いつもよりやや遅く18時40分過ぎに病院を出た。春分の日も過ぎてまだ明るい。普通に高速に乗って19時過ぎには帰宅出来るはずだったが・・。
鹿児島北インターの料金所を出て10mくらいのところで急に渋滞になり、車の動きがピタッと止まってしまった。ううむ、事故でもあったのか。まあしばらく待てば動き出すだろうと思ってTVモニターでチャンネルをMBCに変えた。ちょうど「あの日のふるさと」が放送される時間帯だったからだ。テーマは「鹿大の合格発表」だった。最初は1991年3月20日の映像で「ふーん」と見ていた。が、その次1978年4月3日の映像には思わず「うわっ!」となった。↓の画像にもあるようにその年は国立大学二期校として最後の合格発表だった。次年度から共通一次テストが始まり戦後の大学入試が大きく転換する直前の年で、今では一期校、二期校という概念を若い人に説明するのにちょっと面倒するくらい。
そえはいいとして、なぜ私がこの映像に釘付けになったかというと、自分が鹿大医学部に合格した年で、まさに上の写真のその場所、桜丘への移転2年目くらいの医学部の整備中の中庭に、父デンコーと発表の瞬間を待っていたからだ。そして↓の合格者番号の書かれた大きなパネル板を学部職員らが提示する瞬間は、発表の時の私の記憶とまさしく合致する。もしかして48年前の自分やデンコーが映っていやしないかとさらに目をこらした。しかし、この映像は歯学部の発表の瞬間だった。1978年は歯学部1期生受け入れの年だったのだ。久しぶりの国立歯学部新設ということで定員80名に対し800名以上もの受験者が殺到したそうだ。↓の合格者の3人はその後大学でなんか見たことがあるような・・。上の写真を見て、注目されていた合格発表の場にしては発表待ちの人たちがまばらな気がしないかな。実は発表時間が最初午後4時とか言われてたんだ。しかし午後2時だという情報もあり、私の学校の先生たちは午後4時だろうと情報収集に動いていなかった。しかしデンコーが「2時かもしれんから見に行こう」と、私を連れ桜丘まで行って待っていたのだ。合格者のパネルの中に自分の受験番号「919」番を見つけた時は「あった!」と思わず父親に抱きついたのを覚えている。そんなことをするなんてその時の一度切りしかない。当然、デンコーも喜び、というよりは興奮して右のズボンのポケットに手を入れ何かを取りだそうとして上手くいかない様子だった。ジャリジャリと音がして何かと思ったら手に10円玉をいっぱい握り占めていた。家や親戚に合格の一報を知らせるために準備していたのだった。喜び合っている私たちにどこかのTV局カメラマンが寄ってきてインタビューをしに来た。たぶんKTSだったかな。「誰に喜びを伝えたいですか」には少し考え「母です」と答えたのを覚えている(実際、あこネーサ母に私が直接伝えると「およ〜」とうれし泣きしていた)。そのニュース映像は夕方のローカルニュースで流れたと誰からか聞いたが、当時はまだビデオもそんなに普及しておらず一度も目にしたことはなかった。だから歯学部合格の発表瞬間とはいえほぼ同様の瞬間の映像を見ることが出来て嬉しくも感激した。
車はピクリとも動かない時間が長かった。TV画面を止めて、スマホをテザリングしてYouTubeの映像をあちこち見て時間をつぶした。ようやく少し動き出したのが20時20分。少しずつ前進して、事故が起きた坂道を通りすぎたのが20時43分だった。ワゴン車がひっくり返っていたわ。
帰宅出来たのは20時50分となんといつもは20分で済むのに2時間以上も掛かってしまっていた。ただ、48年前の感激の瞬間を見ることが出来たのは事故のおかげと言えなくもない。こうしてこてる日記ネタにもなったしー。ふふ、ここまで書いて、謎かけが浮かんだ。
「歯学部合格発表者と掛けてなんと解く」
「交通事故に遭ってひっくり返った車と解きます」
「その心は?」
「どちらも歯医者(廃車)になるでしょう」(⌒о⌒)。


















