連休最終日、朝は例によってドジャースの試合を観戦しつつダラダラと過ごしていた。それで午後は何をして過ごそうかとぼんやりしていたら、カールが「田舎へお墓参りに行かない」と提案してきた。そうかこの前の5月3日にもカールにそう言われて、その時は雨が結構降っていたので「やめとこう」だった。以前は5月3日にはお墓参りをよくしていた。なぜなら父デンコーの命日だからだ。亡くなったのは2007年のことだから今年で丸19年になる。
「よし、行こう」
今日は白ゴルフではなく、プリウスに乗って田舎へ向かった。昨日またタイヤ交換もしたばかりだ。12月末に前輪を、今度は後輪をオートバックスで交換した。ネットで注文しオートバックスを送り先にし(事前連絡なし)、届いた頃に電話で予約し、交換費用を支払う方式だ。プリウスのタイヤはやや特殊なので店に置いていないことが多いからこの方式が合っている。今回の後輪の交換は前輪ほど劇的に乗り心地や操作性が向上した感覚はないものの、この前の車検で「梅雨前にはぜひ交換を」とトヨタの人に言われていたからこれで安心出来る。
1時間もしないうちに信光寺に着き、墓前でチッチの国家試験合格を報告出来た。そう、これが一番の目的でもあった。チッチは3月末に鹿児島に帰って来た際に函館君と鹿児島ドライブをした。その時に次いでといってはなんだが、田舎に寄って自ら墓前報告を済ませていた。デンコーも喜んでくれたことだろう。デンコーは子どもたちを医者歯医者にするのが夢だった。それがかない、今度は孫たちまで歯医者(弟の長女アサちゃん)、医者になったのだから。↓デンコーの霊は写っていないかしら〜。
これですぐに帰宅しても良かったのだが、ヒトミンチョ家にも寄ってみようかとなった。ヒトミンチョは日曜だと夕方までAコープ勤務のはずだが祝日はどうか・・。するといたではないか。家を掃除、お片付け中とのことだったが、ほんの少しだけと上がることにした。それがさー、なんだかんだと話し込んでしまい3時間半も長居してしまったよ〜。いや、最初は良知従兄が亡くなって3ヶ月以上経っても「なかなか寝付けずにいて最近少しそれが改善してきたばかり」という喪中後のヒトミンチョの聞き役だった。しかしその後は、亡くなった親世代の話題やヒトミンチョが親しかった人たちの思い出、私がよく知らない叔父叔母のことなど話せばいくらでも話題が尽きなかったのよ。今年16歳になったばかりのネコの「そらん」ちゃんもめずらしく逃げずにそばにいてくれていたしね。↓「そらん」ちゃん。双子の「りおん」は数年前に亡くなっている。
聞けば、私たちの実家がある旧頴娃町大川は今年新小学1年生が一人もいなかったそうだ。ヒトミンチョが知る限り、これは大川地区初めての事態らしい。県内でも過疎が著しい地域だからといってもそこまでとはー。ちょうど60年前、私は小学1年生だった。入学前、私は隣の水成川にある頴娃町立別府小学校に入学するものと思っていた。しかしその半年前から私や私の家族の運命を変える出来事がいくつも起こり、1966年1月に一家は鹿児島へ引っ越したのだ。今思い返しても人生の一大転機がその半年間に詰まっていた。1965年までは私やヒラーキは大光寺にある大川保育園のガキンチョたちや従妹のヒトミンチョなどと毎日遊んで過ごしていて、子どもたちもまだいっぱいいた。そっかぁ、思えば私や私の家族はそこから出て行って60年後過疎に陥らせた犯人の一味だったわけだ。はぁ・・。















