明日、先月28日に話題にした眼科のDrらとボウリングをすることになっている。そんなこともあってか最近はYouTubeでボウリングの試合をちょくちょく見るようになった。最新の日本のプロボウリングやアメリカのPBAの試合はもちろんだが古いアメリカのプロボウリングの試合もよく見る。なにせ私がボウリングを始めるきっかけは1991年にNHKBSが全米プロボウリングという番組を放送開始したことからだった。以前のこてる日記ではその時の様子を熱く語っていたものだ。
ちょうど1991年という年のアメリカのボウリング界は1960年代生まれのニューエイジが台頭し主役になっていった頃だった。ピート・ウェーバー、アムレト・モナチェリ、パーカー・ボーンⅢ世、ノーム・デュークなどで1959年生まれのウォルター・レイ・ウィリアムズJr.もその世代に入るだろう。彼らの投球を目の当たりにし毎週画面に釘付けで私は観戦していたものだ。ふふ、この日記を読んでいる読者で、上の5人のボウリングプレーヤーの名前を見て「うんうん、そうそう」なんて言える人はせいぜい100人に1人もいないのではないか。実はすごいメンバーなんだ。他のスポーツ界で例えると、そうだなメジャーリーグは同じアメリカなんで日本のほかのスポーツ界にしよう。大相撲がいいか。歴代優勝回数の1位から6位までを下の図に示そう。白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖、貴乃花。そうそうたる名力士が並んでいる。この6人を知らないという日本人はほとんどいないだろう。次に全米プロボウリングの歴代優勝回数の多い順に6名並べると・・。1位のウォルター・レイ・ウィリアムズJr.、3位のノーム・デューク、4位のピート・ウェーバー、5位のパーカー・ボーンⅢ世の4人がこの中に入っている。例えればその時代に白鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖らが同時に活躍していたってことになる。そんな1990年代は私がボウリングのプレーと観戦両方に一番熱かった時代だ。
で、今日見たすごく古い全米プロボウリング中継ビデオは1983年のクリーブランドオープンで、私がボウリングを始める8年ほど前の古いビデオで画質もかなり悪いものだった。ただそのサムネールに今では伝説のボウラー、アール・アンソニーが写っていたので見る気になった。彼は歴代優勝回数43回で私は名前だけは知っていた。それは私がボウリングレッスン用に購入した須田開代子さんの「図解ボウリングコーチ(1985年刊)」にボウリングの三大ボウラーとして紹介されていたからだ。三大ボウラーとして上げられていたのは、ドン・カーター、ディック・ウェーバー、アール・アンソニーの3人でその写真を見る限りちょっと以前のアメリカのボウラーだなと私は思った。ドン・カーターはおもに1950年代、ディック・ウェーバーは1960年代、アール・アンソニーは1970年代にそれぞれ第一人者だった。ちなみにディック・ウェーバーの息子が私の大好きなボウラー、ピート・ウェーバーである。ディック・ウェーバーはボウリング中継にもよく出てきていたので知っていたがアール・アンソニーの投球はあまり見たことがなかった。ドン・カーターにいたってはNHKBSの20世紀のアメリカなんていう歴史を振り返るドキュメンタリーに出ていたのを「おおっ」と思って見たことがあるくらいだ。
で、その1983年のクリーブランド・オープンを見ておやおやと思ったのが、いきなり予選4位と5位の試合がアール・アンソニーとノーム・デュークの対戦だったからだ。ノーム・デュークが18歳とえらく若い。そこでハッとなった。ノーム・デュークは18歳でPBA最年少優勝記録を持っているというのは知識としては知っていた。ならばこの試合がそうなのか。はたしてそのとおりで、上位選手を次々と負かして4連勝し初優勝を遂げるのだった。まだ高校出の若僧が初めてのTV放映の試合に出て、しかもその相手がプレーヤー晩年とはいえ当時歴代最多勝の偉大なアール・アンソニーだったとは。私は千代の富士と貴乃花の取り組みを思い出した。どちらも勝ったのは勢いに乗る若手の方。ノーム・デュークは1991年からのリアクティブ・ウレタンボールに上手く適応し、勝ち星を重ね、2022年に引退するまでに40勝を上げ歴代3位の成績を残した。このあたりも22回の優勝を重ね大相撲のレジェンドとして名を残す貴乃花と31回の優勝の千の代富士との関係と相通じるものがある。また、友人宅の階段から転落し頭部外傷で63歳で急死したアンソニーと膵臓癌で61歳で亡くなった千代の富士、どちらも60歳代前半で亡くなったのも共通している。









0 件のコメント:
コメントを投稿