2026年9月17日木曜日

(9月15日分のこてる日記はアップロードが少し遅れて翌日朝になるかもしれません。更新は少なくとも9月18日の午前までには実行する予定です。ご迷惑をおかけします)

(11時過ぎにようやくアップ出来ました)

2026年9月15日火曜日

隠れた名曲「あなたのすべてを」

YouTubeをいじっているとたまたま「あなたのすべてを」という曲が紹介されていた。この曲なら知っている。「オール・カレッジ・フォーク&ポップス 上巻 1966~1968」というオムニバスCDをまだ独身の頃買った際、その中に入っていた。そのCDには「バラが咲いた」「思い出の渚」「この広い野原いっぱい」などがあり、この曲をふくめ4曲が私のiTunesの「マイフェイバリット」全162曲の中に入っている。
「あなたのすべてを」は昭和40年代に佐々木勉(ささき・べん;本名;佐々木勤、ささきつとむ)という人が作詞作曲し自ら歌ったフォーク調の歌謡曲で彼のデビュー曲でもある。しっとりとしたなかなか良い曲で私は運転中によく聴いていた。ただ、そのYouTubeでは「徳永芽里(とくなが・めり)」という全く知らない若い歌手が歌っていた。へーえと思って聴いてみると、これがなかなかいい。もともとこの曲は若い女性が素敵な男性に一目惚れし、会いたい、あなたのすべてを知りたいっていう恋ごろを歌ったものだからそうなのかもしれない。ただ、私はこれまで作者の佐々木勉が歌ったものしか知らなかった。
ただ「良い曲だけど一つだけ気になる歌詞が・・」と思っていたのが3番の歌詞の一節だ。おっとその前に「あなたのすべてを」の歌詞を1番から3番まで紹介しておこう。

名前も知らない あなたと私
なのに不思議ね 胸がときめく
恋はこうして 生まれるものなのね
おしえて欲しい あなたのすべてを
今宵一人で歌う あなたへの歌

初めて会った あの日から
私の心を はなれない
これがほんとの 恋というものかしら
おしえて欲しい あなたのすべてを
今宵一人で想う あなただけのこと

今度会えるのは いつの日かしら
あなたと会った このお店で
明日もわたしは そっとあなたを待つの
おしえて欲しい あなたのすべてを
今宵一人で歌う あなたへの歌

あなたへの愛 あなたへの歌・・

すごく純粋な女心を歌っている・・と思いきや、3番の↑の「青色」で書いた「このお店で」という部分がずっと引っかかっていた。これってホステスさんの歌だったんかい、である。まあそれは昭和歌謡にはよくあるテーマだ。代表的なのは小林旭の「昔の名前で出ています」だろう。にしても、佐々木勉さんは男なのに、そして昭和40年代前半にはカレッジフォークの作曲家として少し名の知れた人でザ・サベージに「いつまでもいつまでも」といういかにもな曲を提供していたのに、自身のデビュー曲がなんでホステスさんの恋心の歌なの?だ。

ネットでこの曲にまつわることをあれこれ調べてみた。すると分かった。そして私の長年の疑問が氷解した。実はこの曲はもともと徳永芽里というハーフの新人歌手のデビュー曲として佐々木勉が作った。しかし佐々木はレコーディングの頃だか曲の出来がいいものだからどうしても自分でも歌ってレコードを出したくなったらしい。それで珍しいことに師弟の競作となった(徳永芽里が1967年4月発売、佐々木勉は同年5月発売)。しかしすでに29歳の男が歌うには一部歌詞を変えた方がいいということになったのだろう。そこでもともとは「あの丘で」となっていた歌詞を「このお店で」と変えた・・。

今度会えるのは いつの日かしら
あなたと会った あの丘で
明日もわたしは そっとあなたを待つの
おしえて欲しい あなたのすべてを
今宵一人で歌う あなたへの歌

あなたへの愛 あなたへの歌・・

なるほど、この元歌なら全体が女性口調である理由も判明するし、この方が女心の切なさがより際立っている。実は徳永芽里のを聴いていて「あの丘で〜」と歌っていたからびっくりしたんだ。「あの丘で」なら、女性は今現在は「丘」ではなく別のところにいて初めて出会った丘を想っているとなる。「このお店で」だと、おそらくはホステスがお客として来たあの人を今現在密かに待っている状況になる。最初は競作だなんて知らないから元歌の「あのお店で」を女性向けにリメイクして変更したのだろうと勘違いしていた。ただ歌としては佐々木勉、徳永芽里どちらもいい。当時の芸能雑誌の記事を見ると若干徳永芽里の方が売れているなんて書かれていた。(佐々木勉の「あなたのすべてを」→https://www.youtube.com/watch?v=_2anr-KzEiQ)、徳永芽里の「あなたのすべてを」→https://www.youtube.com/watch?v=LyT6aJd3y54
しかしーだ。この曲、いわゆる実力派歌手と言われる面々にえらく人気があって大物歌手たちが数多くカバーしているのだ。びっくりするよ。佐々木勉は残念ながら1985年(昭和60年)に急性肝不全(おそらく劇症肝炎)で急逝してしまう。彼のヒット曲には昭和50年代で有名なのはロス・インディオス&シルビアの「別れても好きな人」で一番売れた。他にヒロシ&キーボーの「3年目の浮気」、榊原郁恵の最大のヒット曲「夏のお嬢さん」などがある。「あなたのすべてを」は実はそんなにヒットはしなかったのだ。2015年に没後30周年を記念して彼の珠玉の作品を集めたアンソロジーが発売された。
DISC1とCMソングとDISC2に分かれていて、DISC1には上の3曲やカレッジフォークその他歌謡曲など全22曲が収められているが、「あなたのすべてを」は入っていない。実はDISC2がぜーーんぶ「あなたのすべてを」なんだ。カバーした歌手の中にはレコード大賞受賞者が5人(尾崎紀世彦、布施明、美空ひばり、フランク永井、菅原洋一・・・。)もいる。ここには入っていないが森進一、ちあきなおみ、八代亜紀も歌っているので少なくとも大賞受賞者8人が歌っている。フランク永井など自身最後のシングル(1985年)がこの曲だった。

Disc 2
01. あなたのすべてを 唄:徳永芽里
02. あなたのすべてを 唄:尾崎紀世彦
03. あなたのすべてを 唄:島津ゆたか
04. あなたのすべてを 唄:増田多見
05. あなたのすべてを 唄:水沢有美
06. あなたのすべてを 唄:浜真二
07. あなたのすべてを 唄:大和京子
08. あなたのすべてを 唄:北原ミレイ
09. あなたのすべてを 唄:布施明
10. あなたのすべてを 唄:グラシェラ・スサーナ
11. あなたのすべてを 唄:和田弘とマヒナスターズ
12. あなたのすべてを 唄:美空ひばり
13. あなたのすべてを 唄:テレサ・テン
14. あなたのすべてを 唄:フランク永井
15. あなたのすべてを 唄:伊東ゆかり
16. あなたのすべてを 唄:菅原洋一
17. あなたのすべてを 唄:佐々木秀実
18. あなたのすべてを 唄:川上大輔
19. あなたのすべてを 唄:佐々木勉

すごいねー。いかにこの曲が歌い手に好まれ、そして歌い継がれているかって分かる。このCDを私は持っていないけれど、YouTubeで「あなたのすべてを 〇〇〇〇」とし、〇〇〇〇に歌手の名前を打つとたいていこの曲を聴くことが出来る。これがまたみんな素晴らしいんだ。そして先のフランク永井、尾崎紀世彦、美空ひばり、ちあきなおみなどいかにもその人らしい個性が出ている。尾崎紀世彦なんか若い時とベテランの2回も録音しているしー。で、歌詞だがほとんどの歌い手が佐々木勉の「このお店で」を採用している。実力派歌手ならばこちらがまあふさわしいか。「あの丘で」と歌っているのは私が調べた限り、1976年芹洋子で大ヒットした「四季の歌(1972年)」を最初にレコードに出したいぬいゆみさんのカバーだけ(「風は知っている」のB面)だ。
ともかくもこの曲、各実力派歌手のカバーを繰り返し聴いてもなかなか飽きが来ない。間違いなく名曲だろう。

ここまで調べて、それぞれの歌い手の味わい深い歌唱を、YouTubeで私は目を閉じて聴いていた。すると、ふとカールのことを想った。出会った頃のカールだ。わずか3ヶ月で結婚しようと決められたのはなぜだったか、はっきりとは言葉に出来ない。しかしこの人といっしょになって間違いないというあの感覚・・この曲はそんなことを思い出させてくれもした。まぎれもない名曲だわ〜。

2026年9月14日月曜日

「形成外科のお仕事」はG

今日の朝礼スピーチは形成外科のバイフォレストDrが初担当だった。バイフォレストDrは私とほぼ同年代で、ながらく鹿児島市立病院の形成外科の部長を務められ、定年になって今年4月から青雲会病院常勤医となった。以前から週1回は来てもらっていたので新規の先生という感じはしない。ただ朝礼スピーチは初めてということで、話すテーマはずばり「形成外科のお仕事」だった。
で、いきなり症例呈示から始まった。救急医療:切断指再接着術だと。うわーこれは・・。残念ながらスライド提示前に「写真の取り扱いには注意を」とあり、ここに掲載することは出来ない。言葉にして言えば右手の人差し指、中指、薬指の第2関節から先がスパッと切り取られている。そしてその横の写真にはちゃんと指がくっついた右手があった。神経から骨、脈管と全部つなぎ直す手術をするのだ。1本に4時間近くもかかるらしい。トータルで10時間以上、いやすごい。次の人は親指、その次の人は人差し指・・次からは全身やけどだ。機能再建(瘢痕拘縮除去)とあって皮膚はかろうじて縫合されていたが凸凹だった。それでも生き延びられただけでもましか。

さらに鹿児島市立病院と言えば半世紀前の五つ子だ。そこから始まる新生児の治療で有名である。新生児の中には鼻のない先天性無鼻症という生まれつき鼻のない子もいる。それを成長するに従って自身の額の皮膚を鼻に持ってきて鼻形成をする症例もあった。癌の症例はもっとすごい。巨大な下顎扁平上皮癌を摘出すると顎全体がすべてなくなる。横から見た写真は衝撃的だったよ。そこにあるはずの顎はなくただの空間。なんか映画かアニメの戦闘シーンで敵に何かの武器でえぐり取られくたばる直前の画像のような・・(実際に見て驚かない人はいないだろう)。それを背部の皮膚を持って来て顎の代わりにしていた。

とにかく外傷や癌などで失われた見た目と機能を完全とまでは行かなくても回復させて上げる外科治療をやる。粘り強さ、根気が求められる診療科だ。すごい。ただ、私は自分が医大生や研修医だったなら形成外科は目指さないかも。なんていうか器用さが求められるし、やって来る患者さんの障害具合がすごすぎて・・。

最後にバイフォレスト先生、市立病院の形成外科の診療室が「G」室ということでそれにちなんで↓のような例えをしていた。ほう、ゴルゴ13「用件を聞こうか・・・」とな。
そして形成外科の仕事ぶりとは・・に↓。
うむ、まさにゴルゴ13・・ですなっ。

2026年9月13日日曜日

プロの野球を見つつ、つぶやく

メジャーリーグも日本のプロ野球もレギュラーシーズン終盤を迎えている。メジャーはこの前からドジャース大谷がIL入りして少なくとも約2週間は試合には出られず少々つまなくなって来ているが、他の日本人選手が活躍しているのでまだまだ楽しめている。プロ野球はそれほど熱心には見ていないものの、昨日は午後にリアル麻雀をしながら巨人阪神戦をチラチラ見ていた。阪神、この前巨人に3連勝していたはずなのにこのところ全く打てていないねぇ。巨人ファンの見せたまえDrが「よしよし」と言いながら「麻雀は負けたけど巨人が勝ったから〜」ってご機嫌だったな。阪神を応援していたのは私一人だけだったが、どうにか麻雀は勝てて良かったわ(どっちも負けたら胸くそ悪いでぇ〜)。

今日はドジャースは対マイアミ・マーリンズ戦で、いきなりベッツ、マンシーと連続ホームランで2点リードもグラスナウが乱調ですぐに3点取り返され、結局3対4で負けてしまった。プロ野球では阪神がまた無得点で中日に負けてしまった。打線はいったいどうしたんだ。打線って不思議と波があってどの球団も打てなくなる時期があるものだがこれがレギュラーシーズンだからまだ良しとしようか。ポストシーズンに入って打線が戻って来たらその勢いで勝ち上がって行くと信じよう。2年前に横浜ベイスターズがセ・リーグ3位だったのにそこから勝ち上がり、なんと日本シリーズまで勝ってしまったことがあったように、野球のチームって短期なら勢いで優勝まですることがあるからねー。

ただドジャースに関しては今日負けて明日も負けると地区優勝のマジックが4のままだ。出来るなら少し足踏みしてくれないかなぁ。手のマメの怪我で休んでいる佐々木朗希が復帰する可能性があるドジャーススタジアムでの9月19日(現地時間で9月18日)以降に優勝をして欲しい。まあ個人的な勝手なお願いで申し訳ないが・・。ま、いずれにしろドジャースの西地区優勝は100%間違いない。問題はポストシーズンを着実に勝ち上がれるか、だ。現状のままだとドジャースはナ・リーグ全体で2位の勝率なのでシードされ勝ち上がってくるチームと5回戦制の地区シリーズ決定戦からポストシーズンは始まる。その時までには大谷が戻って来てくれるだろう。8月半ばからの大谷はまったく打棒が振るわなかった。ランナーが2塁や3塁にいるいわゆるスコアリングポジションが10回くらいあったのに1本もタイムリーを打てなかった。さすがにおかしい、いったいどうしたんだろうと私は訝(いぶか)っていた。腕や膝、首などの故障を抱えていたのならその時に思い切って休んで欲しかったナ。

今夜はイチロー率いる元プロ野球選手チーム(KOBE CHIBEN)らと現役女子高校野球選手選抜との真剣勝負がありBSで試合中継されていた。去年の試合の再放送を今年たまたま見て面白かったのでこてる日記で話題にした(2026/4/20)。その日記では「次はリアルタイムで見よう」なんて書いていたが、結局録画はしたものの、いろいろやることがあってそうはならなかった。朝からメジャーリーグ、その後プロ野球、そして元プロ野球対高校女子ってそんなに野球ばっかしリアルタイムで見てられないっしょ。実は高校野球の選抜チームがU18アジア選手権で台湾に行き、今日決勝で韓国と対戦していた。それは私はTV放送が見られなくてネットでチラっと経過を追っていただけ。残念ながら日本代表は韓国投手をまったく打てず0対2で負けて準優勝に終わったようだ。

はあ・・今日だけで4つも野球の試合の中継があったんよ。どんだけ野球が好きな国なんじゃ〜。

2026年9月12日土曜日

チッチ&ザミドル君と久々ボウリング

チッチの中学時代のサッカー部同窓生のザミドル君が東京から帰郷していて、今日「ボウリングをやりたい」とのことでチッチらと3人で久々にT-MAXボウルへ向かった。ザミドル君とは中学生、高校生の頃もいっしょに何度かボウリングに連れて行ったことがある。彼は今、東京の消防庁で消防士をしていてすでに結婚もしている。お相手は同じ中学校の1年先輩女子で、その両親は私の高校時代の同級生であったというのは今年2月の日記ネタにもなった。

私とチッチはマイボウラーだが、ボウリングは実に久しぶりで私は半年ぶりくらいだ。チッチは1年以上やっていないんじゃないか。ザミドル君は東京でたまにハウスボールで投げることがあるそうだ。受付で3ゲームセットか5ゲームセットかで少し悩んだが、3ゲームではもの足らなくなるようで5ゲームセットにした。と、受付近くにご老人がいるのを見て私はポンと肩を叩いた。サンシさんだった。私の本来のボウリング仲間で、どこぞのボウリング大会には必ず誘うし、かつては串木野ゴールデンボウルでのトリオリーグで月2回いっしょに投げていた。しかし串木野は閉鎖になり、さらに私のボウリングエネルギーが減って投げなくなり、サンシさんはシニアの人たちとちょくちょく投げているということだった。

あてがわれたレーンは5階の29ー30レーン。まずはテーピングにマメ予防とマイボウラーは投げ始めに時間がかかる。投げ始めはレーンコンディションもよく分からないし私は適当にこの辺かなと投げたらいきなりストライクだった。ふふーん。ザミドル君は昔からサムレス投法だ。親指を入れないで手首を曲げて投げる。これだと結構なフックがかかる。以前よりも安定感が増しているようだったが、いかんせん軽いボールでハウスボールでもあるしピンアクションがマイボールとは差がある。↓なかなか良いフォームだ。ボールをリリースする瞬間に手のひらがボールの下にあるのは素晴らしい。
チッチはオーソドックス投法で曲がりが少ないもののやはりピンアクションが良くおおよそ140−150点くらいは取っていた。いかにも昔からあるタイプの投法だ↓。
私はというと1ゲーム目は203点となんと200アップ。自分でも驚いたよ。この後もアベレージ180点前後は取れていた。ただ左の29番レーンの中央付近のオイルが剥げていてストライクを取るためのポケットに全然入らない。5ゲーム目に入る頃には疲れと汗でヘトヘトになっていた。いや〜、ボウリング、いい運動になりますわぁ。

終わって昼食は天文館アーケイドにあるとんかつ屋「六白」に行った。この店はチッチとザミドル君が高校時代よく利用していた思い出の店ということだった。ビルの2階にあるのでそこにとんかつ屋があるとは気づきにくい。
で、チッチは「六白黒豚ロースランチ」1500円、ザミドル君は「六白黒豚の特製かつ丼大盛り」1600円を注文するというので、私もその大盛りにチャレンジしたくなって同じのを注文した。しかしチッチは「並みでも十分に多く、高校の頃大盛り頼んだが食べきれなくて残した」と言う。へへー、それくらいへっちゃらさーと私は高をくくったのだが・・。
いや〜チッチの言うとおりだった。最後は苦しかったよ。同じ六白黒豚ならチッチのロースカツランチの方がよかったか・・。

帰宅後、シャワー浴びて腕の筋肉もお腹もぐったり。後で聞くとザミドル君も大変だったらしい。いくら運動の後でも「大盛り」には要注意、ですな。

2026年9月11日金曜日

村上宗隆がひげを生やしたワケ

深夜、ワースポ&MLBの録画を見ていたら、最後のあたりでシカゴ・ホワイトソックスの村上宗隆が最近口ひげを生やし始めていると話題にしていた↓。

これを聞いて私はただ「ふーん」としか思わなかったが、「でも、これをご覧ください」とだしたのがホワイトソックスのナインの面々の写真↓。
なんと全員口ひげを生やし始めていたのだ。な、ばかりかホワイトソックスのレポーターやTV司会者&解説者までもが付けひげをして似たようなことをしていたのだ。
これはアメリカのスポーツ界ではよくある験(ゲン)担ぎで、ポストシーズンに入って優勝するか負けてしまうかまで全員でひげを剃らないというプレーオフ・ビアードと呼ばれる行為ということだ。ホワイトソックスの場合、久しぶりのポストシーズン進出をかけて一足早めに決行したということだ。

で、司会進行の三宅絹紗がそのように語り、それを受けて解説の小早川毅彦がややとぼけた口調で「ほう・・でもちょーっとやり過ぎなんじゃないですかねぇ」との感想をビデオ画面放映中に述べていたが、画面が司会、解説に切り替わるとー。

きゃははー、なんとお二人とも立派な口ひげをたくわえているじゃーあーりませんか。そしてこのあと数分間、二人は何食わぬお顔で自身のおひげには一切触れることなく、ずーっと進行&解説を最後まで続けたのだった。絹紗さんはひげダンス、小早川さんのなんか、まるでエルキュール・ポアロですな。
これ、視聴者界隈ではやはり話題になっていたようだ。小早川氏自身のインスタグラムにもこれが投稿されていて、使用前使用後のツーショットが出ていた。
ははは、こんなお遊びって楽しくてイイね!

でも肝心の試合結果だけれど、ホワイトソックスはこんな験担ぎをしているにも関わらず、パイレーツに3連敗、その後カージナルスにも負けて4連敗を喫してしまっている。このまま負け続けると2位のクリーブランド・ガーディアンズに逆転されてしまう。昨年まで負け続けていたチームがせっかく9月半ばまで来てア・リーグ中地区で首位をキープしていたんだ。あと2週間、必死でこらえてくれよー。ドジャースだけじゃなくてホワイトソックスも応援しているぞー。私もひげを生やそう・・かな?

2026年9月10日木曜日

吉俣良、45周年記念コンサートの一般販売始まる

夜、TVの録画やタイムシフトなどいじくり回しているうちに、鹿児島ローカルのMBC「どーんと鹿児島(どんかご)」をクリックしていた。作曲家の吉俣良がフィーチャーされてはいたが、11月にある彼の45周年記念コンサートの番宣がらみかとも思え、これは前にも見たなと次をクリックしようとした。しかし、よく見れば以前見たのは同じMBCが放送した「てげてげ」であって、「どんかご」ではやや切り口が違っていて吉俣良自身の過去をふり返る画像映像がふんだんに出てきていてそのまま見入ってしまった。

というのも吉俣とは小学、高校と同級生であり、たまに同窓会などで会う間柄で、今回は鹿児島中央高校の同窓生や学校訪問の場面があったからだ。まず、吉俣懐かしの店ということで彼が足を踏み入れたのが天文館の「黒岩ラーメン」だった。するとそこには初老の客がたった一人座っていて「おお」とわざとらしく挨拶をした。私は思わず「トンガじゃん」と声を出した。すると画面にもちゃんと「愛称・とんが」ってわざわざルビが振られていたよ↓。

彼は私たち鹿児島中央高13期生の同窓会のまとめ役みたいなこともしている。↓の集合写真も吉俣を除く6人のうち3人が私の中学時代の同級生でもある。これは中央高13期生の関東同窓会の写真だろう。中央の和服は12月下旬の関東同窓会に京都から毎年出てくる私の友人矢野謙堂和尚だ。吉俣、トンガと同じクラスだったな。和尚はこてる日記にも何回か登場している。
↓の左の写真の南国風味あふれる同窓生は「ワッグロ」君で、後に中央高の教頭先生にもなった。吉俣の髪型ってあの頃からずっといっしょだな。
その後、現在の中央高校の訪問もあって、私らのころとは内装ががらりと変わっていることに驚いた。「机も大きくなったみたい」と吉俣とトンガが言っていたが、教室自体が全然違う印象だ。吹奏楽部の部室に入った吉俣が「え、クーラーが効いている、こわい」と漏らしたのも、あの頃は暑いのは我慢して勉強や部活動に励むのが当たり前だったからだ。

後輩である吹奏楽部の生徒たちには「金賞を取るんだと言葉に出し合うのが大事。そして大会に臨むべき」と彼はアドバイスをしていた。それに対して部員らは吉俣作曲の中央高愛唱歌の「たいせつ」をみんなで合唱して彼を感激させていた。後日、久しぶりに吹奏楽部は金賞が取れた、とのことでさすがと思ったよ。

この後も彼が大好きな桜島に渡っての学校訪問やパワーをもらえる場所紹介など面白い内容だった。で最後に、11月8日に記念コンサートが予定されていて、9月12日からチケット一般発売があると告示された。いや、この番組を見ていたらチケット買おうと思えてきたが、実は半年ほど前に同窓生のサコカヨさんから「まだ告知前だけど吉俣君の45周年記念コンサートが11月8日にあるけど申し込まない?」と連絡があったんだ。あいにくその日は学会がらみで行けないと断っていた。はは、「コンサートのチケット販売を手伝う」って写真その通りでしたよ。

同期生の星、吉俣良は同期生の星だ。45周年記念コンサートの成功を祈る!

2026年9月9日水曜日

些細なことでも笑えるか

外来での一コマ。その患者さんは内科外来診察が終わり、次は眼科に行くとのことのことだった。その患者さんが診察室から出ていくと同時に、私は医師事務作業補助者の丁伝さんにボソッと言った。

「内科が終わったら、次は眼科に行がんか

これに丁伝さん「あはは」って吹き出した。それには逆に私が驚いた。うけるなんて全く予想していなかったからだ。これが、こえたせいNsあたりだと、意味のないダジャレに対して「センセ、つまらないこと言ってないで次の患者さん呼びますよ〜」って言われるのが落ちだ。しかし丁伝さん、こうも付け加えてきた。

こんなことで笑えるなんて、幸せですよねー」

おお、良いこと言うねぇ。つまらないことにも笑える。確かに心に余裕がないと笑うことは出来ない。丁伝さん、最近娘さんも結婚もしたし、彼女自体も順調な人生なのだろう。「些細なことでも笑える」これは幸せかどうかの物差しと言えるのかもな。

2026年9月8日火曜日

髙橋洋一センセイ、大谷を見る

YouTubeでよく見るコンテンツの一つに経済学者の髙橋洋一先生の「髙橋洋一チャンネル」がある。経済、財政、政界についてデータに基づく専門知識に裏打ちされた分かりやすい解説や、既存のメディア報道に対する歯に衣着せぬ批判、そして積極財政(リフレ派)を支持する明快な主張が聞いていて面白い。この日記での先生の話題は2021年のコロナ禍のころによく取り上げた。

今日も経済がらみの話題であったが、前振りで「今、ロサンゼルスにいて、ドジャーススタジアムで試合を見てきた」と野球の話題だった。先生はここ数年、ドジャースと大谷の活躍を見にちょくちょくロサンゼルスに行っている。そしていつも自慢するのが「私が見に行くとドジャースは必ず勝っているんだ」で、今日はシンシナティ・レッズに6対3で勝利していて「これで10回観戦して10連勝だ」と喜んでいた。ただ「ドジャースは全くの貧打で点差は一見あるようだけど3安打しか打っていない。フォアボールと相手のエラーで運良く点が入っただけ」「大谷も調子悪いなぁ。最初の打撃なんか本来ならホームランになっても良かったのにスイングスピードが少し落ちているんじゃないか」などと評していた。ふむふむ、私も試合はちらちらっと見ていたから先生の言い分にも納得出来る。

で、夜22時45分から始まるワースポ&MLBを見ていたら、ドジャースの試合で大谷の第4打席に入るシーンで「あれっ」と思った。背後のバックネット3塁側のプラチナシートに青いアロハ姿で座っているのはセンセイじゃあーりませんか。
大谷がバッターボックスに向かっている歩きはじめるとその方に視線を寄せていた↓。
ぼさぼさ髪なのは相変わらずだったですな。大谷がここ4試合ほど休んでいて久しぶりに試合に出られて髙橋先生はついている。最近では先生がドジャース戦見に来ると必ず勝つというので「勝利の男神」なんてネットでも言われているそうだ。ふむ、それならもうレギュラーシーズンはほぼ問題ないので大事なポストシーズンのキモの試合にぜひ観戦に行ってもらいたいネッ。よろしく、センセイ!

2026年9月7日月曜日

SGLT2阻害薬は身をもって腎機能に有効である

昨日9月6日の話題。帝国ホテル大阪での講演会は「慢性腎臓病の患者の悪化をいかに防ぐか」というのがテーマだった。腎臓の専門家が数人講演され、また腎不全になり透析を現在受けている一般の人が自身の経験と「あの時、こう指導を受けていたら」という体験談を交えての教訓も語ってくれた。

非常に興味深い話題、解説があった中で、いくつか印象に残ったのが「日本人(東洋系の人)は1個の腎臓にある糸球体の数が普通は100万個ほどと言われているが実際は平均64万個でこれは欧米の92万個と比べかなり少ない。一度機能が失われた糸球体は元には戻らない。だから欧米人に比べ日本人は腎機能の悪化を来しやすい」んだそうで、世界の中でも人工透析を受けている比率の高い国は1位が台湾で2位が日本なんだそうだ。

腎機能で大事な数値、eGFR(推算糸球体濾過量=腎臓が1分間にどれくらいの血液をろ過して老廃物を排泄できているかを示す腎機能の目安となる数値)が、60未満になると、その後徐々に腎機能が悪化し10年後には取り返しがつかなくなることも多いとか。だから60未満の時に「様子を見ましょう」とか「経過観察」にするのはダメで、今は腎機能悪化を防ぐ薬が開発されたからそれで病気の悪化を防ぐべきということが主眼であった。それを腎臓の専門家だけでは患者の数が多すぎてとても手が回らない。一般内科医にその点を分かってもらってどんどん治療していって欲しいんだって切望していた。

私はこれは他人事ではないと思った。なぜなら5、6年前くらいから毎年の健診で自分の腎機能がやや悪いってことに気がついていた。eGFRが以前は60以上だったのが、50台後半55くらいまで低下してきていた。ただ腎機能が悪いという自覚症状はなかった。いや、これはeGFRが20や30になっても自分ではなかなか気が付かないのが普通だ。だから採血や検尿で自分の腎機能を知ることはとっても大切なんだ。eGFRが15未満になると透析治療がチラついてくる。腎臓専門家は60未満になった時点でなにがしかの治療をすべきと強調していた。

eGFRの数値と慢性腎臓病(CKD)のステージ分類

90以上(G1・正常):しっかり働いています
60〜89(G2・軽度低下):軽度の低下、経過観察
45〜59(G3a・中等度低下):定期受診を推奨
30〜44(G3b・中等〜高度低下):専門医への相談を検討
15〜29(G4・高度低下):腎代替療法(透析など)の検討
15未満(G5・腎不全):透析や移植が必要な状態

↓が私のeGFRの数値グラフ。2022年から2024年までの3年間は60未満だと分かる。eGFRが60未満の状態が3か月以上続くと慢性腎臓病(CKD)と診断されるから、私はCKDのステージG3aで定期受診推奨域にあったわけだ。しかし今回の講演会では「経過観察」や「定期受診」では生ぬるいと演者らの意見は一致していた。というのも数年前からCKDに対し効果のある良い薬が承認され有効性が証明されてきているからだ。
SGLT2阻害薬である。この薬は10年以上前に元々糖尿病の薬として承認された。腎臓での糖の再吸収を抑えて尿と一緒に体外へ排泄し、血糖値を下げる飲み薬だったのだ。ところがこの薬は水分や塩分も一緒に排出することで心臓や腎臓の負担を減らし、心不全や慢性腎臓病(CKD)の進行を抑える効果が臨床試験で証明され、心臓、腎臓の患者にも健康保険での処方が数年前から認められるようになった。実は2023年ごろから私はこっそりSGLT2阻害薬を服用していた。心腎機能にいいとデータが出ていたし、体重も増えにくい特徴もあり、糖尿病はなくても飲むに値すると自身思ったからだ。すると2024年ごろから腎機能がやや改善傾向になってきていた。去年、今年とeGFRが60をぎりぎりだが上回っているんだ。この薬のおかげだったんだと講演を聴いて確信したわー。

ふむふむと納得しながら聴き終わったのであるが、講演中「しまったぁ」とあせってもいた。なんとなれば毎朝服薬しているそのSGLT2阻害薬、ちゃんと鹿児島からもバッグに入れて持って来ていたのにすっかり飲み忘れていたのだ。日頃は朝食時にテーブルに置いているから忘れることはない。でも環境が変われば忘れてしまうんだよ。すぐに飲もうにもバッグはホテルのクラークに預けたままだった。会が終わって懇親会があってそこで昼食を済ませ、13時過ぎてからようやくクラークに行き、真っ先に取り出して飲んだのはそのSGLT2阻害薬1錠であった。ふぅ〜。

2026年9月6日日曜日

ジャンジャン横丁、通天閣、でも大汗かいたのは・・

(昨日9月5日の続き)

ジャンジャン横丁って車は入れない幅のやや狭いアーケードだった。でも入ってすぐに「うわ、ここは昭和か」って思うほどレトロな雰囲気に満ちた横丁って分かった。弓矢打ちや射的の店が五、六店以上もあったんだ。

これ、昭和時代の縁日の露店ではなくてちゃんと建物の中にありしかも日常的に店を構えているってのがちょっとした驚きだった。私は射的は1回もしたことがなかったが、正月の天文館公園でよく見たものだった。それにも増してここは飲食店も軒を連ねていて、焼き鳥など比較的軽めの食事、一杯飲み屋風の店が多かった。喉も渇いていたけれど、夕食には早い時間だったし、ここでの一人での食事はちょっとなぁ・・だった。

それに通天閣見物が今回の主目的だ。そっちを急がねばな。横丁を過ぎてしばらく歩くと右側の通りの向こうに、見えてきたよ〜。まさに通天閣だ↓。
展望台に入るには・・と思って入口に寄っていくと、「滑り台にしますか、展望台にしますか、展望台は入場料は大人1500円です」だと。なんで滑り台なんかと思い、1500円展望台を当然選択した。少し高いかな。呼び込みの職員は「バンジーもありますよ」ときたので「うわ、とんでもない」と断った。何、滑り台にバンジーって。でもエレベーターを並んで待っている間に分かったのは、タワースライダー1100円ってのは案外面白そうだってこと。「ウワーッ」とか「キャーッ」とかの歓声、叫声がすごいんだ。
バンジーは絶対に嫌だが、このスライダーはもし機会あればやってもいいかなと思ったヨ。

さて、通天閣だが、これが展望台に上がるまでがやや大変だった。エレベーターに10名ほど単位で移動させられ、さらに中層階ではビリケンさんとの写真を職員に撮られ、ぐるりと昭和の風情ゆかしき展示物を眺めて歩き、時間が経過したところで「はい、写真が出来上がりました。1枚1500円」とやられる。私は絶対に買うもんかと思って「目に焼き付けときますわ」とだけ返事したが、私の前の2組はどちらも購入していたよ。ぼられてるやろ。

その写真商売が示すように、隙あらば買ってもらおうという仕組みが目立ったなー。エレベーターに乗る前に商品が陳列しているところを通らされるし、普通100m近い階上にあがって展望をするだけのはずが、展望所に着いた時は入口からなんと40分もかかっていたんだ。もう喉が渇いていてさー。眺めは良かったよ。梅田方面を眺めるとさっきまでえらい大きな建造物と思っていた大阪城が周囲の近代建築に囲まれてえらく小さかった。江戸時代には周囲を睥睨(へいげい)していても、21世紀の現代では・・その差を思い知られされた気がした。↓の写真に大阪城が写っているのだが、言われないとどこにあるのかたぶん気が付かない。
マイデジカメの望遠で撮ったのが↓でこれなら大阪城はすぐに分かる。上の写真でもう一度探してみてー。
西側を眺めると六甲山の夕焼けが綺麗だった。
下に降りるのもエレベーター待ちで10分以上も並び、外に出たのは結局入場から1時間10分ほども経過してからだった。ここ以外に急ぐ用事のある観光客は注意が必要だ。

外はさすがに9月ゆえにすでに暗くなっていて「空に灯が付く通天閣」の光景が見られて良かった。

で、夕食だが、ちょうど1680円で牛かつの店があり、そこに入った。で、まずは私には珍しく「生ビール一つ」と頼み、キンキンに冷えたビールをグイッと飲んだ。くーーっ、美味い!
以上で、大阪らしいポイントを一人で観光するイベントは終わってまた電車でホテルへ帰ったのだが、一つだけ一番衝撃を受けたことをまだ書いていなかった。そのびっくり、どっきりを最後に記(しる)しておこう。

それはジャンジャン横丁に入ってすぐのこと、前にいた歩行者二人が「うわっ!」と言って身をかわしたのよ。何だ?と思って、近くを歩いている入れ墨の中年男性を見ると・・。今度は私が「げっ!」。↓の写真では単なる彫り物もんもんのおっちゃんくらいにしか見えないかもしれない。
でも、手にとーっても怖いものを持っていたんだ↓。
なんとニシキヘビを抱えてこの通りをあっちこっちと歩き回っていたんだよ。私は見かけてすぐに逃げるようにその場離れたが、このおっちゃん、また引き返してきて↑の写真が二度目だった。気が付いた周囲の人も驚いて見ているでしょ。

その後、横丁を離れて通天閣へ向かう通りを歩いていると、いやぁー、三度目のすれ違いだよ〜。今度は興味を持った外人さんが「ワタシニモ持たせて〜」と自ら手に持つと、それを見た日本人女性も「私も触ろうっと」と寄ってきていた↓。もう信じられない。
そもそもこんな大蛇を路上で持ち歩いて歩き回るなんて鹿児島では見たことも聞いたこともない。東京なんかでもあり得ないんじゃないかな。大阪だとこれが許される土壌のようなものがあるんだろう。調べたところでは、この横丁が100年以上前は遊郭へつながる道だったり、その後労働者が多く集まる地域だったりでにぎわったが、その後発展が止まったことで、ジャンジャン横丁自体がレトロな観光地として再評価されるようになり、現在は家族連れでも来られる雰囲気になっているとのことだ。確かにその古っぽい雰囲気は嫌いではなかったが、爬虫類、なかんずくヘビはダメだわ。せっかくのレトロ気分が吹っ飛んで早く逃げ出したくなった。夕食の後も最初来た駅ではなく少し遠回りしてJR新今宮駅まで行って帰ったのだった。

ホテルでは備え付けのミネラルウォーターをぐいぐい飲んでもまだ足りず、水道水まで飲んで大汗(‾□‾;)かいた大阪観光をふりかえることだった。

2026年9月5日土曜日

プロペラ、古墳、大阪城

B社主催の講演会が9月6日に大阪であるため、私は昼前に鹿児島空港へ向かった。飛行機で大阪に行くのはいったいいつ以来だろう。九州新幹線が全線開通した2011年以降は神戸や大阪の学会にはほぼ新幹線で行っているから15年ぶりくらいか。今回は熊本地震もあり飛行に限る。全日空を利用したが飛行機に乗る時、何か違和感が・・一段低いところに昇降口があったのだ。窓際に座って外を見て少しびっくり。プロペラ機だったってその時に気が付いた。プロペラに乗るっていつ以来か覚えていないぞ。

30年以上前、種子島の病院に月2回行っていた時はプロペラだった。あと、大学内視鏡室の仲間と長崎での学会に向かう時が雨中のプロペラで、揺れに揺れまくって私は我慢出来ずに「紙袋」にゲロってしまった苦い記憶がある。あと、初めて飛行機に乗ったのが昭和45年の4月1日で大阪の万博に向かうためだった。なんで正確に覚えているかというと、前日にあの「よど号ハイジャック事件」があったからで、それは日本初のハイジャック事件だった。「明日は初めて飛行機に乗るのにー」と緊張とワクワク両方の感情が入り交じったものだ。それがジェット機だったかプロペラ機だったかは覚えていないが、帰りの4月5日はプロペラ機だったと覚えている。窓の下に甲子園が見え、箕島対北陽の決勝戦をやっているんだぁと思いながらいつしか眠ってしまい、スチュワーデスさんに毛布を掛けてもらっていた。

およそ1時間20分の飛行で大阪は伊丹空港に着いた。大阪上空を通る時は古墳群を見るのが楽しみだったが今回は1枚しか写真は撮れなかった↓。
左下に見える前方後円墳は後で調べると「河内大塚山古墳」で日本第5位の大きさだった。その右上付近の前方後円墳は「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)」だ。↓のネットのマップではピンク矢印から撮影している。
だいたいにおいて古墳ってぜったい空から見た方が面白いんだよな。近くからだとこんもりした公園かなぐらいにしか見えない。↓搭乗したカナダ製のプロペラ機。直に歩いて空港構内に入ったのも久しぶりだ。
伊丹空港からはタクシーで帝国ホテル大阪に入った。開業30周年なんだって。いいホテルなんだがどの駅からも若干歩かないといけなく、この後大阪城と通天閣を見物する予定だったのでそこは少し不便に思った。ホテルの人に聞いて、大阪城と反対方向のJR環状線桜宮駅から大阪城公園駅で降りるといいと知った。8分ほどで桜宮駅に着き、電車で大阪城公園まで6分、やはりそれほど時間はかからなかったが、大阪城一帯は広いのよ〜、歩いて天守閣までほぼ30分かかった。外堀もあって↓の天守閣が見える内堀まで13分。
今の大阪城は豊臣秀吉が創建した頃の城ではなく、江戸時代初期に再建され、天守閣などは第二次大戦後に造られたものと知ってはいるが、石垣などは当時のものなのでそこはやはり見応えがあった。天守閣周辺は外人さんたちが多かったな。旗に先導されてのツアーもあってやはり人気スポットだ。
しかし城内には私は入らなかった。7年前の青森の弘前城は江戸時代からの本物の城だったから入場したが大阪城は外から眺めるだけでいい、というより、もう一つ通天閣と新世界に行くつもりだったので時刻がすでに午後の16時過ぎで時間の余裕がなかったんだ。最寄りのJR森ノ宮駅までまた30分も歩かねばならなかった。へとへと・・それに喉が渇いてきていた。ミネラルウォーターでも自販機で買うか。いや、たかが水に160円も払いたくないと我慢することにした。

地下鉄動物園前に降り立ったのが17時8分で天守閣からちょうど1時間経過していた。やはり入らずにこっちに向かったのは正解だった。スマホのマップで見ると「ジャンジャン横丁」から入っていけば、あの坂田三吉もそれを見て上京前に闘志を燃やしたという通天閣がある。今日は長くなるのでこの後は明日の日記で書こう。ではまた。