医局会レクチャーは滞りなく終わった。さほど質問もなく拍子抜けするくらいだったが、これは異食癖の症例を出さなかったせいだろうな。そのインパクトの大きさや疑問の提示など画像&動画で見せればみんな食いつくはずだった。しかし今回の症例集めでいざ作ろうと思えばそれらは比較的余裕で作れそう。この2週間きつかったがまた報われる時が来るだろう。午後は早帰りをした。疲れもあるので夕方は仮眠を取って、夜は医療安全のスライド作りがある。でも、まだもう1日余裕あると思うと進まないのよ・・。
こ て る 日 記
「消化器内視鏡」を専門とするDr.こてるです。
趣味のボウリング、麻雀や病院での出来事、家族の内輪ネタから時事問題まで
日々の徒然を「こてる日記」として、毎日アップしています。
2000年5月から開始し2015年5月分からブログに移行しました。
現在、おおよそ2日遅れでアップしています。
2026年2月17日火曜日
あの頃、赤いコスチュームのはずのジャネット・リン
2026年2月16日月曜日
春は近いが〜
朝、通勤途中の姶良インターの出口直近の信号待ちで民家の庭を見れば梅の木がいっぱいに花を咲かせていた。
この家は枇杷やみかんも植えているし、花の咲く木もいろいろ植えていて季節ごとに楽しませてくれている。気を付けて見れば他の民家にも梅の花は咲いていてどうやらこてる家裏の梅の木だけ何らかの理由で咲いていないだけのようだ。最近は日も少しずつ長くなって春が近づいて来ているのを実感する。私にとっては明日の医局会レクチャーと木曜の病院職員への医療安全講話が終わらないと何も落ち着けない。レクチャーは目途が付いたが医療安全は全くの手つかずだ。一応頭の中に構想はあるが具体的には全くーである。だから、こてる日記書くのも遅れがちになってしまう。おまけにネタらしいネタもなく、そうだ2日前はバレンタインデーだったとチョコの話題でお茶を濁したんだ(いや、チョコだけにお口を甘さでごまかしたか)。
帰宅後はせっせと最後のレクチャースライド仕上げに・・と思っていたら、こてる日記だけは書けたが、またもや椅子寝グーグー。結局、スライド完成は未明になった。こんなにスライド作りが続いたらほんと大変、やはり春はまだ来ないわ〜。
2026年2月15日日曜日
テーマを絞れば楽になる
朝10時ごろ、家を出て病院へ向かった。で、院長室にこもって電カル開き、火曜日の医局会レクチャースライド作りに勤しんだ。消化管異物の実例写真や病歴チェックなど必要で、まだまだ作成資料が不十分だったのだ。それに家にいるとついついだらけてしまって仕事もはかどらないしー。
改めて青雲会病院のここ15年ほどの消化管異物症例患者数を調べると合計40人いてそのうち28人が誤飲によるもので、残り12人が異食癖や性倒錯による事例だった。まずは一般的な誤飲の症例を集めて、同時にスライド作成もやっていった。そうこうするうちに「こりゃ異食癖の症例まで語るのは時間が足りないぞ」と分かってきた。医局会ではおおよそ15分、長くても20分くらいにまとめないとみんなの仕事に差し障りが出てくる。ここは思い切って誤飲のみの症例に絞ろう。そもそもこれだけの症例数をレクチャー付きで全部しゃべるのには無理があった。そうだ、今回は誤飲例をPARTⅠ、次回に異食例をPARTⅡにして発表すればいい。そう思うとだいぶ気が楽になった。
このテーマを思いついて「しめた」と思っていたのになかなか捗(はかど)らなかったのは広げすぎが原因だったんだ。そうして夕方までに9割方スライド作りまで終えることが出来た。後は消化管異物で一番難儀した「胃石」についてのスライドを追加するだけだ。15年で1例しか経験していないが治療完了するまでに1ヶ月を要したケースである。6ー7cm大の大きくて硬い胃石が胃内に鎮座し出血性胃潰瘍まで作っていた。通常のスネアでは掛かりもせず、強くて大きなものを取り寄せ、それでも上手く行かずEHL(電気水圧衝撃波胆管結石破砕術)の器械を取り寄せ、少しずつ破砕しそれをスネアで砕き、ネット鉗子で回収するといった作業を繰り返しどうにか完了出来た。胃石を柔らかくする効果があるというコカコーラも注入した。文献や学会報告では有効とのことで本人にも飲んでもらったりしたがこの胃石には効果がなかった。そのことをこてる日記で呟いたら、某TV局が目を付け、胃石へのコーラ療法の資料を提供出来ないかと連絡もあった。しかし、実際は無効だったと伝えると丁寧に「今回はなしということで」とお断りの連絡があった。まあ、TV局はコーラが治療薬にというトピックス的な話題に興味があっただけなんだろうよ。
と、まあ誤飲異物症例だけでも語る内容はいくらでもあり、半分に絞ったのは大正解だった。語り口を変えれば朝礼スピーチにも使えるかも。ふふ、ここ2週間はこいつのせいでなかなかゆったりした時間を過ごせていなかった。せっっかくだ、使い回しして後が楽になるようにしよっ!
2026年2月14日土曜日
モロゾフをもらう
2ヶ月ぶりに長島へ仕事に行った。中央駅の駐車場も先週同様に屋外に駐められてなかなか順調な出だしだった。出水から事務長の車で長島までの行程も全く車酔いすることもなく、これもトラベルミンのおかげだ。
今日の大腸内視鏡は6件で、ポリペクトミーになった患者さんが4名もいて、終了時刻も13時過ぎくらいになり帰りの新幹線もぐっと遅くなり14時28分か。昼食を摂っていると看護師さんらが来て「先生、今日はバレンタインデーですから」と何と比較的高そうなチョコをプレゼントされた。へー!これは意外。チョコは大好きだし有り難くいただこう。
帰宅しすぐにカールに見せると、「わぁ、美味しそう」と1個取ってパクリ。「うん、美味しいわ、私、チョコ好きなの」と笑みを見せた。ふむふむ、私もいただこうぞ。ここ10年くらい、バレンタインデー時の日記には「最近はバレンタインデーが盛り上がらずその名前もあまり聞かない」って話題が多かった。3、40年前は義理チョコを渡すのが多く、それに伴ってホワイトデーでお返しって、なんとも日本的な風習が根付きそうになっていたが、そちらも最近はあまり聞かないナ。
ま、お互いのコミュニケーションの仲介役としては優秀かも。チョコを嫌いな人ってあまりいないしー。そうそう、モロゾフって神戸のチョコレート会社なんだってな。ロシア革命から逃れて来たモロゾフ一家がチョコレート店を経営していたのが起源らしい。1932年、日本で最初にバレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介したそーな。モロゾフのホームページには「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした、とある。ただ、日本人出資者との間にいざこざが起き、日本語が不得意なモロゾフ一家は裁判に負け、その後モロゾフの看板を掲げることが出来なくなった。そこで戦後「コスモポリタン製菓」を立ち上げたとか。従って現在のモロゾフは日本人の会社ということだ。2026年2月13日金曜日
うだうだと過ごす13日の金曜日ってか
この前、つまらぬボウリングボールを怪しい会社にネット注文したことでカード会社から「不正な請求がある」と連絡が来てカードを作り直す羽目になった。楽天、Amazonと主要なカードだっただけに面倒をしている。Appleとも問題が生じてバージョンアップが出来なくなったり踏んだり蹴ったりだ。怪しいと思いつつ申し込んだのがいけなくて反省しきり。カード支払いしているサブスクなどからもそろそろ「支払いされていません」と連絡が来そう。まあ、これを機会に契約も見直ししなさいってこともかも。
おまけに来週の医局会レクチャーの作業がスムーズに進まず今日も椅子寝をしてしまった。だいたいの内容は頭に入っているのになぜか上手く片付けられないのよ。まだ土日があるから切羽詰まってはいないが・・。もっとも本来は明日の土曜の夜、高校時代の恩師と会食の予定が延期になったのだけは有り難かった。いや、スライド作りが今の時点でとても終わりそうにないんで・・。
そういえば今日は13日の金曜日かぁ。日記書くまで全然気づかなかった。え、明日はバレンタインデーだって?それも全く縁がないわ。なんだかその手の話題には近頃ほとんど関心がなくなってしまった。恵方巻きとかやらも興味はなかったが、カールが「縁起担ぎは一応したほうがいいかな」と手作りの太巻きを作ってくれたので2月3日に適当に南南東付近を向いて食べましたよ、ハイ。↓は10日遅れの恵方巻きシーン。
そういえば、ミラノ・コルティナ・オリンピックが始まって1週間は経つというのに日記ネタにあまりしていない。ライブ中継が深夜から未明にかけてというせいもある。それにその時間帯は起きていてもスライド作りやネット麻雀をしている。そう、レクチャー発表は相当なストレスで、そういうイベントへの関心が弱まるものなんだ。チッチなんか先週に一大イベントがあったせいで「え、今イタリアでオリンピックやっているの?」とその事実すら知らなかったそうだ。いや、だろうて。よくよく考えれば誰が金メダル取ろうが自分自身にはちぃとも影響はないのよ。オリンピックに一気一憂するのは生活が安定して平和でいられるからであって戦争中やその日暮らしの人たちには関係ないことだ。そう、オリンピックが平和の祭典なんて言われるのもそういうことなんだよな。今日は特に日記ネタがないせいでウダウダと思いつくまま書き綴ったわ〜。
2026年2月12日木曜日
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」
朝の車中、MBCラジオで「〇〇さんからのお葉書は『梅の花が二分咲くらいでーす』とのことで・・」と梅の花を話題にしていた。そうか、そういう時期だよなと思ったが、毎年うちの裏のモリサンチー家では梅の花が咲いていたけれど今年は全く見ない。2年前はまさにそれを日記ネタにしたのだが・・。(2024/2/10「梅だけどサクラ」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2024/02/blog-post_10.html)カールも「いつも窓を開けると、『あ、梅だ』って思うのに今年は見ない」と言っていた。ご主人が病気がちで手入れをしていないこともだが、業者に頼んで伐採でもしたのだろうか。
朝の回診時にスタッフらに「最近は少しずつ暖かくなってきているよね〜」と話しかけた後、「そうだ俳句にもあるよな・・『梅一輪・・ええと』」と口ごもると、スタッフは誰も反応しなかったのに廊下を掃除していた介護補助者のおばさんがハッとしたようにこちらを見た。うん、俳句に少し心得でもあるのかな。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」
ようやく思い出して「これは良い俳句だよな〜」とスタッフらに向かって同意を求めたが、だ〜れも反応しない。おばちゃんは下を向きつつわずかに肯いているようだったが・・。誰の俳句だったかはその時は知らず、後で江戸時代の松尾芭蕉の高弟服部嵐雪の句だと知った。梅が一輪咲き、さらにまた一輪咲くにつれ一輪ほどのかすかな暖かさが感じられるという意味らしいが、もう一つの解釈は梅の花が一輪咲くごとに、少しずつ暖かくなっているということで、リズム感もあり春を待つ情景がよく現れていて私的にはこちらの方が好きだ。まあどちらでもいい。スタッフのみんなも文学や教養といったものにちぃとは関心を持とうよ。花や景色を見て「わぁ綺麗だぁ」だけではもったいない。歴史や文学など知ることで感動も倍になるんだから〜。↓モリサンチーさんの梅がないのでネットで探した梅一輪です。2026年2月11日水曜日
「建国記念の日」から九条の会を連想する
2026年2月10日火曜日
おニューのソリッド系が古いパール系に負ける?
2026年2月9日月曜日
「消化管異物の世界」
今、来週の医局会でのレクチャーに向けて資料集めとスライド作りをやっている。テーマタイトルは「消化管異物の世界」だ。
青雲会病院に勤務するようになって26年近くなる。それまで大学病院と市中の比較的大きな病院への勤務が多く内視鏡もたくさんやって来たけれど主に癌や潰瘍があるかないかを見つけるのが仕事だった。しかし青雲会病院に来てからぐっと増えたのが消化管出血と消化管異物だ。どちらも緊急の内視鏡治療を要することが多い。出血は下部の出血、特に大腸憩室出血が数も多いし難しいケースも多く、たびたびこてる日記でも取り上げている。出血ほどではないが消化管異物も日記に取り上げてきた。レクチャーでは出血は以前も取り上げてスピーチしているので、今回は異物症例にしよう。先月、1日で2例異物取りだしの日があった(1月8日)のがきっかけだ。
私の忘備録やカルテ記録、それと外科の信号Drのカルテ記録も調べてもらって合計39名の異物症例を拾うことが出来た。ごく一部を除いて2010年以降の症例でレントゲンや内視鏡画像が残っている。今日はその患者年齢を調べグラフにしてみた。
意外にも全年齢層に消化管異物のケースはある。やはり70歳代以上の高齢者に多いことが分かる。原因として多いのが義歯(部分入れ歯)とPTPシート(薬剤シート)の2つだ。ともに鋭利な部位がありこれらが食道や小腸の狭い部位にひっかかりそこが壊死し時に穿孔して手術になることすらある。ただこれらは誤って飲み込んだケースで一度起こしても次にまた来ることはほとんどない。しかし青雲会病院は違うのだ。繰り返し、しかも一度や二度でなく五度も六度も異物を飲み込んでやって来る人たちがいるんだ。近くに県立の精神科の病院があるからで、比較的若い患者さんが自傷行為と同じような理由で異物を飲み込むあるいは入れ込むのである。39名中13名が意図的に異物が入れられたケースで実に3分の1を占める。患者は比較的若い女性に多い。飲み込む対象は様々で紙おむつ、鉛筆、ペン、電池、薬(軟膏チューブ)、金属(ボルト、ナット)、ホッカイロ、スポンジなどなど。内視鏡をする側としては「また来たの」と言いたくもなるくらいで、全部で32回も内視鏡もしくは手術適応になった。1人平均2.5回も起こしているのだ。↓が意図的な飲み込みで内視鏡になった件数のグラフで10代から40代に集まっているのが分かる。そのうち1名は手術までして助かり退院したが1ヶ月後にまた呑み込み、今度は窒息して救急搬送されいったん入院加療となったものの結局亡くなった。どうすればそのような人たちを異食行動させないかについては内視鏡医ではどうにもならない。中には飲み込んだもののきつくて「取って欲しい」という態度の人もいてその時は素直に帰っていくがまたやるんだ。最初のころは私も説教ではなく優しく「もうしないようにしようね」なんて言ったりしたがここ10年ほどは何も言わない。言うだけ空しくなる。
ともかくまだ1週間以上ある。どうにかまとめて他のドクターたちにも注意喚起しておきたい。どのようなケースで内視鏡に早く送るべきか、中にはレントゲンやCTで異物が写っているにも関わらず何人かのドクターの指摘を免れ、結局危ない状況になり手術で一命を取り留めたケースもある。いやはや、簡単に終えられると思っていたのに、やり始めると症例数は増えるわ、言いたいことは増えるわでまたギリギリになりそう。しばらくはこれにかかりっきりや〜。
2026年2月8日日曜日
鹿児島で雪景色を楽しむ
朝、窓から外を見ると雪景色だった。南国鹿児島でも年に1、2回雪が積もることがある。雪ってのは何気ない景色でさえなにかしら風情あるものに変貌させてくれる。古来多くの人がこの景色を愛でてきたのも肯ける。
と、突然据え置き電話が鳴った。朝早くにどこからだろう。青雲会病院の可能性もあるな。大腸憩室出血の治療をしたあの高齢男性患者か。うまく止血出来たはずだったが・・。が、出水のスチョル先生からだった。ああ、今日は出水で内視鏡の仕事を頼まれている。「雪ですね。大丈夫ですよ。少し積もってはいますけど道路には全く積もっていないのでもうそろそろ中央駅に向かうところです」と安心させ、すぐにプリウスで出発した。3号線を走らせると思っていた以上に吹雪いていた。ウォッシャー液も凍っていて使ったら返って視界が悪くなってしまったよ。プリウスを中央駅の屋外駐車場に駐めて駅に向かおうとした時だった。ちょうど隣に佐賀からのレンタカーの白いプリウスが駐まっていて私のと仲良くダブルプリウスやなと写真を撮ったらギョッとした。マイプリウスのナンバープレートがぁ・・雪がこびりついてナンバーが全く見えなくなってしまっていたわ〜。屋外の料金が室内駐車場より半分以上安いんでこっちが空いていたら必ず利用するのだが、もし室内利用だったら入庫時にモニターがナンバープレートをカシャッと記録し、それが後で請求するときの証拠になる。しかし↑のような状態で入ろうとしたら拒否されてきっとオタオタしていただろう。そのまま時間を無駄にすれば新幹線の出発時刻に間に合わないんてことにもなりかねなかった。青空駐車場は昔からのタイムカード方式だから何の問題もなかった。帰りはナンバープレートの雪はすっかり取れていたが、ワイパーには雪が積もっていて手でどかさなくてはならなかった。佐賀レンタカーは窓全面が雪で隠れていた。せっかくの日曜なのにドライブには行かなかったのね。まあ雪のせいで峠は通行止めだったし、ゴルフも出来なかったらしい。桜島はどうだったか。鶴丸高校から平田橋方面へ向かう道路から桜島を撮った。
ほう!雪化粧をして美しくも迫力がある。桜島はやはり鹿児島のシンボルだぁー。鹿児島ではたまにしかない雪景色、慣れないこともあったが、やはり楽しまなきゃな〜。2026年2月7日土曜日
衆院選の話題がなぜか「ガラスの仮面」へ
2026年2月6日金曜日
ロボット手術
2026年2月5日木曜日
電動ドライバーは役に立つ
最近の購入物の中で「これは買って良かった」と思うもの、それは電動ドライバーだ。今まで「なくてもどうにかすませられる。そもそもネジを回したり外したりなんてたまにしかないから」って思っていた。カールも「家を建てて30年以上、なくてもどうにかなっていた」と言っていた。
でも、あればネジやドライバーがらみの作業を億劫がらずに始められるというメリットが大きいことに気がついたのだ。実はこてる家では以前から1階の吹き抜けの壁にもう1個掛け時計を付けたら・・という意見があった。新築時に大きなアナログ時計を掛けてそれはそれで日常で大いに役立っていた↓。シンプルで文字盤も見やすくとってもお気に入りの時計だ。
しかし、台所に立つとこの時計は全く見えなくなる。カールは朝夕はTV画面を見たり、手許に小さなクロックを置いたりして時刻を確認していた。そこで私は時計の配置を「反対側に置き換えたら」と提案したが、カールは居間のソファでTV見ている時には今の時計の位置がいいんだという。ふむ〜。そこでもう1個を追加することになったのだ。時計を掛けるには壁にしっかり食い込むネジを入れ込む必要がある。テーブルに椅子を乗せ私が電動ドライバーを使ってネジ入れをやってみた。壁はずいぶん硬かったがこのドライバーのおかげでほとんど力を入れることなくネジを食い込ませられた。これで台所からも時刻確認は一目瞭然。なんだ、もっと早くやっていれば良かった。時計も電動ドライバーも2千円程度でこれで生活の質が上がったのだからまあ安いもんだ。これでネットでの損失がなければ・・いや、それは言うまい。人生に失敗は付きもの、そう思うことも生きる知恵ってことだ。2026年2月4日水曜日
ネット注文、ご注意あれ
やはり、この前のボウリングボール商品は詐欺だったようだ。以下のようなメールが届いた。
「先日は当店をご利用いただき誠にありがとうございます。
ご注文いただきました商品についてですが、先日ご購入頂いた商品は、現在一時的に欠品しております。
代わりを受け入れていただけますか?
せっかくご注文いただきましたところ大変申し訳ございません。
大変恐れ入りますが、下記のご注文をキャンセルさせていただきます。
はあ?何か変な日本語で書かれてある。字体も妙な明朝体だしー。一応、返金をしてくれと返信したがその後はなしのつぶてだ。私の頼んだボールは超人気商品で日本の他のボウリングショップでは売り切れて数ヶ月も経っているのに、そこには格安で商品があるというのがおかしかった。カールにゆうちょ銀行で1万円ちょっと払ってもらったが返ってくるがそうとう怪しい。しかも最初カードで購入しようとしてその情報も打ち込んでしまっていた。
そしてだ。今日の未明にクレジットカードで怪しい動きがあり、カード会社から問い合わせのメールが来たのよ。海外からのアクセスで私は今回のボール購入案件と関連があると思い、コールセンターの対応にもそう伝えた。それでそのカードは使用停止とし、新規で作り直すことになった。お金を引き出されずに済んだのは良かったが、カールは「私が支払った分を返さないなんて許せない。警察に訴えてやるー」と怒り心頭だ。
今回、怪しいなとは思いつつ、欲しいボールが格安だったので申し込んだのが甘かった。そこでお金の出入りをカールと確認していると、Adobeから毎月3280円が引かれているのに気が付いた。あれ?無料体験1週間は申し込んだが年賀状作ったらすぐに解約を申し込んだはず・・だった。しかし12月1月と2回も引かれていた。あわわ、こりゃいかん。すぐにアクセスし解約をしたが、2ヶ月分は仕方ないとして、実はそれは年間契約34680円の途中解約ということになり違約金1万6千円ほど余計に支払う必要が出た。くそー!たった1日しか使っていないのに2万円以上も支払う羽目になった。過去はちゃんと解約出来ていて一銭も支払わずに済んでいたのにー。2026年2月3日火曜日
4連続ストライクも続けばさ〜
2026年2月2日月曜日
写真や動画の管理
この25年ほど、毎日毎日、デジカメで写真を撮ってはそれをパソコンに保存し続けている。その写真はMacの「写真」ソフトで管理していて、各人の顔写真をタグ付けしいつでも検索できるようにしている。ただそうすると、保存用のSSDも容量の限界(1テラなのだがすでにいっぱいいっぱい)があり、古い写真は時期が来たら必要な写真以外捨てているのが現状だ。でもせっかく撮った写真なので全て別のハードディスクかSSDに保存はしている。ただそれすら段々面倒になってくるのよねえ。
昨日の夜は昨年後半の写真をすべてSSDへ保存する作業に追われた。おおよそ4、5日分を一つのフォルダに入れ、時系列で保存していく。あとで見やすいようにフォルダにイベントや内容が分かるよう簡単な名前を付けていく作業もある。それをしておかないと後で面倒が起きる。見たい写真や情報が検索しにくくなるからだ。SSD保存の写真もタグ付けできたらすごく便利なのだがー。
最近はAmazon Primeに写真保存をしてくれるサービスがあるのでそれも利用している。最初のセッティングさえしておけばSDカードをパソコンに差し込んだ時に自動的に取り込んでくれる。動画は5Gまでという制限があるが、写真は制限がないので助かる。ネットでのいわゆるクラウド保存なので容量を気にする必要がないのもいい。人物でもAIが一応自動で仕分けしてくれる。ただ、まだ完璧ではなく似たようなお顔にはそれぞれ別人がいっしょに出てきたりするが・・。ともかくも写真は人物別に仕分けるのが一番で、私の場合、ほとんどがスナップ撮影なので利用価値もたいていそこにある。最近ぐーんとその数を増やしてきているのがココちゃんだ。ま、そりゃそうだよね。おしゃべりも出来るようになってきて、それらは「みてね」を通じて毎日のようにお手軽に視聴できる。写真もいいがやはり動画が見ていて楽しい。この前の動物の鳴き声がが出る絵本のは可愛かったナ。お年玉で買ってもらったものらしいが、ペン先で動物の絵を押すとその鳴き声が聞こえるというもの。それを真似するココちゃんが可愛い↓。
こんなのも時が経てば忘れるか、あ、あれはどこにあったかなと探すのが面倒になる。だからこそ、写真や動画の管理は今のデジタル時代ちゃんとしておきたいんだよ〜。2026年2月1日日曜日
ネットとオールドメディア
久しぶりに何の予定も入っていない日曜日で、朝から机に座ってネット、写真整理、日記書き、医局レクチャーの準備、染髪など自宅で出来ることをあれこれやりつつ過ごした。こんな時、以前はTVやビデオを見るというのがあったのだが、それをする割合がぐっと減ってきている。朝ドラや大河など連続ドラマも私は見ていないし、ニュースですら大半はネットで知ることが多い。ドッキリGPなど好きなのだがそれすらビデオ録画で1週間後くらいに空いた時間に見るくらい。ほんとネット9:TV1くらいの生活になってしまっている。
ただ今、衆議院選挙真っ最中でそのあたりの情報を得るのもネットが一番多く、ついで新聞、TVだ。ネットでは新聞やTVを「オールドメディア」と呼んで揶揄すらしている。今回の解散にあたってそのオールドメディアは「大義がない」「国民生活や物価高への対策を優先すべき」などと言い批判的な論説が多かった。しかし今回の解散についてさほど非難すべきものではないと私は1月20日の日記でも書いた。そのオールドメディアが言うように高市政権の取った態度が悪いなら選挙で自民維新連立政権の立候補者に入れなければいいだけだ。日本の場合、国政選挙が数年に1回あり、へたすると現政権がひっくり返ることすらある。その時も書いたが、国民はバカじゃない。生活に直結すると思っているから自分にとって一番助けになる候補や政党に投票する。時には扇動する候補者やそれを後押しする勢力に乗せられしっぺ返しを喰らうことはあってもそんなのはそれこそ化けの皮が剥がれて数年後の選挙を勝ちきることは難しい。
ネットもフェイク情報など多々あるので注意は必要だ。で、そのオールドメディアも最新情報では自民が過半数の勢いと選挙情勢を報じていた(朝日新聞)。ふむ、ご高説を聞くよりそっちは信頼できそうだ。ネットではいくらどっちの党が優勢だぁなんて言ってもその根拠がはっきりしない。ま、オールドメディアと揶揄されても長年培った実績と組織力はまだまだ負けていない。今回の選挙、政権の趨勢よりもネットとオールドメディアの今後の行方を見ていく上でも注目していきたい。
2026年1月31日土曜日
カール、着付け教室新年会へ
午前外来業務を終えて、私はモスバーガーで昼食を済ませ、いったん帰宅した。そしてカールからのお迎え要請をしばらく待っていた。今日、カールは着物の教室の先生方とシェラトン鹿児島で新年会があり14時半から15時ごろにお迎えに来てと頼まれていた。食事もお酒もたしなむので自分の車では行けなかったのだ。
「14時半にホテルの前で」と連絡があり、20分前に家を出た。そしてまさにジャスト14時半にホテル玄関前に着くと、カールが上気したお顔で乗り込んで来た。開口一番「飲み過ぎて2回もゲロってしまったわ〜」だって。
料理も美味しく「城山よりもこっちの方が美味しい気がした」そうで、お酒もビールにワインが赤白とあってついつい飲み過ぎてしまったとか。それと、比較的地味目の着物の参加者が多かった中で、若い人はまあまあ派手目のものを着ていたそうだが「カールさんの(着物)が一番目立っていたわ」と言われたそうな。そのオレンジの花と青の葉茎のデザインの正絹(しょうけん)の着物は37年前の2月の結納の時にも着ていたのを覚えている。カールは「着物はほとんどをギボヒサコが決めて仕立ててくれたけれど、この着物だけは自分が気に入って仕立ててもらったものなの。これを着られるのも今ぐらいまでかなと思ってー」とセレクトした訳を教えてくれた。お茶をやっていたカールは、結婚後毎月の茶会に出席するのに自分で着付けが出来たらいいなと思い、バンブックさんに聞いて近くの着付け教室に数回通っていた。しかし、テルを妊娠し、その後も子育てに追われ、お茶会そのものにも行けなくなり着物も着ることなく過ごしていた。4、5年前に沖縄のギボヒサコやオーバーバ、ヨーコバーバらの着物の整理をする必要があり、見ればまだ着られるいいものがあり、何十着も鹿児島に持ってきた。そこで本格的に着付けをまた習いたいと3年ほど前から「前結び宗家・きの和装学苑」に通っていたのだ。一昨年、ココちゃんのお宮参りに時に着た薄黄色の夏物の着物は「結婚の時に持って来ていたのに、それまで一度も袖を通していなかった」代物だったそうだ。
後で、師匠の先生と理事長といっしょの写真を見せてもらった。中央の男性が創始者の母(故人)の後を継いだ理事長で、その奥さんが左端カールの後ろにいる女性で指導面のトップは彼女ということだ。彼女は新潟から嫁に来た。カールから聞いて面白いと思ったのが、この和装教室が全国展開をするにあたってそのテキストの文面に修正すべき点があると彼女は指摘したらしい。というのも、一見共通語らしい表現だけど鹿児島でしか通じないものが多々あったそうな。代表的なのが「直す」だ。鹿児島弁で「これを直しておいて」と言われると、無論、修繕や修復する意味もあるけれど、「片付けておいて」の意味で使われることも多い。鹿児島県人同士なら問題ないかもしれないが、「これではいけない」とテキストを全国に通用するように変えていくのが意外と難儀だったらしい。ほう。↓は帰宅直後のカール。そして「自分の着物なのにまだ一度も着ていないのがまだ何枚もあるのよ」とも。ともかくも、美味しい食事とお酒、そして好きな着物を着られて大満足のカール様であった。
2026年1月30日金曜日
誰がPTでOT、STか
夜、リハビリチームの新年会があった。場所は姶良の居酒屋「わび助」でこれまでも何度か行ったことがある店だ。18時半から始まるというのでちょうど時間通りに着いた。リハビリスタッフが総勢40名くらいいたのかな、私は乾杯の挨拶を頼まれていた。私の席には石灯籠副部長や松奈々さん、美田さんなどいて、飲み物の注文もし、後は乾杯の音頭をするはずだったが・・なかなか始まりの合図がなかった。料理はすでにある程度運ばれているのに何と30分経った19時になってもまだ乾杯が出来ないでいた。ごく一部の参加者には飲み物がまだ届いていなかったけれど、「こりゃいかん、もう乾杯をしよーよ」と私が催促し挨拶をした。
「みなさん、新年おめでとう!では乾杯ー!」
話の枕も一言もなく、あっという間に済ませた。これなら私でなくたっていいくらい。でも、待たせ過ぎだったもんね。その後、食事に飲み放題にとワイワイガヤガヤと会は進んでいった。私は元々飲まないし車の運転もあるのでソフトドリンクのみだったが、おしゃべりは好きなのであれやこれやで盛り上がったな。2026年1月29日木曜日
リモートって
今度の土曜日が勤務のため、代わりに今日の午後は休みだった。週半ばにこうした休みは有り難い。夕方の仮眠が覚めた後、天鳳をやろうとアクセスすると・・な、なんと対戦相手がスーパーたっつんだった。元青雲会病院非常勤内視鏡のDrだ。リアルでは2、3ヶ月に1回くらい打つ相手だが、ネットでの対戦はこれが2度めで、前回は去年の4月7日だから年に1回当たるかどうかの珍しい対局だ。前回は私が3位、たっつんが4位でかろうじて私がラスを逃れた。
で、今回の結果はというと・・序盤に手牌に恵まれた満貫ツモで最初は私がトップ目だったが、中盤以降はたっつんのリーチ攻勢にたじたじで、オーラスを迎えたところで、たっつん3万2200点、私が3万1300点、下家のkeiboが3万300点と3者が横一線で、千点でも上がったものがトップを取るという大接戦だった。そこで聴牌一番乗りした私が2千点を下家から出上がりたっつんをかわしてトップで終えられた。ふう〜。すぐにたっつんから「途中のバカツキで、もう少しでトップ取れそうだったけど、負けました〜。完敗です。先生とあたるの、滅多にないですよね。」とLINEが来て、これに対して私は「いや〜、たっつんと当たって『うわっ』って声を上げました。」戦況感想に対しては「何をおっしゃる。最後、誰でもトップの場面、たっつんのポンで聴牌出来たのが大きかった。」と、ぎりぎりの攻防で最後は多少のラッキーがあったと返した。現在、たっつんは四段だがもう少しで五段へ上がりそうな勢いだ。対して私は六段坂を転げ落ちて615ポイントと五段が近くなってきている。ついこの間までは七段近くまで行っていたのにさー。まあ、たっつんと打ってみて段位ほどの差はほとんどないと思えた。実際リアル麻雀でも私がちょい勝ちくらいだ。このところたっつんはリアル麻雀はやりづらい状況らしい。というのも、子ども二人が大学受験と高校受験を控えていて、子どもらが頑張っているのに・・ってことなんだそうな。それにくらべネット麻雀はまあちょいとしたスキマ時間に自宅で打てるからOKなんだ。
改めて見れば、リモートワークが普及して来ているこの時代、麻雀打つのも当然のようにリモート(遠隔)で出来るようになっている。ネット社会は有り難きかな。
2026年1月28日水曜日
「ボウリング、しませんか」
「鹿児島大学眼科のナカダイと申します。ナベダイ先生からこてる先生がボウリングをしており、大会にまで出場しているとお聞きしました。私もボウリングをたしなんでいまして、よろしければ機会のあるときにご一緒できないかと思いLINEさせていただきました。今後お誘いしてもよろしいでしょうか。よろしくお願いいたします」
フナダイ、コメダイDrらは指が血まみれになりながらも投げて、右親指が左より明らかに太くなってしまっているとか↓。なんだか私がボウリング始めた30代の頃を思い出した。
ボウリングにハマり始めた頃、いっしょに投げる人を探すのももどかしく、かつてのトーフクボウルで一人で20ゲーム投げたことがあって、さすがに指が切れマメも出来て「こんな無茶はしちゃいかん」と反省したものだった。それ以降は1日10ゲームは超えないようにしていたが、最近は投げてもせいぜい4ゲーム、ほとんどは3ゲームで切り上げる体たらくで、眼科同門会誌を見て若手ボウラーに混じって練習してみたいと思っていたのだ。2026年1月27日火曜日
パナソニックシェーバー電池交換、完了!
さて、このところ自宅ではヒマついでにパナソニックの茶色シェーバーの「なめネジ」外しに試行錯誤を続けていた。使用器具は、この前ネット購入したANEX社製「なめた精密ネジはずし」という身も蓋もないネーミングのドライバーで、最初は上手く行かなかったと日記にも書いたが、「回すというより押しつけ8割の力でじっくりゆっくり逆に回していくと取れます」とのネット動画での解説を参考にそのようにやってみていた。↓の画像を見れば、本来⊕のネジが、なめるどころか相当に掘られえぐられているのが分かるだろう。金属の微小破片も見られる。これが1月26日朝の状態だった。
葬式も終わって帰宅後風呂にも入り食事も済ませた後、習慣のように私はまたなめネジ外しを始めていた。と、いつも感触が違うことにすぐに気が付いた。な、なんとなめネジが浮き上がって来ているじゃん!うわーっ、これ外れるよ、やったーっ!「なめた精密ネジはずし」はダテではなかった。ゆっくり確実に穿っていくことで摩擦力が生じ外れていったのだ。↓チャレンジして13日目、ついに外れたなめネジ。この後、青色シェーバーで経験済みの電池交換はすんなりと出来た。へへへ、パナソニックシェーバーの電池交換作業の商売が出来そうだぜぇ〜。そして、せっかくだから電動ドライバーも使ってみた↓。今回購入した作業グッズでは一番高い1976円だ。なめネジの代用はニシムタで同サイズの精密ネジを探し132円(12本)で済んだ。ともかくも合わせて5千円ほどで使えなくなっていたシェーバーが復活出来た。この前買ったシェーバーも3年後くらいには電池切れで使えなくなるだろうが、今回の一連の作業の経験を活かし今後は電池代700円弱で済ませられる。今回復活した青色シェーバーは沖縄実家に、茶色シェーバーは院長室に置くことでひげ剃りのことを心配しなくて済むのもいい。それに今後電動ドライバーって使えばネジ作業が楽になることも分かった。いや〜、めでたしめでたし〜。2026年1月26日月曜日
良知のお葬式
鹿児島から頴娃まで行くのに本当に近くなった。高速と錫山街道、南薩縦貫道を利用すると鹿児島の伊敷から石垣、御領まで57分くらいで着くとはー。私が子ども時代、市内を通って知覧峠を越えて行く必要があったので1時間半くらいはかかったのではないか。産業道路が出来て少しは緩和されたがとにかく鹿児島市内を抜けるのに時間を要したものだった。
頴娃に入ると遠く海岸線の向こうに薩摩硫黄島がきれいに見えた。私が「昔、僧俊寛が硫黄島に島流しに遭って他の人は許されたのに俊寛だけが取り残された逸話があるよなぁ(平安時代末期は鬼界が島と呼ばれていた)」と言うと、カールは最初「へー、知らないわ」との反応だったが、「ほら、歌舞伎役者の中村勘三郎(勘九郎)が実際に硫黄島で「俊寛」をやったんだよー」と言うと、「あっ!私、勘三郎が鹿児島市に来た時にギボヒサコと舞台を見に行ったんだ。その時それをやっていたー」と思い出した。「ほら〜、知っていたじゃない」すると「ギボヒサコもあっちで今頃『あら〜良知さん、来たのねぇ』って言っているかも」とつぶやいていたヨ。2026年1月25日日曜日
みやび会館、通夜へ
明け方、ヒトミンチョから電話が来た。ああ、その電話を受け取る前に何の用かは分かっていた。
涙声で「良知が・・亡くなりました。午前0時半・・」と。
今日の夕方17時から通夜、明日午前11時半から葬式があるという。スマホで確認すると午前1時ちょうど、LINEに「良知が亡くなった」と連絡があったが、その頃は寝ていたので気が付かなかった。そうか、1週間前に指宿の病院で見舞った時にはもうまともに会話は出来ていなかった。その前12月21日に見舞った時はきつそうながらも会話やスマホを見たりは出来ていたが・・。約1年近くの闘病生活の末ついに力尽きたのだった。数え年で71歳、今の時代まだまだ早すぎる死だった。
夕方、頴娃のみやび会館に行くと、いとこ連中らがすでに集まっていた。しかし最初に会って挨拶されたのは良知の長男の嫁さんの母親だった。互いに初めて会ったのだが、実は彼女、すでにこてる日記には6年ほど前に登場していた。彼女は私の高校時代の同級生Sさんの姉で2019年の末に交通事故に遭い意識不明になって入院をしていた。心配したSさんは私に電話をし相談をして来た。1時間近く相手をしたが、「命に別状はなくしばらく様子をみるしかないのでは」と話した記憶がある。それから数ヶ月経った2020年3月10日にSさんから電話があり、姉が回復し「今日、退院したー」との連絡があった。それがその日の日記ネタになっていた→「プロウラー初投げ、Sさんからの電話」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/03/s.html。
電話が来たのは、昨日投げて大活躍したマイボールの「プロウラー」の初投げの日でもあった。1ヶ月間もの間「全く記憶はなかった」そうだが特に後遺症もなく回復されたのは何よりで、その後偶然にも娘が良知の長男DSK君と結婚したと知り驚いたものだ。それが分かるきっかけが作曲家吉俣良の存在だった。DSK君が結婚相手の母親に挨拶に行った際に、叔母にあたるSさんがその場にいたか話題になったのだろう。「吉俣良と高校時代同級生だった」と話の折に出たらしい。するとDSK君側も「うちの叔父のこてるも同級生だった」と返したところで、発覚したのだった。きっと通夜か葬式には来るはずで私も挨拶しようと思っていたところだった。
良知は棺に収まり静かに眠っていた。生前より若干痩せていた。通夜席のモニターにはここ30年ほどの写真が映し出され、家族写真や旅行、バイクでのツーリングの写真など楽しそうな姿がたくさんあった。本人以外の写真にはなぜかスイカ畑の写真が・・。ここ数年、良知がスイカを作っては親戚や知り合いに配って喜ばれていた。
思えば、私が家を建てた時も庭木もいっしょに選んでくれたり、その後も家の立て付けで困ったことがあったらすぐに来てくれとにかく腰が軽くて頼りになる存在だった。これまでのこてる日記では「ヨカトモ」の名で何度も登場している。タイトルにも登場したのが2020年11月で「ヨカトモ兄は神!」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/11/blog-post_10.htmlだった。たまたまこてる家を訪問したヨカトモにカールはあれもこれもと頼み事をし、それらを全部ヨカトモは手助けしてくれたのだった。そんな彼を偲ぶ会話が通夜の席であちこち聞かれた。明日の葬式に出るために私は青雲会病院の畠鏡総務部長や病棟に電話を掛け1日休みをもらうことと患者への指示出しなど済ませた。明日もまたこの会場だ、いったん自宅へ戻り、しばしカールと亡き従兄の思い出を語りあったのだった。















