2019年3月31日日曜日

スマートICを利用した

今日は病院の日直で当然高速を利用して出勤した。ただ、今回初めて桜島サービスエリア(SA)から出入りするスマートインターチェンジ(IC)を利用しようと思った。計画発表されてから6年以上経つのかな、それが昨日から開通した。青雲会病院は桜島SAの近くなので大いに利用価値がありそう・・。ただ今は片道利用で鹿児島市方面から降りる場合と鹿児島市へ向かう場合のみ利用可能だ。

姶良ICを通り過ぎる時にデジカメ写真を撮り桜島SA、スマートIC、そして病院到着時も撮った。後で確認すれば何時何分かが分かる。調べると約6分掛かっていた。うーん、思ったほど時間短縮できていない。これではプラス100円余計に払っての価値はなさそうだ。思えば病院に向かうにはSAから若干だが後戻りするわけでせいぜい1分程度しか縮まらない。病院から空港に行くには無駄がなく大いに利用価値はあるがそれはまだ整備されていない。鹿児島市から姶良イオンに行く人や近くのミニ団地住民は確かに便利だろう。ただ私のような日常の鹿児島市内からの通勤にはさほどの効果はない・・がっくり。(後日調べた姶良ICからの時間測定でもやはりほとんど差がなかった)

2019年3月30日土曜日

季節外れの「母の日」

今日は知覧で弟家族らとお昼にあこネーサ母をお花見に連れて行く予定だった。それがチエコンさんから連絡があり「中止になった」とのこと。雨模様だったのと花見の場所がまだほとんど咲いていないからだったそうだが、それはなくても母のいる老人ホームに訪問予定だったので家族4人で知覧へ向かった。「でも知覧の特攻観音のところは咲いているらしい」とカール。ならばホームに行く前にそこに行ってみようじゃないか。

特攻観音に行くのは久しぶりだ。桜並木は道路からもよく見える。広場にシートを張って七、八分咲きの桜を眺め、買ってきた茶美豚のとんかつ弁当を食べた。
ここにも外国人観光客が来ていてみな写真を撮っていた。と、カールが彼らに話しかけられ、中国語で「写真を撮って」と頼まれた。え、とまどうカールに向こうが「あ、日本人」と気付き、カメラを引っ込めた。同じ台湾の観光客と思ったらしい。台湾や中国の国民性かしらないが、彼らは写真のポーズに熱心だ。台湾人は結構な年配の人でも写真家に頼まれてするようなポーズを恥ずかしげもなくやる。日本人も真似たらと私は思う。バカの一つ覚えみたいにピースするか、ただニコッとするだけじゃ後から見た時につまらないしね。
しかし台湾人、みんなサングラスを掛けていた。写真撮る時は外したほうがよさそうだが・・。

花見のあとはあこネーサのいる老人ホームへ向かった。以前なんどか訪問しようとしたが冬はインフルエンザ対策のため面会禁止の時期が長く、やっと今日、園内に入ることが出来た。母は今日の花見が中止だと午前にちゃんと連絡を受けたはずなのに、悲しいかな「チエコンさんが来ない。待っているのに」とやや不機嫌で、短期記憶力の喪失の影響だ。久しぶりに会うチッチのことを教えるとその時は分かるのだけどしばらくするとまた同じ質問が出る。また自分の言いたいことについては5分おきに同じ話題が出てくる。それに自室の家族写真が数枚入った額が伏せられていたのでちゃんと見えるように戻すと、「泥棒がいてね、(それを)取りに来るのよ」と心配そうに言うのだ。だから伏せていたのか。ううむ、記銘力低下や妄想は致し方ないかな。

ここのホームは食べ物の持ち込みは禁止なんだが花見用に持って来た上等なかるかん菓子をこそっと与えた。すると、「うわー、美味しいがぁ」とパクパク食べてくれた。どうしようかと迷ったが持って来て良かったヨ。ホームの食事はだけでは楽しみが少ないだろう。たまにはこうしたのもいい。今日は母は「花より団子」だった。


夕方、今度はカールの母ギボヒサコの誕生日祝いを天文館の中華料理店「一個棒」でした。正確には誕生日ではないのだがみんなの都合がよく店が開いているとなると限られてくる。今日はまるで季節外れの母の日だったよ。

2019年3月29日金曜日

送別会で写真を撮る、撮りまくる

ふう、この日の夜、外来職員の歓送迎会が姶良の居酒屋「きずな」であった。その日記を書こうとしてデジカメ写真をチェックし始めたのだが1時間経っても日記に取りかかれない。理由ははっきりしている。人物の名前入力がいつまで経っても終わらないからだ。

Macの「写真」アプリは人物認識が出来るのを利用し、この5年以上は人物の写った写真には必ず名前を記入するようにして来た。ある程度パソコンのAI機能で自動入力もされるが9割方は手入力で入れなければならない。面倒でもそれをこまめにしておけば後で名前検索する時に大いに威力を発揮する。これが思っている以上に役に立つんだ。だいたい、写真ってその個人に関するものが必要になる場面が多い。例えば「XXさんの送別会に使うからXXさんの写真をもらえないかしら」と職員に相談を受ける。一度人物認識させておけば数秒でその人の写っている写真を取りだせて、カードやUSBで手渡ししたりスマホを介して送ることも出来る。これで何度感謝されたか分からない。今回は外来職員に愛されNsオイドリッチさんのものを頼まれた。それが贈る言葉とともにきれいなアルバムになっていた。その中の半分くらいは私が撮った写真だった。

日記ネタの時もとても役に立つ。誰々とあの時こうしたと記憶はあるが厳密に何年の何月何日って覚えてはいない。でも名前入力すればすぐに目的の写真にたどり着きあれは3年半前のこの時期だったのかとはっきり分かる。日記は正確にものを書かないといけないところがあり、私の写真アーカイブは毎日の手帳とともに欠かせないツールだ。それで、日記を書く前に写真整理をと始めたのだが何と440枚も撮っていた。そのほとんどに人が写っていて中にははっきり名前を知らない職員もいる。特に面倒なのが集合写真だ。そこに来て残り2/3くらいだったが疲れて止めてしまった。19時に始まって21時過ぎには一旦お開きの一本締めもした気がするがほとんどは帰らず大いに盛り上がっていた。23時過ぎてようやく本当のお開きになった。その間シャッターは1分とは置かず押しまくっていたからなぁ。(↓みんなで悲しみの物真似ポーズ。でも本当に悲しいのは右端の送別者のみ)

改めて1枚1枚見ていくとみんなの楽しそうな(ある時は涙ぐむ場面もあったが)表情や動きが満遍なく撮れていてその場にいなくてもその雰囲気が伝わってくる。写真てのは本当に有難い。おっと、送別会での出来事を書くつもりがマクラの話題(写真)だけになってしまった。見続けて名前付けていたら2時間近くもかかったので、日記に改めて書く気力が残っていない。あしからず・・。

2019年3月28日木曜日

思わず写真に撮ったグラビアの女性とは

当直でへたれた上に午前の内視鏡がの終わりが遅くて昼は弁当も買えず結局食事は医局のカップ麺に。いくつもの中からやっぱり「まんぷく」ヌードルいやカップヌードルを食べた。確かにラーメンなのに玉子や海老や四角い肉団子が入っているなんて変だよな。でも食べると全く違和感なくドラマで言われるまで気がつかなかったわ。


食後、そのまま帰宅出来たのだが、うつぶせ寝で仮眠を取ることにした。ふらふらのまま運転すれば事故ってしまいそうだったから。かなり寝て、結局16時を過ぎて病院を出た。帰り際に人間ドック室に寄ってお古の週刊現代とポストをもらって帰った。カールに「またエロいのを見るんでしょ」なんて言われるが、連載記事の「逆説の日本史」や書評など読むのが好きなんだ。そりゃたまにグッドなグラビアでもあれば見るには見るが・・。

で、今回の週刊現代3月9日号の橋本環奈ちゃん(20才)の写真集「NATUREL」の未公開ショットの1枚は思わず「うわ、これいい」とデジカメ写真に撮った。環奈ちゃんは福岡の地方アイドルから全国区になってバラエティやドラマ、映画で活躍している。以前AKBのメンバーに「グループ以外のアイドルで一番強力なライバルは誰ですか」という質問をした時、一番多く挙げられていたのが乃木坂の白石麻衣や欅坂の平手友梨奈でもなく名も知れない地方アイドルグループの橋本環奈だった。未だにAKBグループを推している私でも↓のグラビアの写真を見ればそれも納得だ。水着や裸でなくても引きつける魅力は天性のものか。可愛いー!

帰宅すると、庭の枇杷の木の一部に袋が被せてあった。カールが成長早い実には鳥対策でそうしたんだと。まだほとんどの実は小さくて青い。食用になるのは1ヶ月以上後だろう。ただ20個くらいは少し大きく黄みが出てきたものがあったのだが全部鳥に食い散らかされていた。うう、確かにこれはひどい。今度は私も手伝おうぞ。

2019年3月27日水曜日

柵がなければその車は・・

5階病棟のマチルダ師長が「先生、駐車場の事故を見ました?」と話しかけてきた。「事故?いや、知らん」「あそこをみて下さい」と言われ、用水路近くの障害者用駐車場を見ると・・

おお、柵がガツンとやられて外れかかっている。「車をバックして危うく用水路に落ちそうだったんですよ、すんでのところで留まって」だったそうだ。

あー、よくあるんだよー。これはアクセルペダルとブレーキペダルと間違って踏んでしまうミスだ。昔はクラッチペダルのある車が一般的だった。それを運転していた人がオートマチック車を運転する際にブレーキをクラッチだと、アクセルをブレーキだと思って起こす間違いだ。普段はオートマ車の足の運びをしていても何かのきっかけで昔の動きが出て、車が急発進し事故を起こしてしまう。ここは柵があったから助かったわ。

今日は当直で前回の日曜日直ほど忙しくはないと思っていた。しかし日が変わった午前3時、4時、5時と起こされる羽目になった。うう、これはきつい。この時間帯だけはぐっすり寝たいんだよなぁ。

2019年3月26日火曜日

必ず患者さんが笑う質問

今日、久しぶりに定番の質問をすることで患者さんを笑わせた。その質問をするとほぼ99%、患者さんが笑ってくれるんだ。

それはピロリ菌についての話で、特にピロリ菌陽性を初めて指摘された中高年がその感染を心配し過ぎる時に「あんまり心配しなさんな」と教える場合だ。

そもそもピロリ菌は昔から人の胃の中には多く見られる菌だった。東アジア、特に日本においては下水処理が不十分な時代に生まれた世代には多く見て70%もの人に居着いていた。「生まれた時代が昭和でいえば20年代までは日本人ならば60ー70%の人にピロリ菌がいるんですよ」とまず教えてあげる。「生まれは何年ですか」「昭和18年です」「あー、だったらまずピロリ菌はいますよ」「はあ」

「あれ?日本人ですよね

ここだ。不安そう、仏頂面、小難しい、そんな表情をしていた患者さんが破顔一笑してくれる。そして皆「(もちろん)日本人ですよ」と答えてくれる。「ならばピロリ菌がいても不思議はない。薬できちんと治りますよ」でスムーズに診療が進む。

「日本人ですよね」・・常にみんなと同じが安心する日本人にはもってこいの質問であった。

2019年3月25日月曜日

赤ワインか白ワインか

帰りにディスカウントのコスモスに寄って、いつもは千円程度の白ワインをたまに買う程度なのに、どちらも2千円クラスの赤ワインと白ワインの2本を買った。3月21日の
日記に書いたが、3月19日に放送された朝日放送の「芸能人格付けチェック BASIC~春の3時間スペシャル~」の最初の問題「赤ワインと白ワインを目隠しで飲ませて赤ワインはどちらか?」を見て面白いと思い、自分たちも同じことをやってみたくなったのだ。お酒はほとんど飲まないけれど赤か白かくらいなら当てられるだろう・・。

それでカールに目隠しをして小さなグラスに赤と白を入れ分け、どちらが赤か分かるかとやった。「えーどうかな?」と言いつつも最初香りを嗅いだだけで「あ」と言って一口飲んで赤ワインを言い当てた。「ほう」。

それで私も目隠ししてやってみた。どちらか分からないグラスを渡され匂いを嗅ぐ。あれ、あんまし匂わない。飲んでみた。あれれ、どっちだろう。次は水のグラスでお口直し。最後のワインを飲んで迷った。どっちも白っぽく感じたのだ。ええいと「これが赤!」と目隠しタオルを取ってみると・・がーん!白ワインだった。笑うカール。「えー、簡単なのに、テルくんたらバカ舌だぁー」く、くやしいー。目隠しなしで飲んでみても味の違いは少し分かったが難しい。カールは「匂いですぐ分かるくらいよ」と笑う。うう、格付けチェックに出ている芸能人らを笑えないわ。

この日の翌日だったか、カールはチッチにも試したらしい。すると「チッチも匂いだけですぐ分かったって」「僕は赤ワインは1回しか飲んだことなかったけどすぐに分かった」と私の傷口に塩を塗り込んでくる。それで3月31日に今度は千円クラスの同じ銘柄(フランス産)の赤と白のワインを買って試してみた。

すると・・またしても私は失敗しカールとチッチは当てたのだ。か、完敗・・。私のバカ舌認定はこてる家では確定してしまったのだった。がっくり。
今度こそは当てるぞと赤ワインを飲む↓私。
私が失敗、チッチ成功で最後はカールに試す。
目隠し解いて正解と知り↓大笑いのカール。


2019年3月24日日曜日

美人は歯から

今日は日曜日直が当たっていた。朝9時から1時間おきに患者が来て6人全てが女性だった。そのうち3人が救急車で運ばれ3人が入院し1人は頭部縫合を行った。その人は92才、自宅で転倒し運ばれたがCTでは特に頭蓋内出血はなかったものの小さな動脈が切れていてステイプラー(医療用ホチキス)では止めきれず局所麻酔後縫合をした。その際、せっかく今日おろしたばかりの白衣が飛び散る血液で汚れ、着替える羽目になった。術着に着替えておけば良かったがまあ仕方あるまい。

そんな中、お昼のため職員食堂に向かっていたら廊下で5階病棟のナナミンNsに「先生」と声を掛けられた。おや、どうしたん?すると「やっと取れました」とニコッとした口元を見せてくれた。歯の矯正がようやく終わったんだって。へー、そうか、長かったんじゃない?すると「2年くらい」かかったそうで根気の要る治療だね。でも確かに見た目がすっきりしていい。私は美容整形はあんまり勧めたくはないが歯の矯正はぜひやった方がいいと思っている。歯列の乱れのせいで美しさをスポイルしている人が多い。ある薬局の女性職員が風邪で受診した時、マスクをしていたのだが「とってもきれいな人だな」と思ったことがあった。しかし、数ヶ月してたまたまその薬局に行った際、ニッっと笑った彼女の口元を見てとっても残念な気分になったことがあった。笑顔は良かったんだがなあ。

そうだ、ナナミンNsにチリ松Nsといっしょの写真をプレゼントした時に私は彼女の歯をパソコンで修正してあげたんだ。写真を見て「へーぇ!」と感心してくれ、あの時のことがあったから今日伝えたかったんだな。元々美人なのにますます磨きがかかってきていいことだ。

夜は床寝でウトウト。1時間タイマーで暖房が切れるためそのたびにタイマー入れ直し結局明け方までそのまま過ごした。さっさと布団に寝ればいいと思われるかもしれないが、心の中では「こてる日記を書かねば・・」なんである。最近明け方に更新が多いのは床寝ウトウトのせいであった。

2019年3月23日土曜日

クラッツさん、パーフェクト出来る!出来ない?

土曜外来が終わって4階病棟に行き、退院するギボヒサコを迎えに行った。2週間ぴったしの入院だった。エレベーター前では看護師たちが手を振って見送ってくれ、私も患者家族の気分を味わった。ヒサコも「ここの看護師さんちは優しいねえ」と満足げだった。

夜はチッチの高校同級生セッちゃんと二人がお世話になった予備校のクライムさんがうちに来て私も交え話が弾んだ。あんまり夢中になって気がつけば午前2時前になっていた。今夜はお泊まりだったからよかったが早くお風呂に入ってもらうなどしなくちゃいけなかったな。

さて、昨夜の串木野トリオリーグは全般にスコアがよく出て私たちの右隣の15、16番レーンではパーフェクトゲームが出た。毎回優勝か準優勝をするチームの中心メンバークラッツさんが何度目かのパーフェクト達成を成し遂げた。私は9フレから彼の投げるシーンをデジカメ録画していた。10フレに入り1投目はきちんとストライクを取った。この分ならパーフェクト出来そう・・と周りは思う、しかし本人には重圧がひしひしと伝わりまだ安心出来ない。私もそうだったが百戦錬磨のクラッツさんも10フレ2投目で失投をした。板目で9枚目あたりがベストのラインなのに10枚目から11枚目をボールは通った。あ、これは厚すぎる。案の定ボールはど真ん中からやや左に流れ、6番10番の2本が残った、ああ失敗・・あれ?跳ね返った2番ピンがスルスルと右に流れ、何と残り2本に当たり仲良く倒れた。うわー。まるで自分の時と同じ。これはパーフェクト出来るだろう。
最終投球はきちんと投げきれいにストライク、パーフェクト達成となった。それもしっかり録画しといたよ。
クラッツさんに撮ってましたとは何も言わなかった。次回2週間後にクラッツさんにはUSBメモリをプレゼントしてちょっぴり驚いてもらう。きっと自分のパーフェクト達成の瞬間のビデオなんて持っていないはずだ。同じチームのさあいっどさんが達成した時も私は撮影していてプレゼントしたら大喜びしてくれた。常にデジカメ持ち歩いている私ならではだな。

と、今度は左隣の11、12レーンで投げていた中年女性ボウラーから声を掛けられた。「先生、ブログを見ていますよ。ゲンちゃん可愛いですね」って。え?「何で(特に教えていないのに)知ったんですか」と尋ねると偶然行き当たったんだそうだ。ほう。お名前は「出水行くよ」さんという。このリーグでは初めて会った。ブログやっているといろんなところで広がりを感じるなあ。写真を撮らせてもらったが「載せないで」とのこと、もちろんですよ。でもせっかくだからネタにはしてもらいましたヨ。ハハ。

2019年3月22日金曜日

放射線被爆妄想患者

外来に何年ぶりか、印象深い患者がまた来た。過去にもこてる日記でネタにしたことがある「放射線被爆妄想」の患者である。カルテをひもとくと最初は2008年、次が2012年でともに私が診察し、そして去年はキブンDrが診ていた。訴えはいずれも大学の実験で放射線能を浴びた、そのせいで云々・・。10年以上経っても全く同じことを訴え続け、その間精神科に入院してもやはり変わることがない。呆れるばかりだ。

私も三度目なので訴えの矛盾点を指摘ししっかりカルテに記載した。放射線の強さが40シーベルトだったと主張し「そのせいで顔が赤くなり・・」という。あり得ない。人間は4シーベルトで50%が死に7シーベルトで99%が死ぬ。40シーベルトなら・・ほぼ即死である。CTでの線量は10ミリシーベルトくらいで桁が全く違う。実験レベルの放射線ならマイクロシーベルトくらいじゃないか。勘違いを思い込んでいる。とにかくいくら言っても訂正できない。私はUFO信者(空飛ぶ円盤がいて宇宙人が実際に地球に来たと信じて疑わない)と同じと思った。統合失調症にも似るがやや違う。ある種性格のゆがみ、思考回路のゆがみと頑固さを感じる。

今日は夕方の診察時間、他の患者が少なく少し余裕があったので今後のことも考え、「そもそも発端の大学の検査機器がどのくらいの放射線発生量だったかを大学側に文書でただすべきだ。そこが曖昧のままではいくら話しても先へ進めない」と一応アドバイスした。患者は「これは大きな問題になるから、教授も隠蔽しようとして正しくは教えてくれないかも」とこれまたUFO信者と同じような発想(政府は宇宙人がいるということを隠蔽している)をしていた。UFO信者はオカルト信者でもある。オカルト信者を医療で治そうとしても無理な相談だ。後から思えば無駄な時間を過ごした気がしてならなかった。

(この日の夜は串木野でトリオリーグがあったが、それはまた明日書くことにする)

2019年3月21日木曜日

芸能人格付けチェック春のベーシックスペシャル

今日は春分の日で丸1日お休みだ。MacBookProを付けると朝早くからサブアラド七段が天鳳をやっていた。南一局、彼の配牌は8種8牌のクソ手。でも字牌が多く国士無双に行きたくなる。小考後、こちらの期待通りに断ヤオ牌を切り出し国士に向かっていってくれた。相手3人の手をみれば欲しい么九牌がツモ山にほとんど残っている。これはー上がれそー。

しかしなかなか聴牌せず、そのうち下家からリーチが掛かった。一向聴でリーチに通っていない牌をどうする。しかしここで彼は頑張った。全くの無筋の四萬、三萬さらには二萬と通して行く。実は待ちは伍萬、八萬、九萬だった。運もあったね。ようやく9ピン待ちで聴牌した。9ピンは山に3枚も残っている。期待十分だ。私は動画を撮り始めた。すると対面がそれを持って来た。リーチとそれに突っ張る国士気味の相手がいるからオリるかなぁと思っていたら・・対した手でもなく聴牌もしていないのに危ない9ピンを切っちまった。ジャーン!だ。やった。でも・・下手がいるから役満は上がれるんだネ。

夜は芸能人格付けチェック春のスペシャルを見た。正月の高級品と普及品の比べ合いと違って、基本的な差を問う問題が多く相変わらず面白かった。出だしは赤ワインか白ワインかを当てる問題。そんなの簡単やろと思うがこれが視覚では分からないようにして飲ませると結構間違うんだ。7チーム中5チームが間違っていた。値段は「普及品」の赤が5千円、白が7千円って自分らにすればそれって超高級品で飲んだこともないくらい。ただ私は思った。これは近いうちに自分らでもやってみよう。100万と5千円のワインの差は試せないけど赤か白かなら出来そうだ。ふふ。

次のバイオリンはストラディと100万の普及品の差なんてさっぱり分からん。次のマグロはどれかは選んだら絶対アカン材料に「赤マンボウ」があった。何それ、赤マンボウ。ところが3チームがこれを選ぶ。笑ってもうたけどそもそも赤マンボウって食べた人いる?きっとマグロに近い味がするんだろう。ちなみに番組の最後で司会の浜ちゃんとヒロド歩美アナウンサーもマンボウを選んでいたよ。七宝焼は選んだらいけないのがお菓子なんだがこれがTV画面ではすごく立派に見えた。判断の基準は蓋付きかそうでないかくらいしか分からず、私は蓋付きの方が作るのは面倒だから逆にそっちがフェイクと思って選ぶと当たった。いや、スタジオで絶対の自信を持って選ぶなんてまずできないわ。

ゲストにはSKE48の松井珠理奈、須田明香里なども出ていた。珠理奈には頑張って欲しいがマグロで普及品を選び、最後の肉か魚でも魚を選びかろうじてチームの意見で正解の肉を当てたものの、カールに「珠理奈はバカ舌だわ」と言われる始末。どちらも正解だった須田明香里にますますイメージで負けちゃうじゃない。肉か魚の問題だなんて間違うはずがないと思うけど、赤ワイン煮込みで目隠しでたった一口だと何人かに一人は間違うんだろう。番組側も間違うようにと似た味を事前に作ってくるわけだから。しかし視聴者には「あはは、バカ舌だぁー」ってなる。イメージが大事な芸能人、出演オファーも考えて出ないとネ。


2019年3月20日水曜日

ムッちゃん送別会

青雲会病院に入職以来19年近くいっしょに働いてきたムッちゃんNsが来月退職することになり、今夜は少し早い内視鏡室の送別会が天文館であった。すでに定年を迎えていて2年以上継続して働いてきたが、今後は関東に住む娘二人の側で過ごす決意をしたとのことだ。

飲み放題システムで他はビールやウーロンなのにムッちゃんだけは最初から焼酎。それはお決まり。今じゃなんとも思わない。最後までしんみりした感じはなくにぎやかな会だった。挨拶では当然というか私への感謝(こてる先生でなければこんなには内視鏡室の仕事は続かなかった)と専任当初、様々なことをサポートで助けてもらったサンシタ医療器械の人へ感謝をしていた。それまでのサイド医療器械が困った時になかなか来てくれず何かとやりづらかったところにサンシタの助けは大きかった。

私は赴任当初のムッちゃんのド緊張ぶりをみんなに話した。私が来て1週間でAGML(急性胃粘膜病変)を起こしたのも、こんな私なのにビビって緊張してのことだった。ま、その後は私の方が軽くあしらわれるようになるのだが・・。ともかくも超効率的な動きで患者や内視鏡被検者を扱い、年間7千件以上の内視鏡をこなせるようになったのは彼女の働きによるものだ。ぐずぐずが嫌いでテキパキテキパキ。度が過ぎて周囲に怖がられたりもしていたなぁ。私との口げんかはしょっちゅうで周りは「また始まった・・」と苦笑いをしていた。まあそれも仲がいいってことやね。

で、お礼にとこの前セージとチッチが選んだ記念品をプレゼントした。
カールも選んでみたそうだがここは子どもらのセンスを優先した。子どもらも結構お世話になったし、チッチなんかいっしょに韓国旅行(2012年)もしたしね。思えば19年もいっしょに仕事をし続けた看護師さんて他にはいない。今後も出てこないだろう。ムッちゃんはこてる先生にとってのnurse of nursesだった。

2019年3月19日火曜日

アンドキサ送別ボウリング、忖度なし

アンドキサMRの送別ボウリングをいつものT-MAXで行った。いつものメンバーのヤマヒロDrを除く全員が参加し計6名で3ゲームを投げ、残り2ゲームはダブルス戦だ。絶好調だったエリックMRとアンドキサMRがペア、3ゲームで1位の私がタナカッツMRと、サンシさんと難ガターさんがペアになった。今日は二人がやや調子悪いとはいえサンシ、難ガターペアは強力で私たちは25ピンのハンディをもらった。

ダブルス1ゲーム目はタナカッツMRが投げる1投目残りを私がスペアで拾う展開でややリードした。アンドキサ、エリックチームはエリックさんが急にストライクが出なくなり失速、サンシ、難ガターはダブルが出てスクラッチではリードもハンディのある私たちよりわずかに下という接戦だった。10フレ、先に投げ終えたサンシチームは185点で、こてるタナカッツは私がスペアを取り7ピン以上で勝ちの場面になった。これまでタナカッツMRはほとんど7ピン以上取っているのでまず勝ちだなと思っていたが・・。え、なに?1ピン?!ガーーン。これがあるんだよなあ・・。3チームの中で最下位が1位チームに飲み物をおごる決まりで私たちは何もなし。ああ。

2ゲーム目、先ほどのショックが尾を引いたか、タナカッツ君5ピン以下しか取れずピン残りの形も悪くて私もスペアミスが続いた。ただ他チームもレーンの荒れのせいかミスがありどうにか勝負になっていた。アンドキサチームはストライクが全く出ずこれでは回復できない。サンシさんらは今夜はアンドキサ送別だという忖度も何もなく勝負に徹していた。今度は自分らが最下位だなと思っていたら9フレにタナカッツ君に初めてストライクが来た。これで俄然私に力が入った。10フレ1投目ストライクでダブルだ。ここで2位に付けた。アンドキサチームはすでに脱落でサンシチームがストライクスペアで終わり、タナカッツ君が9ピン以上ならハンディ込みでぎりぎり勝ち、8ピンならサンシチームと同点の場面。結果は8ピンだった。で、残り2ピンを取って同点のはずが、何とここで私がまさかのノータッチのミス。2ピン差でまたしてもサンシチームが1位になった。うう、同点になったら飲み物はどう分けるんだったかなぁ、ハンディ込み同点だから1位扱いは相手に行きそうなんて余計なことを考えながら投げたのがいかんかった。これで単独1位という場面ならきっとスペア取っていただろう。

終わって近くの居酒屋チェーンで食事&歓談。会社辞めてしばらくは北九州の実家で過ごしまた再起をするというアンドキサ君を見送ったのだった。

2019年3月18日月曜日

「翔んで埼玉」

カールとチッチが映画「翔んで埼玉」を見に行った。「自分(カール)は埼玉に住んでいたことがあったのでぜひ見たいのよねぇ」だって。「埼玉から東京に行くには通行手形がいる!」「埼玉県民はそこらへんの草でも食わせておけ!」「埼玉狩りだー!」など、埼玉を卑下するような“ディスる”せりふが話題を呼んでいる映画らしい。

「パタリロ」で知られる漫画家魔夜峰央が1980年代に書いた漫画が原作というが、私は一時パタリロにハマってよく読んでいたことがあるくらいで全く知らなかった。
30年以上も経ってなぜか映画化され話題になっている。当時、さいたまんぞうなる泡沫歌手が「なぜか埼玉」という歌を歌ってタモリなどがラジオで流し少し話題になっていた。へ、その歌がこの映画にも流れているって?なーるほど。

埼玉って言えば東京の隣県で人口も多いのに田舎くささがありこれといった特徴がないイメージだ。それで「ダサいたま」なんて揶揄される。面白いのは埼玉県人自身が自県を低く見ているということだ。自県を愛する度合いが最下位らしく自虐ネタを受け入れる下地はあったようだ。これが沖縄だったらとんでもないことで、沖縄にいるころ、同じく出張していたドクターが「こてる先生、ここに来て思うんですけど沖縄の人って沖縄が大好きですよねー」としみじみ言っていた。それに納得!と思った。彼の地では日常のあらゆるところに「沖縄は」とは「沖縄では」とか「沖縄だから」とかが出てきていた。

ところが埼玉は隣の巨大な東京のせいで独自性がなかなか出せないばかりか劣っている部分が目につきそれが習性となっているのかも。しかし720万もの人口があり何と鹿児島の4倍以上で県民のパワーは侮れない。一見県民をバカにしたような映画を受け入れられるようになったのも埼玉県民に余裕が出てきているからと思われる。上田清司埼玉県知事からも「悪名は無名に勝る」と公認のお墨付きコメントももらっているそうで、実際、埼玉では大ヒットし観客の笑いが絶えないそうだ。カールも30年以上前の原作ということで自分が岩槻にいたころの雰囲気もあって面白かったという。沖縄出身のカールが埼玉の映画を見る、なんだか可笑しいが、あれ?映画の主人公がGACKTと二階堂ふみって二人とも出身は沖縄じゃん。あはは!可笑しいネ!

2019年3月17日日曜日

母娘問題

出水のスチョルDrのところで仕事に行った後、中学同窓生のシンタカさんと昼食をすることになった。彼女とはスチョル先生の診察室でばったり再会して(2000年)から何度かこうして食事や&会話をするようになった。話題はその時その時だが、今回はおおよそ察しがついた。母娘問題だ。

子どもも離れ、敬愛する父親も亡くなり、いっしょに住むとっても神経質で娘に遠慮の無い母親に辟易しているようなのだ。以前は体の不調を訴える母を1週間でいいから青雲会病院に入院させて欲しいと頼まれ請け負ったところ大変感謝された。「その1週間がどんなに快適だったか・・」って。内科的にはさほど問題のない母親でただ高齢ゆえに骨はもろい。最近腰椎の圧迫骨折をしてからますます面倒になったという。それでも食事を作り病院に連れて行き小言を聞いているんだとか。朝は食べるものを4つ5つきちんと揃えてからでないと食べないとかはいつものことで、この間、暖かい麺類を準備してやったのにぐずぐすしているうちに「少し冷めている」といって食べなかった時は思わず叩いてやろうかと思ったそうだ。

年老いた母と娘の関係はこてる家でも同じだ。最近は特にカールのギボヒサコへの小言が多くなっている。帰ってその食事の話をしたら「あー、わかるぅ」とうなづいていた。夕食を作っている最中なのにヒサコは自分の好きな菓子パンをパクつくことがあり、結局、夕食を残してしまうことがあるのだ。だから「ご飯食べるね」と事前にカールは確認する。「うん、食べる」とヒサコは答えるもそれが守られないことが多々ある。また不満がたまる。どこかで憂さ晴らしをしたくもなろうというもの。男性側はどうすればいいか。とりあえずは聞き役に回ろうと思っている。

父息子問題ってのは思春期にぐらいしかないようだが、この母娘問題、高齢化社会になりうちや友人だけでなく世間ではもっとあるんだろうな。                                                                

2019年3月16日土曜日

カール帰る

午前は長島のクリニックで大腸内視鏡を6件済ませて新幹線で鹿児島まで帰宅したらすでに16時を過ぎていた。あれ?下鶴隆央議員のポスターが新調されている。あの、子どもらにいたずらされて変顔になった顔が新品になっていた。玄関に名刺が貼られていたので事務所の人が来て交換してくれたのだろう。家には誰もいなかったため挨拶は出来なかった。

ちょいと一眠りして帰郷するカールを空港に迎えに行こうと思ったらが到着時間が17時半頃と気づき、休む間もなくチッチを乗せて向かった。車に乗るなり、カールは「疲れたぁー」と言いつつも昨日の卒業式での話題では元気になっていた。食事は外食する予定で、その前に青雲会病院に寄りギボヒサコを見舞った。膝はほぼ治癒しリハビリ中心の療養で退院も可能なのだが、カールによれば、まだもう少しいてもらい、その間に家の片付けなどしたいとのことだ。ヒサコは久しぶりのチッチに会えて喜んで、孫はいつまでたっても孫で頭なでなでしていた。

帰りは病院近くのコスモスに寄り買い物して、姶良で食事をと国道に出た。加治木方面に行けばいろいろ美味しいところはあるが時間もないので焼き鳥の「ウエスタ」でいいやとここで3人で食事した。カールとチッチはビールで乾杯、私は運転手なのでウーロン茶。ま、アルコールがほとんど飲めないのでそれほど悔しくもない。料理はシーザーサラダに焼き鳥や鶏飯も頼んだ。客はそこそこいるが従業員は数人が忙しく駆け回っていて品が出てくるのが少し遅れ気味で、ここも人手不足問題がありそう。この店もやがて「ゴチュウモンはナニにナサイマスカ?」って外国人が応対するようになるかも。今後の日本社会はどの業種も人手不足とそれと関連して外国人従業員問題は避けて通れそうにないな。

帰宅してようやく一息。明日も仕事があるので今夜はゆっくりしよう。

2019年3月15日金曜日

セージの卒業式

今日、カールはセージの大学卒業式に出席していた。その様子をLINEを通じて連絡してくるので私も参加しているような気分になれた。何とセージは学部の卒業生代表のスピーチをしたんだそうだ。そうだとは私は知らされておらず驚いた。先生方が選んだのではなく後輩を含めた学生たちから選ばれたとのことで光栄なことだ。しっかし、子どものころのセージがねえと親ながら我が子の成長ぶりには目を見張る。カールは卒業生の親たちから「セージ君のおかげでー」ととにかく感謝されることが多く、こんなにうれしく誇らしい気分になったのは初めてと喜んでいた。

お世話になった教授から聞いた話では「(セージは)1年生のときからとにかく質問によく来る学生で他の生徒はキミ呼ばわりだったが彼だけはセージ君と覚えていた」んだとか。その姿勢が他の学生にも伝染し非常に良い雰囲気を醸し出すようになったという。親たちが感謝したのはそこだったとのこと。カールは夜はセージの友人の親と食事に行ってそこでも褒められ、「うれしい、自分の子じゃないみたい、気分いいわー」とLINEに送ってきていた。

元々、兄弟の中ではそんなに物覚えがいい方ではなく、本人もそれを自覚していた。だから大学に入れたからにはそこでしっかり頑張らなければ自分はダメになってしまうと覚悟し、何はともあれ勉強優先の姿勢を貫いた。大学に入るまでは頑張って、後からはまるでグータラだった私と大違い。カールじゃないが、私の子とも思えないわ。

人間ってそんなに能力差ってないんだよな。中学のころ、ある塾の先生に「セージ君にはこのクラスは無理ですから」と上級のクラスから外されたことがあった。でも今となってはどうだ。努力し続ければ後から花咲くこともある。その頃上級クラスにいたある生徒は大学を卒業すらできずにいると聞く。子どもの成長は長〜い目で見ていくべきだってつくづく思ったことだ。

2019年3月14日木曜日

外食もそろそろ

朝、病院駐車場の縁のナニワノイバラ(浪花野いばら)が三輪だけ咲いているのを見つけた。この花は4月上旬から中旬にかけていっぱいに咲く白色のバラで満開時はとってもきれいだ。3月半ばで咲き始めるとは知らなかった。もうすぐ春ですねぇ。

夜は帰省のチッチを空港に迎えに行き、帰りがけ加治木の回転寿司屋「鯛踊り」で食事をした。チーは「ラーメンでいいよ」と言ったのだが4車線の左側に適当なラーメン屋を見つけられず道路反転したところ寿司屋でもいいかなと入った。ここは以前からからずっとありたまに利用する店でチーは初めてだった。それで「美味しい美味しい」と私以上にパクついて支払いもそれなりになった。無理してでもラーメンにしとけば1/3の値段で済んだかもしれない。でも、いっしょに食べるのも久しぶりだし、ま、いいか!

外食も家でのカップ麺、TKG(卵かけご飯)、病院での弁当もそろそろ飽きてきた。私はあまり外食が好みではないし、おまけに若干体重も増え気味、そうだ、独身時代に外食オンリーを数ヶ月続けたら体調を崩したことがあった。いかんいかん。カールが帰ってくるのは明後日か、ちゃんとした家庭料理が自分には一番だぜ。

2019年3月13日水曜日

昭和53年式のスカイラインGT

(3月は送別会が多くて12月の忘年会より飲み会が多い感じだ。その場合、帰宅後どうしても起きていられず気がつけば明け方ってなりやすい。今日もそう・・)

近頃、東芝REGZA・Z7に横縞が入るようになった。これはどうしたのだと電源を一旦切ったりTVではなくビデオで見たりと試すがいっしょ。パネルがおかしいの中の基板がおかしいのか。音声や他の操作は全く問題ない。

ネットで調べると同じような異常を報告し原因まで突き詰め直ったという報告を見つけた。どうも2012年から13年に発売されたZ7に特有の症状でT-CON基板のLG電子「6870C-0402C」を交換すると直るらしい。東芝に修理を頼むと基板交換には応じずパネルごと交換されて8万以上かかるらしいがこの基板交換だけなら自分でしなければならないが数千円で済むとか。遠くから見るとさほど気にならないものの自分は2mくらい離れて見ることが多く非常に気になる。基板はオークションか海外経由でくらいしか入手出来ないようだが近々チャレンジしてみようと思う。

夜は医師会の会議に参加した。災害対策についてでまじめな討議をした後、やれやれと駐車場に向かい帰宅しようとすると、目の前に懐かしいケンメリスカイラインが駐まっていた。少なくとも40年以上前の車なのにとってもきれいにしている。同じ会に出席した七五調病院の二兎Drの車だった。「いやー、懐かしいですねぇ」「昭和53年式です。でもNAPS(ナップス)ですから・・」と言って走り去って言った。あは、なるほど。今の人は分からないだろうが、昭和53年当時の日本車は排ガス規制対策(日産はNAPSと称した)に大わらわでそれをクリアするためにエンジン出力がかなり犠牲になったいきさつがある。それを二兎Drは「スカイラインGTですけど53年式のNAPSですからそんなに馬力はなく走らないですよ」と謙遜してみせたのだ。でもボディのきれいさといい相当気に入って大事に乗っているはず。

さっそうと帰っていったのを見て、二兎先生っていくつだろうと気になった。こういう時、昔の鹿児島県医師会名簿(2年ごとの発行)が役に立つ。平成18年度以降は生年月日が記載されなくなったがそれ以前のものにはばっちり載っていて、調べると私より2才上と分かった。ケンメリのスカイライン販売されていたのはちょうど先生が学生で免許取り立てのころだ。まさかずっと同じ車?いや、中古で別に手に入れたんだろう。それも気になるなぁ。また今度会った時に確かめようか。

2019年3月12日火曜日

「なぜ、骨折に気付かなかったのですか」

先月末に私が救急外来で診た交通事故の高齢女性を診察とレントゲン、CTを撮って骨折はないと判断し帰宅させた。もっとも少しぼーっとしていたので点滴をし「念のため入院してみてはどうか」と勧めたのだが「障がいのある娘がいるので入院は出来ない」と言われ、絶対入院のケースでもないし、ならばと帰したいきさつがある。

その後特に来院することなく2週間ほど過ぎていたのだが、今日そこの娘から電話がかかってきて、「その後、母は胸の痛みがなかなか引かず苦しんでいて、今日某整形外科を受診したら肋骨が折れていると言われた。そこの先生が『何で気付かなかったのかなぁ』とおっしゃった。どうして簡単な骨折に気付かなかったのか。それとなんで点滴をしたのか」と抗議に近い内容だったそうだ。対応した看護師は「診られた先生に代わりましょうか」と話したそうだが「それは(しなくて)いい」とのことだった。

言われてカルテを見直すと、3DのCTで見やすくなった画面を再確認しても肋骨に骨折はない、念のため今日は勤務している整形外科のケンケンDrにも診てもらったが「肋骨骨折はない」との診断だった。それと点滴をしたことで何か一言言いたいらしいが、少し意識レベルが落ちている患者に点滴1本したのをどうのこうの言われたくはないな。

すると整形外科のDrから「肋骨は骨折はないが胸骨にはヒビが入っているようだ」と連絡があった。え、胸骨?見ればあはー、多分骨折あるわー。患者は左の胸上部当たりを特に痛がっていて肋骨ばかりに気を取られ胸骨は見ていなかった。ううむ、そこを指摘しなかったのは私の落ち度と言っていいだろう。娘は肋骨と言っているが実は胸骨のことかもしれず、ならばきちんとそこを話したいのだがそこに乗って来なかった。整形外科Drは週に2日しかおらず不在時は専門外のDrが交通事故や打撲を診察しているのも地方救急病院の現実なのだ。撮影画像もすべてを放射線科読影に回すわけにもいかないしー。

それ以上何事もないかと思っていた。ところが少し頭に来たのが、翌日、この娘とやらは県庁にこの一件で文句を言いに行ったらしい。県庁からの連絡でそれが判明した。おい、見落としたのが悪いのか?見落としが全て悪いなら日本中の病院が全て悪いことになる。見落とさないよう気をつけても100%完璧には出来ない。県庁に言う前にこっちに文句を言えよ、電話なんかで事実確認しないでさ。いや、胸骨骨折に気付かず指摘もせず帰したのは謝る気十分よ。でもその機会すらもらえず上級機関に頭ごなしに「なってない医療機関だ」と指導を要請する、そこは文句を言いたい気十分だぜ。

話は少し違うが、今、多くの医療機関で「患者様」なる気持ちの悪い言葉を平然と使っているが、大嫌いだ。というより間違っていると私は断言する。「患者さん」で必要十分。何度かこの日記でもそれを指摘している。厚労省が「〇〇さん」ではなく「〇〇様」と呼ぶのが望ましいと通達したのを拡大解釈し、誤って「患者様」と呼ぶようになり、言葉を深く考えない連中がそれが当たり前かと思って流布してしまっている。幸い青雲会病院ではそれはおかしいということで使わないように指導している。当然のことであった。

2019年3月11日月曜日

高尿酸血症の講演

夜は中央駅近くのビル(TKPガーデンシティ鹿児島中央)で高尿酸血症の講演を聴きに行った。ミナナロ薬品のタバタマMRにぜひと言われタクシーチケットももらっていたので帰宅早々タクシー呼んで出かけたのだった。ところが運ちゃんも私も会場のビルがどこなのかよく分からずその付近をウロウロし10分くらい遅れてしまった。

話題は尿酸が高いと脳卒中が起きる頻度も高いといった内容だった、と思う。というのも後半はうつらうつらで椅子寝状態だったから。ま、この手の講演会にはよくあることだ。

終わって懇親会に行くと、海広しDrも川内から来ていていっしょにバイキング料理をぱくついた。ビールのほか肉類の皿が多く、尿酸を下げましょうという話題だったのにこれではますます高尿酸になりそうだ。
タバタマMRは私が以前日記ネタにしたので海広しDrや出水のスチョルDrらはすぐに彼のことだと分かったというキャラだ。何とか取り入ろうと私が好きな高校野球ネタを振ってきたがまるで分かっていないと突っ込まれタジタジだったという。今日もそのことで海広しDrに言われていたなぁ。一見若く見えるがすでに30代半ばだという。「結婚する気あるの?」と言うと「もちろんです」と言う。ホントかなぁ。口ではみんなそう言うんだよ。そうやって還暦も近いというのに独身を満喫(?)している同期のガッチャンDrもいるしー。
ともかくも家に帰っても食事作る人のいない私にとってはちょうどよい夕食が摂れたことで満足し、またタクシー使って帰宅した。だが、ビールを飲んだためその後ダウン、またまた明け方まで日記書き出来ずぐうたらしてしまった・・。

2019年3月10日日曜日

海底、ロン!満貫!・・が驚きの結末に

朝、病院に寄ってギボヒサコの入れ歯や歯磨きなど持っていき、その後約束していた見せたまえ雀荘で久しぶりに腹出しDrと囲むことになった。他はいつものサブアラド、見せたまえDrだ。終わってみればサブアラド、見せたまえが勝ち、私はちょい負け、腹出しが負けた。私らと打ち始めた昨年秋からは腹出し君、勝ちっぱなしだったのに年末に負けてこれで2連敗だ。しかし実力者だからこれくらいは屁でも無いと思っていることだろう。

そんな雀士腹出しの本日を象徴するシーンがあったので以下に紹介しよう。こてる日記の中で麻雀ネタはあまり一般受けせず人気がないのは知っているが、今日の闘牌シーンは敢えて書かねばならないだろう。長らく麻雀をしていても初めてのケースで、まるで麻雀劇画にでもありそうなシーンだった。

腹出しDrがラス目の某局、先に私とサブアラドDrが仕掛けた。私は発ポンのドラドラの3900の手でサブアラドDrは白混イツドラ1の満貫手。こっそり面前でタンピンドラドラの親満手を聴牌していたのが見せたまえDrだ。ここに残りツモ回数が1回しかないという場面で腹出しDrがリーチを掛けて来た。

「ええ?!リーチする?」と私は驚いた。だって残り1回ずつしかツモはない。ただ海底(ハイテイ)牌は腹出しに行き、ツモればリーチ一発ツモ海底のそれだけで満貫になる。よほど待ちに自信があるのか・・。見せたまえと私は幸い安全牌の字牌で事なきをえ、サブアラドはやや強めの1索を切った。セーフ。さあていよいよ海底牌、もしかすると私の上がり牌の五八萬が出るかもと身構えた。おもむろにツモる腹出し、「え?」というような顔をしてバシッと八萬を打ちつけた。当たりだ。私は海底が付いて満貫になったと喜ぶ間もなく「海底!」と叫んで闘牌した。「ロン!」「ロン!」・・「えっ」何?何?、なんとサブアラドも見せたまえも同時にロン!宣言、闘牌したのだった。

「三家和(サンチャホウ)」

3者が同時に残り1者から上がり宣言するとそれらは全て無効となりその局はやり直しとなる。下の画像をみて分かるように私と見せたまえは五八萬待ち、サブアラドは八萬待ち。対する腹出しは五萬と八萬を暗刻にして見事に当たり牌を抑えている。そして待ちは8ピンと私ら三者はいずれも不要な牌で握れば出す牌だ。
そこまで考え、勝算ありと煮詰まった状況で腹出しはリーチを仕掛けて来ていたのだ。場況を読み切っての強者ならではの打牌だった。が、しかしまさか海底で当たり牌の八萬を持って来るとは。

麻雀のルールを知ってる人ならご存じだろう。本来なら4枚目の同一牌を持ってきたら槓をして王牌からもう1回ツモることが出来る。しかし唯一、海底牌だけは最後のツモ牌であるという規定があるため槓は出来ない。上がり牌でなければツモ切りするか手の内の牌と入れ替え切らねばならない。しかし彼はリーチしている故にツモ切りするしか方法はなかったのだ。だからツモ牌を見た時にやや動揺したのだった。でもまさか三家和とは!これが2者の当たり牌ならダブロンありのルールにしているので腹出しはドボンでラス、終了になっていた。結果、三家和で大助かりしたわけだ。

以前、天鳳でサブアラドがリーチして私の親満の当たり牌を出した時にもそれが三家和になり流れたことがあった。大助かりしたサブアラドはその後ついて、逆に上がりを逃した私は沈み、ラスになってしまったことがあった。今度もこれがきっかけで腹出しは浮上するか?しかし麻雀は水もの、その後も不調は続き、最初に書いたとおりの結末となった。私は麻雀のドラマチックさをしっかり写真に収められ多少の負け分はさほど気にならず満足して帰宅出来た。また麻雀やろうぜ!

2019年3月9日土曜日

還暦同窓会幹事会

朝、ギボヒサコを車に乗せいっしょに青雲会病院へ向かった。病院では外来に彼女を預け、採血、点滴をして膝の処置を看護師らに頼んだ。膝は創傷被覆材を貼ればどうにか良くなりそう。また念のためレントゲンを撮るも骨折はなかった。それで他の患者さんを診察していた頃、ギボヒサコに付いていたニシマキNsから「先生、入院させた方がよろしいんじゃないですか」との進言があった。排尿や移動に結構手間がかかり、怪我がまだあるようでは自宅で診るのは大変そうだと。なるほど、客観的にもそうならやはり入院させよう、その方が私も安心できる。採血でも白血球、CRPが高く抗生剤治療も必要そうだ。それで、4階病棟の個室に入院となった。広いし眺めも良いところだ。ここにシャワー室と調理室があれば都会なら特別室で1日ウン万円もすることだろう。

で、ギボヒサコは病院にそのまま置いて、夕方は天文館のキャパルボまで出向き、セントラル高校13期生の還暦同窓会幹事会に初めて出席した。参加者は15名ほどで、今年8月の同窓会を成功させるため、なんといっても参加率を上げようと連絡が取れない同窓生を捜すことと会の具体的な進行を決めていく内容だった。去年から数回幹事会は開かれていて新参者の私はほとんど発言出来ず、終わっての懇親会でようやくくつろげた。

同じクラスだった槓凹君とは実に40年ぶりに会った。彼はQ大に行き廃刊前の福ニチスポーツ新聞のアルバイトをしていて卒業後はそのまま福ニチに入りほとんど給料ももらえないまま廃刊、失業者となった。しかし鹿児島で南日本新聞に入って今に至るという。同じく同クラスのホワイトストン君は役所に勤めていてかなり偉くなっている。女性陣では一人独身のサコカヨさん、NYを拠点にダンサーとして活躍し日本ではあの吉俣良と組んでダンス劇を「TOKIJIRO」というタイトルで10月に鹿児島は北埠頭1号上屋で開くという。タカラ来る君は弟県議1期生で今度の県議選にまた出るとのことでよろしくと言われた。この場合、下鶴隆央2期生を自分が推していることはツユにも出せない。有難く「支援の輪を広げるための後援会チラシ」を受け取った。私の出身小学校校長をやっているイマシン君とは1年ぶりで入試にまつわる裏話など興味深く聞いたりした。また旧姓村境さんが「こてる君の奥さんとは以前お茶教室でいっしょだった。とっても美人だった」と話すのでこれは初耳と、すぐカールにLINEで教えると覚えていた。かれこれ30年近く前になる。へへー、意外なところで繋がりがあるもんだ。その村境さんはずっと独身だったが10年ほど前同窓会に出て同じセントラル高の野川君と久しぶりに出合いお互い初婚で結婚したんだと。同窓会参加も人生の転機になるんやねえ。

懇親会は大いに盛り上がり、本番はもっとそうなるだろうと確信出来た。帰りの車は隣のT-MAXに駐めていたので駐車券を2階受付にチェックしに行った。すると、30代くらいの女性に「こてる先生」と声を掛けられた。見ればえくぼが特徴的な山弓さんだった。以前青雲隣の薬局勤務で15年くらい前かよくボウリングに行ったりしていた。今は結婚して2人の子持ちで別の薬局に勤務しているという。いやはや、土曜の天文館に出ると面白いネ。飲み会はほとんど参加しないタイプの私だが久々に楽しい夜であった。

2019年3月8日金曜日

ギボヒサコのウソ

今日も当直明けなので午後は早帰りなのだが残業が多く帰宅は16時近かった。ギボヒサコが気になって居間に入ると、床にへたり込んで自由に動けない彼女がいた。「動こうとすると膝が痛くって」という。ゲンちゃんがミャーミャーまとわりついてくるので「エサ、やりました?」と聞くと「うんやった、(エサが)少なかったかしら」との答え。ならばと、膝の様子を見ると、2日前より腫れが悪化し軽い蜂窩織炎みたいな状態だった。「きちんと洗浄しましょう」と嫌がるギボヒサコを風呂場まで連れて行き、体はバスタオルにくるんで脚を洗った。抗生剤も飲ませたいがあいにく手持ちが全くなくこのまま様子みるしかない。

夕食も準備し夜はボウリングトリオリーグの串木野まで行かねばならない。しっかしゲンちゃんがうるさいなぁ。「本当にエサやりましたぁ?」ギボヒサコはあんなに動けないのに、エサやり場まで来てエサあげて、しかも皿をきちんと洗っての片付けが本当に出来たのかなぁ。どうも怪しい。ヒサコは何でもすぐに肯定する口癖があり、結果ウソになってしまうことがある。エサ袋を見てゴムの止め方が私のやり方なのを確認したところで、昨日の朝以来エサをあげていなかったと確信した。ふうむ、ここで怒っても仕方ない。荒れまくるゲンちゃんにエサをたっぷりあげた。ゴメンねゲンちゃん。悪かったが、一つ言えるのは1日半エサなしでもネコは死なないってこと。それが分かっただけでもこの一件は意味があった。

ああ、でも明日は青雲会病院へギボヒサコを乗せて行こう。私が午前外来をしている間に傷の手当てと採血などし点滴室で休んでもらおう。場合によっては入院もさせるかぁ。夕食のレトルトカレーを作りながらそう思うのであった。

ボウリングは1ゲーム目2回ミスして181。しかし次からニューボールのマスターマインドゼロが炸裂、なぜかストライクがバンバン出て、259、244とハイスコア連発だった。うーむ、先週今週とあんまし練習出来ていないけどこれはボールのおかげだろう。実力と思うと痛い目に遭うぜよ。

2019年3月7日木曜日

ゲンちゃん脱走!そのわけは

昨日は午後は早帰りのはずだったが、大腸憩室出血の患者が来てその処置に時間がかかり帰宅出来たのは夕方の17時過ぎだった。いつものように車庫からバッグ持って出ようとするとき、異変に気が付いた。な、なんと隣の家の裏庭にゲンちゃんがいるではないか!あ、あり得ない。ゲンちゃんは完全家ネコで単独で外部に放したことは一度もないのだ。ギボヒサコは何している。おっとその前にゲンちゃんを捕獲しないといけない。
しかし、過去に一度だけ私の隙をついて脱走した際は、無理に捕まえようとして手を噛まれ、引っかけられ怪我をしたことがあった。他人の庭でもあり無理は出来ない。小雨の中じっと見ていると裏側のモリサンチさんの庭に移動した。そこで草など食んだりペロペロなめたりしている。
こんなこと、確か6年前の4月にもあった。あの時はゲンちゃんが策を巡らして油断していた私を出し抜き外に出てピクニック気文を満喫した(2013/4/4「ゲンちゃん、大脱走」)。今は夕方なのでじっと待機して家に戻るのを待とう。

ギボヒサコを呼ぶと「そうなの、玄関から出て行ったの」と呑気な返事だ。だがしかし、ギボヒサコの方こそ大問題だった。実は小雨の中、Aコープから帰宅途中、道路で転んでしまって左膝を怪我し動けなくなっているのを通りかかりの夫婦に担がれ、自宅まで連れて来てもらった。鍵を預け玄関のドアを開けたところ、ゲンちゃんが脱走したというのだ。ちょうど17時ごろはゲンちゃんもお腹空かして玄関までやって来る。どうにも仕方ない状況だったようだ。左膝の傷を見せてもらうと骨折はしてないようだが確かに痛くて動くのが大変そうだ。

傷の洗浄、ガーゼ保護などした後、夕食もギボヒサコが買ってきていたレトルトカレーをチン!して食べ、私が何から何までやらねばならなくなった。おまけにヒサコが自分が買ったものを「これは誰が買ったの?」など転んだ衝撃のせいか短期記憶が怪しくなっていて、これは病院にも連れて行く必要があるかなどと気を揉んだ。しかし、3月7日はまた当直なのだ(飛び石当直は当直交代を頼まれやむなく行ったもの、滅多にない)。どうにか動けるので自宅安静で様子をみることにした。ゲンちゃんの脱走が当直と当直の間でよかった。私が当直日の時にそうなっていたらぞっとする。ともかく明日の午後は早く帰宅してギボヒサコとゲンちゃんの面倒をみなくては。(カールがいないとやっぱり大変だぁ・・)

2019年3月6日水曜日

当直室に女性を連れ込んだ?!

昨日は当直だった。日記書かねばと医局の机でMacBookProに向かっていたが、そのままうつぶせ寝してしまいすでに明け方になっていた。どうにか日記を書き終え6階にある当直室へ向かったのだが・・。

だ、だれ?

何と、医師当直室のベッドに誰かが寝ていたのだ。ちょっと見た目は高齢女性のようだ。
すぐに当直看護師を呼んでいっしょに部屋に入った。「ああ、ヒラブンさんです」「患者だよね」「隣の部屋が本当の病室なんですけど」「間違ってここに来たか」「ヒラブンさん、ここは違いますよ〜さあ移りましょ〜」

青雲の当直室はなぜか回復期病棟の一室が充てられている。つくりも個室病室と同じだ。隣の4人部屋のトイレはすぐ近くの廊下側にありヒラブンさんは深夜トイレに行き帰りを間違って当直室に入ったと思われる。

早めに自分が当直室に入れば必ず鍵を掛けるのでこうしたことは起こらないはずだが・・。まあ病院が新築移転して10年、初めてのことで10年に1回の珍事ということで当然こてる日記のネタになったのであった。

2019年3月5日火曜日

姶良ニュータウンで火事

夕方から当直、とはいえ特にやることもなく救急外来で看護師らとだべっていると、誰かが「姶良ニュータウンで火事だ」と言った。救急出入り口から外に出ると、やや遠くニュータウンから煙が上がっていた。「こっちからは炎も見えるよ」とまた誰かが言って15mほど移動すると赤く燃える炎が見えた。一軒家が燃え上がっている。まだ火の勢いが強く消防車も集まりつつあるころのようで背後にはパトカーのサイレンも聞こえた。職員も10名近く眺めていた。火の粉が飛んでくるわけじゃないし余裕で見物している。

私も写真をアップにして撮ったり、後からソーシャルワーカーのフロント君が来たので彼が驚く表情や火事を指さす写真など撮ったりした。
フロント君の指の先から火が出ているみたいで「魔法の国の住人みたいだぞ」と私は声を掛けた。

18時半頃には無事消火されたようだが、ニュータウンのある西姶良に住む内視鏡室の五月鍋Nsは「野次馬や車が多くて車はゆっくりゆっくりしか進めませんでした」とのことで、火事って言葉は悪いが地域住民の「見物」の花だな。ただ、幸い死傷者が出なかったそうだからそれだけは不幸中の幸いだった。

2019年3月4日月曜日

I live in Tokyo.を過去形に直せ

今週はカールが不在のため外で食事してから帰宅することにした。といっても本格的なお食事処に行くも気もせず、姶良の国道を走らせ最初に目に付いたモスバーガーに入った。私はどっちかいえばマックよりモスが好きで一人でもよく利用する。ダブルモスバーガーと海老カツバーガーの2つだけを注文した。ジュースやセットメニューは頼まない。余分な出費とカロリーを抑えるためだ。この2個だけで780円プラス消費税にカロリーも509+386=895キロカロリーもある。たかがハンバーガーでやや高く感じる。マックはやや単価は安いが風味も安っぽくてー。ま、お手軽に一人でさくっと食べるにはこれでもいいかな。

姶良のモスバーガー店には雑誌類が置いてあるがこれがほとんど女性向けのツマラナイものばかりで読み応えがない。唯一、読めそうだったのが「プレジデントファミリー」。ビジネス誌「プレジデント」の姉妹誌でお受験を控えた子を持つ親への特集記事が多い。なぜにこの手の雑誌が置いてあるのか意味不明だ。その中では立教大学出身のアナウンサー4人、徳光和夫、関口宏、みのもんた、古舘伊知郎の対談が面白かった。徳光さんは長嶋茂雄が当時の六大学新記録のホームランを目の当たりにしたことで長嶋に憧れ、当初はとても受かりそうになかった立教にかろうじて合格したとか、学生のみのもんたに先輩として接していたり、またみのもんたはアナウンサーを目指したい古館にこれも勉強と飲み屋を連れ回し、午前様になって帰りがけのタクシーに乗ってから一旦引き返し「何か相談があるとか言っていたな」と一言だけアドバイスしたとか、大学のつながりって意外に強いものだ。

でも傑作だったのは徳光さんの長嶋さんに関するエピソードだ。

監督時代の対ヤクルト戦の前にお話伺いたいと申し入れたら、そばが好きだというんで「おそば屋さんに行きませんませんか」と言ったら「いいねえ」との返事。そば屋に事前連絡したらおやじがしっかりそばを打ってくれるってのことで報知の記者と3人でいっしょに行って、ガラガラって開けてパッとメニューを見たら、ミスターが「ああ、おいしそうだな。じゃあカツ丼」って。一同(笑)。

でも長嶋の立教時代のエピソードはもっと笑える。

長嶋さんは1年生の時の教養課程で英語を落として卒業は出来なかった。卒業できずにジャイアンツに入るのは心許ないっていうんで、斎藤教授に「追試を受けさせてくれ」とお願いしたら「ぜひやろう」ということで、一対一で追試をした。
I live in Tokyo.「私は東京に住んでいる」、これを過去形に直せをいう問題を出した時に、長嶋さんは15分考えて、I live in Edo.「私は江戸に住んでいる」と答えた。一同(笑)。

2019年3月3日日曜日

エリック君の心配をする余裕なんて

今日は鹿児島マラソンで青雲会からも何人も参加者がいて、さらに折り返し地点の姶良重富では病院職員の食事やマッサージのサービスもあってなかなかのイベントだ。ただ私は全くといっていいほどお手伝いをしていない。特に誘われてもおらず「こてる先生はボウリング専門だから」と思われているのかもしれない。応援やボランティアには行かない代わりにTVでしばらく観戦した。優勝は日置市役所の飛松佑輔さんで独走で大会3連覇、2時間14分51秒は大会新記録だったそうだ。天気も雨の予報が曇り空でコンディションも良かったみたいだ。

マラソンは盛んでいいねえ。今度の大会も1万人をはるかに越える参加者がいた。健康、ダイエット志向で時代に合っているのだろう。ボウリングなんか全然だ。どんなに大きな大会でも千人すら越えない。50年前のブームはたまたま時流に乗ったが10年ほどでさぁーっと引いていった。未だに長期低落傾向は続いている。今後も大きなブームになる可能性はまずない。それは基本ボウリングは若者が集まってやるスポーツなので少子高齢化の現状では将来は見込めないのだ。

午後は見せたまえDrのところで麻雀。今回初めてエリックMRが参加した。前2回は海広しDrを交えての闘牌だったが見せたまえの院長室麻雀でも打てると私が判断し誘った。前2回はともに勝っているエリックMRも今回は少々勝手が違ったか前半は全くトップが取れずこのまま大負けするのじゃないかと少し心配した。でも終わってみれば一番沈んだのはこの私。新参者の心配をするヒマなんかなかったわい。

(麻雀から帰って来てとても眠い。日記書きながらうつらうつらしてしまった。今日はこれくらいでお終い・・)

2019年3月2日土曜日

100kgの壁だって

先週今週来週と連続で土曜外来担当だ。土曜は土曜だけしか来ないという患者も多い。そんな中、50代の女性が来て1ヶ月食事や運動療法でコレステロールが改善したか気になるとのことだ。「コレステロールは食事や運動を頑張っても下がらないことも多いですよ」と気勢をそいでおいて採血し結果をみると案の定全くといってほど改善がなかった。彼女は「そうですか、やっぱり薬をのまないといけないですね」と諦めの表情だった。

内服をするのは賛成だ。私はコレステロールに関しては「治療をする気があるなら内服するのはベター」と説明している。今じゃコレステロールを下げる良い薬が多くあり、飲みさえすれば悪玉コレステロールがガクンと下がる。薬なしで食事を減らしても限界があってなかなか正常化はしない。だが、この時はさすがの私も「もうちょっと減量をしてみては」とアドバイスした。だって体重104kgだったのだ。

「私、そんなに食べていないんです。お菓子やジュースも買わないし、主人の仕事の関係でいっしょに夜遅く食べるからかしら」と104kgは言う。よくあるのよ、デブの「私はそんなに食べてない」と痩せの「私はちゃんと食べている」は。だったらどうして100kg以上も太れるの。

驚くことに超デブは食べているという認識がどうしても抜け落ちてしまうようなのだ。だから岡田斗司夫著の「いつまでもデブと思うなよ」で紹介された「レコーディング・ダイエット」法がこの患者への良い方法かと思った。この手法は「毎回の食事の中で、どれだけのエネルギーの物をどれだけ食べたかを逐一記録し、自分の一日の総摂取エネルギー量を確認する」という簡単なものだが、この行為を反復することにより「無意識に摂っていた間食などの食材」を自覚し、肥満に繋がる食生活のパターンを戒める意識が自分の中に根づくというものである。また、口にいれたものを必ず書かねばならないと決めると、書くのが億劫になって無駄なものを食べなくなるという作用が出てくる。これすなわち減量への道と言っていい。

話を聞く限り、この104kgさんは自分が如何にあちこち食べているかを知らない。「私、食べないのに太るのよねぇ」だ。こんなことも言っていた。「100kgの壁ってあるんですよ。昔、90kg台の時、いくら食べても100kgを超えなかったからどんどん食べていた。すると気がついたら120kgになっていた。それでこれはいけないとダイエットしたが今度は100kg以下になかなか減らない」

この人はやはり考え方を変えないといけないようだ。

2019年3月1日金曜日

下鶴ポスター、切られる

家の前に下鶴隆央県議のポスターを貼ったというのは前に書いた。それを貼る時にカールと「(小学校近隣で学童の通り道の)ここじゃー、このポスターはいたずらされるんじゃないか」「そうかもねー」と少し心配をした。はたしてその危惧は予想通りに発生した。

ポスターには下鶴隆央県議とそのお父さんである下鶴昭徳さんが「弁士」として写っているが、4、5日前だったか、その鼻の真ん中が凹まされ、切られていたのだ。下鶴県議の顔にもコインかなんかで傷つけた痕跡があった。お父さんの真下はタイルの溝になっていてやられやすい状態だった。

「やっぱりなー」と私たち夫婦の間では仕方ないという雰囲気だったのだが、驚いたことにポスター破損の犯人の小学生男子3人の保護者(母親)3人が「選挙ポスターを破って誠に済みません」とうちに謝罪に来たというのだ。カールは当然「いえいえとんでもありません、そんなに気を遣わなくても・・」と遠慮気味に応対した。きっと子どもたちが「やっちゃったよ」って悪気なくしゃべったところ、親たちは「これはまずい」だったのだろう。でも、実はこれは「選挙ポスター」ではないのだ。ただの講演会の告知ポスターなんである(下に小さくではあるが場所、時間の記載がある)。他人から見たら宣伝にすぎないわけなんだが、まあ子どもに社会教育する意味では良かったのかもしれない。私も小学低学年の時、公園でゴムボールでの野球遊びの際、バットを振ったら友だちに当たってしまって、母親といっしょに家まで行き謝罪させられたことがあった。大怪我でもなんでもなくてそこまでするぅ?と思うも、あれは教育的指導だったんだ。

下鶴パパの顔はこのままではさすがに見栄えが悪いので透明テープで鼻をくっつけてあげた。子どもたちはそれを見て何を思うのだろう。その後はポスターにいたずらはされていない。