今日はセージ家の長男サックンの初お宮参りだった。そのため、昨日カールが午前に、私が夕方に、チッチが夜に東京行き飛行機に乗って、船橋のセージ家へ向かった。そして今朝5時にはマーヤ家の両親と姪っ子のエーナちゃんが茨城からセージ家へと向かった。
午前7時にはみんないったんセージ家に集まり、先にセージとマーヤ、サックンらが船橋大神宮(意富比神社:おおひじんじゃ)に向かい、こてる家3人とマーヤママは8時半過ぎに神宮へ向かった。神宮に着くとセージらはすでに写真撮影を開始していた。実はお宮参りは午前10時からなのだが、カメラマンを雇って朝早くから神宮内で記念撮影をする目論見だったのだ。「みてね」にはこうした記念撮影のカメラマンを選ぶことが出来、中には結構な指命料を取るカメラマンもいるんだとか。マーヤさんが指名したのはtake soyaさんで親しみやすいおじさんカメラマンだった。朝早くに撮影をするのは、神宮には参拝客も普通に来るので互いに邪魔にならないようにという配慮だったようだ。↓は午前9時ちょうどくらいの撮影だが、この後は参拝客がちょくちょく来て迷惑にならないよう気を遣った。↓は全員での写真。これも参道内だったので早い時間でないと迷惑が掛かる。こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
2026年5月30日土曜日
サックン、初宮参り
2026年5月29日金曜日
ハートフルな所見
2026年5月28日木曜日
結論は1ヶ月、1週間、いや1日でも早く・・
夕方、そろそろ帰宅しようかと思っていたらLINEにしんどかどDrから画像が転送されてきていた。しんどかどDrは大学医学部バスケ部でもいっしょで卒業も同期、整形外科を開業しそろそろ30年、幅広く活躍しているドクターだ。それが送られてきた腹部CT画像を見て、おやと思った。
これは・・膵臓の中央部(体部という)にうっすらと腫瘍らしき所見があるではないか。色調が低吸収域でこれは癌か嚢胞かなどが疑われる。
聞けば症状も採血データも全く異常ないという。今回のCTも自分のクリックで健診のつもりで撮影したものとのことだ。この所見に気が付いてどうしたものかという相談で、直接電話が掛かってきた。私は「最悪、膵癌も考えて詳しい検査をしないといけない。MRIかCTでも造影剤を使って詳しく調べるか・・後回しにしないで早めに精査をしよう」とは言ったものの、膵癌だった場合青雲会病院では治療は出来ず、さらに高次病院へ紹介になる。できれば最初からより詳しい検査ができる医療機関がいいかもとアドバイスした。しかし、膵癌でなければいいがな・・。今日はちょっと早めに帰る予定であったが、その前にもしやと思って彼の電子カルテを立ち上げてみた。すると、5年前に採血やCT、内視鏡など調べていて腹部CTも撮っていた。比較出来るかもと画像を見てみると・・。
あれ、5年前には気が付かなかったが、膵臓に今回と同様の低吸収域があるではないか。しかも、形、大きさともにほとんど変わっていない。ほう・・。
これを見て、私は大いに安心した。幸いにも5年間の経過が追えているのだ。しかも変化がないってことは癌の可能性は極めて少ない。いや、ほぼ否定できる。で、さっそく電話をこちらから掛けた。「いい情報だ」と前置きし、以上の説明をした。すると、すでに彼はプーさん病院の消化器内科のニューゲンDrにも相談していた。やはり「膵の嚢胞らしいが・・」ということで検査をする話も進んでいたようだ。その後、またしんどかどDrから電話が掛かって来て、「MRIを撮る予約をプーさん病院でしてもらったが、通常は1ヶ月待ち、それをどうにか早くしてもらっても2週間近くかかる」んだという。それを聞いて、「うちなら早ければ明日出来るかも。午前中には終わるしどうする?」とお勧めすると、「そうしよう」と言ってくれた。青雲会病院でも無論MRIは予約が必要だが、こんな場合枠が空いていればその日のうちにも出来る。もしかしたら癌かもという気持ちで1週間も1ヶ月もは過ごしたくはないだろう。検査して結論が出るなら1日でも早いほうがいい。私も明日は午前中は外来だが、午後は年休を取っている。5年前との比較があるから、私の頭の中では膵嚢胞との想定があり、それをMRI(MRCP)で午前中に確定させるだけ。1時間前の私の不安も高速を運転する頃は大いに和らいでいたのだった。
2026年5月27日水曜日
まずは傾聴
外来中に五月鍋Nsから相談を受けた。私の患者ではなくタクミDrが担当した膵臓癌末期の高齢男性の件だった。タクミDrは本日は定期の休みであった。
ああ、確かタクミDrに最初画像を見せられて「あ、これは膵臓癌から肝臓へ多発転移を起こしている」と指摘したんだった。その後大学病院に紹介されたものの、積極的な治療は出来ないと言われ、息子や娘のいる兵庫県の大学病院への紹介状を受け取った。そこで今日、娘が尼崎からやって来たが、「父親は食欲不振と倦怠感で急激に衰えている。兵庫の大学病院の受診日は6月10日だ。それまでこの状態のままで何もして上げられないのか」と病院に電話があり、五月鍋Ns曰く「何か見放されたような扱いをされているみたいだと娘さん結構不満気でした」とのことだった。
カルテの流れを見ると、最初、近医から紹介を受け、当院で採血、画像診断をし膵癌末期と診断し、その治療を鹿大病院に紹介依頼していた。これは普通の流れだ。で、鹿大は積極的治療はすでに難しく緩和療法すら提案したが、息子氏が自分らの住む近くでどうにか治療出来ないかと依頼したため、負担の少ない化学療法(抗がん剤治療)を検討してもらいましょうと提案され、当院が兵庫の大学病院へ連絡し紹介状を書いていた。なお、鹿大からは鎮痛剤などが処方されていた。
ふむー。特にどこの医療機関も不手際があるというわけではない。しかし、当院が紹介状を書いてから次の兵庫での受診日まで3週間ほどのブランクが生じていた。そこで私が電話に出て娘氏から聞くと、最初の頃は「特に症状もひどくなく」だったそうだが、今は急激な衰えがみられていて「今度の31日の日曜に兵庫まで連れて行く予定だが、6月10日の受診まで何の治療も受けられないのは座視出来ない」と。確かに家族からしたらそうだろう。鹿児島で治療を受けるのなら当院に入院も考えられるが、大学からは余命数ヶ月と言われ少しでも自分らの近くで看てあげたい。このケース、兵庫の大学病院への紹介状が足かせになっている。そこで私は「大学病院の受診は抗がん剤の治療方針を決めてもらうだけであって、今の(あなたの)父親の症状を和らげる治療には別の病院が必要のようだ。現在の病状を情報提供書として私が書くからそれを持ってあなたの住むところの近隣の病院(消化器内科か消化器外科)に行きなさい。今日中には書くが少し時間が欲しい。そうだ昼の14時以降に取りに来て欲しい」と伝えた。
私は外来診察中でもあったので情報提供書を医師事務作業補助者に書いてもらうつもりだった。しかしすでに3つの医療機関を受診し県外の4つめの病院に紹介中でありながら別の4つめの医療機関にも診てもらうというやや複雑な事情をまとめ上げて書くには医師事務作業補助者にも負担が大きい。そこで午前の外来が終わってすぐに自分で書き始めた。その紹介状を受け取った医療機関のDrに無理なく受けてもらえるようにだ。
午後は13時半から医療安全の会議があった。いつもは30分程度で終わるはずが意外に長引き1時間も掛かってしまった。やれやれと思って休憩していると、15時ごろ、その娘氏が来院している(患者本人が来ない代理受診でOKと私が承諾した)とのことで、直接説明し、情報提供署も内容を読ませ(コピーも上げた)さらに現在の状態に合わせ内服も追加した。
思えば、私はこの患者さんに最初から関わってはいたが、一度も本人とは会っていない。担当医はタクミDrだし、明日が彼の外来担当日だから「明日来てー」で済ませても良かった。しかしそうはせず受けることにした。つい一月前までは何事もなかった親の急な変調に対し、県外からやって来て医療機関のこともよく分からぬまま路頭に迷っているらしい家族の負担の重さと、次の受診日までのブランクの間をどうしていか分からず、放置されたと感じ、それが怒りに転化しそうだとスタッフが危惧し私に相談にやって来た。これは時を待たず対応すべきだ。
夕方、五月鍋Nsが私に言ってきた。「こてる先生、あの娘さんえらく先生に感謝していましたよー。先生に診てもらって良かった」と。ほう、それはそれは。ちゃんと情報提供書も書いたし直接アドバイスもしたしな。「いや、最初の電話での応対の時からです」と五月鍋Ns。電話に出て、事情を聞きつつ、カルテを眺め、現在困っている家族になんとかして上げたいとしゃべていたあの時かー。
やはり、患者やその家族が困って電話をして来た時は、何よりまずは傾聴することだ。聴けば医療に多少なりとも詳しい私たちはなにがしかアドバイスが出来る。そこが一番大事だったんだ。
2026年5月26日火曜日
阿部慎之助、暴力、逮捕、釈放、辞任
「(・・・最初省略)暴力に関しましては、殴る・蹴るなどといった事実はございませんでした。報道では“殴られた”などとありますが、私の過度な状況説明によって報道内容が事実と異なってしまったことについては明確にお伝えさせていただければと思っております。
父とのこのような大がかりなけんかというのは初めてのことであり、「chatGPT」に相談した結果“匿名で相談できる児童相談所というものがありますよ”という形での説明書きがなされ、それでお電話をさせていただきました。
“どのようにすればいいかわからない”といったことを児童相談所の職員に相談させていただいたにも関わらず、“どうしたらいいか”といった私自身の意向は聞かれることはなく、警察に通報されるといった形になってしまいました。
警察が来て一番驚いているのは自分自身ですし、父が警察に連行された姿を見て、目前で私は泣き崩れてしまいました。(後省略・・)」
2026年5月25日月曜日
毎日録画している番組だから
一昨日ネット注文した8T容量の外付けハードディスクが届いていた。
「Joshin」から届いていて、この販売店、阪神のヘルメットとかにその名がよくプリントされている会社だ。ローマ字からは旧満州の「女真」族や「女神」を連想してしまうが、元は「上新電機」という家電量販店で読みは「ジョーシン」が正しい。2、30年ほど前から店舗を随時Joshinブランドへ改装し、今年4月に屋号を株式会社Joshinに正式に変更したそうだ。で、早速タイムシフトの設定をすると簡単にでき、トラブルなく録画が開始された。やはりハードディスクの不調が原因だったのだ。ともかくもタイムシフトはTV視聴には欠かせない機能でこれでほっとした。
通常録画のハードディスクの方はずっと調子が良く、毎日ドジャースの試合とワースポ&MLBが録画され、後は私の好きなドキュメンタリー番組や映画、ドラマなどが録画予約されている。それと鹿児島ローカルのMBC「あの日のふるさと」も数分間の番組だが毎回録画が欠かせない。そちらはタイムシフトでも見られるけれど、たまに残しておきたい内容もあるので通常録画して見ている(タイムシフトでは全録された番組は1週間以上経過すると自然消去されていくため)。
その録画での今日のドジャース対ブルワーズ戦、山本由伸が投げて5対1で勝利した。いつも山本が投げる時は打線が振るわないことが多かったが、今日は5回に一挙4点を奪い山本を楽にしてくれていた。ブルワーズって地味なチームだけど強いのよねえ。昨年なんかドジャースが弱い時期に当たったこともあってか対ドジャース6戦全勝だった。しかしー。みなさんご存じの通り、ポストシーズンでのナ・リーグ優勝決定戦(NLCS)ではドジャースが逆に4戦全勝しワールドシリーズへ進出した。そこだよ。大事なのはポストシーズン。そうそう、あの弱いエンゼルスだって去年はドジャースに6勝0敗だったのよ。エンゼルスってもう10年以上ポストシーズンに進出すら出来ないチームなのにねー。2026年5月24日日曜日
あの伝説のグループもこの吹き抜けを
さてさて、3月29日に日記ネタにした天文館のレクストンホテルでの昼食に今日カールと二人で行くことにした。前回はチッチも交えて3人だったが、レストランが予約なしではダメだったのと、立体駐車場前での「カスハラな若者」のせいでそこを出て行かざるをえなかった。結局その日は鹿児島中央駅近くの天丼の店「一心」で食事をしたのだった。
今日は駐車場も特にトラブルはなくスムーズに入れ、店も予約なしでもしばらく待てば大丈夫だった。あの日はたまたまだったのかなぁ。で、しばし待機している間、上を覗くとずっと吹き抜けになっていて最上階から明かりが採れるようになっていた。あれ?これは見たことがある景色だ。↓これ。
もしあなたがビートルズおたくなら、きっと彼らのファーストアルバム「プリーズプリーズミー」か赤盤・青盤のレコードジャケット写真を思い出すことだろう。若き日のビートルズの面々は第2弾シングル「プリーズプリーズミー」の大ヒットで急遽アルバムを作ることになり、タイトルも同じ「プリーズプリーズミー」で自作曲8曲、カバー曲6曲をたった1日でレコーディングし、1963年、発売にこぎ着けた。その時のレコード会社のEMIハウスで撮影されたのが↑のアルバム写真だ。後1969年に結局発売されなかった幻のアルバム「ゲットバック」のジャケット写真のために、同じ場所、同じポーズで撮影まではされたが、おじゃんになった。しかし解散後のベストアルバム発売時に後期ヒット曲の2枚組のいわゆる「青盤」のジャケットに使われ、日の目を見たのである。
もし私が音楽をやっていてビートルズのコピーバンドでもやっていたら、このホテルのこの場所で同じポーズを取ったら面白いかもと空想しちまったよ。レストランでの食事はちょうど1500円で定食があり、私が「手ごねハンバーグランチ」、カールが「ビーフステーキランチ」を頼んだ。3千円分のクーポン券ぴったしだった。
そこそこに美味しく(タダなんでなおさら)、腹持ちもよく、十分に満足して早めに帰宅することが出来た。このタダ券はお節料理とそのアンケートハガキに答えるともらえた。カール曰く「来年もこの券で来よっと!」うん、だよねー。2026年5月23日土曜日
A stitch in time saves nine.もしくはAfter death, the doctor.
今月二度目の土曜外来担当だった。わりに患者が少なく、それぞれじっくり診察が出来たのはよかった。印象に残っているのは70歳代の男性患者で、問診表には「腹部、腰背部の痛み」とあった。ふむ、これだけではいろいろあり過ぎて何の病気かなど予想はつかない。まずは診察室に入ってもらわねばー。
でも、この患者さん、痛みの場所を見せる<視診>だけですぐに診断は付いた。痛みも3日ほど前からあったのだが、付き添いの奥さんが「(主人は)なかなか病院に行きたがらなくて・・」とのことだった。↓に画像をアップしよう。
「帯状疱疹」である。ただ若干典型的でないのは、すでに水疱がつぶれて、いや本人がつぶしてしまってひっかき傷も多数あったことだ。「ピリピリした痛みがあって、最初はそんなに痛くはなかった」と男性はおっしゃる。腹部側の方がより分かりやすいかな。すぐに抗ウイルス薬を1週間処方したが、後遺症で痛みが残ったり、瘢痕が残ったりするとやっかいだ。身内のケースでは沖縄のヨーコバーバが帯状疱疹後遺症を起こし、それを見たカールが「ああなったらイヤだ」とワクチン接種を積極的に受けるきっかけになった。その患者さんの奥さんは「(夫は)ワクチンも受けようとはしてなくて」困ったものだという表情だったが、受診すらしたがらない人が予防接種などに来るわけがないよな。病院に行きたがらない人は結局ひどくなってから来て、治療も面倒になることが多い。帯状疱疹は命に関わることはまずないが、病院を避け続けていたら実は癌だったなんてことになったらそれこそ命取りだ。英語のことわざに↓のようなものがある。時を得た一針は九針を省く。(今日の一針、明日の九針)適時に1回縫うことで、将来的に9回縫う手間が省ける、つまりは「小さな問題も、早いうちに対処すれば大きな手間が省ける」「転ばぬ先の杖」という意味。
After death, the doctor.
死んだ後の医者。(死人に薬。後の祭り)つまりは、事態がすでに終わったり手遅れになったりしてから、解決策や助けを出しても役に立たないこと
2026年5月22日金曜日
REGZAタイムシフトマシンの不調を正す
ここ最近、REGZA(75Z870N)のタイムシフト機能で録画がされていないことが多々あり原因を調べてみた。↓がタイムシフトで過去番組を表示する画面で、夕方や夜23時台の番組が黒色になっていて録画失敗しているのが分かる。
何か設定を誤っているのかと調べたりしても特におかしい点はなく、結局、タイムシフト用のハードディスクがへたってしまっているとしか考えられなかった。8テラもの大きな容量のハードディスクでこのREGZAを購入した1年半前と同時にネット注文したものだ。故障するのが少し早いが、ほぼ24時間毎日録画させているので負担が大きかったか。カールは「いつも夜に『徹子の部屋』を見るんだけどこの前は見られなかった」とか「今夜の『チコちゃんに叱られる』も時間遅れで見ているけれど途中で画面が止まってしまう」など、日頃の私たちのTVライフはこのタイムシフトマシンのお世話になっているのを実感する。それでハードディスクをまた新規購入することにした。
Amazonで調べると、8Tの録画用ハードディスクはいくつも出品されていて、特にバッファロー社のHD-AD8U3という機種はベストセラー1位とかで31480円と少し高いが「過去1ヶ月に500点以上購入されました」とあった。ふむ、この機種でもいいが、他のメーカーのはどうかと調べると、エレコム社ので全く同じ値段のものもあった。他にアイ・オー・データ社などもあり、調べていくとバッファロー社の中でもたくさんの機種があり、どれがいいのか迷路にハマってしまった。某社の製品は中国製だったりし、そこは国内産に絞ってみたり、さらにはAmazonではなく楽天で調べると別の機種でもっと安いのがあったり、最初にAmazonにあったHD-AD8U3という機種はAmazonで特に売れているのがいいが、発表年が他の機種は2022年以降のものが多いのにそれは2019年と意外に古いのが気になったりと・・。2026年5月21日木曜日
内視鏡医、うまくこき使われる
木曜日、私は内視鏡担当で、病棟回診が終わった9時半ごろから内視鏡室で人間ドック利用者の胃カメラを淡々とこなす。内視鏡担当Drは他にダヒロDrと非常勤のエイエイコーDrがいるが、ダヒロDrは私の後に病棟回診が組まれていて少し遅れてやってくる。エイエイコーDrは人間ドックの診察業務が10時ごろまであるため、だいたい最初の30分は私一人で内視鏡をしている。
今日もそうで、2台の検査台を交互にして一人が終わればすぐに次の人とテキパキと仕事をしていた。ちょうどドジャース対パドレス戦で大谷が先頭打者ホームランをかっ飛ばし、投打二刀流でピッチングでも0点に抑え好調な試合ぶりなのをネットで確認し、私も気分良く検査を進めていった。
10時ごろにダヒロ、エイエイコー両Drも来て、「これから少しゆったりペースになるな」と、私は内心思っていた。しかし、相変わらず検査が終わればすぐに次の検査に呼ばれる。そのサイクルは11時半ぐらいまでほとんど変わらなかった。この時点で20名ほど内視鏡検査は終わっていたが、どう考えてもそのうちの10名以上を私がしていた。うん?3人で回しているのに私が10名以上とは多過ぎやしないか。
で、午前の検査が一段落した頃、五月鍋、服緑両ナースに「なんか、オレだけ検査数がやたら多くないか」と尋ねてみた。すると五月鍋Ns「先生がいると検査がスムーズに進みます」服緑Ns「先生が来る時は検査台を3台ではなくて2台にしてもうまく検査をこなせて助かっているんです」と、確信犯だった。くーっ。これが非常勤のDr3人で回している水曜日などできるだけ平等になるように気を遣っているんだそうだ。いや、だいたい私には多く検査をあてがっているのは気が付いていたが、今日は特にあからさまに増やしていた気がする。
それで人間ドック受診者検索をして胃カメラ検査数を調べてみた。すると、私が14件、ダヒロDr4件、エイエイコーDr5件と、実感したとおり、圧倒的に私が検査数をこなして(こなされて)いた。おいこら、ちょっとひどいじゃないか。しかし、にこにこして「センセイのおかげで」とか「本当に助かっています」などと感謝してくるのであまりプンプンすることもできない。うーむ、どうもうまいこと使われている感があるなぁ。
私も今年は67歳になる。70歳も近いぜよ。この調子だと3年後の70歳になっても私は「古稀」使われていそうだ・・がっ!(‾□‾;)。2026年5月20日水曜日
子育て時代終了
夕方、いつものように「帰るコール」をすると、カールが「今日はチッチが来るから」とだけ伝えてきた。ほう。となると駐車場が縦列になるのでチッチの赤ゴルフが来る前に私のプリウスを入れておかねばー。急いで帰宅して駐車場に車を入れ終わった頃、ドンピシャでチッチの車が来た。一瞬、私の車を待っていたのかと思ったが、たまたまぴったりのタイミングだったようだ。
おや、今日の夕食はステーキか。その後、チッチが「はい、これ」と封筒をカールに渡し、カールが満面の笑みを浮かべ「ありがとう」と返事をしたのを見て、ようやく私は気が付いた。チッチの初給料日だったのだ。「これまでお世話になりました」ってことやね。
ああ、私も初給料の時は親に何かを渡したような気がするが、それが何だったか全く覚えていない。ともかくも今日はお祝いということでちょっぴり豪華な食事だった。昨今の個人情報の尊重から給料が全部でいくらだったのかなどチッチに尋ねてはおらず、使い道や貯金なども全く知らない。ただ、チッチはカールに似て、無駄遣いをしないタイプだし、今回の給料もいくらかは計画的に使うはずで貯金にも回すだろう。そのあたり、大学時代のお金の使い方を見知っているので心配はしていない。
テルが生まれてから男の子3人を育て丸35年。今日でようやく子育て時代が一区切りした。だいたい人生を大きく区切ると、結婚まで約30年、子育てが終わるまで約30年、さあ残り30年は何をして過ごそうか。カールもこれをしなくちゃ、あれもやってみたいといろいろ言っていた。私もとにかくやりたいことがいっぱいある気がする。やりたいことがあり過ぎて手に余るって感じだ。せっかく生まれたからには人生はいっぱい楽しまなくちゃナー。
2026年5月19日火曜日
ふり返れば”くまモン”
すると、内視鏡室主任の茶の里Nsが「先生、その煎餅、テイクアウトして食べちゃいけないんですかね」と言ってきた。うん?何が言いたい。すると「イートイン(eat-in、絲印)ですから〜」だって。おいこら、こてる先生のお株を奪うんじゃない(笑)。
2026年5月18日月曜日
タヌキか?いや新顔ネコだ
今日は月曜、アラカンの二人は朝早く目が覚める。ましてや午前5時からドジャース対エンゼルスの試合があったしー。佐々木朗希頑張れ!すると6時45分頃だったと思う。カールが「あ、新顔のネコだ!」と庭を指さした。「え、ホント?」と私も見るが、ぱっと見、タヌキみたいだった。すぐにデジカメを手に取ってシャッターを押した。
あら、隣家のキタローにも似ているが・・。すると顔を上げた。あ、キタローじゃない。ふうむ、どこのネコかは分からない。ちょっと可愛い顔をしているね。首輪をしているのかすら確認出来なかった。というのも、この写真の直後、庭にウンコしそうな構えを見せたので、カールが「ウンコはダメ!」と窓を開けて警告したら、すぐに逃げていきよった。あーら、もうちょっと観察したかったがな。庭の手入れをする側からすれば「ウンコなんてとんでも」なんだ。野良ネコを嫌う人は確かにそこがイヤだ。はて、このネコ、またやってくるだろうか。エサもらいに来れば大したもの。多くはビビって来なくなる。隣家のキタローとハッピーちゃんは別として、いまだに来るのはクロちゃんくらいだ。例外はハナビで、初めて姿を現した3年前の4月から9月まで、エサもらいに来るどころか、うちの庭にずっと居座わり続けた。結局、こちらが折れて飼うことに決めたんだ。ずうずうしくて好奇心旺盛なキャラはお得だってー、ねえ、ハナビちゃん。↓は私が初めてハナビを見た瞬間の写真。2023年4月9日の17時57分だ。おそらくは兄弟ネコと思われるクロちゃんが連れてきた。
さすがにこの時のハナビはまだ警戒心があったようで、ロッジの端で構えていて、窓際のエサ入れ皿のところにすぐには来なかった。上の写真から10分後にやっと近づいてエサを食べ始めたのだった。↓はゲンちゃんとの初対面の様子。今思えば最初からハナビは他のネコとは違っていた。食べたらすぐにいなくなるネコが多い中、ハナビは50分以上も窓際のロッジで過ごしていたんだ。最初っからこの家が気に入ったんだろうな。その意味で、今日紹介した茶色の長毛種のネコはうちで飼われることはまずないだろう。ま、無事に過ごしていてくれればそれでいいね。2026年5月17日日曜日
可愛きものよ
こてる家の今年の枇杷の出来はこの10年で2番目に悪かった。1個1個は美味しいのだけれど、いかんせん数が全く採れず、多い年の10分1以下くらい。まあ、去年、枝の伐採を結構したからな。昨日の午後にてっぺんに残っていたわずかの枇杷を脚立に乗って採りきった。
2026年5月16日土曜日
「花とゆめ展 創刊50周年記念」と「花とゆめ 昭和51年新年号」
最近、南日本新聞の広告欄にでかでかと出ているのが「花とゆめ展 創刊50周年記念in鹿児島」の開催案内だ。5月15日から長島美術館で開かれているそうな。「花とゆめ創刊50周年記念展」は2年前から始まり巡回されてようやく鹿児島に来たということらしい。
「花とゆめ」といえば月2回発行の少女漫画誌だ。現在、創刊52年経っていて、有名な少女マンガがいくつもあるということだが、実は私は「花とゆめ」の1976年(昭和51年) 新年第1号誌を所蔵しているんだ。たまたまではない、古本屋にあったのをわざわざ購入したんだ。なぜか?それはその号にあの「ガラスの仮面」の第1話が掲載されていたからである。「ガラスの仮面」は少女マンガで唯一私が何度も読みふけったマンガで、こてる日記にも何度か取り上げたことがある。実際、少女の枠を越えて男性(少年だけでなく中年、老年にも人気がある)にも人気のマンガなのだ。コミックスもほとんどを持っているが、この20年なかなか新刊が発行されず、そもそも休載が続き、いつになったら完結するのかが今や一番の関心事になっているマンガでもある。この1976年新年号は「巨弾2大新連載!!」と銘打って「ガラスの仮面」と「スケバン刑事(デカ)」の連載が始まった号でもありなかなかのものだ。上の新聞広告を注意して見れば分かるが、「出展作家一覧」のところ、数ある作家の中で「ガラスの仮面」の美内すずえと「スケバン刑事」の和田慎二が1番目と2番目に載っており、この2作が「花とゆめ」にとって大事な作品だったと知れるのだ。どちらも後にTVドラマ化され、「ガラスの仮面」は安達祐実が「スケバン刑事」は南野陽子が主役を張り有名になった。この2作には当時から力を入れていて、冒頭はカラーページになっている。
初回ということで割り当てられたページ数も50P、60Pとかなりの分量だ。ま、それはともかく時代を感じるのが別のカラーページになんとあのキャンディーズが出ていたことだ。「今年もヤルゾ!!キャンディーズ」「新曲 ハートのエースがでてこない 50名にレコードプレゼント」とのキャンペーン文句がある。「ハートのエースがでてこない」はこの時期のシングルだったのか。それにこの頃はやはりレコードの時代でいまやCDの時代ですらなくなっているのにねぇ。ランちゃんがセンターにいるから「年下の男の子」より後というのも分かる。今の若者には何のこっちゃだろうけどね。この「花とゆめ」は私の机の前のブックスタンドに医師会名簿や他の本の合間に置かれている(実際読むことはなくほぼ飾りなんだが・・)。その「花とゆめ展」には昔懐かしいマンガの原画などが展示されているそうだが、ただ、2千円も払っては見に行こうとは思わない。この雑誌はちょうど50年前ということで他のページを見ても「文通しませんか」と名前と住所が堂々と掲載されたりもしていた。今では絶対に考えられない。ともかくも一冊のマンガ雑誌から50年という時代の変化を感じることが出来、この号はずっと手許に置きたいのだった。








