

そんなわけで普通に検査を開始したのだが、挿入は楽であっという間に盲腸に到達した。私は毎回挿入にかかる時間を正確に調べ、カルテに記載している。この患者さんは0分49秒。おおっと思った。これまで1分以内に到達したケースは何件もあるが、50秒を切ったのはあまり記憶にない。確か大腸を手術した人が一番早く到達出来たはずで50秒を切っていたと思う。しかしそれは反則みたいなもので、自然の大腸の長さの人で50秒未満到達は自分の最短記録かもしれない。↓0分49秒。画像の上の凹みは虫垂孔である。

大腸検査は別に最短時間到達競争ではないので1分や2分の差なんて大したことではない。しかし早く挿入出来る術者は患者をあまり痛がらせないことが多く、観察にも十分時間を掛けられ、術者患者両方に良いことが多い。私の場合到達時間は平均3分台である。ずっと以前は5分前後だったが、内視鏡機器の進歩と検査の積み重ねで短くなった。最近はできるだけ早く挿入しようと意識することも少なくなった。そんな中での、もしやの最短記録かもでちょっぴりうれしかったナ。

2020年11月18日水曜日

久々にストレスを感じる日

 水曜日は最近仕事が忙しい。それは午前の外来と午後の救急ピッチ当番が元々あるだけでなく、ピッピDrが亡くなったせいで昼前くらいには内視鏡も手伝わないといけないからだ。ただこれらの仕事の中では実は内視鏡が一番きつくない。それらは検査の数の忙しさであって目鼻がつきやすいからだ。

しかし昼食が終わって医局でぼーっとしている時に「先生、3歳児の頭部挫創の救急要請があります」ときて、その診察治療をした後、午後のぱらぱらとやって来る外来患者をこなしつつ、近医からの黄疸と発熱がある患者の診療依頼や呼吸困難と発熱のある高齢患者の救急依頼、大腿の腫れがひどいという救急依頼などが時間を置かずにやって来るとストレスが増す。この中で本来自分の分野である黄疸発熱患者ははっきり断った。内視鏡処置か外科的処置が必要になるであろうと推測が付くが、私が胆道系の内視鏡をすれば他の救急患者対応が難しくなる。ここはピッピDr不在がやはり痛い。彼がいたなら一旦受けて採血、腹部CTでさっと診断しその後の処置を頼めただろうに。そうやって良い関係で仕事を分担し彼も青雲会での仕事にとても満足してくれていた。本当に残念だ。

それはともかく、呼吸困難患者はというと本来ならすぐにでもレントゲンやCTを撮りたいが今はまずコロナ検査が優先だ。一旦隔離し、コロナ陰性を確かめてから本来の検査に移る。この患者は本格的な細菌性肺炎だった。入院指示を出す。そのうち大腿腫脹患者が実は当院に入院歴があり他の病院に運ばれたが当院での診療がメインと聞き、受け入れるようスタッフに指示を出した。これは外科の信号Drが手術が終わってから診ますとの連絡がありほっとした。夕方は下腹部痛がするとの患者が来て普通に診察するとどうも虫垂炎か憩室炎かが疑わしく入院を指示した。この患者さん、当初は無かった発熱が腹部CT後に出てきてこれもコロナの有無がはっきりするまでは入院させることは出来なかった。そう、コロナもストレスの原因なのだ。

それと元々は16時に保険会社から退院した患者の調査面談の予約があった。前日だったか「問題がないことがわかったので面談はありません」と連絡が来て「そうか、まあ、ないにこしたことないな」と思っていたが、ピークだったその時間帯に事務から「面談予定者が来ています」と言われたら・・。診療以外の仕事も結構ストレスがかかるものなのだ。(幸い、今は医療作業事務補助者がいてだいぶ助かっている)

結局、病棟での仕事を終えて病院を出たのは19時半前だった。カールからLINEにコスモスで買って来て欲しいものリストが来ていたが、それは16時58分記録で気づく余裕はやはりなかった。

で、またふと思った。こうして日記ネタにしたのは、忙しかった、ストレスがあった、帰宅が19時過ぎていたからなのだが、19時過ぎての帰宅はなんか久しぶりで、以前はもっと頻繁だった。それってあれかナ。10年以上も昔、あるお笑いものまね芸人が小泉純一郎の演説のものまねをしていた。「皆さん、今は痛みに耐える時期なんです。痛みに耐えて耐えて耐えていれば・・そのうち痛みは感じなくなります(笑)」ストレスもそれが日常になると鈍感になっていたのかもしれない。

帰宅して夕食後は録りだめ録画の中からフジTV系の「ドッキリGP(グランプリ)」を見た。冒頭の「秒でドッキリ」は日光猿軍団の猿がレコーディング中の人を背後からどん!と襲うというもの。バカバカしくて笑えて、ストレスと疲れのある人間にはちょうどイイね!ただその後は床寝でグーグーだったけど・・。

2020年11月17日火曜日

ネコと武田信玄に相通じるものとは

一コママンガというジャンルがある。Wikipediaによると「一コマ漫画(ひとコマまんが)は、漫画の表現形式の1つ。1つの絵(コマ)で表現を行なう。風刺等によく使われる。代表的な例としては、新聞の政治面等に掲載される政治を風刺した漫画である。世界的に広く利用されている手法である」とのことだ。さらに「アメリカと日本の一コマ漫画ではっきりした違いとして、例外はあるものの、日本のそれは登場人物がしゃべるより、会話でない表題が付く。アメリカのそれはむしろ登場者の言葉があって、それが落ちやくすぐりになっている」とある。

昔、星新一の本で「進化した猿たち」というアメリカン一コママンガの解説エッセイ本があった。彼はその収集家でもあった。また40年ほど前はアメリカの有名雑誌「リーダーズ・ダイジェスト」を取っていてその中にもジョークや一コママンガが掲載されていた。その中で思い出すのが、自宅前で御婦人が連れてきた友人に一言忠告よという感じでこう言う。「いい、ネコの話だけは絶対にしちゃダメよ」というものだ。これだけでは何のことか分からないだろう。一瞬、私も分からず、確か側にいたフサンコ従兄に尋ねてみた。彼はすぐに分かったようで「ほら、玄関の門の横に大きなネコの銅像が置かれているだろう、そこまでするということは、夫が大のネコ好きで、話し始めたら止まらなくなるからだよ」と言われ、なるほどと納得した。

実はこの一コママンガを思い出したのは、今日カールが山梨の友人宅をその友人といっしょに訪れた時のエピソードを話したからだ。その友人がカールにこれだけはと念を押したのが「いい、お祖父ちゃんに武田信玄の話だけは絶対にしちゃダメよ」というものだった。ハハハ、真っ先に私がアメリカ一コママンガを思い出したのも肯けるでしょう。明治生まれのいいお祖父さんだったそうだが、こと武田信玄を語らせたら止まらなくなるんだそうで、それだけは勘弁をと家族の話だった。

それに山梨って「なんでも武田信玄」だ。山梨名物のことを調べると「その起源は武田信玄にまでさかのぼる」とか「武田信玄が始めたものだそう」なんて記述がどこそこ出てくる。山梨の名物料理「ほうとう」もそうだと出てくる。

そう、今日はカールが「友人の小真美のお母さんはとっても料理が上手で『ほうとう』も絶品だった」と言うから、私は「ほうとう」って?と尋ねたのだ。鍋料理の一種でカボチャが必ず入っているという。
甲州人には「うまいもんだよ、カボチャのほうとう」という地口(ぢぐち)言葉があって、おいしいという意味と首尾よく運んだ結果を掛けて、「やったね」という場面で使うせりふらしい。それはともかく一度食べてみたいものだ。カールに「ほうとうって作れる?」「いいやできないわ。でも小真美のお母さんに習った茶碗蒸しはほら、しよっちゅう出てくるでしょ」だと。そうか、うちの茶碗蒸しは山梨の母の味か。うん、美味しいよ。また作ってねー。

2020年11月16日月曜日

「鼻は高いのに狭いアルネ」

 この前入院した外人の患者さん、今日は内視鏡治療後のいわゆるセカンドルックといわれる胃カメラ再検だった。それで内視鏡室の看護師たちが前処置にあたったところ、慣れない英語圏の外人とあって緊張したようで、コッパマNsなど「先生、どうしよう。Pleaseしか言えない」と言ってきた。「あはは、適当に身振り手振りでも十分通じるし、片言の日本語も通じるよ」と安心させた。

実はこの間、私は詳細な病状説明の際に、MacBookProを持ち出して「Google翻訳」を立ち上げ、小難しい表現はパッパッと日本語入力し即英語変換でその外人さんに分かってもらっていた。それ以外は正しく英語を使えなくてもなんとか分かってもらっていた。相手も人間、胃カメラの前処置くらいは初めてでもないので大丈夫さぁ〜。

それで、前回は処置用の経口内視鏡だったが、今回は観察のみの経鼻内視鏡を使用した。鼻も高くこちらの方が楽に検査できるだろう、と思っていたのだが・・。右の鼻は狭く左鼻に変えて挿入しようとしても左も意外に狭かった。

「あらま、鼻は高いのに結構狭いアルネ」

そう言って、スコープ抜いて、経口での挿入に切り替えた。そこで付いていた湖西種実Ns、くっくっと笑ってしまうが、どうにかこらえて検査の準備を続けた。この後も「ケンチャナヨ(大丈夫の韓国語)」など言いつつ多国籍状態のセカンドルックは非常に順調で治療効果も満足いくものでよかった。

終わってからの湖西種実Ns、「センセー、今日は『狭いアルネ』で1日過ごせますぅー」と思いだし笑いが止まらなかった。へへ、そんなに可笑しかったかい?

2020年11月15日日曜日

ギボヒサコをおんぶ出来るのか

 ゴルフマスターズ選手権が今頃開催されていた。松山もそこそこ調子が良かったはずが今朝のプレーを見ていたらバーディー、ボギーの繰り返しで全然スコアを伸ばせずダスティン・ジョンソンに大きく遅れを取ってしまった。

それよりも練習ラウンドで見せた世界ランク2位のジョン・ラームの池越え水切りショットには度肝を抜かれた。こんなのってある?もし例年のように観客がいれば大歓声に包まれたはずだ。池の水を切りそれがぐるりとグリーンを回り・・まさに奇跡としかいいようのないスーパーショットだった。→https://golf.foredooming.com/pro-player/world/jon-rahm/202405/

お昼はギボヒサコを連れて焼き肉ナベシマへ食事に行った。ナベシマは鹿児島市内にいくつもあるが武岡トンネル近くのナベシマをよく利用するのはこぢんまりとして駐車場から近く、なによりサラダバーとドリンクバーが料金込みというのが大きい(とはカールの弁)。同じナベシマでもドリンク代は別というところもあるから注意が必要だって。

駐車場が近いからとはいってもヨチヨチ歩行のギボヒサコにとっては結構大変で、カールが側についても10mほどの距離をたどり着くまで5分はかかった。↓は店内から私が写したその時の様子だ。

ギボヒサコは脚の動きは悪いくせに舌の動きはなめらかで、焼き肉はしっかり食べていた。まだまだ長生きしそう。で、帰りは彼女をまた5分以上待つのはイヤだと思い、「私がおんぶしましょう」としゃがんでみた。カールは「無理だと思うよ」というが、「なんのこれしき」と軽々担ぎ上げる気持ちでいた。だが背中に抱えて持ち上げようとした瞬間、「あ、これは無理」と悟った。上がろうとしてもどたんと尻もちさぁ〜。↓は転ぶ直前の写真。転んだシーンが面白いがギボヒサコも尻もちしてヤバい状況でカールも写真を撮るどころではなかった。

結局、車を駐車場から持って来てヨチヨチヒサコをどうにか後部座席に乗せてほっと一息付けたのだった。
帰宅し庭の枇杷の木を見ると、花や実がたくさんできていた。来年の5月ごろが大いに楽しみだナー。

2020年11月14日土曜日

下鶴隆央はなぜ鹿児島市長を目指すのか?「ノンストップたかおクン」を見よ。

 今日は珍しく土曜の午後だけ日直という変則勤務だ。本来はカワゼンDr当番なのだが、城山ホテルで医療事故に関する講演会があって急遽そちらに参加せざるを得なくなっての交代だった。

これがなければ鹿児島市長選の下鶴隆央候補の「新しい鹿児島市政をしもづる隆央さんと共に実現する会」に参加していただろう。そっちへはカールが参加した。カールによると意外に人が多くて知り合いに挨拶もままならなかったそう。「しもづる隆央(たかお)」40才のミニポスターをもらって帰ってきていた。ふむふむ、イメージカラーのグリーンの地に眼鏡姿のキリッとした表情がやってくれそうだ。グリーンといえば今大ヒット中の「鬼滅の刃」の主人公の羽織もそうだな。


それはともかく、以前「こてる日記」でも紹介したなぜ下鶴隆央が地方政治を志したかのマンガ「ノンストップたかおクン」が何度も見ても面白いのでぜひみんなも見て欲しい。なぜ彼が40才の若さで市長を目指すのか、それは地方を変え良くしていきたいという熱量がベースにあるんだということがとても分かりやすく描かれている。

なお、下鶴氏を初めて取り上げた私の日記「県議「下鶴隆央」を励ます会(2019年2月6日)」はhttps://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2019/02/blog-post_6.htmlだ。

2020年11月13日金曜日

6年越しの大腸憩室止血法

昨日は午後休みを返上した故に、午前外来だけ頑張れば午後は帰れる、はずだった。しかしー。

昼前に来院した高齢女性は下血が主訴だった。カルテで病歴をチェックすると過去6年で5回以上も下血で来て入退院をくり返していた。最近では年始めにピッピDrが診ていた。原因ははっきりしていて大腸憩室出血だ。今回もきっとそうだろう。ただ、S状結腸の憩室出血と推測されるもはっきりした出血源をこれまで見つけられず止血治療出来ていなかった。絶食点滴安静でそれなりに一旦治ってしまうので退院は出来る、しかしある時期になるとまた血管が切れて下血するの繰り返しだった。

いつもは前処置のモビプレップかニフレックを飲ませてから大腸内視鏡に臨む。しかし今日は私が午後休みでそれまで待てない。それで浣腸のみで検査することにした。もう一つ理由があってまだ新鮮血が出ているというから早めに内視鏡観察したかったのだ。出血している最中なら出血源憩室が見つかるかも・・。

ただ血液と糞便が多く観察不良になるのは避けられない、と思っていたら案外便が残っていなかった。下血が続いたためS状結腸以下の糞便はほとんど出てしまっていたようだ。これは出血源が見つかるかもと期待が高まった。大腸憩室出血治療はまさにこの出血源憩室を見つけるか否かにかかっているのだ。憩室内の糞塊をどかしたりしながら観察していたら、ハッとする憩室を見つけた。↓「あった!」まさに今、出血している憩室だっ。
テンションが上がって、まずはこの憩室内にマーキングクリップを掛ける。クリップだけで出血を止めることも可能だが万全を期すにはゴム結紮による絞扼術をするに限る。いったんスコープを抜去して結紮ゴム付きのフードに交換し再挿入する。そして目印のクリップを中央に持って来て一気に吸引を掛ける。↓。
直後の憩室の様子を見るときちんと根っこまで絞扼できているようだった。ピンク印が結紮ゴム、黄印が出血源に掛けた目印クリップ。↓。
このあと確認すると出血源ごとしっかり絞扼出来ていることが分かった。↓。
これで100%止血だ。後はゴムが外れないように絶食点滴を2、3日続けることだけが患者さには少しつらいくらいで、これまでのような下血におびえたり不意な入院もなくなる。お互いにめでたしめでたしだ。

帰宅出来たのは15時を過ぎていたけれど、医師冥利に尽きる仕事が出来て、多少の休みが削られたことくらいは気にもならなかった。