こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
2026年2月28日土曜日
マッキーは「眞一郎」か、「真一郎」か
2026年2月27日金曜日
チッチがイタリアに行ってきたと
本来は今夜は防火ボウリングのはずだった。それが中止になり、さらに加治木温泉病院の懇親会参加も打診されていたがボウリングのため断っていた。いまさら「参加出来ます」というのはばかられ何も予定がなくなった。はずが、ちょうどチッチが帰鹿するというので空港へのお迎え役を買って出た。17時20分着で私の勤務は17時半まで、ちょっと待ってもらえば18時ぐらいには車で拾えるだろう。
チーはこの前友人らとイタリア旅行に出かけていた。ベネチア、ローマを主に観光したという。ベネチアは水の都、日本にはない風景で良かったそうな。また事前にUーNEXTで「ローマの休日」も鑑賞したそうで、スペイン広場、トレビの泉、コロッセオなど見たが「真実の口」には行かなかったとか。ふむ、高校時代にイギリス、フランスを修学旅行で訪れているからヨーロッパを3ヶ国も観光出来ている。それに比べ、私ら夫婦は一度もヨーロッパには行ったことがない。新婚旅行を除けば夫婦や家族で海外旅行をしたのは2012年の韓国、2014年の台湾のみだ。とりあえず今年はアメリカはロサンゼルスに行って大谷のドジャースの試合を観戦するつもりである。元気なうちに海外には行っとかないとなー。
チッチ久しぶりの実家ではカールが沖縄そばを準備してくれていた。軟骨は鹿児島産黒豚のものだが、麺は照喜名製麺所の縮れ麺を沖縄で直接買ったものだ。
チッチのお土産がいくつかあり、日が変わって今度はその中からカールがパエリアとパスタを作ってくれた。
2026年2月26日木曜日
こてる先生は中山祐次郎先生になりすましたのか
2月18日に話題にした「森と湖の里」パンフレット問題、パンフレットを指宿図書館に着払いで送ったところ、「届きました」と病院に電話連絡があった。青雲会病院の封筒で送ったので病院に館長から直接お礼の電話があったのだ。わざわざありがとうございます。
館長によると、その「森と湖の里」を調べるきっかけは某指宿市民から「以前利用したその施設をどうなっているか見に行ったところ全く影も形もなかった。私の記憶は夢まぼろしだったのだろうか」というレファレンス(Reference)があったのだそうだ。レファレンスとは図書館員(司書)が利用者の調査・研究や疑問の解決をサポートするサービスで、館長は「森と湖の里」について調べたが、詳しい資料は残っておらず、分かったのはその施設が1971年から始まって2005年の記録には残っていなかったこと、国会図書館にわずかに写真らしきものがあったくらいで、十分な結果は得られなかったそうだ。そこでネット検索し、私のブログが引っかかったというわけだ。「・・・この連絡主(筆者注;館長さんのこと)は、このブログも電話も中山先生から電話がきたのだと思い込み、大明神をしてしまっており、職員から笑われたのでした。Dr.こてる様、ありがとうございました。笑」
2020年8月18日のはほとんど中山先生の南日本新聞日曜随想をそのまま載せたような内容だったしー。それでそのブログに「先日はお電話ありがとうございます。なんと、中山先生は「泣くな研修医」の中山先生だったのだと、今頃気づくと言う!!図書館にいながら、そこにすぐ気づけず、お恥ずかしい限りです。」というコメントを残していたのだ。結局はこのコメントも「お恥ずかしい限り」なのだが、ちょっと面白いのでそのまま残しときますわ〜(⌒о⌒)。↓が中山祐次郎先生。
2026年2月25日水曜日
眼科チームとボウリングだっ
さて、今夜は19時半からサンライトゾーンことサンライトボウルで眼科の先生方とボウリングの練習だ。サンライトにはもう10年以上も行ってないんじゃないかな。姶良から10号線を通ってだいたい4、50分位で着くと計算して出発したのだが19時ちょうどに着いてしまった。まあ遅刻するよりはましか。
久しぶりのサンライトはほとんど昔と変わっていなかった。1970年にオープンしてから56年も続いていて鹿児島の中では老舗のボウリング場だ(枕崎のボウリングセンターが昭和30年代後半にオープンで一番古い)。1990年代半ばくらいまではオートスコアラー機能もなく手書きでスコアを書いていた。当然、客は少なく、木曜日なんか1ゲーム200円のサービスデーで投げ込みたい私は木曜によく通っていた。今日は20時過ぎからリーグ戦があるとかで一般客が使えるのはたった4レーンのみ。ナカダイDrが事前に予約してくれたおかげでどうにか2レーン分使えることになった。料金は5ゲームパックで1700円は相当に安い。会員になればもっと安く利用出来る。なかなかだ。
眼科からは50歳代のナカダイDr、30歳代のコメダイDr、それに臨床工学士のシモダイ君が来てくれた。お互い「初めまして〜」だ。早速投げ始めるとレーン中央付近にオイルがほとんどない。10ボード付近にプロウラーを投げるとどんどんくい込みレーン左に流れていく。これじゃぁあかん。ボールをレギオンソリッドに変えて左側に立って右10枚目を狙うコースを選んだ。これでどうにかポケットを突くことは出来たが、相当に難しいコンディションだ。↓は色とりどりのボウリングボール。実はこれ以外にもまだ数個ボールはあった。
眼科メンバーのまとめ役のナカダイDrはオーソドックスな投げ方だったが技士のシモダイ君は今風のボールを大きく曲げる投法、コメダイDrは比較的オーソドックスも力強さがあってスコアも一番良かった。ナカダイセンセイ、2ゲーム目はなぜか左腕で投げたりもしていたよ。そうそう、シモダイ君はボールマニアとかでちょくちょくボールを変えていた。「ごくらも彼が何個ボールを持っているのか知らないんですよ」とDrたちが言うので確かめると、「車に6個積んでいて、家にあるのと合わせると10個あります」だって。ひええ〜一時の私よりすごいじゃん。私も家に飾ってあるのを入れると5個だがいらなくなったボールは人に上げたり捨てたりするからなー。↓本当は右投げのナカダイ先生。
私はスペアミスもいくつかあったりで2ゲームから最終5ゲーム目まで170〜180のスコアで200アップは出来なかった。コメダイDrは最後200、シモダイ君は1ゲーム目に200アップしていたから大したもんだ。実は自分の投球ビデオを撮ってもらっていない。まあ初対面だしやや頼みにくかったしーね。久しぶりに5ゲーム投げて、汗もかいたし若干疲れもあった。
「以前は毎週のように投げていましたが、コメダイ先生が指宿に転勤になったりして滅多にいっしょには投げられないんですよ」とナカダイDrは言う。そういうことなら私もメンバーに加えてもらって「いつでもお誘い下さい」とお願いしておいた。ボウリングは仲間がいてこそ長続きするスポーツだもんね。これからもよろしくお願いいたしまーす!
2026年2月24日火曜日
アール・アンソニー対ノーム・デュークの対戦は千代の富士対貴乃花戦である
明日、先月28日に話題にした眼科のDrらとボウリングをすることになっている。そんなこともあってか最近はYouTubeでボウリングの試合をちょくちょく見るようになった。最新の日本のプロボウリングやアメリカのPBAの試合はもちろんだが古いアメリカのプロボウリングの試合もよく見る。なにせ私がボウリングを始めるきっかけは1991年にNHKBSが全米プロボウリングという番組を放送開始したことからだった。以前のこてる日記ではその時の様子を熱く語っていたものだ。
ちょうど1991年という年のアメリカのボウリング界は1960年代生まれのニューエイジが台頭し主役になっていった頃だった。ピート・ウェーバー、アムレト・モナチェリ、パーカー・ボーンⅢ世、ノーム・デュークなどで1959年生まれのウォルター・レイ・ウィリアムズJr.もその世代に入るだろう。彼らの投球を目の当たりにし毎週画面に釘付けで私は観戦していたものだ。ふふ、この日記を読んでいる読者で、上の5人のボウリングプレーヤーの名前を見て「うんうん、そうそう」なんて言える人はせいぜい100人に1人もいないのではないか。実はすごいメンバーなんだ。2026年2月23日月曜日
全日本回転寿司MVP選手権1位だって「めっけもん」
天皇誕生日で休みだ。で、お昼は外食しようと決めていた。ただ、店をどこにするかは例によって直前までなかなか決まらなかった。蕎麦・天ぷらの左膳、焼き肉のなべしまなどは定番だがたまには別のところでも・・と考え始めてもてんで浮かばない。以前も書いたように私は店選びが苦手なんだ。すると午前11時も近くなってきた頃、カールが「回転寿司の『めっけもん』にしようか」と言ってきた。私は即答で「いいね、寿司」と完全に同意だ。
ならば急ごう!
こうした人気店は開店時刻の11時にはすでに列をなしていてその時刻に行ってもしばらく待たされる。で、急いだんだが、めっけもん城西店に着いたのは11時ぴったりだった。ちょうど店内へぞろぞろ客たちが案内されているところ↓で、一番最後がカール。
で、ぎりぎり一番客の中に入れるかどうかだったが、直前に並んでいた客が4、5人の小団体で店員が「はい、ここまでです」と、私たちの前で切りよった。がーん、待ち順1番の紙をもらってしまったよ〜。「30分くらいはお待ちいただきます」だって↓。カールの着ているカーディガンはギボヒサコの手編みで、私は初めて見た。ギボヒサコは意外にも手編みが上手だったらしい。まあ、待つと言っても今はスマホがある。これがあればどうにか退屈時間はやり過ごせるというものだ。30分弱経った頃に呼ばれ、テーブル席に着いた。さっそく回転皿を手に取って食べ始めた。私はいつも最初は白身からで赤身はあまり食べない。時に中トロを食べるくらいか。エビやエンガワ、穴子、ウニ、イクラ、それにカッパ巻きや玉子巻きなどの安いネタも好きなんだ。なんと普通の魚以外のネタが多いな。それにしてもこの「めっけもん」、お客が多い。確かにリーズナブルな値段でいいネタを提供してくれているからかな。帰りの支払いのところに店長が表彰を受けたとパネルがあった。なんと「全日本回転寿司MVP選手権」の「演出部門第1位」なんだそうな。
そんな大会があったなんてだーれも知らないが、1位になるってすごい。いろいろなノウハウがあり人知れない努力あってこそ人気店になっている証(あかし)なんだろう。二人ともお腹いっぱいになって4千円までいかなかった。満足じゃ〜。帰宅するとモリサンチー家のキタローが庭にいた。本名はキタローだけれど私たちはクネオと呼んでいる。だってさー↓を見てよ。たいてい背中を地面にくっつけてクネクネするんだもん。クネオもこてる家に遊びに来るようになってちょうど10年目、同じ家のハッピーちゃんは最近あまり見かけないがクネは数日に1回は必ず来る。そしてエサをねだったりクネったり。今日は天気が良くて良かったねぇ。
2026年2月22日日曜日
一人胃カメラ!
かつて青雲会病院に勤務し今は鹿児島市内のプーさん病院にいるシホねえNsからLINEに動画が送られて来た。彼女からは年に1回くらいしかLINEは送られて来ない、何事だろうと思ったら、勤務先の内視鏡室の様子だった。
うん、なんだこれは?
げっ、自ら胃カメラを入れて画像観察をしている動画だっ!お顔を見れば消化器内科Drである片付け先生ではないか。鹿大第二内科時代の後輩Drで今はプーさん病院の副院長だ。真剣に画面を見ながら胃カメラを操作している。しかも口から入れる通常タイプの胃カメラで、これは咽頭反射が出やすく、胃の中に空気も入るので普通はきつくてやってはおられないはず。いや、実は私も大腸では一人内視鏡をやっており、この日記でも何度かネタにしている。シホねえNsが青雲会にいたころは彼女にその動画を撮ってもらったりもしていた。一人胃カメラも一度だけやったことがある。ただ私は経鼻内視鏡で咽頭反射が少ないタイプのものを使用した。それでも結構きつく、スコープ操作が大腸に比べ煩雑なので「もうしない」と一人胃カメラは封印したものだ。しかし片付け先生は一度もゲップすることなく器用に操作していた。すごい。このブログでは動画でお見せ出来ないのが残念。シホねえNsによると「毎年やっていますよ」だって。うわわ、そうか手慣れた様子だもんね。↓は「一人胃カメラ」を見守るぷーさん病院スタッフ。胃カメラしている本人以外、全員口元が緩んでいらっしゃる(⌒о⌒)。
「へー!毎年(一人胃カメラ)とな。私の大腸内視鏡4年に1回よりすごいわぁ」と返信すると、「いや先生の方がすごいよ」とな。いやいや〜そんなことはありませんて。毎年の一人胃カメラと4年に1回の一人大腸内視鏡、ぜーったい前者の方がすごいよ、ねぇ・・(‾□‾;)。2026年2月21日土曜日
二度目のインプラント
裏のモリサンチー家の梅の木もこの間から花を咲かせ始めていた。今年はたまたま遅かっただけなんだろう。
今日は朝からインプラントの施術を受けに行った。昨年沖縄にギボヒサコの一周忌に行った際、右下奥歯(6番目)が欠けたことを話題にした。その後、歯医者に行くとその周辺の歯(7番目)がもう限界でもともと1本欠けたままにしてた場所(5番目)もまとめて治療しましょうということになった。5番目と7番目にインプラントを埋めてブリッジを形成し3本の歯を作ろうということだ。今日は6、7番目を抜歯し一気にインプラントの土台を埋め込むので2時間くらいかかるということだった。で、いつもの鹿児島県医師会前の駐車場が満車(ここ2年くらいで初めてのこと)だったので少し歩いて共研公園近くの駐車場に駐めた。1月初めに食事しに来た際、この付近まで来ると駐車場代が安いって知ってたからね。ほんの数分歩くだけで1時間200円が100円になるからバカにならない。後で地図を見たら距離は倍以上違っていた。でも値段半分だから・・。
さて施術前に歯科衛生士の簡単な説明と健康状態把握があった。血圧も測定するというので、チラッと衛生士さんのネームを見て「いつもは120ぐらいだけどシノハラさんが測るから130越えるかもなぁ」と軽口叩くとちょっぴり受けていた。で、結果は140越え!「ええっ、こんなに上がるってー。キンチョーしているのかなぁ」顔面に手術シートを被せられ局所麻酔を打ってもらい抜歯、その後インプラントの人工歯根埋め込みだ。1時間ちょっとで終わり、その後またシノハラさんに血圧を測ってもらったら今度は110台だった。あれ、今度は下がりすぎじゃ・・。↓のピンク〇が治療前、黄色〇が人工歯根を埋め込んだ写真。
2026年2月20日金曜日
ワンダーパワーな患者さん
2026年2月19日木曜日
医療安全の極意はボウリング?!
午後13時半から大会議室で全職員対象に私の「医療安全講演」が行われた。開始5分前にはまだかなりまばらな集まりだったが、13時半ちょうどには部屋の後ろまで人で埋まっていた。朝礼スピーチの時より集まっていやしないか。ちょっと驚いた。スピーチを聴いて感想を提出しなければならないし、参加出来なかった職員は後日院内LANに保存される動画を見て感想を書かねばならない。そこがちゃんと機能しているんだね。
2026年2月18日水曜日
「森と湖の里」のパンフレットが実はお宝だった!
「ほう、これはこれは。ブログに書いているようにたぶんまだ昔の日記帳に張っていると思います。48年も前のものですが、確認してあれば、剥がしてそちらに送りましょう。住所など教えて下されば幸いです。」と、コメント欄に私も追記した。
2026年2月17日火曜日
あの頃、赤いコスチュームのはずのジャネット・リン
医局会レクチャーは滞りなく終わった。さほど質問もなく拍子抜けするくらいだったが、これは異食癖の症例を出さなかったせいだろうな。そのインパクトの大きさや疑問の提示など画像&動画で見せればみんな食いつくはずだった。しかし今回の症例集めでいざ作ろうと思えばそれらは比較的余裕で作れそう。この2週間きつかったがまた報われる時が来るだろう。午後は早帰りをした。疲れもあるので夕方は仮眠を取って、夜は医療安全のスライド作りがある。でも、まだもう1日余裕あると思うと進まないのよ・・。
2026年2月16日月曜日
春は近いが〜
朝、通勤途中の姶良インターの出口直近の信号待ちで民家の庭を見れば梅の木がいっぱいに花を咲かせていた。
この家は枇杷やみかんも植えているし、花の咲く木もいろいろ植えていて季節ごとに楽しませてくれている。気を付けて見れば他の民家にも梅の花は咲いていてどうやらこてる家裏の梅の木だけ何らかの理由で咲いていないだけのようだ。最近は日も少しずつ長くなって春が近づいて来ているのを実感する。私にとっては明日の医局会レクチャーと木曜の病院職員への医療安全講話が終わらないと何も落ち着けない。レクチャーは目途が付いたが医療安全は手すら付けていない。一応頭の中に構想はあるが具体的には全くである。だから、こてる日記書くのも遅れがちになってしまう。おまけにネタらしいネタもなく、そうだ2日前はバレンタインデーだったとチョコの話題でお茶を濁したんだ(いや、チョコだけにお口を甘さでごまかしたか)。
帰宅後はせっせと最後のレクチャースライド仕上げに・・と思っていたら、こてる日記だけは書けたが、またもや椅子寝グーグー。結局、スライド完成は未明になった。こんなにスライド作りが続いたらほんと大変、やはり春はまだ来ないわ〜。
2026年2月15日日曜日
テーマを絞れば楽になる
朝10時ごろ、家を出て病院へ向かった。で、院長室にこもって電カル開き、火曜日の医局会レクチャースライド作りに勤しんだ。消化管異物の実例写真や病歴チェックなど必要で、まだまだ作成資料が不十分だったのだ。それに家にいるとついついだらけてしまって仕事もはかどらないしー。
改めて青雲会病院のここ15年ほどの消化管異物症例患者数を調べると合計40人いてそのうち28人が誤飲によるもので、残り12人が異食癖や性倒錯による事例だった。まずは一般的な誤飲の症例を集めて、同時にスライド作成もやっていった。そうこうするうちに「こりゃ異食癖の症例まで語るのは時間が足りないぞ」と分かってきた。医局会ではおおよそ15分、長くても20分くらいにまとめないとみんなの仕事に差し障りが出てくる。ここは思い切って誤飲のみの症例に絞ろう。そもそもこれだけの症例数をレクチャー付きで全部しゃべるのには無理があった。そうだ、今回は誤飲例をPARTⅠ、次回に異食例をPARTⅡにして発表すればいい。そう思うとだいぶ気が楽になった。
このテーマを思いついて「しめた」と思っていたのになかなか捗(はかど)らなかったのは広げすぎが原因だったんだ。そうして夕方までに9割方スライド作りまで終えることが出来た。後は消化管異物で一番難儀した「胃石」についてのスライドを追加するだけだ。15年で1例しか経験していないが治療完了するまでに1ヶ月を要したケースである。6ー7cm大の大きくて硬い胃石が胃内に鎮座し出血性胃潰瘍まで作っていた。通常のスネアでは掛かりもせず、強くて大きなものを取り寄せ、それでも上手く行かずEHL(電気水圧衝撃波胆管結石破砕術)の器械を取り寄せ、少しずつ破砕しそれをスネアで砕き、ネット鉗子で回収するといった作業を繰り返しどうにか完了出来た。胃石を柔らかくする効果があるというコカコーラも注入した。文献や学会報告では有効とのことで本人にも飲んでもらったりしたがこの胃石には効果がなかった。そのことをこてる日記で呟いたら、某TV局が目を付け、胃石へのコーラ療法の資料を提供出来ないかと連絡もあった。しかし、実際は無効だったと伝えると丁寧に「今回はなしということで」とお断りの連絡があった。まあ、TV局はコーラが治療薬にというトピックス的な話題に興味があっただけなんだろうよ。
と、まあ誤飲異物症例だけでも語る内容はいくらでもあり、半分に絞ったのは大正解だった。語り口を変えれば朝礼スピーチにも使えるかも。ふふ、ここ2週間はこいつのせいでなかなかゆったりした時間を過ごせていなかった。せっっかくだ、使い回しして後が楽になるようにしよっ!
2026年2月14日土曜日
モロゾフをもらう
2ヶ月ぶりに長島へ仕事に行った。中央駅の駐車場も先週同様に屋外に駐められてなかなか順調な出だしだった。出水から事務長の車で長島までの行程も全く車酔いすることもなく、これもトラベルミンのおかげだ。
今日の大腸内視鏡は6件で、ポリペクトミーになった患者さんが4名もいて、終了時刻も13時過ぎくらいになり帰りの新幹線もぐっと遅くなり14時28分か。昼食を摂っていると看護師さんらが来て「先生、今日はバレンタインデーですから」と何と比較的高そうなチョコをプレゼントされた。へー!これは意外。チョコは大好きだし有り難くいただこう。
帰宅しすぐにカールに見せると、「わぁ、美味しそう」と1個取ってパクリ。「うん、美味しいわ、私、チョコ好きなの」と笑みを見せた。ふむふむ、私もいただこうぞ。ここ10年くらい、バレンタインデー時の日記には「最近はバレンタインデーが盛り上がらずその名前もあまり聞かない」って話題が多かった。3、40年前は義理チョコを渡すのが多く、それに伴ってホワイトデーでお返しって、なんとも日本的な風習が根付きそうになっていたが、そちらも最近はあまり聞かないナ。
ま、お互いのコミュニケーションの仲介役としては優秀かも。チョコを嫌いな人ってあまりいないしー。そうそう、モロゾフって神戸のチョコレート会社なんだってな。ロシア革命から逃れて来たモロゾフ一家がチョコレート店を経営していたのが起源らしい。1932年、日本で最初にバレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介したそーな。モロゾフのホームページには「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした、とある。ただ、日本人出資者との間にいざこざが起き、日本語が不得意なモロゾフ一家は裁判に負け、その後モロゾフの看板を掲げることが出来なくなった。そこで戦後「コスモポリタン製菓」を立ち上げたとか。従って現在のモロゾフは日本人の会社ということだ。2026年2月13日金曜日
うだうだと過ごす13日の金曜日ってか
この前、つまらぬボウリングボールを怪しい会社にネット注文したことでカード会社から「不正な請求がある」と連絡が来てカードを作り直す羽目になった。楽天、Amazonと主要なカードだっただけに面倒をしている。Appleとも問題が生じてバージョンアップが出来なくなったり踏んだり蹴ったりだ。怪しいと思いつつ申し込んだのがいけなくて反省しきり。カード支払いしているサブスクなどからもそろそろ「支払いされていません」と連絡が来そう。まあ、これを機会に契約も見直ししなさいってこともかも。
おまけに来週の医局会レクチャーの作業がスムーズに進まず今日も椅子寝をしてしまった。だいたいの内容は頭に入っているのになぜか上手く片付けられないのよ。まだ土日があるから切羽詰まってはいないが・・。もっとも本来は明日の土曜の夜、高校時代の恩師と会食の予定が延期になったのだけは有り難かった。いや、スライド作りが今の時点でとても終わりそうにないんで・・。
そういえば今日は13日の金曜日かぁ。日記書くまで全然気づかなかった。え、明日はバレンタインデーだって?それも全く縁がないわ。なんだかその手の話題には近頃ほとんど関心がなくなってしまった。恵方巻きとかやらも興味はなかったが、カールが「縁起担ぎは一応したほうがいいかな」と手作りの太巻きを作ってくれたので2月3日に適当に南南東付近を向いて食べましたよ、ハイ。↓は10日遅れの恵方巻きシーン。
そういえば、ミラノ・コルティナ・オリンピックが始まって1週間は経つというのに日記ネタにあまりしていない。ライブ中継が深夜から未明にかけてというせいもある。それにその時間帯は起きていてもスライド作りやネット麻雀をしている。そう、レクチャー発表は相当なストレスで、そういうイベントへの関心が弱まるものなんだ。チッチなんか先週に一大イベントがあったせいで「え、今イタリアでオリンピックやっているの?」とその事実すら知らなかったそうだ。いや、だろうて。よくよく考えれば誰が金メダル取ろうが自分自身にはちぃとも影響はないのよ。オリンピックに一気一憂するのは生活が安定して平和でいられるからであって戦争中やその日暮らしの人たちには関係ないことだ。そう、オリンピックが平和の祭典なんて言われるのもそういうことなんだよな。今日は特に日記ネタがないせいでウダウダと思いつくまま書き綴ったわ〜。
2026年2月12日木曜日
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」
朝の車中、MBCラジオで「〇〇さんからのお葉書は『梅の花が二分咲くらいでーす』とのことで・・」と梅の花を話題にしていた。そうか、そういう時期だよなと思ったが、毎年うちの裏のモリサンチー家では梅の花が咲いていたけれど今年は全く見ない。2年前はまさにそれを日記ネタにしたのだが・・。(2024/2/10「梅だけどサクラ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/02/blog-post_10.html)カールも「いつも窓を開けると、『あ、梅だ』って思うのに今年は見ない」と言っていた。ご主人が病気がちで手入れをしていないこともだが、業者に頼んで伐採でもしたのだろうか。
朝の回診時にスタッフらに「最近は少しずつ暖かくなってきているよね〜」と話しかけた後、「そうだ俳句にもあるよな・・『梅一輪・・ええと』」と口ごもると、スタッフは誰も反応しなかったのに廊下を掃除していた介護補助者のおばさんがハッとしたようにこちらを見た。うん、俳句に少し心得でもあるのかな。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」
ようやく思い出して「これは良い俳句だよな〜」とスタッフらに向かって同意を求めたが、だ〜れも反応しない。おばちゃんは下を向きつつわずかに肯いているようだったが・・。誰の俳句だったかはその時は知らず、後で江戸時代の松尾芭蕉の高弟服部嵐雪の句だと知った。梅が一輪咲き、さらにまた一輪咲くにつれ一輪ほどのかすかな暖かさが感じられるという意味らしいが、もう一つの解釈は梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっているということで、リズム感もあり春を待つ情景がよく現れていて私的にはこちらの方が好きだ。まあどちらでもいい。スタッフのみんなも文学や教養といったものにちぃとは関心を持とうよ。花や景色を見て「わぁ綺麗だぁ」だけではもったいない。歴史や文学など知ることで感動も倍になるんだから〜。↓モリサンチーさんの梅がないのでネットで探した梅一輪です。



























