2026年2月24日火曜日

アール・アンソニー対ノーム・デュークの対戦は千代の富士対貴乃花戦である

明日、先月28日に話題にした眼科のDrらとボウリングをすることになっている。そんなこともあってか最近はYouTubeでボウリングの試合をちょくちょく見るようになった。最新の日本のプロボウリングやアメリカのPBAの試合はもちろんだが古いアメリカのプロボウリングの試合もよく見る。なにせ私がボウリングを始めるきっかけは1991年にNHKBSが全米プロボウリングという番組を放送開始したことからだった。以前のこてる日記ではその時の様子を熱く語っていたものだ。

ちょうど1991年という年のアメリカのボウリング界は1960年代生まれのニューエイジが台頭し主役になっていった頃だった。ピート・ウェーバー、アムレト・モナチェリ、パーカー・ボーンⅢ世、ノーム・デュークなどで1959年生まれのウォルター・レイ・ウィリアムズJr.もその世代に入るだろう。彼らの投球を目の当たりにし毎週画面に釘付けで私は観戦していたものだ。ふふ、この日記を読んでいる読者で、上の5人のボウリングプレーヤーの名前を見て「うんうん、そうそう」なんて言える人はせいぜい100人に1人もいないのではないか。実はすごいメンバーなんだ。

他のスポーツ界で例えると、そうだなメジャーリーグは同じアメリカなんで日本のほかのスポーツ界にしよう。大相撲がいいか。歴代優勝回数の1位から6位までを下の図に示そう。
白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖、貴乃花。そうそうたる名力士が並んでいる。この6人を知らないという日本人はほとんどいないだろう。次に全米プロボウリングの歴代優勝回数の多い順に6名並べると・・。
1位のウォルター・レイ・ウィリアムズJr.、3位のノーム・デューク、4位のピート・ウェーバー、5位のパーカー・ボーンⅢ世の4人がこの中に入っている。例えればその時代に白鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖らが同時に活躍していたってことになる。そんな1990年代は私がボウリングのプレーと観戦両方に一番熱かった時代だ。

で、今日見たすごく古い全米プロボウリング中継ビデオは1983年のクリーブランドオープンで、私がボウリングを始める8年ほど前の古いビデオで画質もかなり悪いものだった。ただそのサムネールに今では伝説のボウラー、アール・アンソニーが写っていたので見る気になった。彼は歴代優勝回数43回で私は名前だけは知っていた。それは私がボウリングレッスン用に購入した須田開代子さんの「図解ボウリングコーチ(1985年刊)」にボウリングの三大ボウラーとして紹介されていたからだ。三大ボウラーとして上げられていたのは、ドン・カーター、ディック・ウェーバー、アール・アンソニーの3人でその写真を見る限りちょっと以前のアメリカのボウラーだなと私は思った。
ドン・カーターはおもに1950年代、ディック・ウェーバーは1960年代、アール・アンソニーは1970年代にそれぞれ第一人者だった。ちなみにディック・ウェーバーの息子が私の大好きなボウラー、ピート・ウェーバーである。ディック・ウェーバーはボウリング中継にもよく出てきていたので知っていたがアール・アンソニーの投球はあまり見たことがなかった。ドン・カーターにいたってはNHKBSの20世紀のアメリカなんていう歴史を振り返るドキュメンタリーに出ていたのを「おおっ」と思って見たことがあるくらいだ。

で、その1983年のクリーブランド・オープンを見ておやおやと思ったのが、いきなり予選4位と5位の試合がアール・アンソニーとノーム・デュークの対戦だったからだ。ノーム・デュークが18歳とえらく若い。
そこでハッとなった。ノーム・デュークは18歳でPBA最年少優勝記録を持っているというのは知識としては知っていた。ならばこの試合がそうなのか。はたしてそのとおりで、上位選手を次々と負かして4連勝し初優勝を遂げるのだった。まだ高校出の若僧が初めてのTV放映の試合に出て、しかもその相手がプレーヤー晩年とはいえ当時歴代最多勝の偉大なアール・アンソニーだったとは。私は千代の富士と貴乃花の取り組みを思い出した。どちらも勝ったのは勢いに乗る若手の方。ノーム・デュークは1991年からのリアクティブ・ウレタンボールに上手く適応し、勝ち星を重ね、2022年に引退するまでに40勝を上げ歴代3位の成績を残した。このあたりも22回の優勝を重ね大相撲のレジェンドとして名を残す貴乃花と31回の優勝の千の代富士との関係と相通じるものがある。また、友人宅の階段から転落し頭部外傷で63歳で急死したアンソニーと膵臓癌で61歳で亡くなった千代の富士、どちらも60歳代前半で亡くなったのも共通している。

2008年、PBAは設立50周年を記念し、専門家委員会に「過去50年間の最も偉大なボウラー50人」のランキングを託したところ、アール・アンソニーは、ウォルター・レイ・ウィリアムズ・ジュニアがアンソニーの記録を多く破っていたにもかかわらず、このリストで彼を上回り1位にランクされた(2位はウォルター)。単に数字だけでは計り知れない偉大さがアンソニーにはあったということだろう。見てみるとサウスポーで堅実にして正確な投球をするタイプだ。奥さんのスージーさんも観客席にいて画面上にアップされていた。アンソニーは先妻との間に二児がいたが離婚し、スージーさんと再婚したばかりだったようだ。↓なかなかの美人さんですな。
ちょっと驚いたのはまだ18歳のノーム・デューク、客席にフィアンセのロビン・ブキャナンさんもいてそれもTVに紹介されていた。
そして優勝トロフィーをもらうときには二人して熱いキスも・・・。
ただ、長くアメリカのボウリング界を見聞きしている私には違和感があった。調べてみると・・ノーム・デュークの奥さんはカレンさんとある。あれ・・・。まあ18歳だもんね、この後二人は結婚したかもしれないが別れたのは間違いない。アメリカのボウリング番組は頻繁に選手のファミリーを映し出す。視聴者からするとそれはそれで興味深いがプライベートもさらされるのは本人やファミリーにはチト困ることもあるってことさーね。

以前のこてる日記でピート・ウェーバー来日の際、人吉のボウリング場で私は観戦に行き、ゲストでプレーするウェーバーを見ていた。↓私が成れるものなら成りたいのがこのピートの投球フォームだ。実に格好いい!
そして以前のこてる日記にも書いたエピソードだ。ピートの6、7年前のジャパンカップ優勝ビデオがレーン上のTVモニターに流されていたのはボウリング場が気を利かしたのだろう。そこに奥さんのトレイシー・ウェーバーもいてそれを見ていた。しかし、ある場面で奥さんが苦笑いをしたのを私は見逃さなかったヨ。その画面には観戦しているピートの先妻がアップで映し出されていたのだった(‾□‾;)。

2026年2月23日月曜日

全日本回転寿司MVP選手権1位だって「めっけもん」

天皇誕生日で休みだ。で、お昼は外食しようと決めていた。ただ、店をどこにするかは例によって直前までなかなか決まらなかった。蕎麦・天ぷらの左膳、焼き肉のなべしまなどは定番だがたまには別のところでも・・と考え始めてもてんで浮かばない。以前も書いたように私は店選びが苦手なんだ。すると午前11時も近くなってきた頃、カールが「回転寿司の『めっけもん』にしようか」と言ってきた。私は即答で「いいね、寿司」と完全に同意だ。

ならば急ごう!

こうした人気店は開店時刻の11時にはすでに列をなしていてその時刻に行ってもしばらく待たされる。で、急いだんだが、めっけもん城西店に着いたのは11時ぴったりだった。ちょうど店内へぞろぞろ客たちが案内されているところ↓で、一番最後がカール。

で、ぎりぎり一番客の中に入れるかどうかだったが、直前に並んでいた客が4、5人の小団体で店員が「はい、ここまでです」と、私たちの前で切りよった。がーん、待ち順1番の紙をもらってしまったよ〜。「30分くらいはお待ちいただきます」だって↓。カールの着ているカーディガンはギボヒサコの手編みで、私は初めて見た。ギボヒサコは意外にも手編みが上手だったらしい。
まあ、待つと言っても今はスマホがある。これがあればどうにか退屈時間はやり過ごせるというものだ。30分弱経った頃に呼ばれ、テーブル席に着いた。さっそく回転皿を手に取って食べ始めた。私はいつも最初は白身からで赤身はあまり食べない。時に中トロを食べるくらいか。エビやエンガワ、穴子、ウニ、イクラ、それにカッパ巻きや玉子巻きなどの安いネタも好きなんだ。なんと普通の魚以外のネタが多いな。
ただ、寿司以外のから揚げとかスイーツ類などは絶対に頼まない。これはこてる家の掟というべきもので、カールの「せっかく寿司屋に来ているのに他の店でも食べられるものを頼むはダメ」という教えによるものだ。セージやチッチも「だから大人になった今でも寿司ネタ以外のものは頼めないんだよ」と苦笑いする。三つ子の魂百までである。

それにしてもこの「めっけもん」、お客が多い。確かにリーズナブルな値段でいいネタを提供してくれているからかな。帰りの支払いのところに店長が表彰を受けたとパネルがあった。なんと「全日本回転寿司MVP選手権」の「演出部門第1位」なんだそうな。

そんな大会があったなんてだーれも知らないが、1位になるってすごい。いろいろなノウハウがあり人知れない努力あってこそ人気店になっている証(あかし)なんだろう。二人ともお腹いっぱいになって4千円までいかなかった。満足じゃ〜。

帰宅するとモリサンチー家のキタローが庭にいた。本名はキタローだけれど私たちはクネオと呼んでいる。だってさー↓を見てよ。たいてい背中を地面にくっつけてクネクネするんだもん。クネオもこてる家に遊びに来るようになってちょうど10年目、同じ家のハッピーちゃんは最近あまり見かけないがクネは数日に1回は必ず来る。そしてエサをねだったりクネったり。今日は天気が良くて良かったねぇ。

2026年2月22日日曜日

一人胃カメラ!

 かつて青雲会病院に勤務し今は鹿児島市内のプーさん病院にいるシホねえNsからLINEに動画が送られて来た。彼女からは年に1回くらいしかLINEは送られて来ない、何事だろうと思ったら、勤務先の内視鏡室の様子だった。

うん、なんだこれは?

げっ、自ら胃カメラを入れて画像観察をしている動画だっ!お顔を見れば消化器内科Drである片付け先生ではないか。鹿大第二内科時代の後輩Drで今はプーさん病院の副院長だ。真剣に画面を見ながら胃カメラを操作している。しかも口から入れる通常タイプの胃カメラで、これは咽頭反射が出やすく、胃の中に空気も入るので普通はきつくてやってはおられないはず。いや、実は私も大腸では一人内視鏡をやっており、この日記でも何度かネタにしている。シホねえNsが青雲会にいたころは彼女にその動画を撮ってもらったりもしていた。一人胃カメラも一度だけやったことがある。ただ私は経鼻内視鏡で咽頭反射が少ないタイプのものを使用した。それでも結構きつく、スコープ操作が大腸に比べ煩雑なので「もうしない」と一人胃カメラは封印したものだ。しかし片付け先生は一度もゲップすることなく器用に操作していた。すごい。このブログでは動画でお見せ出来ないのが残念。

シホねえNsによると「毎年やっていますよ」だって。うわわ、そうか手慣れた様子だもんね。↓は「一人胃カメラ」を見守るぷーさん病院スタッフ。胃カメラしている本人以外、全員口元が緩んでいらっしゃる(⌒о⌒)。

「へー!毎年(一人胃カメラ)とな。私の大腸内視鏡4年に1回よりすごいわぁ」と返信すると、「いや先生の方がすごいよ」とな。いやいや〜そんなことはありませんて。毎年の一人胃カメラと4年に1回の一人大腸内視鏡、ぜーったい前者の方がすごいよ、ねぇ・・(‾□‾;)。

2026年2月21日土曜日

二度目のインプラント

裏のモリサンチー家の梅の木もこの間から花を咲かせ始めていた。今年はたまたま遅かっただけなんだろう。

今日は朝からインプラントの施術を受けに行った。昨年沖縄にギボヒサコの一周忌に行った際、右下奥歯(6番目)が欠けたことを話題にした。その後、歯医者に行くとその周辺の歯(7番目)がもう限界でもともと1本欠けたままにしてた場所(5番目)もまとめて治療しましょうということになった。5番目と7番目にインプラントを埋めてブリッジを形成し3本の歯を作ろうということだ。今日は6、7番目を抜歯し一気にインプラントの土台を埋め込むので2時間くらいかかるということだった。

で、いつもの鹿児島県医師会前の駐車場が満車(ここ2年くらいで初めてのこと)だったので少し歩いて共研公園近くの駐車場に駐めた。1月初めに食事しに来た際、この付近まで来ると駐車場代が安いって知ってたからね。ほんの数分歩くだけで1時間200円が100円になるからバカにならない。後で地図を見たら距離は倍以上違っていた。でも値段半分だから・・。

さて施術前に歯科衛生士の簡単な説明と健康状態把握があった。血圧も測定するというので、チラッと衛生士さんのネームを見て「いつもは120ぐらいだけどシノハラさんが測るから130越えるかもなぁ」と軽口叩くとちょっぴり受けていた。で、結果は140越え!「ええっ、こんなに上がるってー。キンチョーしているのかなぁ」

顔面に手術シートを被せられ局所麻酔を打ってもらい抜歯、その後インプラントの人工歯根埋め込みだ。1時間ちょっとで終わり、その後またシノハラさんに血圧を測ってもらったら今度は110台だった。あれ、今度は下がりすぎじゃ・・。↓のピンク〇が治療前、黄色〇が人工歯根を埋め込んだ写真。

まだこの基板がしっかり固定出来ていないので実際に歯の被せ物を入れるには数ヶ月はかかる。今日明日は口の中も腫れて痛むだろうが、それは抗生剤や鎮痛剤で対処だ。ただ右側で硬いものや大きな肉などはしばらく噛みにくくなる。

駐車場まで行くと300円の支払いだけで済んだ。うん、安い。今後はここに駐めよう。でも、インプラント代を考えるとそれくらい万分の一の世界なのよ。日頃から歯のケアをしておけばそんなにお金も掛かる必要はなかったのにさー。

2026年2月20日金曜日

ワンダーパワーな患者さん

外来患者の中には独自の考えというか偏見、思い込みにこだわっている人がいる。これが普通に接する他人であれば、うちのカールがよくやるように「そうなんだ」と敢えて否定はせずに受け流し、相手の意見を自分自身の評価と切り離して考えるのが賢明だろう。

しかし相手は治療を受けに来た患者である。1ヶ月前の診察で血圧が170から180台とかなりの高血圧ならば治療薬を出すのがまずは真っ当な医療というものだ。その人は80歳代後半女性で、以前は静岡に住んでおられ、半年ほど前に近くの介護サービスもあるマンションに引っ越してきた。この人は「以前の病院で『私は病院や薬が嫌い』と言ったらそこのDrに『もう来るな』って言われたの」だったそうで、「それはひどい言い方されましたね。当院ではそんなことは言いませんよ」と答え、降圧薬をまずは1種類処方し、自宅血圧を測定して次回持って来るよう指導をしていた。
それで約束どおり、4週間後に私の外来に来て血圧手帳を見せてくれた。うん・・?

ほとんど血圧は下がっていないじゃないか。よくて160台、180台もままある。「いや、これは薬が効いていないですねぇ」と言うと、「私、薬を飲んでいなかったんです。食事療法で治したいと思ってー」「え、でも手帳にあるように全然効いていませんよ。こんなに高かったら薬を飲んででも下げなきゃー」「私、婦人科の薬で失敗したから〜」という。どんな失敗は知らないが50年も前のことらしい。それに97歳まで生きた姉がいて、彼女を自分は食事療法で長生きさせたからーと言う。それでも「このまま血圧が高くていいことはない。急な脳出血もあるかもしれないし、心臓、腎臓、血管どれにとってもいいことはない。薬を飲みましょう」と説得した。しかし、どうにも反応が鈍い。思わず「だったら、もう病院には来るな!」と言いたくなった。

「当院はそんなことは言わない」と前回言い切っただけにそこはぐっとこらえたがどうにも対処しづらい患者さんだ。そこで話題を変え、当院では採血をしていなかったため採血を指示した。すると貧血が結構目立っていた。半年前の静岡の病院より結構下がっている。消化管出血も疑われまずは胃カメラを予約させた。当然血清鉄も低いので鉄剤も出したが果たして飲んでくれるだろうか。まあ食事でも鉄はある程度補充は出来るが食事に含まれる鉄と薬に含まれる鉄に特に差違はない。薬なら1ヶ月でだいたい正常化出来るのだが・・。

ふと、先月のカルテ記載を見ると以下の文言が書かれてあった。(「という」と書くべきところ「とびう」と誤記しています)
ワンダーパワーだよ。遠赤外線だ。確か暖かくなる健康器具だ。うん、きっと効くよね。だってワンダーパワーだもん。病院の薬よりも絶対効くもんねー。

2026年2月19日木曜日

医療安全の極意はボウリング?!

午後13時半から大会議室で全職員対象に私の「医療安全講演」が行われた。開始5分前にはまだかなりまばらな集まりだったが、13時半ちょうどには部屋の後ろまで人で埋まっていた。朝礼スピーチの時より集まっていやしないか。ちょっと驚いた。スピーチを聴いて感想を提出しなければならないし、参加出来なかった職員は後日院内LANに保存される動画を見て感想を書かねばならない。そこがちゃんと機能しているんだね。

が、私はせっかくの貴重な昼休みをだらだらした講演にはしたくなくてこの前の医局会同様にテーマを一つに絞り簡潔に語ることを意識して作った。医療安全には厚労省が作成した「10の要点」というのがあり、今日はその中で9番目の提言「与薬」についてで「患者と薬を再確認 用法・用量 気をつけて」を自身の失敗例を具体的に挙げ、なぜ起きたのか、それに関わる職員はミスを防げなかったのか、今後の対策といったところをまとめたのだった。

そして。そろそろ終わろうかというときに、突然私のボウリングシーンが流れた。
今年1月21日のこてる日記「堅実だが爆発はせず」(https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2026/01/blog-post_21.html)にもアップしたワッシャーピン残りをカバーした動画を見せたのだ。失投して難ガターさんに笑われた直後、ちゃんとスペアして逆に唸らせたシーンだ。ボウリングも医療安全対策も「ミスしてもカバーすればよい」ってこと。まあ、得意のこじつけやね。

講話の感想文のまとめが後から私にも届くかと思う。まさか「安全対策の極意はボウリングと同じだ」なーんてのがあると、チトまずいか・・かな。

2026年2月18日水曜日

「森と湖の里」のパンフレットが実はお宝だった!

5日前ほどのこと、こてる日記に珍しくもコメント書き込みがあった。それも最近のではなくて5年以上前、2020年8月18日の「中山祐次郎氏随想から『森と湖の里』の思い出」→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/08/blog-post_18.htmlへの投稿だった。

読んでみれば分かるが、外科医でエッセー、小説などで活躍されている中山祐次郎氏の新聞エッセーを話題にし、その関連で自分の大学入学時の思い出をオーバーラップさせた内容だった。その中で指宿の鰻池にあった宿泊施設「森と湖の里」のパンフレットを紹介した。なんとそのパンフレットが欲しいというのだ。

「鹿児島県指宿市の指宿図書館からです。市民からのレファレンスで、この森と湖の里のことを聞かれているところです。残念ながら指宿市には、このパンフレットがありません。まだ、お手持ちでしたら、ぜひ、指宿図書館にいただけませんでしょうか。指宿市の記録として残したいと思います。よろしくご検討ください。」

いやはや、なんと奇特な申し出だろう。日記にはさんでいて40年以上も見直すことのなかったパンフレットが今や貴重でぜひ欲しいというのだ。

「ほう、これはこれは。ブログに書いているようにたぶんまだ昔の日記帳に張っていると思います。48年も前のものですが、確認してあれば、剥がしてそちらに送りましょう。住所など教えて下されば幸いです。」と、コメント欄に私も追記した。

しかし、このコメント欄、連絡のやり取りにはあんまり向いていない。連絡主からはその後何の反応もなかった。日記のパンフレットはまずまずの保存状態で残っていた。郵送してやってもいいが、今時ネット上で安易に信用してやりとりするのはこの前の詐欺注文の一件のように問題がある。そこで本当にこの投稿が確かなものか指宿図書館に電話して確認してみた。すると、一般職員が出て、私がかくかくしかじかと話すと「しばらくお待ち下さい」とあり、代わって出た女性職員が「確かに私が投稿しました」という。それで「譲ってもいい」というと「ありがとうございます。料金受取人払いでいたしますのでぜひ」とのことだった。ついでに言うとその人は図書館長だった。

ここまでくればぜひ送ってあげよう。私が持っているより図書館に置いておけば、今はもうなくなった「森と湖の里」が確かにそこにあったのだという証拠になるのだ。館長の話では2000年の市の記録にはあるが、2005年にはもうなかったそうだ。48年前のパンフレットにある茅葺き屋根も後にはスレート屋根になっていたという。そして「今はそれがどこにあったのか全く跡形もないです」なんだって。↓パンフレットだけでなく「利用のしおり」もあって当時の料金などもばっちし分かる。
「森と湖の里」施設は1970年代から2000年初頭の鹿大医学部入学生にとって学生時代最初のイベントだった。中山祐次郎先生も青雲会病院の外科Drたちも私もこれから始まる医学部生活の期待と不安とともに強烈な思い出として残っている、はずだ。その貴重な証拠品を残して置きたいという要望に図らずも応えることができて、私も満足である。

2026年2月17日火曜日

あの頃、赤いコスチュームのはずのジャネット・リン

 医局会レクチャーは滞りなく終わった。さほど質問もなく拍子抜けするくらいだったが、これは異食癖の症例を出さなかったせいだろうな。そのインパクトの大きさや疑問の提示など画像&動画で見せればみんな食いつくはずだった。しかし今回の症例集めでいざ作ろうと思えばそれらは比較的余裕で作れそう。この2週間きつかったがまた報われる時が来るだろう。午後は早帰りをした。疲れもあるので夕方は仮眠を取って、夜は医療安全のスライド作りがある。でも、まだもう1日余裕あると思うと進まないのよ・・。

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックではフィギュアスケートのペアで「りくりゅう」こと三浦璃来(24)・木原龍一(33)組が世界歴代最高得点の158.13を記録し、金メダルを獲得したという話題一色だった。前日だったかショートプログロムで演技に失敗し5位になったと聞き、「やはり本番では有力候補も簡単にはいかないんだな。銅かよくて銀か」ぐらいに思っていた。しかしフリーでは最初やや堅かったものの途中からは笑顔も出て、素人目にもいい縁起だったなーと分かるほどだった。終わってみればギリギリどころか結構な差での金メダルだった。いや〜、やるなーニッポン!
昔、札幌オリンピックでは日本のフィギュア女子代表は山下とかいう選手だったかな、動き、腕の振りなどこれも素人目にもかなりレベルが落ちるって分かった。それに比べアメリカのジャネット・リンよ。動きがダイナミックで転倒しても満面の笑顔でそのころ小学6年だった男子どももイチコロで大人気になった。結局銅メダルに終わったが、そのころは盤上で円を描くコンパルソリーという演技が重要視されそっちは全然面白くなった。その後フリーのみに変更されたのは優勝した誰かよりもジャネット・リンの方が人気も実力もあったはずという多くの観衆の気持ちが大会本部にも届いたからじゃないかな。この尻もちとその後の笑顔で一大人気となったジャネット・リン↓。
小学校の卒業式が終わってしばらく経った春休み、私が南州寺の矢野君の家に行った時、彼はジャネット・リンの大きな白黒写真を持っていた。あれ?ジャネット・リンと言えば真っ赤なコスチュームなのにと思ったらそれは白黒コピーの写真だった。「え、なんだそれ?」と私は不思議に思った。「ほら」と赤のリンの写真と白黒だが全く同じ形大きさのリンの写真を見せられ、コピーというものを私は生まれて初めて見たのだった。

それは1972年のことだから半世紀以上も前で、私はコピー機を「文明の利器やぁ」と感激するまだまだウブな少年だった。

2026年2月16日月曜日

春は近いが〜

朝、通勤途中の姶良インターの出口直近の信号待ちで民家の庭を見れば梅の木がいっぱいに花を咲かせていた。

この家は枇杷やみかんも植えているし、花の咲く木もいろいろ植えていて季節ごとに楽しませてくれている。気を付けて見れば他の民家にも梅の花は咲いていてどうやらこてる家裏の梅の木だけ何らかの理由で咲いていないだけのようだ。最近は日も少しずつ長くなって春が近づいて来ているのを実感する。

私にとっては明日の医局会レクチャーと木曜の病院職員への医療安全講話が終わらないと何も落ち着けない。レクチャーは目途が付いたが医療安全は手すら付けていない。一応頭の中に構想はあるが具体的には全くである。だから、こてる日記書くのも遅れがちになってしまう。おまけにネタらしいネタもなく、そうだ2日前はバレンタインデーだったとチョコの話題でお茶を濁したんだ(いや、チョコだけにお口を甘さでごまかしたか)。

帰宅後はせっせと最後のレクチャースライド仕上げに・・と思っていたら、こてる日記だけは書けたが、またもや椅子寝グーグー。結局、スライド完成は未明になった。こんなにスライド作りが続いたらほんと大変、やはり春はまだ来ないわ〜。

2026年2月15日日曜日

テーマを絞れば楽になる

朝10時ごろ、家を出て病院へ向かった。で、院長室にこもって電カル開き、火曜日の医局会レクチャースライド作りに勤しんだ。消化管異物の実例写真や病歴チェックなど必要で、まだまだ作成資料が不十分だったのだ。それに家にいるとついついだらけてしまって仕事もはかどらないしー。

改めて青雲会病院のここ15年ほどの消化管異物症例患者数を調べると合計40人いてそのうち28人が誤飲によるもので、残り12人が異食癖や性倒錯による事例だった。まずは一般的な誤飲の症例を集めて、同時にスライド作成もやっていった。そうこうするうちに「こりゃ異食癖の症例まで語るのは時間が足りないぞ」と分かってきた。医局会ではおおよそ15分、長くても20分くらいにまとめないとみんなの仕事に差し障りが出てくる。ここは思い切って誤飲のみの症例に絞ろう。そもそもこれだけの症例数をレクチャー付きで全部しゃべるのには無理があった。そうだ、今回は誤飲例をPARTⅠ、次回に異食例をPARTⅡにして発表すればいい。そう思うとだいぶ気が楽になった。

このテーマを思いついて「しめた」と思っていたのになかなか捗(はかど)らなかったのは広げすぎが原因だったんだ。そうして夕方までに9割方スライド作りまで終えることが出来た。後は消化管異物で一番難儀した「胃石」についてのスライドを追加するだけだ。15年で1例しか経験していないが治療完了するまでに1ヶ月を要したケースである。6ー7cm大の大きくて硬い胃石が胃内に鎮座し出血性胃潰瘍まで作っていた。通常のスネアでは掛かりもせず、強くて大きなものを取り寄せ、それでも上手く行かずEHL(電気水圧衝撃波胆管結石破砕術)の器械を取り寄せ、少しずつ破砕しそれをスネアで砕き、ネット鉗子で回収するといった作業を繰り返しどうにか完了出来た。胃石を柔らかくする効果があるというコカコーラも注入した。文献や学会報告では有効とのことで本人にも飲んでもらったりしたがこの胃石には効果がなかった。そのことをこてる日記で呟いたら、某TV局が目を付け、胃石へのコーラ療法の資料を提供出来ないかと連絡もあった。しかし、実際は無効だったと伝えると丁寧に「今回はなしということで」とお断りの連絡があった。まあ、TV局はコーラが治療薬にというトピックス的な話題に興味があっただけなんだろうよ。

と、まあ誤飲異物症例だけでも語る内容はいくらでもあり、半分に絞ったのは大正解だった。語り口を変えれば朝礼スピーチにも使えるかも。ふふ、ここ2週間はこいつのせいでなかなかゆったりした時間を過ごせていなかった。せっっかくだ、使い回しして後が楽になるようにしよっ!

2026年2月14日土曜日

モロゾフをもらう

2ヶ月ぶりに長島へ仕事に行った。中央駅の駐車場も先週同様に屋外に駐められてなかなか順調な出だしだった。出水から事務長の車で長島までの行程も全く車酔いすることもなく、これもトラベルミンのおかげだ。

今日の大腸内視鏡は6件で、ポリペクトミーになった患者さんが4名もいて、終了時刻も13時過ぎくらいになり帰りの新幹線もぐっと遅くなり14時28分か。昼食を摂っていると看護師さんらが来て「先生、今日はバレンタインデーですから」と何と比較的高そうなチョコをプレゼントされた。へー!これは意外。チョコは大好きだし有り難くいただこう。

帰宅しすぐにカールに見せると、「わぁ、美味しそう」と1個取ってパクリ。「うん、美味しいわ、私、チョコ好きなの」と笑みを見せた。ふむふむ、私もいただこうぞ。

ここ10年くらい、バレンタインデー時の日記には「最近はバレンタインデーが盛り上がらずその名前もあまり聞かない」って話題が多かった。3、40年前は義理チョコを渡すのが多く、それに伴ってホワイトデーでお返しって、なんとも日本的な風習が根付きそうになっていたが、そちらも最近はあまり聞かないナ。

ま、お互いのコミュニケーションの仲介役としては優秀かも。チョコを嫌いな人ってあまりいないしー。そうそう、モロゾフって神戸のチョコレート会社なんだってな。ロシア革命から逃れて来たモロゾフ一家がチョコレート店を経営していたのが起源らしい。1932年、日本で最初にバレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介したそーな。モロゾフのホームページには「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした、とある。ただ、日本人出資者との間にいざこざが起き、日本語が不得意なモロゾフ一家は裁判に負け、その後モロゾフの看板を掲げることが出来なくなった。そこで戦後「コスモポリタン製菓」を立ち上げたとか。従って現在のモロゾフは日本人の会社ということだ。

バレンタインにまつわるエピソード、歴史もチョコもなかなかに味わい深いものがあるネ。

2026年2月13日金曜日

うだうだと過ごす13日の金曜日ってか

 この前、つまらぬボウリングボールを怪しい会社にネット注文したことでカード会社から「不正な請求がある」と連絡が来てカードを作り直す羽目になった。楽天、Amazonと主要なカードだっただけに面倒をしている。Appleとも問題が生じてバージョンアップが出来なくなったり踏んだり蹴ったりだ。怪しいと思いつつ申し込んだのがいけなくて反省しきり。カード支払いしているサブスクなどからもそろそろ「支払いされていません」と連絡が来そう。まあ、これを機会に契約も見直ししなさいってこともかも。

おまけに来週の医局会レクチャーの作業がスムーズに進まず今日も椅子寝をしてしまった。だいたいの内容は頭に入っているのになぜか上手く片付けられないのよ。まだ土日があるから切羽詰まってはいないが・・。もっとも本来は明日の土曜の夜、高校時代の恩師と会食の予定が延期になったのだけは有り難かった。いや、スライド作りが今の時点でとても終わりそうにないんで・・。

そういえば今日は13日の金曜日かぁ。日記書くまで全然気づかなかった。え、明日はバレンタインデーだって?それも全く縁がないわ。なんだかその手の話題には近頃ほとんど関心がなくなってしまった。恵方巻きとかやらも興味はなかったが、カールが「縁起担ぎは一応したほうがいいかな」と手作りの太巻きを作ってくれたので2月3日に適当に南南東付近を向いて食べましたよ、ハイ。↓は10日遅れの恵方巻きシーン。

そういえば、ミラノ・コルティナ・オリンピックが始まって1週間は経つというのに日記ネタにあまりしていない。ライブ中継が深夜から未明にかけてというせいもある。それにその時間帯は起きていてもスライド作りやネット麻雀をしている。そう、レクチャー発表は相当なストレスで、そういうイベントへの関心が弱まるものなんだ。チッチなんか先週に一大イベントがあったせいで「え、今イタリアでオリンピックやっているの?」とその事実すら知らなかったそうだ。いや、だろうて。よくよく考えれば誰が金メダル取ろうが自分自身にはちぃとも影響はないのよ。オリンピックに一気一憂するのは生活が安定して平和でいられるからであって戦争中やその日暮らしの人たちには関係ないことだ。そう、オリンピックが平和の祭典なんて言われるのもそういうことなんだよな。

今日は特に日記ネタがないせいでウダウダと思いつくまま書き綴ったわ〜。

2026年2月12日木曜日

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」

朝の車中、MBCラジオで「〇〇さんからのお葉書は『梅の花が二分咲くらいでーす』とのことで・・」と梅の花を話題にしていた。そうか、そういう時期だよなと思ったが、毎年うちの裏のモリサンチー家では梅の花が咲いていたけれど今年は全く見ない。2年前はまさにそれを日記ネタにしたのだが・・。(2024/2/10「梅だけどサクラ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/02/blog-post_10.html)カールも「いつも窓を開けると、『あ、梅だ』って思うのに今年は見ない」と言っていた。ご主人が病気がちで手入れをしていないこともだが、業者に頼んで伐採でもしたのだろうか。

朝の回診時にスタッフらに「最近は少しずつ暖かくなってきているよね〜」と話しかけた後、「そうだ俳句にもあるよな・・『梅一輪・・ええと』」と口ごもると、スタッフは誰も反応しなかったのに廊下を掃除していた介護補助者のおばさんがハッとしたようにこちらを見た。うん、俳句に少し心得でもあるのかな。

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」

ようやく思い出して「これは良い俳句だよな〜」とスタッフらに向かって同意を求めたが、だ〜れも反応しない。おばちゃんは下を向きつつわずかに肯いているようだったが・・。誰の俳句だったかはその時は知らず、後で江戸時代の松尾芭蕉の高弟服部嵐雪の句だと知った。梅が一輪咲き、さらにまた一輪咲くにつれ一輪ほどのかすかな暖かさが感じられるという意味らしいが、もう一つの解釈は梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっているということで、リズム感もあり春を待つ情景がよく現れていて私的にはこちらの方が好きだ。まあどちらでもいい。スタッフのみんなも文学や教養といったものにちぃとは関心を持とうよ。花や景色を見て「わぁ綺麗だぁ」だけではもったいない。歴史や文学など知ることで感動も倍になるんだから〜。↓モリサンチーさんの梅がないのでネットで探した梅一輪です。

2026年2月11日水曜日

「建国記念の日」から九条の会を連想する

今日が祝日で週の中日が休みとなった。有り難い。水曜日が休みだとなんかいいね。そういえばなんで祝日だったっけ?「建国記念の日」だ。以前は右派、左派ともに集会を開いてこの日のあり方に賛成反対の意見を出し合ったりしていた。よく、夕方のニュースにはその様子が出ていた。5年前の日記にもその話題から鹿大時代の荒川譲ドイツ語教授の話題を書いたこともあった(→「建国記念の日」から大学教授を連想する)。鬼の荒川と言われるほど単位が取りにくいと言う噂の先生で、語学が苦手な私は先生が担任にならず本当にほっとしたものだった。1999年に鹿大退官後も平和護憲運動でたびたびマスコミに出てきていた。5年前の日記は2月11日に書かれ「まだ御健在だろうか」と書いていたが、奇しくも同年5月23日に亡くなられていた。鹿大広報に退官時の顔写真が出ていてその表情にもどことなく厳しさが表れていた。
うーむ、私が思い出すのは今から20年ほど前、訪問診療を担当していたころ、ある老人の家に入ると大きなポスターが張られていて「九条の会」という文字が掲げられ、そこにいわゆる著名文化人9名の写真が円上に載っていた。ははあ、憲法九条の改憲を許さず、この条文をしっかり守ろうという会なんだなという主旨は鮮明だった。でも一番印象的だったのはそのお顔が厳しくて怖いことだった↓。特に小田実と加藤周一さんは怖い。で、荒川先生もその方方に似ているような・・。
夕方のニュースでは高市首相は「憲法改正も視野に入れていく」と堂々と発言していた。今では荒川先生も九条の会の発起人9人も半数以上が故人となられていて、こうした国のトップの発言をどう思われているか。さぞかし苦虫をかみつぶしたようなお顔をしているのは間違いないだろう。

私は憲法改正については「今の日本国憲法が改正を全くされたことがない現状はおかしい。10年に1回は憲法は改正しなければならないという決まりを作ったらいい」とさえ考えている。いや、九条だけでなく約80年も経過すればあちこちに現状と合わない条文がいくつもあるはずだ。法律はしょっちゅう改正されるのに、憲法がその最上位にあるからといって全く改正できない、出来にくい状態は違憲ですらあると思うのだ。改正には衆議院と参議院それぞれの3分2以上の賛成と国民投票での過半数が必要というのはあまりにもハードルが高すぎる。ただでさえ日本という国は古い法律を変えずに解釈で解決していこうとする国民性がある。変えていかなければ昭和20年と令和8年の世界の情勢、日本の国情は相当違うのに「改憲許すまじ」というのはおかしい。

ただ、こんなことを九条の会の方々や荒川先生に言ったら苦虫だけなく拳骨(げんこつ)も飛んできそうだ。おお、怖い。

2026年2月10日火曜日

おニューのソリッド系が古いパール系に負ける?

1週間前に国分スターレーンにニューボールのドリルをお願いしていた。昼に電話すると出来上がっているとのことで夜に取りに行った。トラック社のレギオン・ソリッドというボールだ。3年以上前に発売されたボールでスターレーンで2ヶ月以上セールボール1万5千円で出ていた。最近のボールは軒並み3万円以上するので新古品に近いこのボールは安い方だ。
このボールの表面素材はリアクティブウレタンの中でソリッド素材という分類に入る。私が6年使って来たプロウラーというボールはリアクティブウレタンの中のパール素材でこの2つはボールの動きが違う。パール系はオイルのあるレーン手前ではすべって走り、レーン後半のオイルがないところでは急激に曲がり角度が付きピンを弾く。ソリッド系はオイルがあるところでもじわじわと曲がろうとしオイルがないところではさらに曲がろうとするもパール系ほど急激な曲がりは起きない、そういうタイプだ。

で、実際投げてみてまさにその通りだった。
ボールについたオイルトラッキングは↓でそこそこボールは動いているのが分かる。
パール系のボールの方が動きが派手でピンアクションもいい気がするが、レーンコンディション次第ではソリッド系のこのボールの方がいい時もあろう。また最近はレーンに反応しすぎない普通のウレタンボールも見直されてきてプロの難しいレーンコンディションの試合には必須らしい。私もボウリングを始めた36年前は当然ウレタンを使っていたが、すぐにリアクティブウレタンの時代になり今に至っている。

4ゲーム投げてこのレギオンソリッド、ストライクもまあまあ出た。200アップゲームもあったが若干今日の国分のコンディションだと6年も前のパール系リアクティブウレタンのプロウラーがいいピンアクションだった。レンコン次第ではニューボールが6年も前のボールに勝てない。ボウリングは奥が深いわ〜。↓は今日のスコアシート。やはりスプリットを出すとスコアが伸びないってのが一目瞭然だね。
最後に今日のハイライトの一つ。4番9番スプリットを久々にカバー出来た。ボールは使い慣れたプロウラーだ。

2026年2月9日月曜日

「消化管異物の世界」

今、来週の医局会でのレクチャーに向けて資料集めとスライド作りをやっている。テーマタイトルは「消化管異物の世界」だ。

青雲会病院に勤務するようになって26年近くなる。それまで大学病院と市中の比較的大きな病院への勤務が多く内視鏡もたくさんやって来たけれど主に癌や潰瘍があるかないかを見つけるのが仕事だった。しかし青雲会病院に来てからぐっと増えたのが消化管出血と消化管異物だ。どちらも緊急の内視鏡治療を要することが多い。出血は下部の出血、特に大腸憩室出血が数も多いし難しいケースも多く、たびたびこてる日記でも取り上げている。出血ほどではないが消化管異物も日記に取り上げてきた。レクチャーでは出血は以前も取り上げてスピーチしているので、今回は異物症例にしよう。先月、1日で2例異物取りだしの日があった(1月8日)のがきっかけだ。

私の忘備録やカルテ記録、それと外科の信号Drのカルテ記録も調べてもらって合計39名の異物症例を拾うことが出来た。ごく一部を除いて2010年以降の症例でレントゲンや内視鏡画像が残っている。今日はその患者年齢を調べグラフにしてみた。

意外にも全年齢層に消化管異物のケースはある。やはり70歳代以上の高齢者に多いことが分かる。原因として多いのが義歯(部分入れ歯)とPTPシート(薬剤シート)の2つだ。ともに鋭利な部位がありこれらが食道や小腸の狭い部位にひっかかりそこが壊死し時に穿孔して手術になることすらある。ただこれらは誤って飲み込んだケースで一度起こしても次にまた来ることはほとんどない。しかし青雲会病院は違うのだ。繰り返し、しかも一度や二度でなく五度も六度も異物を飲み込んでやって来る人たちがいるんだ。近くに県立の精神科の病院があるからで、比較的若い患者さんが自傷行為と同じような理由で異物を飲み込むあるいは入れ込むのである。39名中13名が意図的に異物が入れられたケースで実に3分の1を占める。患者は比較的若い女性に多い。飲み込む対象は様々で紙おむつ、鉛筆、ペン、電池、薬(軟膏チューブ)、金属(ボルト、ナット)、ホッカイロ、スポンジなどなど。内視鏡をする側としては「また来たの」と言いたくもなるくらいで、全部で32回も内視鏡もしくは手術適応になった。1人平均2.5回も起こしているのだ。↓が意図的な飲み込みで内視鏡になった件数のグラフで10代から40代に集まっているのが分かる。

そのうち1名は手術までして助かり退院したが1ヶ月後にまた呑み込み、今度は窒息して救急搬送されいったん入院加療となったものの結局亡くなった。どうすればそのような人たちを異食行動させないかについては内視鏡医ではどうにもならない。中には飲み込んだもののきつくて「取って欲しい」という態度の人もいてその時は素直に帰っていくがまたやるんだ。最初のころは私も説教ではなく優しく「もうしないようにしようね」なんて言ったりしたがここ10年ほどは何も言わない。言うだけ空しくなる。

ともかくまだ1週間以上ある。どうにかまとめて他のドクターたちにも注意喚起しておきたい。どのようなケースで内視鏡に早く送るべきか、中にはレントゲンやCTで異物が写っているにも関わらず何人かのドクターの指摘を免れ、結局危ない状況になり手術で一命を取り留めたケースもある。いやはや、簡単に終えられると思っていたのに、やり始めると症例数は増えるわ、言いたいことは増えるわでまたギリギリになりそう。しばらくはこれにかかりっきりや〜。

2026年2月8日日曜日

鹿児島で雪景色を楽しむ

朝、窓から外を見ると雪景色だった。南国鹿児島でも年に1、2回雪が積もることがある。雪ってのは何気ない景色でさえなにかしら風情あるものに変貌させてくれる。古来多くの人がこの景色を愛でてきたのも肯ける。

と、突然据え置き電話が鳴った。朝早くにどこからだろう。青雲会病院の可能性もあるな。大腸憩室出血の治療をしたあの高齢男性患者か。うまく止血出来たはずだったが・・。が、出水のスチョル先生からだった。ああ、今日は出水で内視鏡の仕事を頼まれている。「雪ですね。大丈夫ですよ。少し積もってはいますけど道路には全く積もっていないのでもうそろそろ中央駅に向かうところです」と安心させ、すぐにプリウスで出発した。3号線を走らせると思っていた以上に吹雪いていた。ウォッシャー液も凍っていて使ったら返って視界が悪くなってしまったよ。
プリウスを中央駅の屋外駐車場に駐めて駅に向かおうとした時だった。ちょうど隣に佐賀からのレンタカーの白いプリウスが駐まっていて私のと仲良くダブルプリウスやなと写真を撮ったらギョッとした。マイプリウスのナンバープレートがぁ・・雪がこびりついてナンバーが全く見えなくなってしまっていたわ〜。
屋外の料金が室内駐車場より半分以上安いんでこっちが空いていたら必ず利用するのだが、もし室内利用だったら入庫時にモニターがナンバープレートをカシャッと記録し、それが後で請求するときの証拠になる。しかし↑のような状態で入ろうとしたら拒否されてきっとオタオタしていただろう。そのまま時間を無駄にすれば新幹線の出発時刻に間に合わないんてことにもなりかねなかった。青空駐車場は昔からのタイムカード方式だから何の問題もなかった。

帰りはナンバープレートの雪はすっかり取れていたが、ワイパーには雪が積もっていて手でどかさなくてはならなかった。佐賀レンタカーは窓全面が雪で隠れていた。せっかくの日曜なのにドライブには行かなかったのね。まあ雪のせいで峠は通行止めだったし、ゴルフも出来なかったらしい。桜島はどうだったか。鶴丸高校から平田橋方面へ向かう道路から桜島を撮った。

ほう!雪化粧をして美しくも迫力がある。桜島はやはり鹿児島のシンボルだぁー。鹿児島ではたまにしかない雪景色、慣れないこともあったが、やはり楽しまなきゃな〜。

2026年2月7日土曜日

衆院選の話題がなぜか「ガラスの仮面」へ

衆院選も最終盤に来て残り1日を残すのみとなった。大方のマスコミの情勢分析では自民&維新の圧勝との予想が出ている。ふむふむ、1月20日に「朝日が噛みついたけれど」とのタイトルで高市首相が解散をさせたことを朝日が批判したのを逆に私は批判した。その際、「私の予想では今度の選挙、自民が勝つだろう」と書いたところ、終盤に来てまさに朝日新聞がそう予想しているというのだ。なんていうか、自民が圧倒的に人気というより、野党がどうにも魅力的に映らないのが原因なんじゃないか。政権交代を伺う雰囲気が全くない。これじゃ、まだ自民がマシって感じがする。ただ、その日の日記にも「自民党が大勝利してもそこで強引すぎる政策や汚職めいた議員、閣僚がのさばったら次の総選挙で自民は大敗し、それこそ解党にまで追い込まれるかもしれない」と書いたとおり、自民も浮ついたらダメだろう。何度も言うが国民はバカじゃない。今のところは自民に任せるけれど変なことしたり、強引すぎる政局運営で国民の信頼を失ったら今の小選挙区の制度からして反転して政権を失ってしまうよ。

ついこの間、薩摩郡医師会の会長をしているサイゴノトキ先生(女医)から電話が掛かってきて「選挙最終日の2月7日に青雲会病院へ小里泰弘候補が挨拶に行きたいと言っている。よろしいか」との打診があった。なんでもトキ先生、後援会の会長もしているんだそうだ。医師会としてはどうしても小里候補を推したいってんで鹿児島3区の姶良地区もアピールしたいのだという。青雲会は職員へ強制ではないが自民系の候補者を推しているのでそれは全く構わない。ただ、土曜なので私も理事長も不在だ。医事科のダッペイ君に応対してもらおう。

いやはや、トキ先生も私と鹿児島済生会病院でいっしょに診療している頃はまさか選挙運動で協力しあいましょうなんて露ほどもなかった。二人の共通の話題と言えば、その頃テレ朝でやっていたドラマ「ガラスの仮面」だった。彼女は「ガラスの仮面」の愛読者で実は私も唯一少女マンガで読んだことのあるのが「ガラかめ」だったのだ。あれが1997年だったからもう30年弱前にもなる。

「ガラかめ」は雑誌連載が1975年からで最初の10数年はコミックスも次々に刊行されたが作者の美内すずえがコミックス刊行時に連載とは違う書き換えをしてから刊行するこだわりをみせるようになり停滞が始まった。コミックス41巻までが私やトキ先生がドラマを見ていたころで、42巻が2004年でこれからどんどん刊行されるのかと思いきや数年おきに出るだけで現在49巻が2012年発刊でそれ以降止まっている。
私も43巻ぐらいまでは追っていたがその後は読んでいない。非常に面白くかつ中毒性のあるマンガで特に26巻くらいまでの「二人の王女」くらいまでは繰り返し読んだものだ。以前もこの「ガラかめ」について書いたことがあるが、25、6巻以降はあんまし読む気がしなくなるんだ。雑誌連載をそのままコミックス化していたときの方が面白い。作者としてはいろいろと気に障ることがあって描き直しをし始めたのだろうが、作品としては連載に追われて切羽詰まって作った時のほうがいい。これは「ガラかめ」を繰り返し読んでいるうちに私はそう気が付いたのだ。

10年以上刊行が途絶えてしまい、少女マンガとしては男性にも人気がある大ベストセラーのこの作品が未完に終わるのを危惧せざるをえない。「ガラスの仮面」といえば登場人物たちが白い目を剥くシーンだ。
美内すずえさん、私たちの目の黒いうちに完結してやってくださいよ〜。