2026年11月3日火曜日

「ゴジラー0.0」初日を見に行った

今日から封切りの話題作「ゴジラー0.0」を姶良のイオンまでカールと見に行った。2年前、「ゴジラー1.0」を見に行った時と同じパターンだ。前回は4DXという画面の内容に応じて座席が揺れたり、水しぶきが出たり、風が感じられたり、熱さを感じたりする座席で鑑賞したが、今回はそのような設定はないようだ。その代わりではないが、日本映画初の「Filmed For IMAX」という画面比率が上下に広がり音響もグレードアップした方式の映像があり、それは中央駅アミュプラザの鹿児島ミッテにしかなく、調べると今日の午前はすでに良い席がほとんど空いていなかった。昼からだと駐車場の空きがあまりないこともあり、通常スクリーンではあるが駐車代も気にしなくていい姶良イオンになったわけ。
しかし通常スクリーンでもえらい迫力だったヨ。カールは2年前に「初めて怪獣映画というものを見た」というほど怪獣映画には疎く、私が「今度のゴジラにはキングギドラが出るらしい」と言っても「なにそれ?」となーんにも知らないんだ。「他に知っている怪獣は?モスラなら知っているだろ」と聞くと「ああ、あの『♪モスラ〜や』って歌なら聞いたことがあるわ。でも私、モスラがどんな形の怪獣なのか全然知らない」と言うではないか。いやはや、そこまで知らないとは・・。日本の男子でこれら怪獣を知らないヤツがいるだろうか。まあカールには男の兄弟もいなかったし怪獣映画に興味もなかったから仕方ないのかも。

で、開幕していきなりのギドラよ。これがものすごい迫力で松本市とその住民を襲い尽くすんだ。カールも私もびっくり。ただこの怪獣はまだ首は1本だけでこの後人間側の作戦の結果、3本首に変身する。この「ゴジラー0.0」って名前はゴジラなんだが実際はキングギドラの出番の方が多いくらいで、「ゴジラ対キングギドラ」のタイトルがふさわしいくらい。怪獣の登場シーンは迫力、ビジュアルともに素晴らしい出来だった。敢えて言えば人間のドラマシーンがやや多くて個人的にはそこはもうちょっとすっきりさせても良かったかな。

主要人物は前作に引き続いて敷島浩一を神木隆之介、その妻典子の浜辺美波、大型災害対策事務局の局長野田健治を吉岡秀隆、そして新キャストに生物学者の田中泯、天才気象予報官の長澤まさみが出てくる。なかでも田中泯の村上寛治役はこの映画の主役といってもいいくらいの存在感だった。広島原爆で妻や子、孫まで失ってしまってアメリカに対し憎しみを抱いている様子を狂気の表情や動きで出していた。
画面ではおそらくアメリカでR指定になったというのはこの原爆投下後シーンがあらかさまに出てくるからだろう。

しかしカールが一番ビビったのはゴジラとキングギドラとのバトルシーンだ。ゴジラも強いけどもキングギドラもつおーいのよ。そもそも初めてキングギドラを見てカールは「あんな首が3つも出てきて気持ち悪いし怖い〜」と思ったそうだが「なのにゴジラにやられて首が1本こっちに飛んで来てさー」キャーって私の腕にすがろうかとさえ思ったそうな。いやいや前作の4DXでは席も揺れるしで実際に互いの手や腕をつかんだものだったが確かに冷や汗ドキドキものだった。まあ最後、渾身の咆哮でゴジラが最後は勝つんだけど内容はほぼ互角。
というより、人間側の作戦が「おいおい、ほんとにそんな作戦でうまく行くの?」とどうにも頼りなくまたご都合主義っぽく感じられるんだが、そもそもがあんなに強くて大きい巨大生物に人間がどう対抗できるのか、劇中で「ゴジラには原爆も効かないとか」などのセリフもあり無理でしょとしか私には思えなかった。あと、中盤でヒッチコックの「鳥」そっくりなシーンが出てきたのもニヤリだった。
この作品、いろいろな映画や過去のゴジラ映画へのオマージュらしきシーンもたくさんあるらしい。それと、入場の際に小さな暗闇で全身が光るゴジラのミニフィギアがもらえるのだが、黒い袋に入っていて赤白青の三色あって開けてみるまではどの色のゴジラか分からない。私は青だった。カールは「赤ならいいな」と思って開けたが、がーん、同じ青だった。暗くなるとぼぉーっと光る仕掛けだ。
結局、別の色も欲しくて二度三度見に行く人もきっといるんだろうな。な、ハナビ!

2026年11月2日月曜日

個人情報漏洩案件あり

昨日の夕方だが、自宅の電話に楽天から電話がかかってきた。「昨夜20時過ぎに楽天カードを使用したか?」という問いかけだ。10月31日の夜8時過ぎはカードを使うどころか見せたまえDrの院長室でリアル麻雀にどっぷり浸かっていた頃だ。「全く使用していません」と即答した。いったいどういうことか?

どうも、海外から私のクレジット番号で怪しい動きがあったそうだ。別に使われてお金の動きがあったわけではないが、楽天カードの管理部門がその動きをキャッチし怪しいのでその日の夜のうちに私の携帯に連絡を入れたそうだが、こっちは麻雀中で気づくこともなく、帰宅してからも携帯に直接電話があったのは後で確認した。

ともかくもどこかで私のカード番号が漏れていたことになり、「この電話が切られたら即このカードが取引出来ないようにします」というので了承した。そんなの怖くて使えやしない。で、すぐに番号を変えて新たなカードを作成し近々郵送するとのことだ。しばらく楽天カードは使えないが他にも一応カードはあるしすぐに困ることはない。でも、昨今話題の不正アクセスでの個人情報のデータ漏洩の影響なんだろう。さっそく今日、Netflixから「カードでの9月分の引き落としが出来ませんでした」と連絡が来た。ふむ、やはり不都合な状況が起きている。すぐに、楽天カードではない別のカードでの支払いに変更した。他にもまた不都合が起きるやもしれぬ。

この1ヶ月、個人情報漏洩のニュースがない日がない。ネットやクレジットなど便利さの裏にはかようなリスクもあるってことだ。まあ、楽天はこの手の怪しい動きに即座に対応してくれてその点は良かった。じゃー、いっさいこの手の便利アイテムを使用しないというのも現状無理だ。ロサンゼルスではスマホかカードでないと買い物や野球観戦も出来なかったしねー。少しずつでもこの手の不正や犯罪を社会全体で駆逐して行くしかないんだろうね。

2026年11月1日日曜日

初七日とタヌキ

朝早く、カールとチッチと田舎のお寺へ向かった。ヒトミンチョの初七日のためだ。ほぼ親族だけ10名くらいの出席でお経を聞き、焼香をする。これまではこの手の法要にはヒトミンチョが必ずいたのに今や供養される側だ。今年は1月に良知そしてヒトミンチョとあっという間に2人も逝ってしまった。

終わって寺の駐車場でトシ登り、フサンコ、HKRなどと少し話をした。良知に世話になったエピソードで、40年以上前の学生時代に鹿児島沖縄航路の船に乗った時、2等客だった私たちを「空いているから」とより上等な部屋に入れてくれたことを話すと、フサンコの長男セーイチ君が「自分もー」と手を挙げた。彼は大学が琉大でたまに船を利用した時に同じような便宜を図ってもらったそうな。良知兄は本当に頼み事に対して腰が軽くカールも「本当にお世話になった」と感謝している。「2年前のちょうど今頃も家の大きなTV(REGZAの65型)を沖縄に配送する必要があった時に、自分だけじゃ出来なくて良知さんやヒトミンチョに手伝ってもらった」「去年お見舞いに行った時に良知さんは『去年の今頃はTV送った後、ヒトミンチョとランチにも行ったなー』と言っていたのに」とカールは述懐していた。

その帰り、国道226号を加治佐川への橋を渡る直前の道路になんとタヌキがおそらくは車に轢かれて死んでいた。タヌキってあんまり歓迎されない動物だが車に轢かれなくてもよかったのにー。私はウサギを何回か車で轢いたことはあるがタヌキはないなぁ。通過する直前、車の速度を落とし、すかさずデジカメのシャッターをきった。後で確認するとタヌキだけでなく私の所作までばっちし写っていた。
するとカールが「通夜の日の朝(10月27日)一人で葬儀場に向かって頴娃町に入った時にもタヌキが死んでいて、カラスが2匹いてつついていたの。私、タヌキって初めて見たわ」と言う。それが1週間もしないうちに2匹目を見る羽目になろうとは。この辺り、タヌキが多いんだ。合掌。

この1週間、「死」に敏感になっている私たちであった。

2026年10月31日土曜日

「あしたのジョー」は日本漫画の最高傑作である

漫画家のちばてつやが先日10月22日に亡くなった。享年87歳で死因は骨髄異形成症候群(骨髄の中で血液細胞が正常につくられなくなる病気)だったそうだ。
数々の名作を世に送り出しているが、一番の名作と言えばこれはもう「あしたのジョー」に尽きるだろう。ただし、原作は高森朝雄(梶原一騎のペンネームで本名高森朝樹に由来する)で作画がちばてつやなのだが、単なる作画表現にとどまらずストーリー展開や構成などにも相当ちばが関わっていて一般にはちばの代表作と言われている。

私は「あしたのジョー」を日本の漫画史上の最高傑作だと思っている。

まあ昭和20年代、30年代の漫画やそして平成以降や最近のを読んでいないので異論がある人は多いだろう。この前の青雲会病院の外科のブラクトーDrは「ドラゴンボール」が大好きでこの漫画の影響を受けて人生を歩んできたと朝礼スピーチで語っていた。そのドラゴンボールが一番好きだという人も多い。その他、バスケ漫画の「スラムダンク」、最近では「鬼滅の刃」、映画もいまだに人気の「名探偵コナン」などある中で、もしアンケートと取れば一般には「ONE PIECE」が1位になると言われている。ふーん。私より少しだけ年長のサブアラドDrもONE PIECE好きで若い人も含め世代を超えてリアルタイムで愛され続けている点が強みなんだろう。ちなみに私は第1巻だけ読んで脱落した。

「あしたのジョー」はコミックス全20巻で今から見るとそんな長編ではない。しかし昭和40年代当時は同じく少年マガジン連載の「巨人の星」全19巻同様最長編漫画の一つだった。マガジンではこの2作が人気1位2位を争っていて、私は連載当時はTVアニメの影響もあって「巨人の星」の方が好きだった。野球漫画そのものがボクシング漫画よりも人気だったしね。ただ「あしたのジョー」は連載当時からライバル力石徹の死が話題になったり、昭和48年私が中学2年のいよいよ最終回が近づいて来た当時、「いったいどんな結末になるのか」とかなりの話題だった。そしてあのラストシーンだ。日本の漫画史上一番有名なラストシーンと言って過言ではないだろう。同級生の間でも「ジョーは死んだのか、生きているのか」とそれぞれが言い合っていたが、読者の判断に委ねることで深い余韻をもたらしたのは間違いない。
梶原一騎(高森朝雄)による当初の原案では、白く燃え尽きる前にセコンドの丹下段平がジョーに語りかける場面や、パンチドランカーとなったジョーがカーロス・リベラと療養所で笑顔で戯れるシーンが予定されていたが、ちばてつやが「これだけ長い試合を描いてきたのにそれは違う」と反対し、あの伝説的なラストに変更されたという。そして生死どっちかなのかについては、ちばてつやが後のインタビューなどで「死んでいませんよ」「真っ黒な炭が燃えると真っ赤になって、燃え尽きると真っ白な灰になるというイメージ」と語っている。

これまで私はブログの中で、小説や映画、ドラマ、漫画などについては物語ネタばらしになるようなことは書かない姿勢をずっと取ってきたが、こと「あしたのジョー」については敢えて突っ込んで書いていることが知れるだろう。というのも、私が「あしたのジョー」を一番素晴らしい、すごい漫画だと評価するようになったのは中学3年の頃、コミックス全20巻を購入し通して読んでみた時に、それまでの漫画では味わったことのないずっしりとした重さというか数日間この漫画の世界から抜け出せないような感覚、感動と言い替えてもいいのかもしれないものを味わったからだ。いや、それまでに連載中もちょくちょくと読んではいたんだ。その時その時で面白いなと思っていたが、通読するとまた全然違う印象があった。主人公矢吹丈の凄まじい内面的な変化を描ききった点、そして脇役に至るまでが全く手を抜かずそれぞれ魅力的でかつリアリティを感じさせるんだ。中盤での最重要対戦キャラのカーロス・リベラ、当初は丈の相手役ではと思われた紀子、同じ丹下段平のジムで切磋琢磨するが弱さをみせるマンモス西、ライバルでいうと韓国の金竜飛はその過酷なエピソードが忘れられない。今から見ると20巻は大した長さじゃないかもしれないが並みの作品の50巻よりはるかに濃い内容なんだ。

その後、すでにコミックスが手許になくなっていたため、2000年頃に全20巻を中古本屋でまとめ買いし、それを子どもたちに読ませたところ、みんな夢中になって読んだだけでなく2回目、3回目と最初からまた読むのをみて「ああ、やはり『あしたのジョー』は繰り返しに耐えうる名作なんだ」と確信したのだった。そのことを2014年9月5日のこてる日記「あしたのジョーをチッチと語る」で書いたことがある→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2014/09/blog-post_5.html。その時にチッチが話題にした脇役が少年院での青山君だったというのがいかにもツウらしくていいね。ともかくも「あしたのジョー」はネタがばらされたくらいではびくともしないし、そして連載が終わって50年は経とうというのに内容も絵柄も古びていないのに驚く。全く違和感なく読めるし、何度で読んでも繰り返しに耐えうる作品なのだ。

書籍編集者の草野真一さんはこう言いきっている。

「あしたのジョー」は、マンガ作品の最高傑作のひとつである。これを知らない人生は不幸だと断言できる。だから読みなさい。しのごの言わずに読みなさい。女房を質に入れても読みなさい。質草にする女房がないなら親を入れなさい。仕事が忙しくて読む暇がないなら・・・そんな仕事やめちまえ! これは、そういう作品である。

「あしたのジョー」には、すべてがある。

闘いも、友情も、信頼も、正義も、貧困も、嘘も、悪事も、成長も、敵も、次代も、よろこびも、かなしみも、恋愛も。すべてが表現されている。おまえの人生なんかより、たくさんのことが描かれているんだよ。

「あしたのジョー」のことを語るといつまでも終わらない。今は亡き「梶原一騎」「ちばてつや」両者に深く敬意を表するとともに、この作品が今後も多くの人に読まれることを願うばかりだ。

2026年10月30日金曜日

今の時期の花や木

朝、自宅駐車場から枇杷の木を撮影した。今年は全然実がつかず例年の10分の1くらいしか採れなかった。しかーし↓を見よ。

ウォホッホー、実がいっぱい付いているわ。来年はきっとなり年(どし)だぞー。

実が成ると言えば、ヒトミンチョの火葬場に向かう時に民家の庭先に柿の実がいっぱい成っていたなぁ。

ところが、私の通勤路の姶良の用水路そばの柿の木には今年はほとんど実がついておらず去年とはえらい違いだ。いわゆる表年と裏年か。↓は去年の大豊作の姶良の柿の木。
そうそう、果物の木ではないが、姶良インターの出口付近に今「酔芙蓉(すいふよう)」の木があって、白からピンクに色を変える花が見頃だ。↓は朝通勤時に撮影したもので白い花が目立っているが夕方はピンクに色を変える。このように1日のうちに花色が変化する様子が、お酒に酔って顔が赤らんでいく姿に似ていることからそう名付けられた。
ネットには時間ごとに花の色を撮影したものが出ていた。

こてる家では今、食卓の上に菊の花を飾っている。トイレにも置いているのはネコたちがあまり邪魔できない場所だからだ↓。向こうの和室にはゲンちゃんがたたずんでいる。

菊といえば秋の花のほか、仏花や皇室のイメージだ。ヒトミンチョの初七日も明後日に控え、この白と黄色の菊の花がぴったりはまっているが気がする。菊は水につけておくだけで3週間ほども花が持つ。そして電照栽培で年中目にするようになり、戦後になり、急な葬式に準備できる花としてキクは重宝され利用されるなったそうだ。わりに最近のことなんだな。今ではすっかり仏花として定着してしまったが、気品があり清潔な様子が見ていていい感じである。しばらくはこの花を見て過ごそうか。

2026年10月29日木曜日

野球シーズンも終わり・・

こてる日記のアクセス数が夕方から夜中にかけてかなり伸びていた。これは「ヒトミンチョ、眠りにつく」のタイトルで彼女の動向を知りたがっていた人たち、特に彼女のネコブログ「にゃんこ最大幸福数」の読者たちがアクセスしたのではないかな。というのも匿名で「ブログが6月6日で更新されて無くて心配してました。入院してからの様子が聞けてありがとうございました。」との書き込みがあったからだ。ブログ中断は2011年の母親トシバーが亡くなった時に数日アップされなかった以来で、5ヶ月近くも更新されなかったため、読者はどうしたのだろう、体調は大丈夫だろうかとずっと気がかりだったはず。ともかくも私のブログでいきさつが分かり納得されたのだろう。

そうだ、ヒトミンチョのことでメジャーリーグネタを全く書いていなかった。ブルワーズがレイズに対して2連勝したことはこの前書いた。その後3連勝、そのまま対ドジャースのようにスイープするかと思ったが、レイズも意地を見せ、4戦目は延長12回を逆転サヨナラし1勝を返した。このまま奇跡の3連敗4連勝となるかだったが、今日の試合、全くもってブルワーズは強かったな。じりじりと得点を重ね6回までに4対0とし、残りイニングは強力ブルペン陣が相手得点を9回裏の1点のみに抑え、4勝1敗で悲願の初優勝を果たした。私は無論大谷のいるドジャースファンではあるが、今回のブルワーズの戦い方を見てこのチームのファンになったよ。おめでとう!

いや、強かった。打撃ではホームランこそ少ないがコツコツとボールを当て走塁もからめて得点しまくる。投げては先発、中継ぎ、抑えと投手陣が強力で、特に中継ぎはドジャースは明らかに上だった。日本のサムライジャパンが目指す野球がこれなんじゃないか。MVPはキャッチャーのコントレラスで、これはチョウリオ、プラットよりも若干打率は劣るが盗塁阻止やストライク、ボールのABSチャレンジなどで何度のチームの危機をを救うなど守備面での貢献が大きく、異論がない。そしてマーフィー監督、偉いねぇこの人は。元々ナ・リーグの最優秀監督賞を2024年、2025年と連続で受賞しており、今年も受賞すると思う。ドジャースのロバーツよりは上だよ。彼は日本野球を評価していて、ポストシーズン前は「将来は楽天の監督にでもなりたいね」とリップサービスをしていた(笑)。
日本シリーズもソフトバンクが4勝0敗で2年前の雪辱を果たしたし野球シーズンも終わりだ。またYouTubeや配信ドラマでも見て過ごすか・・そうか、高校野球の秋季地方大会がまだ残っているナ。九州大会は鹿児島城西がまだ勝ち残っていて今日ベスト4に入った。これは翌年のセンバツ出場がかなり有力になる。まだまだ野球ファンにとっては楽しみは続くワイ。

2026年10月28日水曜日

ヒトミンチョのお葬式

ヒトミンチョの葬式は昼の13時半からだったが私たちは早めに家を出た。 今日は快晴、開聞岳が裾野まで綺麗に見えていた。

11時にはみやび会館に着いて、日頃あまり会えない親族らと近況を話したりした。そう言えば喪主である姪のHKRがまだ式場に来ていなかった。実はヒトミンチョと二人で飼っていたネコの「そらん」が便が出ないとかで動物病院に連れて行っているそうだ。その後無事に排便させられたそうで何よりだった。そらんももう16歳半、ヒトミンチョが生きていたらそんなことも早めに対処出来ていただろうにね。↓は今年5月6日、私たちが長居したエピソードの時のヒトミンチョとそらん。
式前には昼食の精進料理も出て、気が付けば式の時間になりお坊さんの読経が始まった。それが終わって遺族代表は姪のHKRが挨拶をした。HKRと甥のDSKにとってヒトミンチョは母親が子どもの頃に亡くなってからずっとそばで支えてきた大切な家族で、それは今年始めに亡くなった父親以上だった。そのことを参列した客に伝えようとしてHKRはこみ上げるものがあったようだ。その気持ちは会場にいた弔問客にも伝染したようで、カールも真っ赤に目を腫らしていた。ああ、私も父デンコーの葬式で挨拶をした際、感謝の気持ちを言おうとして急に涙目になり声が詰まったなー。

2000年の5月17日から続けているこの「こてる日記」は毎日の出来事をアップしているが、数日間休載したことが数回あって、デンコーの亡くなった翌日からの3日間もそうだった。疲労と忙しさのせいで書くことが出来なかった。しかしいつか書こうとタイトルだけは残していたはず。

通夜 2007/05/04(金) (ただ今タイトルのみ。いずれ書くことになりそうです)

葬式 2007/05/05(土)

遺族 2007/05/06(日)

やっぱりタイトルのみだった。2007年5月5日の「葬式」のごく一部を今日書くことができたな。

ヒトミンチョが花に埋まれ生前の姿を見られるのはこれが最後で、式の後、頴娃町の火葬場「浄楽苑」へ向かった。
そこで待つこと約1時間、ヒトミンチョは姿を変え骨のみになった。皆で拾骨し骨壺に収まり、もうあっという間だ。また式場に戻り、飾られた花をもらい、遺族に挨拶をして家に戻った。ちょうどその頃、千葉のマーヤさんから孫たちの写真が「みてね」にアップされていた。
あはー、ココちゃん、サックン二人ともお風呂に入れられて気持ちよさそうだ。サックンの頭を支えているのはココちゃんか。ちょっぴりお姉ちゃんになっているー。

亡くなる人もいれば生まれてこれからの人もいる。人の営みは続いていくねぇ。

2026年10月27日火曜日

ヒトミンチョの通夜

夕方、仕事をやりくりし早めに病院を出てカールとヒトミンチョの通夜に向かった。それでも読経には間に合いそうもなかった。チッチは研修先の病院から早めに出て一人で南九州市の葬儀会場に向かい「すでに着いた」そうだ。まあ仕方ない、安全運転で行くべー。

ヒトミンチョは闘病していた時のつらい姿から一転化粧も施され棺の中で休んでいた。供花には歌手の「高田みづえ」からのものもあった。

二人は中学時代からの親友だった。同窓のネットワークですぐに訃報が高田みづえに伝わったそうだ。8月末にNHKの歌コンで高田みづえが特集されたのを「ヒトミンチョ、見た?」と尋ねたら、その時は大学病院入院中で「見た見たー、懐かしかったぁ」と言っていたナァ。

弔問客の中で私より上の親世代はたった一人、デンコーの妹のブンコ叔母だけだった。というより息子のタッピロ君が付き添っての弔問で、私が挨拶して「分かりますか」には「うーん、こてる」と正解してくれた。もう90歳、無理はしないで余生を過ごして欲しいネ。ブンコ叔母の娘で私の従妹ミランコとは久しぶりでこうした場でしか会えなくなっているな。↓ブンコ母に長女のミランコ、弟のタッピロ。
ミランコから「息子が奄美の診療所で働いていてそこで青雲会病院でこてる先生といっしょだったという男性看護師がいるそうですよ」と聞かされ、私の頭の中に名前は度忘れしたがきっと彼ではという候補が思い浮かんだ。ミランコも「私も名前を忘れた」そうで「そうそう、息子から写真が送られて来た」というので見てみると、案の定ネークチダ君だった。↓左端が息子のスラビア君で私は実は会ったことがないが一家のお顔をしていた。右端がネークチダ君で彼が青雲会を辞めて8年になるが見た目全く変わっていなかったわー。
通夜の後半はトシ登り兄と話し込んだ。以前から家、親戚などの人間関係やエピソードなどをよく知るトシ登りに今のうちにいろいろと聞いておきたいと思っていたからだ。特に親世代や従兄弟姉妹について顔は知っているけれどどのような親戚姻戚関係なのかよく分かっていない人たちもいる。今回いろいろと質問し「へーそうだったのか」など疑問氷解したり初めて知ったりのことがいくつもあった。↓友人らからは「知っちょいどん(物知りなヤツ)」と言われていたトシ登り兄。
カールは女性親戚らと話をしていたそうで、通夜は故人を偲ぶだけでなく日頃なかなか会えない親戚同士の絆を深める場でもあった。葬儀は明日午後で、いったん鹿児島へ帰宅し明日に備えることにした。

2026年10月26日月曜日

ヒトミンチョ、眠りにつく

ヒトミンチョから体調が悪いと電話があったのが今年6月3日だった。「頭では分かっているがそのものの名前が出てこない」と。その後、検査、紹介、入院、治療、転院ときて最後は青雲会病院でリハビリ療養していたが、今日の午後、家族の見守る中、息を引き取った。私より1歳下でまだまだ元気でいて欲しかった。

20年近く毎日続けていたブログ「にゃんこ最大幸福数」も今年6月6日でストップしたままだった。その最後は「おしらせです ここ数日ちょっと調子が悪くて、しばらくブログをおやすみします 戻ってくるまで待っててください~!」とあったが、結局戻ることはなかった。その最後の内容も自身ではうまく載せることが出来ず、姪っ子の助けを借りてアップロードしたものだったようだ。

先月24日、ドジャースタジアムでお土産に買ったぬいぐるみを渡した時、それが自身大好きなスヌーピーでドジャースのシャツを着たものだと分かると大喜びしていたなー。
私のLINEにもらった数時間後に「(こんなプレゼントを考えるのは)すごいです」「さすがですねぇ〜」と感謝の返信が来た。いや、実はカールが「ヒトミンチョはスヌーピーが好きだからこれがいいんじゃない」とアドバイスをくれたおかげなんだ。今思えば、こんなリアクションをしたり、メール返信をくれたのもこのあたりまでで、それ以降は難しくなっていった。↓の写真は1週間前の病室に置かれていたぬいぐるみ2つで、左のネコぬいぐるみは甥っ子の義母から「ひとみさんがネコ好きだから」と贈られたもので私の時と同じようなリアクションだったそうだ。
田舎に墓参りなどで帰ればヒトミンチョの所に寄って四方山話やネコの話をしてから帰るのがいつものことだった。今年は5月6日に寄って14時から17時半までなんと3時間半も過ごし「ちょっと長居し過ぎたかな」と思っていた。あれが最後の歓談になろうとは・・。その時の様子は「生まれ故郷で墓前報告」のタイトルで日記ネタにしていた→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2026/05/blog-post_6.html。読み返すと、お互いにヒトミンチョが旅立つ前とは知らずにこれまでの人生を語り合っていた。改めて、実妹ヒトミンチョの冥福を祈ります。

2026年10月25日日曜日

観戦プロ

プリウスの定期点検で鹿児島トヨタに行った。毎年この時期に受けているのでメジャーリーグのワールドシリーズなどとかち合う。2年前は車を預けた後、トヨタ店の86型の大型ビジョンでドジャース対ヤンキース戦を観戦していた。山本がソトにホームランを打たれたがドジャース打線が打ち返し逆転勝利を収めたとこてる日記に書いていた。もうみんな覚えていないよね。(2024年10月27日「世の中は良くなる?良くならない?」「https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/10/blog-post_27.html」)で、今日はブルワーズ対レイズの第2戦なんだが、2年前はTVで観戦出来たのに大谷はおろか日本人選手が出ないシリーズのせいかトヨタはチャンネルをつまならないバラエティー番組に合わせていた。

しゃーないなと持って来たM2 MacBook AirのSPOTVNOWで観戦をした。WiFiはiPhoneのテザリングでつないだ。レイズが1回表に4点を取って一気に試合をリードしたが、その裏にブルワーズは2点を取り返して「この試合、簡単には参らないゾ」と思わせた。そして「こりゃ、NLCS(ナショナルリーグの優勝決定戦)でのドジャースが大谷のホームランなどで4点先制した試合と似ているナ」とも。事実、ブルワーズはこの後1点ずつ詰めより、同点、そしてついには5対4とひっくり返してしまった。いやー、強いぞブルワーズ。結局そのまま勝って2勝0敗とシリーズをリードした。

この前の阪神祝勝会で私は「今度のワールドシリーズはブルワーズが(絶対)勝ちます」とみんなに宣言した。それはレギュラーシーズンとポストシーズンでの勝ち方を見ていてブルワーズの方が強いと分かるからだ。私は野球をしたことがないしプロでもないけれど、観戦はまあプロさ。メジャーの開幕からこれまで何らかの試合を見ない日はなかったし、見続けているとだいたいの力量は分かるものなんだ。だからドジャースはNLCSでのブルワーズ戦に勝てるかどうかが一番気になっていた。五分五分との見立てはおおよそ当たっていたが、チームのピークがドジャースよりブルワーズに来ていた。3連敗した時点でもうドジャースに逆転の目はなかった。

ワールドシリーズは接戦で2連勝をものにしたブルワーズでほぼ決定だろう。球団創設57年で初のワールドシリーズチャンピオンだ。おめでとう!ブルワーズ。(この日記を書いている10月27日時点ではまだ決まっていないが、観戦プロとしては間違いないから先走って書いておくぜー)

2026年10月24日土曜日

インコロって

今日は午前のみ外来勤務だった。で、病院に着くやいなや「先生、救急患者が搬入されています」だと。めまい、嘔吐で自宅から運ばれて来た高齢女性だった。そしてその後、よく外来に来る高齢男性が心窩部痛がすると言って救急車で運ばれて来た。今日私は救急ピッチ当番でもあった。

検査や画像診断の指示を出し、その間通常外来も診る。すると腹痛で来た中年男性の患者さん、CTで虫垂炎が悪化していそうな所見があった。3人も入院になるかぁ。そこでめまいの患者は脳外科のポンシンDrへ、虫垂炎患者は信号Drへ診てもらうよう依頼した。へへへ、ここはシェアしないとー。結局私は入院患者は1人のみでどうにか午前外来を乗り切ったと思った。すると昼12時を過ぎてから「先生、最後に発熱外来の患者さんをひとり診て欲しいです」と言われた。高齢女性で高熱があった。若手外来看護師が「インコロ調べておきますか」と聞いてくるので「うんやって、インコロ」とオウム返しに返事した。

インコロ?

私も初めて聞いた時は何じゃそれと思った。これはインフルエンザとコロナを合わせた略語(隠語とも言うべきか)だ。二つが同時感染した場合は「フルロナ」という言い方もあるそうだ。発熱で来院した患者さんはまずインフルエンザか新型コロナかを先に調べておきたい。だから診察に入る前にスタッフにその二つの感染症を調べる体制になっている。そして言葉を略して縮める日本人の癖が出てくる。青雲会病院の場合、それがインコロだ。

たいていどっちも陰性で実はただの風邪ですってなることが多いが、この患者さん、インフルエンザA型が出た。うわっ。しかもだよ。2日前にインフルエンザワクチンを接種したばかりだという。あらら、それは残念というか運が悪い。インフルエンザワクチンは効き目が出るのに少なくとも1週間、いや2週間くらい待たなくてはならない。2日程度ではまず効果は出ないんだ。罹るまいと思って受けたのに、恨めしやワクチン。こんなこともあるんだねぇ。インフルに効く薬を処方し「自宅で安静に」と指導し帰っていただきましたー。

2026年10月23日金曜日

10年前のドラフトの答え合わせ

昨日、日本プロ野球のドラフト会議が開かれ、各球団に何十人もの選手らが指名された。そこでマスコミ各社は「今年の採点評」としてどの球団がクジで有力選手を獲得出来たかそれにも増して良い補強が出来たかを100点満点であるいはABC評価でというふうに評していた。ここでそれらを紹介してもよいが、実のところあんまし意味ないかもしれない。

というのもつい最近のYouTubeで10年前2016年のドラフト直後の評価と10年後の評価というのをやっていて、その結果が驚くべきものだったからだ。結論から言おう。その年最低の評価を受けたのは阪神タイガースだった。とりわけ1位指名でほとんどの球団が即戦力投手を指名する中、2位でも取れると思われていた大山悠輔を1位指名し「ええーっ」という会場とそこでは聞かれない世間からの声が一斉に上がった。私はその時たまたまTV視聴していてその雰囲気を覚えている。「これは意外」というアナウンサーや解説者の声も記憶がある。しかし、だ。10年後のしっかりした選手評価数字ではなんと阪神が総合1位になっているのだ。どういうこと?

その年での最大の評価を受けていたのは創価大の田中正義投手でこれは球団競合の末ソフトバンクが交渉権を得た。その次に桜美林大の佐々木千隼投手、さらにその次に明治大の柳裕也投手でこの3人が大学生ビッグ3か。他に社会人の山岡泰輔投手、高校生では甲子園優勝の今井達也投手もいた。↓が1位指名とその後のクジ引きが終わった直後の一覧表だ。

なんと大学ナンバー2の評価の佐々木千隼投手がどこからも指名されていなかった。これは各球団の思惑が交錯した結果で、その2位指名では驚いたことに1位が外れた全5球団が佐々木千隼を指名したのだ。これはドラフト史上初の珍事だった。私も笑ったことを覚えている。結果はロッテが交渉権を得た。
最終的な1位指名の結果は↓である。
この中で私が印象に残っているのはオリックスの山岡泰輔投手だ。一度こてる日記で取り上げたことがある。2018年5月5日「代表チームの熱気は?」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2018/05/blog-post_13.html。ソフトバンク対オリックス戦でソフトバンクの打者がきりきり舞いで「こんな良い投手がー」と驚いたんだ。実は2年前のドラフトで名前は目にしてのにー。

ソフトバンクに入団した田中正義投手はなかなか芽が出ず、その後日本ハムにトレードされてから活躍し始めた。ロッテ入団の佐々木千隼はしばらくはダメで2021年にようやく活躍しオールスター選出などされるが2023年シーズン後にDeNAへトレードされ2026年の今季終了後に戦力外通告された。柳裕也投手は中日で毎年コンスタントに成績を残している。大学ビッグ3では一番の成績と言えよう。で、高校生で唯一1位で指名された今井達也はいわずもがな今年からメジャーリーグ移籍しヒューストンアストロズで投げている。

大批判を受けた阪神の大山悠輔、中心打者としてずっと活躍している。そればかりか阪神は3位指名の才木浩人投手が今やエースの一角、2位指名の小野泰己投手(彼も「こてる日記」に登場している。2017年6月11日のソフトバンクとの交流戦で投げいてYahooドームで観戦した。→2017年6月11日「交流戦ソフトバンク対阪神、いざヤフオクドームへ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2017/06/blog-post_11.html)、4位指名濵地真澄投手、5位指名のセカンド糸原健斗もいて10年後の総合評価は見事に逆転したのだ。
実はこの年、ナンバーワン選手はオリックスの4位指名に隠れていた。山本由伸投手である。ナンバー2は西武の源田壮亮と言っていいだろう。源田は西武の3位指名だ。いかに有力選手を指名するのが難しいかを示している。大山悠輔選手は当初の低いドラフト評価に結構ショックを受けたそうだがその後なにくそと頑張って今に至っている。ただ、2016年に指名のうち114人がプロ入りし、2026年の現時点で生き残っているのがメジャーの山本由伸、今井達也を含めてたった40人という事実は大変な世界だってことだ。これまでこの日記にも書いてきたが、プロになれるというだけでは行かない方がいい世界かもしれない。プロの上位で活躍出来るという実力がなければ、社会人野球に行きいずれ社会人として生きていく方がずっとマシだな。

各マスコミも評価してお終いではなくこのYouTubeでの評価のように1年後や2年後、さらに5年後、10年後の評価をして当初の評価がいかにおかしいものであったかを検証してほしいものだネ。この日記の元ネタを動画で見たい人は→「今から10年前、2016年のドラフトを答え合わせしよう!」https://www.youtube.com/watch?v=KLmTZYDlv6Eをどうぞ。

2026年10月22日木曜日

「𠮷岡」で祝勝(?)会

この前、阪神ファンのてげてげ先生とスチョル先生兄弟が「今度22日に阪神のセ・リーグ優勝の祝勝会を天文館の和食の店『𠮷岡』でするが来ないか」と連絡あり「行きまーす」と返事をしていた。その会には先生らの甥っ子である剣豪DrとスチョルDrの娘婿の鷹王さんも来るという。なかなかない会合で楽しみにしていた。

ただ、せっかくの「祝勝」会だったが、阪神がCSで横浜に4タテを喰らって日本シリーズに行けなくなったのが残念だ。店に着くと「今日は残念会になってしまったー」とてげてげ先生が苦笑しつつ歓迎してくれ「まずはビールで乾杯」と会が始まった。テーブルにはてげてげ先生が6スライドの配布資料をプリントしたものを置いてくれていて、中身は阪神優勝の胴上げシーンの次はCSの「天国から地獄に」、そして阪神が認知症に改善?という新聞記事の紹介、そして「こてる日記」からの抜粋もあった。

以前は阪神がセ・リーグ優勝して周囲に紅白饅頭プレゼントをやったりとてげてげ先生は「なぜかは分からないが子どもの頃からの阪神ファン」で、面白いのは兄弟3人のうち長兄のフクスジ先生は巨人ファンで下2人(てげてげ、スチョル)が阪神ファン、その長兄の三男の剣豪Drは阪神ファンと一家そろってどこどこのファンとはならないのが興味深い。ちなみに鷹王さんはロッテ、私はソフトバンクだが、ここ数年の私はドジャースが一番といっていい。

「𠮷岡」ではビールの後は日本酒で、鷹王さんがそれに詳しく「濃いめのものがいいか辛いのがいいか」などと尋ねて好みに応じてセレクトしてくれていた。
私も久しぶりに日本酒を飲んでみたが意外に飲めたなぁ。魚料理に肉料理、最後は錦江湾で獲れた鯛のしゃぶしゃぶ、それを雑炊にしたりとどれも美味しかった。↓上は錦江湾の鯛で下は北海道で獲れた真フグを揚げたもの。

鷹王さんは行政に詳しく、ふるさと納税の某業者の不正問題、鹿児島市議(すでに辞職)の市内の共同墓地の草刈りを市職員に依頼し公金が支出された問題などの内訳を教えてくれた。また何かをやろうとすると必ず反対する人たちがいるが「反対派がいるということはその問題は進展していると考える」というスタンスで首長は臨んでいるらしいと聞き、それは青雲会病院の可愛いんだ理事長も同じことを言っていると合点したことだった。
日本酒というと、この前の日曜日、姶良の七八(なっぱ)で見かけた「十四代」という銘柄をカールもチッチも知っていて、それを鷹王さんに話すと即座に「ああ、それは有名な山形の酒でどちらかといったら甘みのあるタイプで・・」とやはり詳しかった。今回、てげてげ&スチョル先生や鷹王さんのおかげで日本酒もなかなかいけるもんだと思った。今度カールやチッチを連れてこの店に来ようか。それで、代行で帰宅した後、今、千葉のセージの所に行っているカールに今夜のことを話すと「じゃー、いつにする」とさっそく行く気満々だったわ〜。

2026年10月21日水曜日

早帰りのはずが夜も更けて

今日の午後は土曜勤務との振り替わりで早帰りして半休のはず、だった。しかし定期の会議まで出席した後、昨日取れた歯の欠片の治療が出来ないか当院歯科口腔外科に相談したところ、15時過ぎからなら応急処置は可能とのことで、欠けた歯の一部を例えるならセメントで埋めてもらうことになった。

終わって支払いを済ませたのがもう16時前くらいで、この時点で早帰りはなくなった。そしてなにかと頼まれ仕事が相次ぎ、トマリンDrがどんどん入院患者を入れてきたこともあってとうとう夕方終業時まで仕事になった。夕方、他院から紹介された女性患者は「胆石かも」との触れ込みで私にお鉢が回ってきた。中年のふくよかな女性でいかにも胆石による胆嚢炎の患者だろうと見立てし、採血と腹部CTを指示したら、これが上行結腸憩室炎で腹膜炎まで起こしていて入院治療が必要なケースで、結局午後に3人もの入院患者を受け持つ羽目になった。そのうちの交通事故でムチ打ちで入院になった患者さんを今夜当直の外科カムイDrに「引き継いでもらえませんか」とお願いし了承してもらった。なんでもかんでも自分が受け持つとパンクするからねー。患者振り分けは院長のいつもの仕事だから、その辺りは私も上手になった(笑)。

それで今日はカールもいないので、夕食はラーメン食べたくなって姶良イオンの我流風(がるふ)に寄った。
ここがお気に入りというわけでなく、ただ病院から一番近いというだけ。たまにはもっと別の店のも食べてみたいんだが、ちょっと脚を伸ばしてまでラーメンにはこだわりがないというか・・。イオンにはちょっと上の階にも別のラーメン屋があるのだけどそのちょっとした距離でさえ面倒なの。ここでいいやってなる。だからどこぞの有名ラーメン店に1時間も並ぶなんてしたくない。だから今年8月15日にチッチやカールと1時間も並んだ「ラーメン「成(なる)しき」は例外中の例外。ま、一種のイベントだったね。

帰宅は夜の21時を過ぎ、どっと疲れ、シャワー後はむにゃむにゃ、グーグー・・だったわ〜。

2026年10月20日火曜日

危険食物持ち込み禁止

内視鏡室で検査を何件もやっていると昼前あたり何か甘いものが欲しくなる。そんな時、チョコや菓子、飴など一口頬張るものがあればうれしい。病院には休日の後など「旅行に行ってきました」とか「急に休んで済みませんでした」などとお菓子のパックがよく置かれてある。間食禁止を公言している私もつい一口ならと手が出てしまう。ただ毎日そんなに都合良くお菓子の類いがあるわけではない。

ところがこのところ内視鏡室には定期的にお菓子がある。それは非常勤のナラボーDrが自分用に購入する菓子類を「みなさんもどーぞ」と部屋の一角に置いてくれてあるからだ。コーヒーキャンディーやキャラメルが多い。ちょくちょくかすめ取っている私は最近「ブラックサンダーがあればいいんだが」と一銭も払っていないのに銘柄まで注文する始末だ。コーヒーキャンディーなんかには私はまったく食指が動かない。しかし今日はチョコはなく、ソフトキャンディーのハイチュウだったかぷっちょだったかな、それくらいしかなくて1個を取りパクッと食べたんよ。すると食べ終わる頃、何かしらガリッと硬いものが口の中に・・。

何だこれはと吐き出すと、それは歯の欠片(かけら)だった。うわ、きたねー。

舌で歯をなぞると左上の一部の歯が欠けている感じがする。最初、去年入れてもらったインプラントの歯の一部か?と思ったがどうやらその隣のようだ。
あーあ、また歯の治療が必要だよ。そうそう、キャラメルの類いは気を付けないといけないんだ。吸着力が強いからね。昔、カライモアメを口に入れて何度も銀歯が取れたのを思い出す。そうや、これはナラボー先生が悪い。こんな危険な食い物を内視鏡室に持って来やがってぇ〜。今度から持ち込み禁止やーーぁ(‾□‾;)。

2026年10月19日月曜日

スムーズな会話は会誌のおかげ

青雲会病院は鹿大眼科から20年来常勤ドクターを派遣してもらっていて、今年10月にナベダイDrから本望Drに交代となった。そのこともあって今日は寺﨑教授が当院訪問され、夕方から敷地内にある日本料理店「鎮座のまんま」で可愛いんだ理事長、カワゼンDrらと夕食をいっしょにすることになった。寺﨑先生は2018年から1年間青雲会病院に勤務されていたこともあり、今回が初対面ではなく、スムーズに会話が出来た。

会話がはずむうちに、私は眼科同門会誌のことを話題にした。2週間ほど前日記ネタにもなったあれである。2026年10月6日「某同期新人ドクターらの写真」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2026/10/blog-post_06.html私がえらく詳しく会誌の内容を語るので二人とも驚いていたナ。2月に眼科Drらとボウリングが出来たのも同門会誌がきっかけだったし、そうそう、アフリカに行って野生動物の写真を撮るのが趣味のドクターも会誌に出ていて「それは近隣クリニックの院長先生の息子Drでした」とも話し、「本当に眼科同門会誌は愛読しています。編集長におかげさまでとお伝えください」と頼んでおいた(⌒о⌒)。

そんなふうに話題を振りまいたのがよかったのか、後で可愛いんだ理事長に「場を盛り上げてくれてありがとう」と褒められた。いやいや、それもこれもたまたまボウリングをその会誌で取り上げてくれていたからで、それがなかったらそこまで読み込んではいなかった。何にせよ、あまり硬い話題ばかりでなく余暇やレジャーなどの話題を載せてくれるとこうした会合で盛り上がるものなんだ。

寺﨑教授は「青雲会病院での朝礼で各職員が好きなことやレジャーなどを語ってくれるのが良かった。あれをうちの教室でも各自にやってもらえればいいかも」と話してくれた。ふむふむ、私のとった行動がなにがしか眼科教室運営に役立ってくれたらうれしいね。

2026年10月18日日曜日

お見舞いが休日ランチに

近しい親戚が青雲会病院に入院していて、朝方、急変が伝えられたので、カール、チッチとそろって病院へ向かった。病室には鹿児島市内に済む甥っ子のDSK君が先に来ていた。そっか一番近いところに住んでいるからな。ただ患者は状態が持ちなおしていたので小1時間ほどたってから病院を出た。午前11時過ぎになっていて、どこかでお昼を摂ろうと、10号線沿いの蕎麦茶屋「吹上庵に」行くもすでに駐車場は満杯で、ならばと対面の回転寿司屋の「七八(なっぱ)」に入ることにした。ここも満席ではあるものの一組待てば次が私たちだった。

待ち時間にメニュー表を見ると値段の皿が妙に細かくて面白かった。160円だけが切りが良くて後は242円、297円、341円、374円・・・と全部一桁の表記なんだ。

回転寿司で回る台は残っているものの、寿司ネタは回っておらず「今は全部注文でお願いします」だった。頼む側からしたらすぐに新鮮なネタを握ってくれるゆえに、干からびた回転寿司ネタにはもう手が出ない。カールとチッチは白子も頼んでいた。私はマグロや光り物はあまり頼まずいつもの好みのやつを主に頼んだ。
ちょっと食い足らないくらいがちょうどいいと店を出た。玄関のお魚の一覧図表には枕崎市場で捕れる魚がいっぱい載っていた。それを見て「枕崎といえば『枕崎のさかなくん』がいるはずだよね」と調べるとやはりあった。
岩坪洸樹君でうちの子どもらの小中学時代の先輩に当たり、これまでマスコミにも何度も取り上げられている。こてる日記でも10年前に「枕崎のさかなくん」のタイトルでネタにしている→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2016/10/blog-post_23.html。魚が大好きで鹿大の水産学部を出てサラリーマンをしていたが、魚好きが高じ薩摩半島の南端、枕崎市の観光協会でアルバイトをしながら研究を続けた。日本で初確認の魚も発見し、「サクラアジ」と名付けて論文も発表、手掛けた図鑑は20冊を超える。岩坪さんは「まちを盛り上げたい」と、枕崎市から空き家を譲り受け自分で改装し、水族館カフェの開設を計画。彼の強い思いに動かされた周りの人たちの支えもあり、2年かけて完成したという。彼の弟と同級生だったチッチも「岩坪のお兄ちゃん、楽しそうでいいよね」と言っていた。ちなみにチッチの同級生の岩坪君はラ・サールから東大へ入っている。
コスモスやベーカリーハコスでちょいと買い物し、鹿児島に帰って明石屋へモンブランを食べに寄った。ここはコーヒーサービスもあるので食事の後に寄るにはちょうどいい。
これで結構お腹いっぱいになった。日曜のお見舞いが結局家族の休日ランチになってしまったね〜(⌒о⌒)。