しばし待つと、どーんとやって来ましたヨ〜。まずは何も付けずにチキンに掛けられている黒酢タレのみで食べてみた。チキンの殻はカリカリしていてやや硬い。ふうむ、チキン南蛮に付きもののタルタルソースなしでもいけるね。で、ソースをかけると味がややマイルドになる。パクパク。ご飯と味噌汁は小ぶりだがお代わり前提だからそうなっているのだろう。以前の私ならきっとお代わりしていただろう。でもしなくて良かった。十分にお腹いっぱいになったのだ。カールは「全部は食べきれない、もう喉まで上がって来そう」とチッチに何切れが譲っていた。そして最後の一切れはパックでお持ち帰りにした。「テルくんの明日の朝食はこれね」だってー。
こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
2026年4月30日木曜日
「たかもとや」のチキン南蛮
しばし待つと、どーんとやって来ましたヨ〜。まずは何も付けずにチキンに掛けられている黒酢タレのみで食べてみた。チキンの殻はカリカリしていてやや硬い。ふうむ、チキン南蛮に付きもののタルタルソースなしでもいけるね。で、ソースをかけると味がややマイルドになる。パクパク。ご飯と味噌汁は小ぶりだがお代わり前提だからそうなっているのだろう。以前の私ならきっとお代わりしていただろう。でもしなくて良かった。十分にお腹いっぱいになったのだ。カールは「全部は食べきれない、もう喉まで上がって来そう」とチッチに何切れが譲っていた。そして最後の一切れはパックでお持ち帰りにした。「テルくんの明日の朝食はこれね」だってー。
2026年4月29日水曜日
さよなら青ポロ、こんにちは白ゴルフ
今日は昭和の日だっけ。昔、天皇誕生日だったからいまだにそのイメージが強い。ともかくもゴールデンウィークの幕切れはこの日からでなにかとウキウキ感が始まる祝日でもある。そんな日に新車を受け取るのはお似合いだね〜。先月契約したフォルクスワーゲンのゴルフの納車の日だったのだ。今日はカールが新しいゴルフを受け取り、これまでの赤ゴルフはチッチに譲り、16年乗ったポロを下取りに出す日だったのだ。出発前に青のポロ、白のプリウス、赤のゴルフが並びフランス国旗のよう。そして3人、青ポロに乗って、いざファーレン鹿児島へ。
ファーレンに着くと、店内のショールーム的なところにカールの白ゴルフが鎮座していた。おお、なかなか立派な感じ。カールはこれまで原色系の車ばかり乗ってきたが真っ白は初めての色だ。青で好みの色があればそれにしたかったものの、カタログ上お眼鏡にかなった色がなかったため、迷ったあげくこの色になった。まあ、白にしていたらまず間違いはないわな。説明を受けたり、保険のことなどでいろいろ時間がかかり店を出るのは13時を過ぎていた。出る前に、店の玄関でおニューのゴルフとお世話になった青ポロといっしょに記念写真を撮ってもらった。
青ポロはカール、セージ、チッチと運転手は代われど堅実に大きな故障もなく16年間を無事に動いてきた。チッチにとっては青ポロは初めて運転する車で、これで学生時代を有意義に過ごせ、感慨深いようで、なでなでをしていた。新しい白ゴルフは助手席に乗っていても、見た目、乗り心地で上等だってすぐに分かる。カーナビモニターなど12インチ以上のサイズもあり、いろんな操作が出来て、まるでiPadみたいなタブレットだ。ポロはコンパクトさとダッシュ力、小回りなどいい面も多く必要なものは最低限そろっている感じだったが、この白ゴルフはそれらよりすべて上回り余裕がある。それでいてフォルクスワーゲンに乗り慣れている人なら違和感なく乗れてしまう。昼食を谷山でチキン南蛮の店「たかもとや」で摂った後、帰宅して赤ゴルフをチッチに譲った。赤ゴルフは約7年経っているとはいえ16年前のポロよりはずっといい車に感じるはずだ。そうそう↓が7年前の納車の日の写真だ。右は一つ前の私の白プリウス。この時、青ポロはしばらくしてセージに譲るべく、当時彼が勤務していた岐阜市まで二人で交代して運転し、届けにいったのだった。13時間かかったな。その後、青ポロはセージの転勤に合わせ、栃木、千葉へ、そしてチッチに譲るため岩手へと移動し、この春、北陸、山陰と通って鹿児島に帰って来た。だが、それはこてる家とのお別れでもあった。ふう〜、16年間本当にご苦労さんだったね、青ポロさん。2026年4月28日火曜日
孫たちを「みてね」
朝、「みてね」にサックンの画像が投稿されていた。
おお、大きなあくびだ。どうやら産科へ産後の定期検診に行った時の様子で、マーヤさんのコメントには「体重クリアしました!」とあり、これにカールが「わーい🙌良かったー」と返信をしていた。つい昨日までは千葉でカールが付き添っていた(カールは昨夕鹿児島に帰って来た)が、今度は茨城のマーヤさんの実家でしばらく過ごすようで、夕方には従姉のエーナちゃん(7歳)に抱っこされている画像が来た。
ココちゃんの画像もあって、あらら、大好きなバナナと黄色いおもちゃを手にして何を戸惑っているんだろう。上の画像から1時間してまた画像も送られてきた。今度はエーナちゃんといっしょに何か楽しいことやっているみたい。そして夕ご飯になったようで、エーナちゃんの「いただきまーす」の掛け声の後、手を合わせていた。カールによるとココちゃんは、ちょっとした反抗期みたく、あれもイヤ、これもイヤで大変だったらしいが、実家ではエーナちゃんがお姉ちゃんの役割をしてくれるからきっと落ち着くだろうナ。そしてサックンのお目々ぱっちりの画像もー。あらま、可愛い。このお目々の大きさはカールに似ているかな。そして、夜の9時過ぎにまた画像が・・。エーナちゃんがココちゃんに絵本の読み聞かせをしていた。ほんとお姉ちゃんだねぇ。ともかくも孫たちが順調に育っている様子がよく分かり、毎回のことながら「みてね」のサービスに感謝感謝だ。
2026年4月27日月曜日
今はない35年前の鹿児島
昨日の続き。1991年10月に鹿児島旅行をした他県人の残したビデオ映像から、今度は主にバスの窓から撮影した「今はもうない鹿児島の風景」だ(https://www.youtube.com/watch?v=I6lqtkkLsKs)。
最初に出てくるのが有名な五石橋の代表「西田橋」だ。2年後の1993年「8.6水害」で甲突川五石橋のうち、新上橋、武之橋が流失した。耐え残った玉江橋、西田橋、高麗橋には移設問題が起き、これらは江戸時代末期に造られ平成初めまで車も通っていた(特に高麗橋)が、いろいろ議論があったあげく2000年に浜町の石橋記念公園に移設された。
次に「林田バス」だ。ホテルやバスチェーンなど経営していた会社がバブル期以降経営悪化し、この後10年持たずいわさきグループに吸収されその後廃線となり、私たちが結婚式場に利用した林田ホテルや子どもたちも連れて行ったことのある霧島の林田ホテルも今はもうない。バスは緑とクリームのツートンカラーが懐かしい。次は天神馬場の今でも残っている日産自動車の店だが・・。昭和の時代からの日産の看板車種であった「ブルーバード」「サニー」は消失した。調べてみるとブルーバードは2001年、サニーは2004年まで販売されていたそうだ。ブランドを誰もが知るまで育てたのにそんなに簡単に捨てて良かったのかねぇ。チッチが「隣の『ベニ・モグサ』の看板はいまだにあるよ」と言っていたが・・(笑)。で、次は・・。天文館のまさに中心にあった「三越鹿児島」だ。もともと「丸屋デパート」だったのが1984年に全国チェーンの三越になった。1991年のこの頃は経営順調で老舗の山形屋と競り合っていた。その後鹿児島中央駅にアミュプラザが出来た影響で客足が天文館全体で減少し徐々に売り上げが減り、三越は撤退、2010年に複合型商業施設の「マルヤガーデンズ」になっている。この投稿者は城山展望所にも行っている。そこの土産物屋は市有地に建てられ販売を行っていて実質不法占拠状態であった↓。市は撤去を求め土産物屋とずっと争っていた。この後くらいに近くの駐車場付近に移転させるとことで市と合意し40年ぶりに解決したそうな。
MBCの「あの日のふるさと」でこの問題は以前放送されていた。この掘っ立て小屋のような売店↓は私にとっては懐かしい(一度も買い物したことはなかったけれど)。城山からの展望では鹿児島港あたり、後の1997年に水族館などが建てられるが、この頃はまだ埋め立てられたばかりのようだ。
投稿者は鹿児島空港から飛行機で羽田へ向かうのだが、空港のカウンターも映していた。それが今はなき日本エアシステム(旧:東亜国内航空)だ。その後JALと統合されるが、そのJALも一時危なかったよなー。で、映像の中で、今と全く変わらない物も厳としてある。その代表が↓の二つだ。
2026年4月26日日曜日
会社なんて30年も経てば・・
さらに「スペースワールド」だ。このCMの10年後くらいに子どもらと一度だけ遊びに行ったことがあった。この頃は開園してまだ2年目でじゃんじゃん宣伝をしていたんだな。次は施設名は画面に出ていないが「セイカスポーツセンター」のアイススケート場だ。市内高麗町に1966年にオープンし、たまーに行って滑っていたものだ。ただ、セイカスポーツクラブはスケート場はなくなったけれどスポーツジムとしてこの頃より大きくなっている。スケートリンクは老朽化で2005年に閉鎖され、その後鹿児島ではスケートが出来なくなってしまった。最後に私は全く覚えていない住宅メーカーのCMで「タカスギ」だ。関西を中心に幅広く事業展開していたそうだが2008年に破産したという。それこそ住宅価格が「高すぎ」たのか?(‾□‾;)。ただ、熊本にはそこから独立したTAKASUGIがまだ頑張っているそうだ。
と、ここまで今ではなくなった会社、施設のCMを列挙したが、改めて驚くのが、会社や施設って30年も経てば跡形もなくなるかもしれないという厳然とした事実だ。上に挙げた8つの会社施設は当時は多くの人が知る(TVCMをしているから当然か)ものだった。なんだかその時もその後もずっと続くものって思ってはいなかっただろうか。しかし、小売業業界一位、一時2兆円の業績のあった家電メーカーがその後の10年で経営危機から合併吸収されなくなるなんて・・。
逆に↓の九州セルラー電話のCMはどうだ。鹿児島に初登場したばかりで、私の記憶ではこの頃はまだポケベル全盛で携帯電話なんて誰も持っていなかった。しかしその後の大普及は凄まじく2000年を過ぎた頃は多くの人が手にするようになり、さらに2010年以降はスマホが普及し始め、今では誰もが持っている時代になった。なお九州セルラーはその後KDDI株式会社(auブランド)の一部となってまだ現役バリバリである。
私は医者なので、大学卒業の頃に就職活動なんてしなかった。しかし一般の学生らは適性、希望、そして将来性を見込んで有名な会社、大きな会社への就職活動をやっていたはずだ。それこそこれらCMがあった頃、私は将棋の米長邦雄の本を読んだことがあって「今が盛りの業界がずっと一番だなんて思ったらいけない。今がピークの業界なら30年後は衰退していることが多い」と語られていた。なぜなら米長が若い頃は繊維業界が日本の一大産業だったがその後は凋落したという事実から導き出した教訓だった。で、その頃はまだ電機、機械産業はジャパンアズナンバーワンなんてもてはやされ就職希望の学生らにも人気があったはずだ。しかし、あれから30年、それらの業界より、通信、デジタル産業の方が圧倒的に力を持つようになってきている。
2026年4月25日土曜日
新姶良市長
4日くらい前のKKB夕方のローカルニュースをREGZAのタイムシフトで見てみた。姶良市長選で県内初の女性首長誕生とのことで話題になった米丸麻希子さんが出ていたと聞いたからだ。
私には姶良市の選挙権はない(鹿児島市在住)ものの、26年も姶良市に勤務しているので市長選も他人事ではなかった。姶良市も県内では珍しく人口増がある市町村ということだったが、まき子市長のスピーチでは今年くらいから若干減少傾向になっているそうで全く油断は出来ない。医療関係の人材不足もすぐに表面化してくるだろう。↓は彼女のスライドから。
いろいろアイデアをお持ちのようだし、ともかくも元気いっぱいの新市長に期待しちゃうぞ。2026年4月24日金曜日
サックン、自宅へ
2026年4月23日木曜日
難ガターさんとボウリング
さて、最近ちょくちょくボウリングネタをアップしている。今夜は1月以来の難ガターさんと国分スターレーンに出かけた。私にはニューボールのアイオン・マックス・パールがまだ今一つ効果を発揮していないのでそれに慣れる意味もあった。
まず今回はサムホール(親指穴)のサイズが小さくドリルされていて、指が時々引っかかるため、過去2回、何度も紙やすりでこすり、穴を少しずつ広げていった。ただ注意しないといけないのはやり過ぎると大きくなりすぎて逆に投げにくくなってしまう。1ゲーム目はアイオンでは10ピン残りが多く、指穴がスムーズなレギオン・ソリッドに変えて投げたりしてみた。それでストライクは取れたが練習のためにまたアイオンに戻すと徐々にストライクが出てきた。アイオンはなによりピンアクションがいい。ストーム(STORM)社のNRG(Nano-Reactive Gear)素材というのが使われていて、これは強力なオイル吸収能力と強固なグリップ力が特徴のリアクティブ樹脂とのこと。ナノテクノロジーにより、オイルの多いレーンでも滑らず、ミッドレーン(中盤)での安定した転がりとバックエンドでの力強いピンアクションを生み出すそうで、確かにボールにオイルがほとんど付かない。今回は4ゲーム中2回200アップ出来た。
難ガターさんは今のボールが以前のと比べ曲がらず苦戦していた。ラスト4ゲーム目でようやく調子が出てきて200アップ目前だったのに10フレでスプリット、それを無理に取ろうとしてノータッチ、終わってみれば199だった。スプリットとはいえ1本でも取っていれば200だったのにー、ガクッ。練習をしていると泣かん薗Drが来てあいさつをしてくれた。週に1、2回は来ていて、今日は「ジュニアの育成の手伝いをしていてー」と小中高生の練習に付き合っていた。国体選手をサポートしたりと、鹿児島県のボウリング界になくてはならない存在になっているなー、すごい。
先週土曜に続いてのボウリング。いい汗かいた。今後は週1は投げよっ。
2026年4月22日水曜日
「母はもう 蛸かもしれず 夏の月」とは
つい昨日のことだが、薬の説明会で業者が用意していた「お〜いお茶」のラベルに出ていた新俳句大賞の俳句に目が行った。昨年の優秀賞らしいが72歳男性の作品のその意味がさっぱり分からなかったのだ。
「母はもう 蛸かもしれず 夏の月」
はあ?何だこりゃ。母≒蛸?それになんで最後が夏の月なんだ?はてなマークがいっぱい付く。さっぱり分からないし、それがなぜ優秀賞なのか、これはAI先生に聞いてみなくちゃ。というわけで検索をかけてみた。すると、ネット上では私と同じような輩が大勢いたようで、「母もう蛸かもしれず夏の月 意味」という検索ワードが以前から出ていたようだ。で、その解説を読んで大いに納得した。以下抜粋しよう。
「母はもう蛸かもしれず夏の月」は、第35回伊藤園お〜いお茶新俳句大賞で優秀賞を受賞した、吉岡寛和さんの句です。松尾芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」を本歌取りしており、老いや介護、あるいは死を前にした母の姿を、夏の海の夜の静けさや儚さと重ね合わせた、切なくも美しい名句と評価されています。そうか。私は知らなかったけれどこの俳句、本歌取りを取り入れていたんだ。これは平安、鎌倉の時代から和歌にある手法で、有名な古歌(本歌)の語句や情景を意図的に1~2句借りて、新しい歌を詠む和歌の伝統技法だ。単なるパクリや模倣ではなく、元の歌の背景を活かしつつ、全く新しい情趣を重ねて表現の重層化を図る「敬意ある引用(オマージュ)」とされている。




































