(9月15日分のこてる日記はアップロードが少し遅れて翌日朝になるかもしれません。更新は少なくとも9月18日の午前までには実行する予定です。ご迷惑をおかけします)
(11時過ぎにようやくアップ出来ました)
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
メジャーリーグも日本のプロ野球もレギュラーシーズン終盤を迎えている。メジャーはこの前からドジャース大谷がIL入りして少なくとも約2週間は試合には出られず少々つまなくなって来ているが、他の日本人選手が活躍しているのでまだまだ楽しめている。プロ野球はそれほど熱心には見ていないものの、昨日は午後にリアル麻雀をしながら巨人阪神戦をチラチラ見ていた。阪神、この前巨人に3連勝していたはずなのにこのところ全く打てていないねぇ。巨人ファンの見せたまえDrが「よしよし」と言いながら「麻雀は負けたけど巨人が勝ったから〜」ってご機嫌だったな。阪神を応援していたのは私一人だけだったが、どうにか麻雀は勝てて良かったわ(どっちも負けたら胸くそ悪いでぇ〜)。
今日はドジャースは対マイアミ・マーリンズ戦で、いきなりベッツ、マンシーと連続ホームランで2点リードもグラスナウが乱調ですぐに3点取り返され、結局3対4で負けてしまった。プロ野球では阪神がまた無得点で中日に負けてしまった。打線はいったいどうしたんだ。打線って不思議と波があってどの球団も打てなくなる時期があるものだがこれがレギュラーシーズンだからまだ良しとしようか。ポストシーズンに入って打線が戻って来たらその勢いで勝ち上がって行くと信じよう。2年前に横浜ベイスターズがセ・リーグ3位だったのにそこから勝ち上がり、なんと日本シリーズまで勝ってしまったことがあったように、野球のチームって短期なら勢いで優勝まですることがあるからねー。
ただドジャースに関しては今日負けて明日も負けると地区優勝のマジックが4のままだ。出来るなら少し足踏みしてくれないかなぁ。手のマメの怪我で休んでいる佐々木朗希が復帰する可能性があるドジャーススタジアムでの9月19日(現地時間で9月18日)以降に優勝をして欲しい。まあ個人的な勝手なお願いで申し訳ないが・・。ま、いずれにしろドジャースの西地区優勝は100%間違いない。問題はポストシーズンを着実に勝ち上がれるか、だ。現状のままだとドジャースはナ・リーグ全体で2位の勝率なのでシードされ勝ち上がってくるチームと5回戦制の地区シリーズ決定戦からポストシーズンは始まる。その時までには大谷が戻って来てくれるだろう。8月半ばからの大谷はまったく打棒が振るわなかった。ランナーが2塁や3塁にいるいわゆるスコアリングポジションが10回くらいあったのに1本もタイムリーを打てなかった。さすがにおかしい、いったいどうしたんだろうと私は訝(いぶか)っていた。腕や膝、首などの故障を抱えていたのならその時に思い切って休んで欲しかったナ。チッチの中学時代のサッカー部同窓生のザミドル君が東京から帰郷していて、今日「ボウリングをやりたい」とのことでチッチらと3人で久々にT-MAXボウルへ向かった。ザミドル君とは中学生、高校生の頃もいっしょに何度かボウリングに連れて行ったことがある。彼は今、東京の消防庁で消防士をしていてすでに結婚もしている。お相手は同じ中学校の1年先輩女子で、その両親は私の高校時代の同級生であったというのは今年2月の日記ネタにもなった。
私とチッチはマイボウラーだが、ボウリングは実に久しぶりで私は半年ぶりくらいだ。チッチは1年以上やっていないんじゃないか。ザミドル君は東京でたまにハウスボールで投げることがあるそうだ。受付で3ゲームセットか5ゲームセットかで少し悩んだが、3ゲームではもの足らなくなるようで5ゲームセットにした。と、受付近くにご老人がいるのを見て私はポンと肩を叩いた。サンシさんだった。私の本来のボウリング仲間で、どこぞのボウリング大会には必ず誘うし、かつては串木野ゴールデンボウルでのトリオリーグで月2回いっしょに投げていた。しかし串木野は閉鎖になり、さらに私のボウリングエネルギーが減って投げなくなり、サンシさんはシニアの人たちとちょくちょく投げているということだった。
あてがわれたレーンは5階の29ー30レーン。まずはテーピングにマメ予防とマイボウラーは投げ始めに時間がかかる。投げ始めはレーンコンディションもよく分からないし私は適当にこの辺かなと投げたらいきなりストライクだった。ふふーん。ザミドル君は昔からサムレス投法だ。親指を入れないで手首を曲げて投げる。これだと結構なフックがかかる。以前よりも安定感が増しているようだったが、いかんせん軽いボールでハウスボールでもあるしピンアクションがマイボールとは差がある。↓なかなか良いフォームだ。ボールをリリースする瞬間に手のひらがボールの下にあるのは素晴らしい。チッチはオーソドックス投法で曲がりが少ないもののやはりピンアクションが良くおおよそ140−150点くらいは取っていた。いかにも昔からあるタイプの投法だ↓。私はというと1ゲーム目は203点となんと200アップ。自分でも驚いたよ。この後もアベレージ180点前後は取れていた。ただ左の29番レーンの中央付近のオイルが剥げていてストライクを取るためのポケットに全然入らない。5ゲーム目に入る頃には疲れと汗でヘトヘトになっていた。いや〜、ボウリング、いい運動になりますわぁ。深夜、ワースポ&MLBの録画を見ていたら、最後のあたりでシカゴ・ホワイトソックスの村上宗隆が最近口ひげを生やし始めていると話題にしていた↓。
これを聞いて私はただ「ふーん」としか思わなかったが、「でも、これをご覧ください」とだしたのがホワイトソックスのナインの面々の写真↓。なんと全員口ひげを生やし始めていたのだ。な、ばかりかホワイトソックスのレポーターやTV司会者&解説者までもが付けひげをして似たようなことをしていたのだ。これはアメリカのスポーツ界ではよくある験(ゲン)担ぎで、ポストシーズンに入って優勝するか負けてしまうかまで全員でひげを剃らないというプレーオフ・ビアードと呼ばれる行為ということだ。ホワイトソックスの場合、久しぶりのポストシーズン進出をかけて一足早めに決行したということだ。で、司会進行の三宅絹紗がそのように語り、それを受けて解説の小早川毅彦がややとぼけた口調で「ほう・・でもちょーっとやり過ぎなんじゃないですかねぇ」との感想をビデオ画面放映中に述べていたが、画面が司会、解説に切り替わるとー。
きゃははー、なんとお二人とも立派な口ひげをたくわえているじゃーあーりませんか。そしてこのあと数分間、二人は何食わぬお顔で自身のおひげには一切触れることなく、ずーっと進行&解説を最後まで続けたのだった。絹紗さんはひげダンス、小早川さんのなんか、まるでエルキュール・ポアロですな。これ、視聴者界隈ではやはり話題になっていたようだ。小早川氏自身のインスタグラムにもこれが投稿されていて、使用前使用後のツーショットが出ていた。夜、TVの録画やタイムシフトなどいじくり回しているうちに、鹿児島ローカルのMBC「どーんと鹿児島(どんかご)」をクリックしていた。作曲家の吉俣良がフィーチャーされてはいたが、11月にある彼の45周年記念コンサートの番宣がらみかとも思え、これは前にも見たなと次をクリックしようとした。しかし、よく見れば以前見たのは同じMBCが放送した「てげてげ」であって、「どんかご」ではやや切り口が違っていて吉俣良自身の過去をふり返る画像映像がふんだんに出てきていてそのまま見入ってしまった。
というのも吉俣とは小学、高校と同級生であり、たまに同窓会などで会う間柄で、今回は鹿児島中央高校の同窓生や学校訪問の場面があったからだ。まず、吉俣懐かしの店ということで彼が足を踏み入れたのが天文館の「黒岩ラーメン」だった。するとそこには初老の客がたった一人座っていて「おお」とわざとらしく挨拶をした。私は思わず「トンガじゃん」と声を出した。すると画面にもちゃんと「愛称・とんが」ってわざわざルビが振られていたよ↓。
彼は私たち鹿児島中央高13期生の同窓会のまとめ役みたいなこともしている。↓の集合写真も吉俣を除く6人のうち3人が私の中学時代の同級生でもある。これは中央高13期生の関東同窓会の写真だろう。中央の和服は12月下旬の関東同窓会に京都から毎年出てくる私の友人矢野謙堂和尚だ。吉俣、トンガと同じクラスだったな。和尚はこてる日記にも何回か登場している。その後、現在の中央高校の訪問もあって、私らのころとは内装ががらりと変わっていることに驚いた。「机も大きくなったみたい」と吉俣とトンガが言っていたが、教室自体が全然違う印象だ。吹奏楽部の部室に入った吉俣が「え、クーラーが効いている、こわい」と漏らしたのも、あの頃は暑いのは我慢して勉強や部活動に励むのが当たり前だったからだ。後輩である吹奏楽部の生徒たちには「金賞を取るんだと言葉に出し合うのが大事。そして大会に臨むべき」と彼はアドバイスをしていた。それに対して部員らは吉俣作曲の中央高愛唱歌の「たいせつ」をみんなで合唱して彼を感激させていた。後日、久しぶりに吹奏楽部は金賞が取れた、とのことでさすがと思ったよ。
この後も彼が大好きな桜島に渡っての学校訪問やパワーをもらえる場所紹介など面白い内容だった。で最後に、11月8日に記念コンサートが予定されていて、9月12日からチケット一般発売があると告示された。いや、この番組を見ていたらチケット買おうと思えてきたが、実は半年ほど前に同窓生のサコカヨさんから「まだ告知前だけど吉俣君の45周年記念コンサートが11月8日にあるけど申し込まない?」と連絡があったんだ。あいにくその日は学会がらみで行けないと断っていた。はは、「コンサートのチケット販売を手伝う」って写真その通りでしたよ。昨日9月6日の話題。帝国ホテル大阪での講演会は「慢性腎臓病の患者の悪化をいかに防ぐか」というのがテーマだった。腎臓の専門家が数人講演され、また腎不全になり透析を現在受けている一般の人が自身の経験と「あの時、こう指導を受けていたら」という体験談を交えての教訓も語ってくれた。
非常に興味深い話題、解説があった中で、いくつか印象に残ったのが「日本人(東洋系の人)は1個の腎臓にある糸球体の数が普通は100万個ほどと言われているが実際は平均64万個でこれは欧米の92万個と比べかなり少ない。一度機能が失われた糸球体は元には戻らない。だから欧米人に比べ日本人は腎機能の悪化を来しやすい」んだそうで、世界の中でも人工透析を受けている比率の高い国は1位が台湾で2位が日本なんだそうだ。
腎機能で大事な数値、eGFR(推算糸球体濾過量=腎臓が1分間にどれくらいの血液をろ過して老廃物を排泄できているかを示す腎機能の目安となる数値)が、60未満になると、その後徐々に腎機能が悪化し10年後には取り返しがつかなくなることも多いとか。だから60未満の時に「様子を見ましょう」とか「経過観察」にするのはダメで、今は腎機能悪化を防ぐ薬が開発されたからそれで病気の悪化を防ぐべきということが主眼であった。それを腎臓の専門家だけでは患者の数が多すぎてとても手が回らない。一般内科医にその点を分かってもらってどんどん治療していって欲しいんだって切望していた。(昨日9月5日の続き)
ジャンジャン横丁って車は入れない幅のやや狭いアーケードだった。でも入ってすぐに「うわ、ここは昭和か」って思うほどレトロな雰囲気に満ちた横丁って分かった。弓矢打ちや射的の店が五、六店以上もあったんだ。
これ、昭和時代の縁日の露店ではなくてちゃんと建物の中にありしかも日常的に店を構えているってのがちょっとした驚きだった。私は射的は1回もしたことがなかったが、正月の天文館公園でよく見たものだった。それにも増してここは飲食店も軒を連ねていて、焼き鳥など比較的軽めの食事、一杯飲み屋風の店が多かった。喉も渇いていたけれど、夕食には早い時間だったし、ここでの一人での食事はちょっとなぁ・・だった。それに通天閣見物が今回の主目的だ。そっちを急がねばな。横丁を過ぎてしばらく歩くと右側の通りの向こうに、見えてきたよ〜。まさに通天閣だ↓。展望台に入るには・・と思って入口に寄っていくと、「滑り台にしますか、展望台にしますか、展望台は入場料は大人1500円です」だと。なんで滑り台なんかと思い、1500円展望台を当然選択した。少し高いかな。呼び込みの職員は「バンジーもありますよ」ときたので「うわ、とんでもない」と断った。何、滑り台にバンジーって。でもエレベーターを並んで待っている間に分かったのは、タワースライダー1100円ってのは案外面白そうだってこと。「ウワーッ」とか「キャーッ」とかの歓声、叫声がすごいんだ。バンジーは絶対に嫌だが、このスライダーはもし機会あればやってもいいかなと思ったヨ。さて、通天閣だが、これが展望台に上がるまでがやや大変だった。エレベーターに10名ほど単位で移動させられ、さらに中層階ではビリケンさんとの写真を職員に撮られ、ぐるりと昭和の風情ゆかしき展示物を眺めて歩き、時間が経過したところで「はい、写真が出来上がりました。1枚1500円」とやられる。私は絶対に買うもんかと思って「目に焼き付けときますわ」とだけ返事したが、私の前の2組はどちらも購入していたよ。ぼられてるやろ。
その写真商売が示すように、隙あらば買ってもらおうという仕組みが目立ったなー。エレベーターに乗る前に商品が陳列しているところを通らされるし、普通100m近い階上にあがって展望をするだけのはずが、展望所に着いた時は入口からなんと40分もかかっていたんだ。もう喉が渇いていてさー。眺めは良かったよ。梅田方面を眺めるとさっきまでえらい大きな建造物と思っていた大阪城が周囲の近代建築に囲まれてえらく小さかった。江戸時代には周囲を睥睨(へいげい)していても、21世紀の現代では・・その差を思い知られされた気がした。↓の写真に大阪城が写っているのだが、言われないとどこにあるのかたぶん気が付かない。マイデジカメの望遠で撮ったのが↓でこれなら大阪城はすぐに分かる。上の写真でもう一度探してみてー。西側を眺めると六甲山の夕焼けが綺麗だった。下に降りるのもエレベーター待ちで10分以上も並び、外に出たのは結局入場から1時間10分ほども経過してからだった。ここ以外に急ぐ用事のある観光客は注意が必要だ。外はさすがに9月ゆえにすでに暗くなっていて「空に灯が付く通天閣」の光景が見られて良かった。
で、夕食だが、ちょうど1680円で牛かつの店があり、そこに入った。で、まずは私には珍しく「生ビール一つ」と頼み、キンキンに冷えたビールをグイッと飲んだ。くーーっ、美味い!B社主催の講演会が9月6日に大阪であるため、私は昼前に鹿児島空港へ向かった。飛行機で大阪に行くのはいったいいつ以来だろう。九州新幹線が全線開通した2011年以降は神戸や大阪の学会にはほぼ新幹線で行っているから15年ぶりくらいか。今回は熊本地震もあり飛行に限る。全日空を利用したが飛行機に乗る時、何か違和感が・・一段低いところに昇降口があったのだ。窓際に座って外を見て少しびっくり。プロペラ機だったってその時に気が付いた。プロペラに乗るっていつ以来か覚えていないぞ。
30年以上前、種子島の病院に月2回行っていた時はプロペラだった。あと、大学内視鏡室の仲間と長崎での学会に向かう時が雨中のプロペラで、揺れに揺れまくって私は我慢出来ずに「紙袋」にゲロってしまった苦い記憶がある。あと、初めて飛行機に乗ったのが昭和45年の4月1日で大阪の万博に向かうためだった。なんで正確に覚えているかというと、前日にあの「よど号ハイジャック事件」があったからで、それは日本初のハイジャック事件だった。「明日は初めて飛行機に乗るのにー」と緊張とワクワク両方の感情が入り交じったものだ。それがジェット機だったかプロペラ機だったかは覚えていないが、帰りの4月5日はプロペラ機だったと覚えている。窓の下に甲子園が見え、箕島対北陽の決勝戦をやっているんだぁと思いながらいつしか眠ってしまい、スチュワーデスさんに毛布を掛けてもらっていた。
およそ1時間20分の飛行で大阪は伊丹空港に着いた。大阪上空を通る時は古墳群を見るのが楽しみだったが今回は1枚しか写真は撮れなかった↓。左下に見える前方後円墳は後で調べると「河内大塚山古墳」で日本第5位の大きさだった。その右上付近の前方後円墳は「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)」だ。↓のネットのマップではピンク矢印から撮影している。だいたいにおいて古墳ってぜったい空から見た方が面白いんだよな。近くからだとこんもりした公園かなぐらいにしか見えない。↓搭乗したカナダ製のプロペラ機。直に歩いて空港構内に入ったのも久しぶりだ。