2026年9月6日日曜日

ジャンジャン横丁、通天閣、でも大汗かいたのは・・

(昨日9月5日の続き)

ジャンジャン横丁って車は入れない幅のやや狭いアーケードだった。でも入ってすぐに「うわ、ここは昭和か」って思うほどレトロな雰囲気に満ちた横丁って分かった。弓矢打ちや射的の店が五、六店以上もあったんだ。

これ、昭和時代の縁日の露店ではなくてちゃんと建物の中にありしかも日常的に店を構えているってのがちょっとした驚きだった。私は射的は1回もしたことがなかったが、正月の天文館公園でよく見たものだった。それにも増してここは飲食店も軒を連ねていて、焼き鳥など比較的軽めの食事、一杯飲み屋風の店が多かった。喉も渇いていたけれど、夕食には早い時間だったし、ここでの一人での食事はちょっとなぁ・・だった。

それに通天閣見物が今回の主目的だ。そっちを急がねばな。横丁を過ぎてしばらく歩くと右側の通りの向こうに、見えてきたよ〜。まさに通天閣だ↓。
展望台に入るには・・と思って入口に寄っていくと、「滑り台にしますか、展望台にしますか、展望台は入場料は大人1500円です」だと。なんで滑り台なんかと思い、1500円展望台を当然選択した。少し高いかな。呼び込みの職員は「バンジーもありますよ」ときたので「うわ、とんでもない」と断った。何、滑り台にバンジーって。でもエレベーターを並んで待っている間に分かったのは、タワースライダー1100円ってのは案外面白そうだってこと。「ウワーッ」とか「キャーッ」とかの歓声、叫声がすごいんだ。
バンジーは絶対に嫌だが、このスライダーはもし機会あればやってもいいかなと思ったヨ。

さて、通天閣だが、これが展望台に上がるまでがやや大変だった。エレベーターに10名ほど単位で移動させられ、さらに中層階ではビリケンさんとの写真を職員に撮られ、ぐるりと昭和の風情ゆかしき展示物を眺めて歩き、時間が経過したところで「はい、写真が出来上がりました。1枚1500円」とやられる。私は絶対に買うもんかと思って「目に焼き付けときますわ」とだけ返事したが、私の前の2組はどちらも購入していたよ。ぼられてるやろ。

その写真商売が示すように、隙あらば買ってもらおうという仕組みが目立ったなー。エレベーターに乗る前に商品が陳列しているところを通らされるし、普通100m近い階上にあがって展望をするだけのはずが、展望所に着いた時は入口からなんと40分もかかっていたんだ。もう喉が渇いていてさー。眺めは良かったよ。梅田方面を眺めるとさっきまでえらい大きな建造物と思っていた大阪城が周囲の近代建築に囲まれてえらく小さかった。江戸時代には周囲を睥睨(へいげい)していても、21世紀の現代では・・その差を思い知られされた気がした。↓の写真に大阪城が写っているのだが、言われないとどこにあるのかたぶん気が付かない。
マイデジカメの望遠で撮ったのが↓でこれなら大阪城はすぐに分かる。上の写真でもう一度探してみてー。
西側を眺めると六甲山の夕焼けが綺麗だった。
下に降りるのもエレベーター待ちで10分以上も並び、外に出たのは結局入場から1時間10分ほども経過してからだった。ここ以外に急ぐ用事のある観光客は注意が必要だ。

外はさすがに9月ゆえにすでに暗くなっていて「空に灯が付く通天閣」の光景が見られて良かった。

で、夕食だが、ちょうど1680円で牛かつの店があり、そこに入った。で、まずは私には珍しく「生ビール一つ」と頼み、キンキンに冷えたビールをグイッと飲んだ。くーーっ、美味い!
以上で、大阪らしいポイントを一人で観光するイベントは終わってまた電車でホテルへ帰ったのだが、一つだけ一番衝撃を受けたことをまだ書いていなかった。そのびっくり、どっきりを最後に記(しる)しておこう。

それはジャンジャン横丁に入ってすぐのこと、前にいた歩行者二人が「うわっ!」と言って身をかわしたのよ。何だ?と思って、近くを歩いている入れ墨の中年男性を見ると・・。今度は私が「げっ!」。↓の写真では単なる彫り物もんもんのおっちゃんくらいにしか見えないかもしれない。
でも、手にとーっても怖いものを持っていたんだ↓。
なんとニシキヘビを抱えてこの通りをあっちこっちと歩き回っていたんだよ。私は見かけてすぐに逃げるようにその場離れたが、このおっちゃん、また引き返してきて↑の写真が二度目だった。気が付いた周囲の人も驚いて見ているでしょ。

その後、横丁を離れて通天閣へ向かう通りを歩いていると、いやぁー、三度目のすれ違いだよ〜。今度は興味を持った外人さんが「ワタシニモ持たせて〜」と自ら手に持つと、それを見た日本人女性も「私も触ろうっと」と寄ってきていた↓。もう信じられない。
そもそもこんな大蛇を路上で持ち歩いて歩き回るなんて鹿児島では見たことも聞いたこともない。東京なんかでもあり得ないんじゃないかな。大阪だとこれが許される土壌のようなものがあるんだろう。調べたところでは、この横丁が100年以上前は遊郭へつながる道だったり、その後労働者が多く集まる地域だったりでにぎわったが、その後発展が止まったことで、ジャンジャン横丁自体がレトロな観光地として再評価されるようになり、現在は家族連れでも来られる雰囲気になっているとのことだ。確かにその古っぽい雰囲気は嫌いではなかったが、爬虫類、なかんずくヘビはダメだわ。せっかくのレトロ気分が吹っ飛んで早く逃げ出したくなった。夕食の後も最初来た駅ではなく少し遠回りしてJR新今宮駅まで行って帰ったのだった。

ホテルでは備え付けのミネラルウォーターをぐいぐい飲んでもまだ足りず、水道水まで飲んで大汗(‾□‾;)かいた大阪観光をふりかえることだった。

2026年9月5日土曜日

プロペラ、古墳、大阪城

B社主催の講演会が9月6日に大阪であるため、私は昼前に鹿児島空港へ向かった。飛行機で大阪に行くのはいったいいつ以来だろう。九州新幹線が全線開通した2011年以降は神戸や大阪の学会にはほぼ新幹線で行っているから15年ぶりくらいか。今回は熊本地震もあり飛行に限る。全日空を利用したが飛行機に乗る時、何か違和感が・・一段低いところに昇降口があったのだ。窓際に座って外を見て少しびっくり。プロペラ機だったってその時に気が付いた。プロペラに乗るっていつ以来か覚えていないぞ。

30年以上前、種子島の病院に月2回行っていた時はプロペラだった。あと、大学内視鏡室の仲間と長崎での学会に向かう時が雨中のプロペラで、揺れに揺れまくって私は我慢出来ずに「紙袋」にゲロってしまった苦い記憶がある。あと、初めて飛行機に乗ったのが昭和45年の4月1日で大阪の万博に向かうためだった。なんで正確に覚えているかというと、前日にあの「よど号ハイジャック事件」があったからで、それは日本初のハイジャック事件だった。「明日は初めて飛行機に乗るのにー」と緊張とワクワク両方の感情が入り交じったものだ。それがジェット機だったかプロペラ機だったかは覚えていないが、帰りの4月5日はプロペラ機だったと覚えている。窓の下に甲子園が見え、箕島対北陽の決勝戦をやっているんだぁと思いながらいつしか眠ってしまい、スチュワーデスさんに毛布を掛けてもらっていた。

およそ1時間20分の飛行で大阪は伊丹空港に着いた。大阪上空を通る時は古墳群を見るのが楽しみだったが今回は1枚しか写真は撮れなかった↓。
左下に見える前方後円墳は後で調べると「河内大塚山古墳」で日本第5位の大きさだった。その右上付近の前方後円墳は「岡ミサンザイ古墳(仲哀天皇陵)」だ。↓のネットのマップではピンク矢印から撮影している。
だいたいにおいて古墳ってぜったい空から見た方が面白いんだよな。近くからだとこんもりした公園かなぐらいにしか見えない。↓搭乗したカナダ製のプロペラ機。直に歩いて空港構内に入ったのも久しぶりだ。
伊丹空港からはタクシーで帝国ホテル大阪に入った。開業30周年なんだって。いいホテルなんだがどの駅からも若干歩かないといけなく、この後大阪城と通天閣を見物する予定だったのでそこは少し不便に思った。ホテルの人に聞いて、大阪城と反対方向のJR環状線桜宮駅から大阪城公園駅で降りるといいと知った。8分ほどで桜宮駅に着き、電車で大阪城公園まで6分、やはりそれほど時間はかからなかったが、大阪城一帯は広いのよ〜、歩いて天守閣までほぼ30分かかった。外堀もあって↓の天守閣が見える内堀まで13分。
今の大阪城は豊臣秀吉が創建した頃の城ではなく、江戸時代初期に再建され、天守閣などは第二次大戦後に造られたものと知ってはいるが、石垣などは当時のものなのでそこはやはり見応えがあった。天守閣周辺は外人さんたちが多かったな。旗に先導されてのツアーもあってやはり人気スポットだ。
しかし城内には私は入らなかった。7年前の青森の弘前城は江戸時代からの本物の城だったから入場したが大阪城は外から眺めるだけでいい、というより、もう一つ通天閣と新世界に行くつもりだったので時刻がすでに午後の16時過ぎで時間の余裕がなかったんだ。最寄りのJR森ノ宮駅までまた30分も歩かねばならなかった。へとへと・・それに喉が渇いてきていた。ミネラルウォーターでも自販機で買うか。いや、たかが水に160円も払いたくないと我慢することにした。

地下鉄動物園前に降り立ったのが17時8分で天守閣からちょうど1時間経過していた。やはり入らずにこっちに向かったのは正解だった。スマホのマップで見ると「ジャンジャン横丁」から入っていけば、あの坂田三吉もそれを見て上京前に闘志を燃やしたという通天閣がある。今日は長くなるのでこの後は明日の日記で書こう。ではまた。

2026年9月4日金曜日

ドラマのTVにジョン・マッザがっ!

これは全くの小ネタなんだが、「ブレイキング・バッド」を見ていて、あれ?と思ったシーンがあった。それは主人公ウォルター・ホワイトの義弟にあたる麻薬捜査官が重傷を負って自宅休養中ベッドからTVでボウリングの試合を観戦するシーンだった。それを見た瞬間、私は「おお、ジョン・マッザやん!」と声を上げたのだ。特徴的な風貌から一瞬で分かる。

私がPBA(全米プロボウリング)のトーナメントを熱心に見ていたのは1991年からおよそ10年間で、上のジョン・マッザはその1991年に初優勝を果たし、その後もコンスタントに活躍を続け、タイトルも8個獲得したそこそこ有名な左腕ボウラーだった。優勝もだが最難関スプリットの7ー10をTV放送時にやってみせたことも有名だ→https://www.youtube.com/watch?v=XtDDG5MrxAs

それはいいが、気になったのはこのドラマ、2008年に始まっていて時代設定もその頃のはずだ。とすれば劇中の試合放送でジョン・マッザが出てくるのはおかしい。彼は2000年以降はトーナメントでほとんど活躍せずTVでは少なくとも私は見たことがない。それにちょうどTVから試合中継のアナウンスが聴き取れ、「ジョン・マッザ、9フレーム197ピンでパーカー・ボーンとスコアで並びました。家族に視線をやっています。マッザと言えば子どもが生まれたばかりで・・名前はジョセフ・・」などと紹介していた。そして10フレで4番7番の2ピン残していたが、これって本当の放送を流しているんだろうか?ここでボウリングオタクの血が騒いだ。この映像がいつのトーナメントなのか調べてやろう。

WikipediaやYouTubeなどでいろいろ検索すると、確かにマッザはボーンとある大会の決勝を戦っていた。1997年のブレントウッド・クラシックでマッザはボーンを下して7回目の優勝をしている。劇中の映像はその時のものだ。しかしー。9フレ終わって同スコアというのは事実と違う。実際は9フレの時点でマッザがプラス59ピンと勝利を確定していた。YouTubeでその時の映像をスクリーンショットしたのが↓だ。
マッザが2本残したのは実際は2フレでドラマではその時の映像を使っていた。しかし中継音声は全く別のことをしゃべっていたのだ。劇中の内容に合わせて家族のことを語らせたかったのかもしれない。このドラマでは「家族」も一つのテーマだからか。ちなみにマッザは1993年のトーナメントで実際に奥さんと子どもが会場にいて応援している様子も中継されていたことがある。↓この子がジョセフなんだろうね。
そして数年前にボウリング系YouTuberのサイトでインタビューに答えているのもあった↓。
いや〜、当時から頭頂部は薄くなっていたが今ではすっかり・・。もう30年以上前だもんね。1990年代に活躍していたレジェンドボウラーたち、30勝以上タイトル獲得したノーム・デューク、ピート・ウェーバー、ウォルター・レイ・ウィリアムズJr.などはレギュラートーナメントは引退したし、その頃は若手だったクリス・バーンズも今年引退を表明した。彼らの活躍を見てボウリングにハマッていった私もアマチュアなのにほぼ引退状態だ。30年も経てば一つの世代が完全に入れ替わるって本当だなぁ。

ドラマの筋とは全く関係ないことながら、そんなことでしみじみと感じ入ってしまった。

2026年9月3日木曜日

ハナビ、丸3年

昨日書きそびれたが、9月2日はハナビを保護してちょうど3年の記念日だった。ただ、我が家に居着いたのはそれより約5ヶ月前の2023年4月9日だった(「ハナビちゃん登場」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/04/blog-post_9.html)。この時はまだ、うちに来てエサをねだる野良ネコのうちの一匹だくらいに思っていた。この団地の野良ネコでうちに来るのは、たまにエサもらいに来るか、その時の1回きりしか顔を見せないかのどちらかだった。名付けはその時の日記にも書いたとおり、鼻に黒いブチがあったので「ハナ」と呼ぼうとしたが、知っているイヌに同名がいたので、さらに「鼻(ビ)」を付けて「ハナビ」と呼ぶことにしたのだった。それが毎日来るどころか、ロッジに寝泊まりするようになり朝夕2回の食事ももらうのが当然とばかり窓を叩いて催促するようになった。それが5ヶ月も続けばもう家の中でちゃんと飼うしかないと私たちは腹をくくったのだった。↓は近くの動物病院で処置を受けるハナビ。この写真ではおとなしいが、実はかなり暴れて引っ掻き噛みついたようで「次回以降は麻酔を必ずさせてもらいます」と釘をさされたのだった(‾□‾;)。

その年の9月の日記はハナビやネコのネタがやたら多かった。9月4日「ハナビ3日目」、9月12日「なじんでよ、ハナビ」、9月19日「ネコの複数問題」、9月25日「ハナビ無双」、9月26日「ネコ2匹、私1人」、9月27日「ネコがしぶとく生きていくためには」と7つも日記ネタになった。この頃のハナビは我が強く、また縄張り意識もあってゲンちゃんとよく衝突していた。「ハナビ無双」や「ネコ2匹、私1人」を読むとそれがよく分かる。後者ではゲンちゃんとのバトルが動画で見られ、久しぶりに見て面白かったわ→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/09/21.html。↓は動物病院受診後に初めてこてる家の玄関に来た時のハナビ。なんだここは?って表情だ↓。まだ首輪はない。
同じ日、すぐにハナビには黄色い首輪を付けた。それが3年経ってもずーっと同じ首輪を付けているんだ。ハナビはそれを嫌がらない。反対にゲンちゃんはピンクの首輪なんだが、首になかあるのがイヤで、なにかにつけて外そうとするので首輪がへたってしまうんだ。それで半年に1回は新品と交換している。とうとうピンクのが店になくて今は赤の首輪になってしまった。ハナビ用の黄色の首輪はその時にもう1個買っていたが、カールは「いまだに交換する必要ないくらい」と笑っている。初めて首輪を付けてもらう瞬間↓。
ハナビは人に勝手に触られるのがイヤで、迂闊に手を出そうもなら必ず攻撃してきた。最初に私に慣れてきて、すこーしずつカールにも慣れてきて、なでなでするのはOKになった(時々家にやって来るチッチにはまだ懐かないけどー)。特に私には歯磨き、ひげ剃り、入浴をしようとすると必ず寄ってくるほどで、そばに水道があれば水飲みをしたがる。最近はカールが料理をしようとすると「いつも寄ってくるのよ〜」なんだそうだ。↓は台所で水を飲むハナビ。
ゲンちゃんとのバトルも最近はほとんどなく、それどころか同じ時間帯ではおなじような行動を取ることが多い。↓は昨日の夕方、ともに同じ方向を向いてくつろぐ2匹。
この1時間後にはハナビは私のチェアに、ゲンちゃんはカールのチェアに乗っかってお休みしていた。ともかくも「こてる家の中にも3年」。だんだん家ネコ化して、懐いてきているハナビであった。

2026年9月2日水曜日

確かにすごい「ブレイキング・バッド」

8月29日に取り上げたアメリカのドラマ「ブレイキング・バッド」、これをこのところずっと見続けている。シーズン2(13話)、シーズン3(13話)は見終わり、今日からシーズン4(13話)に突入した。シーズン1を見終わった時点で「見るのは止めようかな」とチラッと思ったが、YouTubeで「ホイチョイ的映画生活〜この一本〜」を配信している映画監督の馬場康夫さんと雑誌編集者の西田善太さんが2年ほど前にこのドラマを取り上げていて、「これは私の人生最高のドラマです」と力説する西田善太さんの熱弁にうーむと唸り、↓にもあるように「ブレイキング・バッド」はシーズン1さえ見終えれば大丈夫とあって、ちょうどその時点にいた私は「ならばシーズン2以降も見ようじゃない」となったのだ。
で、このドラマ、制作者は最初からシーズン5までで終えると決めていて練り上げていったそうだ。それで、ヒットしたからと、だらだらとエピソードを重ね後半は似たような展開で面白みがなくなるパターンが一切なく、そればかりかシーズンを追うごとに面白くなるって評価が多かった。実際、シーズン3まで見て、メインキャラやサブキャラの葛藤や成功、悩みなどが飽きさせないように上手に描かれ、えっ?!と思うような回も多々あり数日でシーズン4まで来てしまった。犯罪物なので人が死ぬシーンも多々ある。特にシーズン2の最終13話はシーズン冒頭に出て来たプールに漂う片眼の取れたぬいぐるみの意味が判明するのだが、いやまさかそんなエピソードを持って来るのかと意表を突かれた。

サブキャラでは巨大麻薬組織のボス、ガス・フリングが実にいい。表だってはチキンフードチェーン店の社長で身なりはきちんとした褐色系のシャツで地域の名士で通っている。しかし裏ビジネスでは非情なタイプで頭の回転も早い。主人公の中年男性はその組織の一員として麻薬製造に関わることになるが、若手相棒とのコンビでどうにか上手く立ち回ろうと奮戦する。主人公が窮地に立った時にそれを解決するアイデアにも唸らされる。また主人公の妻やその妹もなにかとストーリーに関わってくる。チャラいが腕利きの弁護士もいて主人公たちを手助けしたりと、それぞれのキャラがみんな立っているんだ。メキシコとの麻薬カルテルとの関わりも緊張感ある演出が多い。またアメリカ麻薬取締局のDEAには凄腕捜査官がいて実は主人公の義弟にあたるが、主人公の裏家業には今のところ気づいていない。が、しかしーってとこだ。

実はこの日記を書く前にシーズン4の最終話に来ていて、これがすごかった。主人公が敵2人の心理を上手く利用し、結局2人とも同時にやっつけてしまう。見ている方は驚き、カタルシスの両方が感じられる。シーズン5にも神回と言われる放送回がいくつもあるそうだから、もうここまで来るとこのドラマ確かに止められませ〜ん。メジャーリーグは大谷の調子が最悪で最近は面白くない試合が多く面白くない。そのせいもあってこのドラマを集中して見ている。「生涯最高」までは行くか分からないけれど、エミー賞も獲ったこの作品、韓ドラや日本のドラマにはないアメリカドラマの神髄を見せてもらっているとは言える。この日記どうにか書き終えたら早速シーズン5(全16話)を見始めようゾ。

2026年9月1日火曜日

古くはない、風情がある

9月になって新しく入職してきた職員が院長室に挨拶に来た。職種も年齢もバラバラだったが全員女性だった。青雲会では4月からネームは名字だけで名前が記されない。

名前がないとどうも覚えにくい。私は写真を撮る時に必ず名前を聞いてメモに取っておく。

右の看護師さんは「サオリです」というので漢字まで尋ねた。「沙緒梨」だという。ふーむ、これはいかにも今風なネーミングだ。次のアロハの女性は「マサコです」というので、私は見た目からして「ふふ、昭和の風情を感じますねぇ」と言い「マサコはマサコでもどの漢字?」と聞くと「森昌子の昌子です」で一発で理解した。真ん中の女性は医師事務作業補助者で名前を聞く前に見た目で平成生まれだろうと思った。「アサミでアは亜細亜の亜でサは氵に少ない、ミは美しいの亜沙美です」とやはりいかにも平成風だ。あとの二人はどう見ても昭和生まれにしか見えない。名前は「久乃」さんと「田鶴子」で間違いなかった。

その後、内視鏡室で仕事中に医師事務作業補助者の主任を務めている山の神さんが新人の亜沙美さんを連れて挨拶に来た。私は朝一番ですでに会っているので「ああよろしく、確か名前は・・サオリさんかアサミさんか・・」「亜沙美です」「そうそう。だったね。名前が昭和風情ではなくて平成風だったんだ」と言うと、山の神さんがチラリと視線を寄こし「センセイ、じゃー私は古いってことですかぁ」と言ってきた。これには慌てて否定した。

「いやいや、私は『古い』なんて一言も言っていないよ。院長室でも昭和の香りがするとか昭和の風情があるって言ったんだよ。古いなんて言ってない言ってない( ・_・;)」

山の神さんの名前は「マキコ」で最後は「子」の字が付く。昭和時代の女性は「〇子」や「〇〇子」が当たり前でクラスの半数いや3分の2に「子」が付いていたものだ。平成に入っても10人に1人くらいは「子」が付いていたような気がしたが、どんどん廃れて今ではほとんど見なくなった。令和の感覚からすると「子」を付けるとまだちょっと古くさいのだろう。

この前、親戚のスチョルDrと話をした時に、明治生まれの私の祖母やその姉妹の名付けが「エイ」「ツエ」「トエ」とカタカナ2文字だったと少し話題になった。日常ではそれぞれ「お」を付けて「オエイ」「オツエ」「オトエ」ばあさんと呼んでいた。オエイ祖母さんの子どもは女性が4人がいて、上の二人は大正生まれで「マサエ」「トシ」その次が唯一男の父デンコーで次が昭和生まれだが「ネキ」、最後だけが「文子」と子が付いた。確か昭和10年か11年生まれだ。その頃になると「子」を付けるのが一般的になっていたのだろう。故ギボヒサコも昭和11年の早生まれで「久子」だった。昭和9年生まれの「美智子」妃など相当に新しい雰囲気を持つネーミングだったんじゃないかな。

カタカナ2文字だと明治大正から昭和初期、「子」が付くと昭和まっただ中のイメージがまだある。しかしもう少し時代が経てばカタカナも「子」も新鮮な感じがしてまた付けられるかも。平成に入った頃、フジTVの女性アナウンサーで「近藤サト」という新人が出てきた時に、意外に新鮮な響きがあって私は驚いたものだった。サトさんは昭和43年生まれの現在58歳。今では白髪ではあるが名前ともぴったり似合ってイイ感じだ。

カタカナも「子」も決して古いわけではないんだよ〜。

2026年8月31日月曜日

立て続けにS状結腸憩室出血発見

休み明けの内視鏡、ちょっと珍しいことに私とダヒロDrにそれぞれ下血患者が割り当てられた。ともに中高年の男性だった。そして先にダヒロDrがS状結腸に入ったところで「先生、これ大腸憩室の出血源じゃないでしょうか」と確認を求めて来た。パッと一目で「うん、間違いない」と私は太鼓判を押した。↓で憩室の中に赤黒い血管が確認出来る。

そしてそれから約10分後に開始した大腸内視鏡でS状結腸に出血源と思われる憩室をすぐに見つけた。ほんと、あっという間だった。動画では出血源の血管が拍動している様子がよく分かる↓。
いや、大腸憩室出血の出血源を見つけるって、この日記でも何度も書いてきたけど、難しくて全国平均で2〜3割程度だ。見つかりさえすれば止血処置はクリップ止血かゴムバンド結紮法をやり比較的簡単だ。私はクリップで血管を挟み込んだ後、念押しで結紮ゴムを掛けてこのの10分で手技を終えた。ダヒロDrも同じようにしようとしたが、消化管癒着のある患者さんでゴム付きの内視鏡での再挿入に手間取り結局トータル1時間以上かかってしまった。↓がダヒロ、下がこてる。
とまれ、これで下血がピタッと収まるからいい。大腸憩室出血の内視鏡治療が決まった時は、これぞ内視鏡医冥利に尽きる、なんだよ。しかも私だけでなく同僚Drもほぼ同時だったからねー。気分良く帰宅の途に就くことが出来ましたわ〜。

2026年8月30日日曜日

駅の話題

今日は出水のスチョルDrのクリニックへ内視鏡の仕事があった。新幹線で行くわけだが、熊本地震の影響で鹿児島水俣間までしか通じておらず、発車時刻も10分ほど早まり午前7時半発だった。安い露天駐車場がいつもは満車になることも多いのにかなり空いていたのは新幹線利用客が激減しているからだろう。実際、私が乗った2号車には私を入れてたった2人しか乗っていなかった。↓はガラガラの車内。

9月18日に全線開通が復活するとのことだが、ビジネス、観光の利用客が減って鹿児島も相当痛手なんじゃないかな。

出水からの帰りはいつもと座席の向きが違っていて朝の上りと同じ方向のままだった。座席はぐるっと回せば進行方向には向けられるけれど、水俣でそれをやる時間もなく人もいないってことだろう。30分ちょっとで鹿児島に着くわけだから我慢も出来るしー。

鹿児島に着いたらカールと待ち合わせしてユニクロに寄った。ポケッタブルUVカットパーカというのを買うためだ。はっ水性やUVカット機能を備えたパーカーで、持ち運びに便利な収納袋が付属し、使わないときはコンパクトにまとめらバッグに入れて携帯しやすいのがポイントだ。シンプルなデザインはさまざまなスタイルに合わせやすく、日差しが気になる日のUV対策から、急な小雨への備えまで、外出時に持っておくと重宝する一着ということだ。カールは今日それを安値で買ったが、メンズ用は「しばらく待て」という。値引きのタイミングを測っているようだ。
で、私はサイズだけ確認をしておいた。
今日はそれだけで、せっかくアミュに来たから他に買おうとはせずだ。カール曰く「ついつい余計なものは買わないようにしなくちゃ」である。

帰りのプリウスだが、これがハンドル操作に戸惑った。日中、露天駐車場に放置していたせいでハンドルが熱くて握れないほどだったのだ。私はダッシュボードにシールドなんか掛けていないからー。エアコンも効くのに時間がかかった。今の日本の夏、日中に車で移動するのは大変だ。日頃は朝夕しか運転しないのでみんなが今の時期は暑くて大変というのが実感できたよ( ・_・;)。

2026年8月29日土曜日

「ブレイキング・バッド」シーズン1を見た

さて、映画「ハウス・オブ・ダイナマイト」の次に手を出したのは、アメリカドラマ「ブレイキング・バッド」だ。2008年から2013年までケーブルTVで放送され、シーズン1からシーズン5まである。今日はそのシーズン1全7話を一気見した(1.5倍速)。

アメリカのドラマを見るって私には相当珍しいことだ。いや、刑事コロンボはよく見ていたし、最近でもNHKBSの何度目かの再放送を録画してたまに見直している。でもあれは基本単発のドラマなんで、1本1時間半くらいの映画と同じだ。シリーズものの通常アメリカドラマはほとんど見たことがない。今から35年くらい前、私が結婚してまだ子どもがいなかった頃「ツインピークス」という米ドラマが流行っていた。それを私は全部ビデオ録画したものの第1話の冒頭を見ただけで結局その後は見なかった。代わりにカールが「全部見たよ〜」だったけどねー。

なぜ見ないのか?だって・・長いんだもん。韓ドラみたいに全16話が基本ならちょっと我慢すればいいが、1シーズンが7話〜10話以上あってそれがシーズン2くらいで終わることはまずなくてシーズン5くらいまではある。以前、ゾンビものに興味が出てその嚆矢(こうし)の「ウォーキング・デッド」の第1話を見たことがあった。ふーんと思ってどのくらいで見終わるのか調べて愕然とした。シーズン1はまだ全6話だったが、シーズン2が全13話、3が全16話、イヤちょっと待って、全部でそのシーズンとやら10シーズンもあるんだって。しかもシーズン10になると全22話に増えてやがる(現在はシーズン11全24話!)。やーーめた、だ。

こんなフォーマットでは、この次どうなる、どうなる、そして最後は・・といった楽しみは全く出来ない。「ツインピークス」は全30話もあった。相当な気合いと粘りがないと完走できない。だからネット配信の時代になって「このドラマ、とっても面白いよ」と聞かされてもおいそれとアメリカドラマには手を出そうとしなかったのだ。唯一の例外が1シーズン全7話の「クィーンズ・ギャンビット」くらいか。これは1日でも見終わるくらいで、面白かったのでこてる日記ネタにもなった→2023年5月21日「クィーンズ・ギャンビット」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/05/blog-post_21.html

今回の「ブレイキング・バッド」はシーズン1が全7話だそうだ。紹介したYouTuberが「最高に面白い」とか「アメリカドラマの最高傑作」などど煽るんでそれなら見てやろうじゃないか。簡単な紹介文がありタイトルバックの画像があった。それが↓。
おい・・大丈夫だろうな。これが本当に「最高傑作」かぁ・・。

ともかく騙されたと思って見始めた。アメリカ南部のニューメキシコ州に済む中年男性の高校の化学教師が主人公だ。こいつが肺癌の余命宣告を受けたことがきっかけで、いずれ遺されるであろう家族に金を残すために元教え子と違法な覚醒剤製造に手を染めるといった話だ。うーむ確かに面白さがあちこちに感じられる。いかにもなアメリカ社会が描写されているし、クスッと笑えるシーンもあったり、それに登場人物たちが一見まっとうなキャラに見えても実は欠点も併せ持っているというエピソードが出てくるのもきめが細かい(自慢の息子が隠れてマリファナ吸っていた、しっかりもののママがタバコをこっそり吸っていた、正義感あふれる義妹に万引癖があったなど・・)。

ただ、シーズン1の7話を見終わって、すぐにはシーズン2はクリックしなかった。面白そうではあるが、調べるとシーズン5まであって話数がそれぞれ全13話に増える。シーズン5など全16話だ。さっきも書いたがとっても気合いと根気がいる。そこでいったん見るのは止めようと思った。踏み込まなければ沼にはまってしまわなくて済む。他のドラマやYouTubeなど気楽に見て過ごせるというものだ。というわけでここでいったん休止という結論を出したのだった・・。

2026年8月28日金曜日

映画「ハウス・オブ・ダイナマイト」の意味すること

最近は私の3大Hobbyのうちの囲碁とボウリングを全くやっていない上に、麻雀も一休みしようとしている。そんな中、いったい何を楽しもうか。

メジャーリーグ観戦もやってはいるが、このところの大谷が調子悪くその影響でドジャースも今一つ調子が悪くて、観戦している私も乗り切れない。今年のドジャースって強いチームには弱いが弱いチームに強いという特徴がある。ナ・リーグ中地区首位のブルワーズには1勝3敗で負け越し東地区1位のブレーブスにも3連敗した。その代わり4位5位に沈むロイヤルズやパイレーツにはどちらも3連勝している。強いチームには負けて弱いチームには勝つのは当たり前だろうと言いたくなるが、昨年など弱いエンゼルスに0勝6敗するなど弱いチームに負けていい成績のチームには勝ち越したりしていたんだ。このところのドジャースは強いチームにも弱いチームにも常に接戦で勝つのも負けるのも1点差ってのが多いのよ。常に同じくらいの力を出しているとも言えるか。今はまだ8月末、ここから少しずつ調子を上げて9月末から10月にかけてピークを持って来る腹づもりならこれでいいのかもしれない。レギュラーシーズンで0勝6敗に終わった強豪ブルワーズにはナ・リーグ優勝決定戦で逆に4勝0敗とスィープしたしね。

メジャーリーグは置いておいて、割りに暇な時間のあるこの時期にYouTuberがお勧めする面白そうなドラマや映画のを視聴をしてみようと思った。その中で某YouTuberが「私のお勧め4つの映画&ドラマ」にNetflix映画「ハウス・オブ・ダイナマイト」、米ドラマ「捜索者の血」、韓ドラ「寄生獣」、日本映画「でっちあげ」があった。特にお勧めが「ハウス・オブ・ダイナマイト」だというので、今日それを見た。

どういうストーリーかと言えば、舞台はアメリカの終末もの政治スリラー映画で、ある朝、発射元が不明(ロシア、中国、北朝鮮などの可能性)のミサイル(ICBM)がアメリカに向けて突如飛来し、着弾するまでの緊迫した19分間を描いたものだ。19分をほぼリアルタイムで描くのですぐに終わっちゃうじゃないというなかれ、ホワイトハウスのシチュエーションルーム、核戦略司令部、そして大統領という3つの異なる視点から、同じ19分間が繰り返し描かれるのだ。これの緊迫感がすごい。もし自分がそれぞれの立場にいたら・・と観客もしくは視聴者に考えさせるのがこの映画のテーマだろう。

「ハウス・オブ・ダイナマイト」というイトルの意味は、私たちが暮らす世界や安全保障の体制が、いつ爆発してもおかしくない「ダイナマイトの家」の上に成り立っているという脆弱性を暗示している。映画の中では発射元不明のICBMへの迎撃ミサイルは失敗に終わり、ほぼ100%の確率でシカゴに着弾し最大で1000万人近くが死ぬだろうと予想もされる。ならばアメリカはどう対処すべきか。泣いている女性職員もいるし、国防長官か誰かはええっそんなことするのって行動を取るし、作中の黒人のアメリカ大統領は、側近がデータや資料を示された後「大統領、ご決断を」と報復の核弾頭ミサイルの発射許可(それにも大中小とランクがある)を求められ、顔が引きつり喉はカラカラだ。自分だったらこれにどう決断できよう。
この映画は私が見たYouTuberは最大級の評価をしていたが逆に「つまらない」と全く評価していないサイトもあった。うーん、映画をエンタメとしてみたら若干評価は下がるだろうが、作者の映画監督キャスリン・ビグロー(2008年の映画「ハートロッカー」でアカデミー監督賞受賞)は、国防の現実がいかにいあやうくて、危ないダイナマイトが敷き詰められた家の上にのっかているようなものだという比喩を見事に視聴者に実感させている。その意味で私はいい作品だったと思う。

いや、ふと現実に戻って今のアメリカ大統領ってドナルド・トランプだよね。ちょっと、怖いよー。

2026年8月27日木曜日

一杯飲み屋にやって来る男性たち

カールは今、旧盆中の沖縄に行っている。今年の旧盆は8月25〜27日だ。25日のウンケー(お迎え)の日には母方の従弟が実家跡に新築をしたこともあってそこへ行き、今日の27日のウークイ(お送り)の日は父方の叔母さんの家に行き従弟妹らと楽しいひとときを過ごしているようだ。

特に父方の義愛おばさんはカールが沖縄に着いた23日にも「夜、いっしょに飲みましょう」と那覇市松尾の牧志公設市場近くにあるBARでお酒をたしなんだそうだ。お昼12時から夜22時まで開いていて、お店のスタッフや常連さんもフレンドリーな「ワンコインバー(一杯飲み屋)」で、実はその店、義愛おばさんの長女ちーかーさんが経営していてアルコール1杯が500円のワンコインで飲めるんだそうだ。現在は物価上昇もあり1杯600円〜650円になったそうだが、中高年の男性客中心にいつもお客さんが絶えないとのこと。そして客の半数くらいは県外から沖縄に移住してきた人たちが多いそうだ。↓はネットで拾った画像。客はやはり中高年男性やね。交代で何人ものママ役がいるんだとか。
↓右が店主のカールの従妹ちーかーさん。二人とも服が派手〜。
カールは沖縄に行くと何度もこの店を利用しているそうで、時には他の客からお酒やつまみをおごってもらうこともあるとか。え、セージやチッチも行ったことがあるって?なんだ私とテル以外みんな行ったことがあるんかい。まあ、お酒飲めないから仕方ないか。

で、面白いのが義愛おばさんが言うことにゃ「ここに来る特に年配の男性たちはねー、家では奥さんらにうっとうしがられているみたいよー」なんだって。その中の一人、60代半ばの私と同じくらいの男性は大学教授までしていたそうだが、最初の奥さんの時、ある日家に帰ったら奥さんと子どもらの荷物一式がなくなっていたそうだ。逃げ出されてしまい裁判沙汰になるも結局離婚する羽目になった。養育費も払い子ども4人は立派に育っていったのは何よりだった。まあ外での飲み歩きが続き、家をないがしろにしたのは自身のせいなんだろう。しかしーだよ。2番目の奥さんもある日帰宅したら家にいなかったそうだ。そして数年前に3番目の奥さんと結婚していた。その奥さんは沖縄に旅行に来ていて飲み屋で知り合ったんだとか。現在は「外で飲むのは日曜日だけ」と釘を刺されているも「もう1日飲める日を・・」と奥さんにお願いしているそうだ・・(‾□‾;)。また80歳を過ぎてもちょくちょくやって来るオジさんは、有名大学卒でどこかの議員もやっていたそうだが、今は奥さんにけっこう疎まれている。離婚されるまでには至っていないが、食事の時は「チーン!」と呼び鈴を鳴らされ、ご飯のために2階から降りてくるんだとか・・。

うーむ、この手の男性は飲むのが好きなんだろうな。私やその麻雀仲間のサブアラド、見せたまえ、腹出しDrなど私同様ほとんどアルコールを受け付けず飲み歩くなんてもってのほかだ。学生時代いっしょに麻雀をしていたバンバ君なんか飲むのが好きだったから自然と麻雀から離れていった。バンバ君は私たちが還暦過ぎても月に1、2回集まって麻雀に興じているのを知って「まだやっているんか」と呆れているそうだがネ。

カールの昔からの友人には家庭的で料理を作るのが大好きな人がいたが、最初の結婚の相手は飲み歩きが好きな人で「妻が家で料理作って待っているのがプレッシャーで」と別れてしまった。しかしその後家庭的な男性と結婚した。面白いのはその男性の元奥さんだが、主婦に収まるのが嫌いで仕事をしたがる人だった。そこですれ違いが生じ離婚してしまい、その後カールの友人と出会い、二人とも今は幸せに暮らしているという。相性が合わない人同士とは上手く行かず、価値観や相性が一致すれば結婚もうまく行くってことやなぁ。

ちなみにカールによると「テルくんが飲み歩きしない人で良かった〜」だってさ。私がアルコール受け付けない体質で良かったネー。

2026年8月26日水曜日

高田みづえがスナックで歌った曲

てげてげ先生からLINEに動画付きのメールが来ていた。何だろうと開くと、なんと高田みづえがスナックでカラオケを歌っている動画だった。

高田みづえと言えば、昨夜のNHKの「うたコン」で一夜限りの復活と題されて生歌を久しぶりに披露したばかりだ。ちょうど国分での消防と医療関係の会議が終わっての車中、たまたまNHKを付けたら彼女が「私はピアノ」を歌っている最中だった。歌い終わった後、手で上手く歌えなくてという仕草をしていたがそんなことはなかった。ステージにはほぼ同期だった岩崎宏美や榊原郁恵もいて昔話を語ったり、彼女の現役時代のバラエティー番組の様子や若嶋津との婚約披露、そして紅白最後のステージの映像など出てきてほぼ彼女のワンマンショーのような内容だった。

最後に歌ったのがデビュー曲の「硝子坂」でこれはさすがに歌い慣れているだけあって聞き応えがあった。今は亡き若嶋津はこの曲がお気に入りだったそうで、病床でも耳元で彼女は歌って上げたらしい。

おっと、なんでてげてげ先生がおそらくはプライベートな高田みづえのカラオケ動画を持っていたかというと、先生と高田みづえは生まれが旧頴娃町の耳原(みみはら)でいっしょなんだが、先生の従姉妹らが地元と東京でスナックをやっていて同郷で知り合いの高田みづえもよく来るんだそうだ。そして来れば必ずカラオケを歌ってくれるんだそう。で、地元の従姉妹の姉の方から動画が送られてきたってわけ。で、何を歌っていたのか。それが彼女自身の曲じゃなかった。聞いたことがある歌で演歌っぽいぞ。最後が「♪〜もう一度逢いた〜い」で毎回終わる。あは〜、これは八代亜紀の曲でその名も「もう一度逢いたい(1976年)」だわ〜。

↓は「もう一度逢いたい〜」と歌っているところ。

いやいや、楽しく歌っているねぇー。昨日のNHKの番組は反響があったようで、各スポーツ紙はどれもそれを取り上げていた。そのあおりか、こてる日記の10年前の投稿も結構アクセスがあって今週のどの投稿より多かったぞ(2016年5月15日「高田みづえ頴娃を知らしめる」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2016/05/blog-post_15.htmlついでに関連投稿であるその翌日の「南国情話」考https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2016/05/blog-post_16.htmlも増えていた)。また、高田みづえの娘氏が「昨日テレビに映る母は、私が初めて見る表情をしていました」とインスタグラムに投稿し、「自分のためではなく家族のために生きてきた母が自分の足で一歩を踏み出した」姿に思いをはせていたようだ。私やヒトミンチョは耳原の隣の大川の出身で、私は小学に入る前に鹿児島市で転居したため彼女を直接は知らない。しかしヒトミンチョは中学で同じクラスになりそれからずっと友人で大相撲の鹿児島巡業の後の松ヶ根部屋の忘年会かな、それにはちょくちょく参加していた。その席では彼女はマイクを握って歌うことはあったそうだ。

歌手を辞めて、大相撲の部屋の女将になり、その後夫に先立たれ、子ども二人も独立した今、高田みづえは第三の人生の時期と言えるだろう。明るく歌う様子を見てきっといい人生を送るだろうと思ったよ。