夕方、仕事をやりくりし早めに病院を出てカールとヒトミンチョの通夜に向かった。それでも読経には間に合いそうもなかった。チッチは研修先の病院から早めに出て一人で南九州市の葬儀会場に向かい「すでに着いた」そうだ。まあ仕方ない、安全運転で行くべー。
ヒトミンチョは闘病していた時のつらい姿から一転化粧も施され棺の中で休んでいた。供花には歌手の「高田みづえ」からのものもあった。
二人は中学時代からの親友だった。同窓のネットワークですぐに訃報が高田みづえに伝わったそうだ。8月末にNHKの歌コンで高田みづえが特集されたのを「ヒトミンチョ、見た?」と尋ねたら、その時は大学病院入院中で「見た見たー、懐かしかったぁ」と言っていたナァ。
弔問客の中で私より上の親世代はたった一人、デンコーの妹のブンコ叔母だけだった。というより息子のタッピロ君が付き添っての弔問で、私が挨拶して「分かりますか」には「うーん、こてる」と正解してくれた。もう90歳、無理はしないで余生を過ごして欲しいネ。ブンコ叔母の娘で私の従妹ミランコとは久しぶりでこうした場でしか会えなくなっているな。↓ブンコ母に長女のミランコ、弟のタッピロ。ミランコから「息子が奄美の診療所で働いていてそこで青雲会病院でこてる先生といっしょだったという男性看護師がいるそうですよ」と聞かされ、私の頭の中に名前は度忘れしたがきっと彼ではという候補が思い浮かんだ。ミランコも「私も名前を忘れた」そうで「そうそう、息子から写真が送られて来た」というので見てみると、案の定ネークチダ君だった。↓左端が息子のスラビア君で私は実は会ったことがないが一家のお顔をしていた。右端がネークチダ君で彼が青雲会を辞めて8年になるが見た目全く変わっていなかったわー。通夜の後半はトシ登り兄と話し込んだ。以前から家、親戚などの人間関係やエピソードなどをよく知るトシ登りに今のうちにいろいろと聞いておきたいと思っていたからだ。特に親世代や従兄弟姉妹について顔は知っているけれどどのような親戚姻戚関係なのかよく分かっていない人たちもいる。今回いろいろと質問し「へーそうだったのか」など疑問氷解したり初めて知ったりのことがいくつもあった。↓友人らからは「知っちょいどん(物知りなヤツ)」と言われていたトシ登り兄。カールは女性親戚らと話をしていたそうで、通夜は故人を偲ぶだけでなく日頃なかなか会えない親戚同士の絆を深める場でもあった。葬儀は明日午後で、いったん鹿児島へ帰宅し明日に備えることにした。










