2021年3月31日水曜日

卵巣だけど子宮

水曜の私の業務は外来と救急だ。午前はまた下血患者が来たけれど忙しさはまあまあ。しかし、昼休み休憩中にカッコちゃんNsからのピッチ連絡で一変した。救急車で44歳の左下腹部痛の女性が来るという。救急外来に行くと今度は90歳近い高齢女性の感染症患者の受入要請があった。はあ、時にある救急車2台対応かい。おまけにブルゾンNsが外来カルテを持って来て「外来に90歳代の血便の患者が・・」に「あー、ダメ。もうダメ。そこまでは診られない」とはっきり断った。実際無理な話で、こういう時ははっきり断らないと。

左下腹部痛の女性には圧痛がはっきりあり、何かしら腹部に異常があると思われ、まずは腹部CTを指示した。次に来た高齢女性は状態がやや悪く入院が必要だ。そのうち腹痛女性のCT画像が届いた。放射線技師からの連絡で左の卵巣がえらく腫大しているという。むむ、これは卵巣嚢腫の茎捻転だろう。卵巣は良性腫瘍の多い臓器でこれが大きくなると子宮につながっている靱帯がねじれて卵巣に血液が届かなくなり、組織が腐ってくること(壊死)がある。激痛が起き我慢できずに救急車を呼ぶ羽目になるのだ。この人の場合、本来は3cm程度の卵巣が7cmX10cmほどにもなっていた。これは手術が必要だ。となれば婦人科のある病院に紹介転送しなくては。で、搬送してきた救急隊員には待機してもらった。
カッコちゃんNsに「まずは今綺麗病院がいいんじゃないですか」と言われ「なるほど、そこがダメなら一律病院か」と、今綺麗病院に電話連絡した。婦人科外来につないでもらうと婦人科の外来看護師が出た。事情を話すと「先生に連絡してみます」とのことで待機した。少し時間がかかった。大丈夫かな。やっと電話に看護師が出ると「すみません。先生が見つからなくて・・」と少し申し訳なさそうだ。で、看護師が「でも(この案件は)至急ですよね」と言うので、間髪入れず私はこう答えた。

「ええ、卵巣だけど子宮(至急)です」

これに看護師はワハッ!と吹き出した。そこから急に和んで「もうちょっと待って下さい」と言われ、その後担当Drに代わり受け入れてもらえることになった。ふふ、真面目な業務会話にこんなジョークを混ぜると受けるんだよねぇ。この「XXだけど〇〇」を私は昔からよく使う。この前もマキシン内科の看護師から電話があり「京田(きょうでん)」という患者さんが前日から腹痛があって今から診てもらえないか」との依頼に「昨日から痛いのに今日でん?」と返事したら爆笑してくれたヨ、ハッハー(⌒о⌒)。

2021年3月30日火曜日

春は何の季節だぁ?

春爛漫、今は花の季節かいー?

最近、下血、貧血など消化管出血の患者が多い。ヘモグロビンが5を切っている人を胃カメラすると・・胃ガンだった。本人、家族には青天の霹靂だったようだが「胃の検査を最近していたの?」と尋ねると案の定クビを横に振った。癌は痛くもなく一見何の症状もなく星よりも密かに進行するのだ。

出血の患者で意外に経過がいいのが便秘、腹痛、下血のパターンで来院する虚血性大腸炎の患者だ。最初の症状がきつく派手な割には後腐れがなくすぐに完治する。一人はそういう患者さんで一息ついたのだが・・。

昨日、たつやまDrがポリペクトミーした患者が下血をしたとのことで来院した。たつやまDrがクリップで止血をして一旦帰宅したのだが・・まだ出てくると三たび来院。私はちょうど帰宅のため病院を出たばかりですぐに引き返した。出血している部位をピンポイントで止血しないとこの場合難しい。すでに掛かっているクリップも逆に邪魔をして追加クリップは困難と判断し、ゴムバンド結紮法に切り替えた。
クリップでは抑えきれない血まみれ↑部位もゴムバンドできれいに結紮↓できた。
鹿児島県でこの方法で大腸出血治療をしているところはほとんどない。しかし出血部位がある程度特定できてクリップが掛けにくいケースでは威力を発揮する。内視鏡室スタッフの萩の秋君と当直のリバサイシ君に協力してもらい、どうにかうまくいった。いやはや、疲れた〜。

春は血まみれの季節だったー。

2021年3月29日月曜日

1本立った!

年度末だけど、今日は青雲会の入職式があった。新人職員薬30名が入って来た。途中就職よりも全くの新人が多いとのことでこのコロナ禍でなかなかに有り難いことだ。

例によって新人さんたちの写真を撮っていった。ほとんど人が緊張の面持ちだ。辞令が出た後、一人一人挨拶をした。その中に「丁伝ゆみ」という看護師がいた。あれ、もしかして医局の医療クラーク(医師事務作業補助者)の丁伝さんの娘さんかな?終わって確かめるとやはりそうだった。実は去年の2月始め、姶良のラーメン屋の前で偶然出会っていた。そのことは日記ネタにもなっていた→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/02/blog-post.html

式が終わってエレベーターに乗って鏡を見たら自分の髪が1本ピンと立っていた。あはー。なんだかゲゲゲの鬼太郎みたい。内視鏡室のスタッフに「見て見てー。これ、鬼太郎」と教えまくった。すると「3本ならオバQね」なんて言われた。
1本立つということは何かいいことでもあるかな?茶柱じゃないがそうあって欲しいナー。

2021年3月28日日曜日

シルヴィ・バルタン!

 「今日あたり花でも見に行こうか」カールとそう言っていたのに朝からずっと雨が降っていた。おまけに少し肌寒い。

で、結局今日はずっと家の中だ。ならばセンバツ高校野球でも・・あいちゃ、雨で順延だと。全くついていない。

そんなこんなでネットやビデオでだらだら過ごすことと相成った。ただ何の拍子でチェックしたのかすでに思い出せないが、フランスの有名歌手シルヴィ・バルタンのビデオを見て感激というかおおきな溜息をついた。

シルヴィ・バルタンといえば1964年の世界的大ヒット「アイドルを探せ」やTVCMや映画主題歌の「あなたのとりこ」などで今でも曲をよく耳にする。特に「アイドルを探せ」は高校時代からよく聴いていた。フランス語で何を言ってのか全く分からないのに歌っている彼女の気持ちが伝わってくる。そして何度聴いても飽きが来ない。つまりは名曲ということだ。その曲を当時19歳の彼女がコンサートらしき場面で歌うビデオがあった。初めて見たのだが白黒画面なのにブロンドの短めの髪がよく似合い、初々しくステップを取り歌う姿がなんともキュート!アイドルと言う言葉が使われ始めた時代で「アイドルとはこのシルヴィ・バルタンのことだ」と思わせる力がある。

特に私がハッとなったのは舞台に立つ直前の彼女の表情、仕草だ。タバコくわえた舞台マネージャーのおっさんに背中を支えながらの緊張感と若干の決意を秘めた表情、いいねえ。その後のアップになった情感溢れるお顔、すきっ歯で付け睫毛でものすごい美人というわけではないがとても引きつけられるんだ。


見ていて普通のコンサートの動画にしては練り込まれた撮影をしているので、調べるとこれは映画「アイドルを探せ」の1シーンだった。彼女が主演と思われているがそうではなく、彼女はこの映画に出てくる当時のアイドル歌手の一人だ。しかし日本では彼女がプッシュされこのシーンだけだったにも関わらず大人気になった。そもそもこの歌のタイトルは「La plus belle pour aller danser」でそのまま訳すと「ダンスに行くのに一番きれいに」といった意味だ。ぜひ動画で見て欲しい。→https://www.youtube.com/watch?v=XSy-v_Y9K_0&list=RDXSy-v_Y9K_0&start_radio=1

ちょうどこの歌を撮影したころ、彼女はパリのオランピア劇場でコンサートを開いていた。一人ではなく他の2つの歌手、グループとであった。そのグループというのが他でもないビートルズだ。ビートルズが前年の1963年にイギリスで人気爆発し「抱きしめたい」を発売したころでアメリカに行く直前にパリで公演を行った(1963/1/15〜2/5)。ところがビートルズの公演の中で成功といえなかったのがこの時の公演だったとマニアには知られている。で、同じ劇場ということでシルヴィ・バルタンといっしょの写真もたくさんある。シルヴィは輝いているがビートルズも若い。ほぼ同世代だ。よく見るとシルヴィは映画の時と同じ服装をしている。髪型もほぼいっしょだからこのころ撮影したと私は書いた。ちなみに写真は1963年1月18日で後ろの時計から10時43分撮影と分かる。
この時のコンサートでの質問を後に日本で受けていている(2014年)。
「イギリス出身のビートルズもアメリカのロックンロールから影響を受けたバンドですが、1964年1月から2月にかけて、パリのオランピア劇場で彼らと共演した思い出はどんなものでしたか?」
「私たちはまだ子供だった。彼らにとってオランピアのステージに立つのは初めてで、とても興奮していたわ。彼らはすごくモダンで、無法者に見えた。今からすると、可愛いものだったけどね。私も彼らも若くて元気だったから、ショーが終わった後、みんなでダンスに行ったりしたわ。どんな会話をしたかは、あまり覚えてない。昔のことだしね。彼らの誰かに誘われたという記憶はないわ(笑)」だって。

シルヴィ・バルタンは一発屋なんかではなくその後も第一線でずっと活躍し続ける。日本で言えば松田聖子あたりが彼女に匹敵するかな。結婚して子どもを産んで離婚したところなんかも。ウルトラマンのバルタン星人の名前は紛争地域だったバルカン半島と放送前年(1965年)に来日した彼女の名前からインスピレーションされている。彼女は実はフランス出身ではない。ブルガリア生まれで8歳の時に家族でフランスに移住した。バルタンという姓はブルガリア由来だったわけだ。しかし差別的な扱いは受けなかったようで「フランス人は芸術に対してハングリーだし、国外の文化もオープンに受け入れようとする。ピカソだってスペイン人だけどフランスで成功したし、大勢の日本人の芸術家が活躍しているわ。私もフランスで歌手生活をしていて、常に暖かく迎えられた。“エイリアン=よそ者”扱いされたことはなかったわ」と語り、実は来日の際、バルタン星人から花束贈呈もされ、「去年(2013年)あなたに花束を贈呈したエイリアン・バルタン=バルタン星人のような扱いは受けなかったわけですね」には「そうね。彼と私はルックスもあまり似ていないし、受けた扱いも違っていたでしょうね」と軽くかわしている(笑)。

シルヴィ・バルタンのことを語ればいろいろ尽きず、今回彼女のベスト盤をネットで注文したよ。内視鏡室で「あなたのとりこ」が映画で使われた動画を見ていたら佳及Nsが「先生、なんで『ウォーターボーイズ』を見ているの?」ときた。「いや、曲の方を聴いているんだよ。シルヴィ・バルタンって知っている?」「えー、知らない」だ。ま、だろうな。そんなわけで私がまたネットで披露したくなるわけだ。つい昨日キリンビールのTVCMを見ていたら「あなたのとりこ」が使われていた。発売後50年以上経ってもこれだからやはり名曲。すごいね。→https://www.youtube.com/watch?v=Of0DyhK-OT8この曲の後に70歳過ぎた彼女が「アイドルを探せ」を歌うシーンが出てくる。若いときは違う魅力がある。やはりすごいお方だ。

2021年3月27日土曜日

勝負事の「流れ」とは

 (久々に夜間の救急内視鏡があった。止血術でどうにかうまくいき、その後帰宅するもヘロヘロで日記を書く元気がない。珍しくもちゃんと布団に寝て普通に午前7時過ぎに起床、今から書きますがごく簡単にー)

この日は11月に続いてアンベ君と久々の麻雀をした。残る3人は私にサブアラド、 見せたまえのいつものメンバー。

最近の調子はというと、私は天鳳は八段をキープしているがサブアラドは五段に落ちたばかりの不調、見せたまえは以前の大勝ちパターンが影を潜めやや低調、アンベ君はほとんど打っておらず麻雀勘がやや心許ないか。となれば私が勝つに決まっている、はずと思ったが、1回目いきなりのラスだった。2回目は沈みの2位、3回目はまたもラス。そして4回目も沈みの2位とすでにマイナス100くらいになっていた。ただアンベ君は私よりやや悪くマイナス115ほどで、サブアラドがトップ3回でダントツだった。

今夜は半荘8回で終わりの約束だった。この調子では勝つことより負けを少なくするよう打たねばと思いかけた。というのも前回が全く同じような出だしで熱くなってしまいさらに負けが込みマイナス300という年に一度くらいの大負けになってしまったからだ。だが、残り4回を打っての結果は違った。私がトップ、サブアラドはちょい浮きの2位になったのだ。

思えばその予兆は4回目の半荘、サブアラドが3回目のトップを取った南場のある局にあった。サブは5万5千点ほどもありしかも親で余裕の状態。私は苦しい手で聴牌も出来るかどうかだった。対面のサブは鳴いてどうやらまた聴牌している様子。私はどうにか断ヤオ七対子を聴牌した。下↓の画像の直後4萬を持って来て打3索とし待ちは2索単騎になった。ダマで上がれば6400点だが・・。

満貫にするためにリーチかけたいがこの2索単騎では上がれそうにない。そこで1巡待つと8ピンを持って来た。8ピンは場にはサブアラドが1枚切っているだけでしかも私の捨て牌にはピンズが乱舞していてその待ちには見えない。絶好の待ちだ。そこですかさずリーチ!
対面のサブは少し躊躇していた。持って来たのは安全牌ではないようだ。そしておもむろにツモ切りしたのがその8ピン!「ロン!」一発が付いてハネマン12000点になった。「あー」とショックを受けるサブアラド。というのもダントツでしかもアタマに2索が2枚あり、オリようと思えば簡単に出来たのだ。慎重に打てば絶対そうすべきをダントツだしまだ上がりたいという心の隙があった。私は2位には上がれたがこの半荘、サブアラドがトップで終わった。

ところが場所替えで次の半荘。なんと東1局でサブアラドはドボンの大ラスになった。親マン、親ハネマンを私に放銃したからだ。ここから見た目でも「流れ」が変わった。残り3回の半荘、私は2回トップを取りサブは2回ラスを引いてついに逆転した。

麻雀はというより勝負事は怖い。ちょっとした隙がその後に大きく影響する。あの時、私のリーチに敬意を表してオリていれば・・「流れ」が変わったきっかけは、あのやや慢心気味の打8ピンにあったと私は思うヨ。

2021年3月26日金曜日

豊洲じゃないよ築地だよ

クニンダDrが常勤を外れた日から1日も経たないのに、5月から青雲会病院での常勤を考えているというDrが見学に来た。消化器外科出身で現在は某クリニックで内視鏡もばなばんやっているという。年代は50歳半ばで4月から予定していた医療施設がすぐにとはならなくなり急遽就職先を探す必要に迫られたとか。

可愛いんだ理事長が院内の案内をするというので私も付いていった。6階には温泉の大浴場がありそこを過ぎると屋上もあって久しぶりに私もそこに出てみた。理事長は周囲の風景を見てあそこは錦江湾、あそこは霧島連山と指さしていた。
遠く、左が韓国岳、右が高千穂峰。拡大してみるとやはり韓国岳が少し高いな。
捨てる神あれば拾う神あり。そのDrは病棟患者受け持ちや外来診察もするというから是非来て欲しいわ。

ある日の外来で「今日発行増産」製薬のMRが面会したいと名刺を看護師を通じて渡してきた。それを見て私は看護師に「そこにいる薬品会社のMRさんを呼び出してくれないか。名前は「トヨス」というんだ」と頼んだ。看護師は廊下に待っていた素直に「トヨスさ〜ん」と呼んでそのMRは外来診察室に入って来た。本当は名前が違っていた。

「失礼しまーす。『今日発行増産』の『築地』です」

看護師はびっくりして「先生、名前が違うじゃないですかっ」と。私「あ、そうだ。豊洲じゃなかったんだ、築地かぁ」

まあ、そんなおふざけが大好きな私なんですわ〜。

2021年3月25日木曜日

春になれば・・

春は別れの季節でもある。青雲会に丸5年務めたクニンダDrが今日で最後ということで花束贈呈をして見送った。今後は週1の非常勤で全くいなくなるわけではない。各部署から花束が贈られ内視鏡室室からは真っ赤なバラを上げた。

クニンダDrのほか大学からの派遣の眼科フルエリDr、歯科口腔外科の三口川Drも今月までの勤務なんだが送別会はない。5年前は歓迎会もちゃんとあったのにこれもコロナのせいだ。うーん、仕方ない。

午後は早帰りした。春になって庭の枇杷の木の実がまた大きくなってきていた。で、1ヶ月ぶりに袋掛けを追加した。
ふと足元を見るとまたハッピーちゃんが来ていた。彼女はうちの庭を絶対に自分の縄張りを思っているよね。ロッジにしっかりマーキングしていたもん。それを家の中からじっと見つめるゲンちゃんという図式もこれまたいつものこと。
エサ上げて満足し写真を撮る私に対しても堂々のハッピーちゃんでした。

2021年3月24日水曜日

この子の下血の原因は

下痢と下血が症状の女子高校生が外来に来た。たんなる下痢なら特に検査はしないが下血症状とあらば一度は大腸内視鏡が必要だ。とりあえず浣腸をして直腸S状結腸だけでも観察したい。というのもその年代から潰瘍性大腸炎を起こす人がいるからだ。潰瘍性大腸炎は直腸、S状結腸から侵されやすい。特定疾患の病気で、もし発症すれば一生付き合っていかないといけない場合もあり、時に重症化もある。最近は「安倍総理がこの病気でして・・」というと大抵の人は「ああ」と反応があり話がしやすい。最後に「この病気になっても総理大臣はやれますから」と結ぶと、皆、破顔一笑してくれる。

外来担当日だけどちょうど手が空いたので私が大腸内視鏡を行った。直腸に入れてすぐ、「これは(潰瘍性大腸炎とは)違う」と思った。なぜそうなのか、普通は一つ一つの所見を列記して説明するが、やっている時はそんなことは考えず瞬間で判断している。例えるなら、あなたがたくさん子どもがいる中で自分の子どもを指さす時に「うちの子どもは背が高くて色白で目が大きくて・・」などと考えはしないだろう。しなくても見た瞬間分かる。それとおんなじ。癌か潰瘍かなどもまずはパッと見た目で判断し、後から所見の理由付けを確認するという手順が実は多い。

粘膜に血液は確かに付着していた。S状結腸にも付着はあり明らかに腸が炎症を起こしている。その原因がウイルスや細菌などの外敵か、あるいは自分自身の免疫力が間違って自分の組織に向かっている(自己免疫性疾患)のかはすぐには判断出来ない。潰瘍性大腸炎は自己免疫性疾患と言われている。それで細菌検査や生検で病理検査も行った。ただ内視鏡所見に潰瘍性大腸炎に特徴的なものがないため私は急性腸炎の一種と思った。

終わって本人とその父親にそのことを伝え、私はある食べ物を食べていないか尋ねようとした。しかし機先を制された。父親が「実は・・」と話し出したのが「症状が出る3、4日前に鳥刺しを食べたんです」「それも(娘は)生まれて初めてで」あはーー!私もそれを尋ねようと思ったばかり。鹿児島には鶏の生肉(鳥刺し)を食べる習慣がある。だからカンピロバクター感染による腸炎が多い。カンピロバクター菌は鶏肉には住んでいないが腸内にいて調理の際にくっついて感染を起こすことがある。時に出血を起こすこともあり、年寄りや子どもは重症化することもあり注意が必要だ。さらに父親が言う。「実はこの子の姉も同じようにお腹を壊していまして」「私が鳥刺しが大好きなもんですから」あ〜。

つい数ヶ月前、ある母親が息子に鳥刺しを食べさせ同様の症状を起こしていたことがあった。私が「カンピロのことがあるから子どもには鳥刺しは食べさせるもんじゃない」と言うと「えー知りませんでした。私はこれ(鳥刺し)は鹿児島の大事な食文化だと思っていたもんですから食べさせようと思って・・」とその理由を説明していた。ふむ、私も子どもの頃に同様に食べていた。幸い腸炎にならずその後も大事には至っていない。鹿児島県人(宮崎県人も)は鳥刺し食文化のためカンピロに免疫がある人が多いという説もありその可能性は否定できない。しかし、特に子どもでは腸炎で苦しんだり、時にはギランバレー症候群という両手足に力が入らなくなり、急速にまひが全身に広がる神経疾患を起こすこともある。そのリスクを思えば鹿児島の文化はそれほど大事ではないかもしれない。↓確かに旨そうな鶏刺しだが・・。
結論から言えば、鳥刺しは要注意、食べずにいたほうが無難と覚えておこう。

2021年3月23日火曜日

パンチラを調査中

 今朝の南日本新聞にでかでかと「盗撮の帖佐中(ちょうさちゅう)教諭免職」との記事があった。

40歳男性教諭がサンダルに隠したスマホで女子生徒のスカート内を盗撮したということだ。「盗撮に関するビデオを見てエスカレートした。深く反省している」と言っているとか。いやー、バカだねえ。40歳ならあと20年普通にやっていれば仕事を全うできたはずなのに。名前も出ていて教員はもちろん会社員なども簡単には就職できまい。たかが(と言ったら失礼か)女子中学生のスカートの中を見たいがために人生を棒に振るとは。

いや、私も小学生の時にスカートめくりとかやったことがあるよ。でも1日2日で飽きてすぐにやらなくなった。男の子の通過儀礼みたいなものでその年頃ならまあ許される行為だろうが、不惑の年のいい大人がそれをやってはねえ。以前、マスコミにもよく出ていた某有名大の教授が駅のエスカレーターで手鏡をかざして捕まってそれっきり出て来れなくなった。教授はネット上ではミラーマンなんて言われていたナ。

男にはパンチラとかあるとすっごく喜ぶ習性がある。ボウリングでいえば私はYouTubeでボウリング動画をよく見るが、プロの華麗な投球よりアマチュアの若い子がミニスカートで投げるのをついついクリックしがちだ。決してパンティとかは見えないのだけれどネー。例えばこんなの→。https://www.youtube.com/watch?v=UMmowRysDgw

新聞記事の帖佐中と言えば私の勤務先の近くの中学校だ。職員の娘で被害に遭った人がいるのではないかと探ってみた。すると西友Nsの娘が同学年にいると聞いた。で、彼女に「盗撮の件でさー」と話しかけると「あら嫌だ」「はは、今そのことを調査中なんだ、帖佐中だけに」「へー、でもうちの子はクラスが違った」ということで事なきを得たようだ。西友さんが言うには「今時の子はスカートの下に短パンのようなものをはいているからパンツとか見えないんだけどー」だって。へー。まあボウリングやテニスでもスカートなんだが直に見えないようにしている。

パンチラが好きなのは許される。しかし自制心なく行為に及んでしまえば社会人として許されない。もっと分かりやすく極端な例で言えば「人殺しをしたい」と妄想するのは許されるがそれを実行してしまえばお終いだってこと。学校教師が例え冗談でもサンダルにスマホを仕込めばアウト!さ。

2021年3月22日月曜日

年休で丸1日休んだった

 今日は普通の月曜日、ではあるのだが・・朝からお休みをもらっていた。例の年休消化のためである。年間5日の年休を取るために午後半日を何度か休み継ぎ足すも、まだ休み足らず、どこかで丸1日休みを取らないと消化できない。で、調べて本日が適当と判断し事前に申請して休みを取った。

朝食摂って時計を見ると、8時20分になっていて「おう、いつもなら朝礼がそろそろ始まる時刻だなー」とつぶやいた。なんだか変な気分だ。

センバツ高校野球は今日は九州祭り。3試合のうち4チームが登場する。沖縄具志川商は相手が同じ21世紀枠の八戸西でともに甲子園初登場チーム同士だ。具志川が前半に6点を取りほぼ楽勝で勝った。続く長崎大崎と福岡大大濠は九州大会決勝の再現で、最近は近隣対決も構わない方針で抽選が行われるためこういうことが起きる。大崎は橋でつながっているものの島にある学校だ。なんか応援したくなるではないか。実は九州大会では両校ともエースが投げていない。球数制限のせいだと思うが本大会ではガチンコのエース対決だった。結果は接戦で2ー1で大濠が勝った。リベンジを果たしたことになる。3試合目の大分明豊と兵庫東播磨戦は乱戦で9ー9の延長になり11回の裏明豊が1点を入れサヨナラ勝ちした。明豊って以前夏の大会で神村学園とも延長サヨナラをしたなぁ。南こうせつが実際に歌う校歌が聴けて、ま、そこは良かった。

カールがA5ランクの肉を買ってきていて、夕方は珍しく庭でバーベキューをした。こんなんするのは10年ぶりくらいか。それをカールはいつもの癖で「何10年ぶりかしらね」と言う。おいおいそれだと少なくとも2、30年は必要で子どもらはまだいないよー。

いい肉はやはり美味しく、沖縄そばの麺を焼きそばにしたりでなかなかに楽しかった。せっっかく小さいけれど庭とロッジがあるんだからたまにはしなくちゃな。どんなだったかは文章で書くより写真でどーぞ↓。こっちの方がずっと分かりやすいでしょ。ふふ。

2021年3月21日日曜日

白鵬が今現役でいる幸せ

大相撲は白鵬がまた休場し、それを非難する輩たちが「けしからん」「引退すべきだ」などと喧(かまびす)しい。だが私は昔から白鵬を擁護する立場だ。今場所の休場にも特に何も言うことはない。2日目まで出て勝っていたのに3日目から休場ということはよほど怪我の具合が悪いからだろう。負け続けたり暴力事件を起こしたりで休むわけではない。

白鵬ってすごい力士なのよ。そんな力士の現役を見られるだけで我々は幸せな時代に生きている。そのことが分かっていない人が多すぎる。やれ品格がどうの、取り口が良くないのどうの、物言いにケチ付けたのどうの、三本締めをしたのが悪いだのどうの、とあんたらうるさいっ!

大相撲は基本的にはスポーツの一種だ。だがそれだけではない伝統的な仕組み、所作などがあるから人気があるというのは分かる。それらには日本や日本人的なニュアンスが含まれ、外国籍の白鵬がそのすべてを理解し体現できるかというとそれは難しいはずだ。だから白鵬始めモンゴル系力士はまずは「勝つ」ということが一番大事になる。白鵬が先の非難を一切やらなくてしかし勝てない力士ならどうだ。見向きもされないことは明らかだ。休みで言えば稀勢の里は横綱になってもっと休場しているのよ。しかし白鵬ほど非難されてはいなかった。さすが中途半端に出場しては休みをくり返したから最後は問題視されたけど・・。白鵬は勝つということに最大の力を発揮してきた。それってやはり大相撲の一番の魅力でしょ。後の世代の人たちは伝説の力士白鵬の相撲をリアルタイムに見たかったときっと思うはず。

優勝44回は今後100年破られるかどうかという大記録だ。連勝記録の63も惜しくも双葉山の69を越えられなかったけれどすごい記録だ。白鵬はそのちっちゃな指摘なんか問題にならないくらい偉大な力士なんだ。勝つだけではない。八百長問題で大相撲が中止になったこと(2011年春場所)があった。白鵬は調査の結果でも八百長なしとされ大相撲の危機と言われた時期も横綱として立派に土俵を守った。そもそも2007年から14年も横綱を張っている。白鵬の後に横綱になった日馬富士、稀勢の里はすでに引退。鶴竜もほぼ引退だろう。一人横綱になっても休場明けにはたいてい優勝している。今の大相撲には大関関脇クラスはたくさんいるけど真の横綱クラスは見当たらない。これだけ貢献してきた白鵬が年齢と怪我を押してでも現役を続けたいと言うのなら、出場さえできれば優勝にからめる限り変な非難、批判は止めて温かい目で見てあげようよ。

ビートルズファンの私は「ビートルズが現役で次々にヒット曲を出す時代にいたかった」と以前書いたことがある。白鵬はビートルズと同じだ。白鵬が今現役でいる幸せを分かって欲しいが故、あえて私は今日の日記を書いたのである。

2021年3月20日土曜日

温泉で高校野球オタクが語る

チッチと二人、某温泉の湯船に浸かりながら会話をした。甲子園では2年ぶりにセンバツ高校野球が始まっている。となれば二人の共通の好みの話題はそれだ。

高校野球好きにはそれぞれ好みの分野があって、どこが優勝するか予想し合うのが好きなオーソドックスタイプの人以外にも、最近は応援ブラスバンドの曲や各校の音の出し方の違いなどを比較し合う人、校歌オタクの人、どの選手がプロに行けそうか青田買い好みの人、個々の選手のエピソードに興味がある人、イケメン好きな女子オタク、ひたすら球場で観戦するのが好きな実践派などなど万別だ。チッチは「高校野球事件史」という本が愛読書だけあって試合ごとのエピソード好きでそれと高校野球における記録好きでそこは私と全くの共通項だ。

記録ということで言えば何と言っても大会ごとの優勝校だ。例えば私は夏の優勝校なら昭和40年以降なら全部言える。そこはチッチより私の方が長く見聴きしている分有利だ。だがセンバツの優勝校となるとややおぼつかない。夏と違って試合を見られないことが多く、また選手にとって高校生活最後の試合ではないためかやや劇的効果が弱いせいがあるからかも。そこで私たちは2010年以降の優勝校をきちんと言えるか話をしてみた。スマホで調べればすぐなんだけど「それはダメ。そんな安易な道に走ってはいけない、自力で思い出すんだ」といつになくチッチが粘った。

まず二人がこれは絶対に間違いないと指摘したのは、2010年の沖縄の興南と2012年の大阪桐蔭だ。これはどちらも春夏連続優勝だからそれで覚えている。投手は興南が島袋洋奨、大阪桐蔭が藤浪晋太郎と当然出てくる。大阪桐蔭は二度目の春夏連続優勝をその後やっている。それは2018年とすぐに出てきた。次の2019年は平成最後の覇者愛知の東邦と出てくる。ちなみに平成最初の優勝はこれも東邦で対大阪の上宮との対戦で0ー1からどうにか追いついたところ上宮の2塁への走者を刺そうと投げた球が暴投となり劇的サヨナラ2xー1だった。ちなみに東邦はセンバツにやたら強く、計5回の優勝は単独トップである。記録オタクはそこはきちんと抑えておかねばならない。さらにちなみであるが、東邦は夏の優勝は1回もないという春に偏った戦績のチームだ。そこで連鎖反応で覚えておくべきは広島の広陵でここも春チーム。春3回の優勝はあるが夏は1度もない。夏は2017年(花咲徳栄優勝)、2007年(佐賀北優勝)の準優勝が記憶に新しい。さらにチッチは指摘する。「広陵は西暦で7が末尾の時に活躍するけど、結局準優勝なんだ」と。というのも1967年は習志野に負けて準優勝、さらに昭和の始め1927年は高松商に負けて準優勝が4回もある。春も3回準優勝があり(1927年春は和歌山中優勝)合計7回はトップ。20世紀に出た雑誌に「準優勝癖がある」と指摘されていたが、それは21世紀にも受け継がれている。チッチは「次は2027年に決勝に出てきそうだな」とニヤリ。こんな会話、オタクならではだ。さらにちなみで言うと次に準優勝の多いのは県立岐阜商で春3回、夏3回の計6回ある。ただ岐阜商は春3回優勝に夏1回優勝があり実績では広陵をやや上回っている。今年のチームはあの鍛冶舎監督に率いられ優勝候補にも上げられているが果たしてどうか。

おっと、「ちなみに」が多くこの10年の優勝校の半分も指摘していない。5、6年前が優勝校は浮かぶけれど前後して正確に何年がどこと言いづらい。するとチッチが「2015年は福井の敦賀気比だって覚えている、これは間違いない」と断言した。なぜ分かる?実は夏の大会が参考になっていた。2014年の夏の準決勝で敦賀気比が大阪桐蔭にボロ負けした試合があり、そこで発憤した敦賀気比は翌2015年の春、同じ準決勝で逆に大阪桐蔭に圧勝(なんと11ー0)しリベンジを果たすのだ。勢い初優勝までしてしまう。そんなエピソードがオタクの脳の倉庫にはいくつもあって正解を埋めていけるのだ。ならばその前2013年あたりが京都の龍谷大平安の久しぶりの優勝だろうと推測できた。逆に翌年の2016年は奈良の智弁学園の初優勝じゃないだろうかなとこれは私。古豪の高松商の復活優勝を応援していたが智弁の方がやや投手力が勝(まさ)っていた記憶がある。当初智弁の優勝は2017年かなと思っていたが、チッチが「大阪桐蔭は春は2年連続優勝したはずだから2018年が優勝ならば2017年も桐蔭優勝だ」と気づいた。そうならば2016年は智弁学園でないとおかしい。2014年だと自分の記憶よりかなり遠くなってしまい違和感がある。

難しいのは2013年、2011年だ。まず優勝チーム名がすぐには出てこない。こういう時、私は各県別の地図を思い浮かべる。まず東北、北海道は無視する。春は1校も優勝していないという事実はオタクには当たり前だからだ。それと日本海側の県も2000年以降2015年の敦賀気比を除いてこれまた1校もない。だいたい関東か近畿か。そこで埼玉浦和学院の初優勝を思い出した。確か平安と前後してだったから2013年がそこに当てはまる。うんうん。2011年は?チッチも私もその年、福岡の九州国際大付属が活躍し準優勝したと覚えていた。優勝したのは?「うーん、そうだ。東海大相模だ」そうか、そうだな。前年2010年の夏、決勝で興南にボロ負けしたけど翌年の春に優勝して面目を施したんだ。さっきの浦和学院と似ているパターンだ。よし、これでこの10年の春の優勝校をそろえることが出来た。ふー、やったぜー。(あとでベースボールマガジン社のセンバツ特集号巻末で調べたら全部正解だった)

「そろそろ上がろうよ」とチッチが言った。大きな湯船には他に数人の客がいたが、我々の会話を聞いていてどう思ったろうね。不審がられたかな、なにやら一生懸命話し込んでいると思ったら高校野球の話かいって。しかしこうして高校野球の話をしている時というのはオタクにとって結構至福の時なんである。いい湯だったわぁ〜。

2021年3月19日金曜日

ゲンちゃん、愛されて受難

 今日の午後も有休取って午後から休んだ。去年から年度内に最低5日取らねばならない決まりが出来て、取らずにずるずる来ていたら取り切れるか怪しくなってきた。それで来週月曜は丸1日休みことにしたりとバタバタだ。病院からも「3月にドクターの救急が集中しています。次年度からはそうならないよう早めに年休を取るようにして下さい」とお達しがあった。はい、分かりました。次からはあせりたくないのでそうしますっ!

当直明けでもあり帰宅後はバタッと床寝だった。いびきかいて寝ているのをチッチに動画撮影されていた。一瞬、日記にアップしようかな?と思ったがどうにもアホづらでアップは止めた。その代わり、爪を切られるゲンちゃんを載せよう。だいたい月に2回はカールが詰め切りをする。ゲンちゃんにとってそれは受難というか何ていうか・・。↓参照。
そこにチッチがやって来てナデナデ。
爪切りが終わるとチッチがさらに抱っこを続ける。
抱っこが終わったら今度はテーブルに寝かされ頬ずりで愛されるゲンちゃん。
『ふう〜やっと解放されたかぁ』という表情(?)のゲンちゃんでした。

2021年3月18日木曜日

今度は赤難

コロナワクチンを打った後は「その日の夜から打ったところが痛くなり翌日が一番痛い」とは、先週打ったばかりのサブアラドDrから聞いていた。まさにそのとおりで、私だけでなく他の病院スタッフもみんな左腕が痛いと言っている。中には「昨晩は痛くて寝返りが出来なかった」という看護師もいた。しかしサブアラドDrによると「さらにもう1日経ったらもうどうってことない」そうだ。ふむふむ。ちなみに青雲会病院ではアナフィラキシーショック症状を起こした人は誰もいない。そもそもワクチン接種で1、2日接種部位が痛くなるのはごく普通のことだ。何も騒ぐ必要はないな。

夕方、「今晩の当直よろしくお願いします」と当直担当看護師であるガンバ君がやって来た。「ああ、よろしく」と言って「先週の当直は私は水難だった(3月10日「漏水!」参照)だったから、今度は火難かな?」なんて冗談を言った。火事なんかになったら漏水どころの騒ぎではない。だが、ちょっとそれに似た災難に遭ってしまった。

当直夜は就寝まで医局で過ごすことが多い。TV見たり、ネットしたり、仮眠取ったり・・。でも時に病棟看護師から入院患者のことで指示を求められることもある。診察が必要なら病棟に出向くが、電カルでの指示だけで済むことも多い。21時過ぎごろ、4階病棟看護師から電話があった。「クニンダDrの患者さんの排便が下血っぽいんですが・・」「新鮮な下血なの?」「いやそこまではなくて少しどす黒い感じで・・あ、電カルに写真を貼り付けましたから見ていただければー」とのことで電カルに向かった。

ギョッとした。

医局にある4台の電カルのパソコン画面全部が赤に近いオレンジ色に染まっていたのだ。「何だ?これー!」
たしか19時台に扱かったときは全くの普通の画面だった。電源を再起動してもこの赤色画面だ。ガンバ君や事務当直を呼んで管理会社である「柔か最高」社に連絡させ、リモート操作で修理できないか頼んだ。しかし「正常である」という返事で、どうしようもなかった。確かに操作は問題なく出来るのだが・・
上の写真を見て欲しい。これじゃ、排便が赤いのか本当はそうでないのか分からないじゃないか。まあ患者さんの状態はそれほど危ないものではなかったので様子観察を指示したのだがねぇ。

事前にあらぬ予想をしたのがいけなかったな。火難ならぬ赤難だったわ。(翌日、原因が判明した。ポンシンDrが医局のパソコンを夜21時から翌朝6時半まで全部夜間モード設定にし色調も最強(赤)にしていたのだった。いやはや。)

2021年3月17日水曜日

コロナワクチン受けました

当院でも本日ファイザー製のコロナワクチン接種が始まった。医療関係者向けの先制接種だ。私も当然最初の接種者を希望し午後には受けた。所定の問診票に記入し体温を測り接種を待つ。シマッチ院長に軽く診察を受けズッシリNsに注射を打ってもらう。腕への筋肉注射だがいつもの皮下注射と違ってかなり上の方に打つ。だからシャツをかなりまくし上げなくてはならない。

デジカメ動画撮影を畠鏡総務部長に頼み始めから終わりまで撮ってもらった。注射が痛いのを気にする人は多いだろうが打たれているときはほとんど痛みは感じない。↓の動画を見て頂ければ分かってもらえると思う。
ワクチンを打つのは自分のためだけではない。自分の隣にいる人、自分と話す人のためでもある。みんなワクチンを打つようにしよう。そうすれば、現在、TVや新聞や雑誌やネットでコロナ、コロナと騒いでいる、それらがほとんど話題にならなくなるはずだ。

私が昨日聞いた話で、驚いたのが、鹿児島市内の某大病院でコロナワクチン接種の可否をアンケートしたところ、そこの看護師の4割が希望しなかったいう事実である。聞いて「は?」と私は言った。いったい何を考えている。先を争ってでも早く打ちたいくらいなのに、国民に先駆けて打たせてくれる立場にあるのに、嫌だという人が4割もいるだと?あり得ない。コロナワクチンの副反応を気にしているのか、いや、ちゃんと報道その他でほとんど問題ないことは自明ではないか。私が前にも書いたようにコロナに罹ると下手すれば2%程度の死亡率がある。そうならなくても後遺症が残ったり入院や自宅安静の強制がある。ワクチンを打ってもアナフィラキシーショックなんて何万にかに1人だし死んだ人はいない。そしてコロナを9割以上予防出来るというのに、しかもタダだというのに・・。こんな有り難い話はないではないか。

どうにも腑に落ちないのでそこの病院のDrの憶測を聞いて少し納得したのが「ワクチンを打った看護師はコロナ病棟に配属させられる」という噂があったからのようだ。仕事の配置替えはコロナに罹るよりも面倒で嫌なことなのかもしれない。だが病院の主要人員である看護師の4割が打たないとなればクラスター発生など潜在的危機が院内には残ってしまう。青雲会病院は全員打つこととまず明言し、無論これまでにショックやアレルギーがあったという事実がある人には配慮がある。それでも打たないという人にもその理由の弁明が求められることにした。病院トップはそれくらいのリーダーシップを取るべきではないのか。4割拒否には驚くというより呆れた私である。

2021年3月16日火曜日

あるイタリアン店の感想

 早帰りで帰る道すがら、姶良の上水流地域に桃の花を植えているところがある。つい先日の3月11日に写真を撮った時はまだつぼみだったのに、今日はかなり花が咲いていた。春満開は近いゾ。


「ホワイトデーなのに何にもないの」とこの前の日曜にカールに言われ、「今日はすまん、スライド作りに専念するから」と断っていたこともあり、今夜はカールにチッチも連れて食事に行くことにした。どの店にするかでカール&チッチが選んだのが天文館はぐるめ通りのイタリアン「メリメロ(Meli Mero)」になった。ピザ好きのチッチの意向か。

いつものようにT-MAXに駐車しすぐに店に着いた。通りの入り口にあるのでコロナ禍以前なら客もひしめいていたかもしれないがかなり空いていた。お決まりの体温測定、消毒液を済まし席に着く。注文は二人に任せた。アンチョビポテト、ピザを3種、牛下がりのレアステーキ、イカ墨のパエリアとやはりピザがメインだ。

アンチョビポテトはこの店のメインメニューらしく単なるマッシュポテトなんだけど美味しい味付けでなるほどと思った。
ピザは窯焼きピザでマルゲリータ、クアトロフォルマッジ、ジェノベーゼの3種。いずれも美味しいが濃厚なチーズ味のクアトロフォルマッジが一番の好みか。でもジェノベーゼも捨てがたい。値段と中身は↓のメニュー参照。
↓上からマルゲリータ、クアトロフォルマッジ、ジェノベーゼ。


牛下がりのレアステーキはソースがカールらに評判が悪かった。私には好みのソースだが最初から掛けられているのが不満で何もなくて客に任せて欲しかったとのこと。なるほど例えばサラダなら私はノードレッシングがいい。全体に掛けられると本来の味を損なうと感じる場合もあるんだ。
イカ墨のパエリアは見た目でなんじゃこらなんだが普通に美味しい。私が最後まで食べていた。
3人でこれだけ食べるとさすがに満腹。カールとチッチはトイレに行ったが、この店、トイレの入り口が変わっているとのことで写真に撮った。
何と、↑のワインの棚そのものが入り口なんだそうだ。ここの店員、毎回「そこがトイレです」って説明しないといけないんじゃないの。ハハ、今度来たら絶対利用しよっと。

2021年3月15日月曜日

感染と観戦

職員研修スピーチはまず滞りなく終えられた。病院側は20分近い枠を準備してたが10数分で私は終わらせた。最後のスライドは「研修終了です」とだけあって、ラブカメ先生以下年輩の先生には受けてたナ。もっとも最後にボウリング映像やお笑い映像を見せるのが私のスピーチだったので医局の福香さんなんか「あら、何かあると思ったのにー」と少し残念がっていた。今回のスピーチは録画され、院内LANで不参加者が視聴出来るようにするとのことで私もちょっと自重したのよ。うーん、でもちょこっと「ボウリングの研修」とか題してレッスン動画でも出せば良かったかな。今回は少し余裕がなかった。

スピーチでも触れたのだが、うちの病院は手指消毒の件数、消毒量とも姶良郡内の他の病院に比べやや少ないというデータが出ている。七五調病院には倍近くの差があってここ数年それは変わらない。結果、感染症の発生頻度がほんのわずかだが多い。今回そこを強調した。サブアラドDrの過ごし安病院にも負けていることが多いので職員には強い動機付けになって欲しい。感染予防を勝ち負けで語るわけではないが・・。

夜、日付も変わった頃、天鳳の観戦一覧を見ていると、たつやました五段が対戦を開始していた。サブアラド六段もいつものように観戦欄にあったが、たつやましたの方をクリックした。東3局で彼は3位とは小差のラス目だった。サブアラドはどうだろうと、彼の観戦ボタンをクリックした。が、サブアラドの対局は出てこない。おかしいなと思ってよく見ると・・・なんと、偶然にもたつやましたと同卓対戦していた。いやいや、これは珍しい。知り合い同士が天鳳の特上卓で対戦するのは年に1回あるかないかだ。私とサブアラドはよく対戦するがそれは携帯で語り合ってせーので同時ボタンを押すようにしているからで、それでも時に失敗し同卓出来ないこともあるくらい。結果が気になり最後までずっと観戦した。
結果はたつやました五段がラス、サブアラドはトップを逆転されて2位に終わった。五段六段は似たようなものだがここはサブアラド六段に一日の長があった。サブアラドは対局終わってLINEに「たつやましたとあたりやした たつやまビリ 残念」と打ってきた。余裕だね。たつやました五段の打ちぶりはここ最近の好調な時と違ってどうもチグハグだったので、翌日、疑問手を指摘した。彼はサブアラドと当たったことで「よーし、やっつけてやるぞ」と意気込んだらしい。それがアダになって空回りしたようだ。その後はまた1位2位を取っているのでこの対局だけが不出来だった。

私は鳳凰卓でまだ八段をやっている。ポイントが下がりそろそろ降段もしそうな雰囲気になってきたが2位2位1位と1000P近くまで回復して来た。サブアラド、たつやましたに追いつかれるわけにはまだいかねえよーだっ。ふふ。

2021年3月14日日曜日

追い込まれてから始める

 今日はほぼ職員研修のためのスライド作りに終始した。というか、ほとんど作っていなかったので今日しないとどうにもならない。

今回のスピーチはあまり気が乗らず、こうして追い込まれないと手を付けなかったし、追い込まれるのを待っていた感もあった。内容は「コロナ対策のための感染予防」というもので、そんなのこの1年みんな聞いて知っていることでしょって思った。ただ厚労省の各医療施設へのコロナ加算が4月から半年間与えられることに関し、職員研修を行うことというのが条件にある。それでその役を私がやらねばならなくなった。

でも朝礼の短い時間でその内容すべてをとても話しきれるものではない。そこでポイントを絞って話すことにした。「手指消毒」「PPE」「環境面の感染予防」だ。ここまで来てようやく取り組むことが出来た。手を付けられなかったのは具体的に何をすればいいか自分で分かっていなかったからか。手元の資料と後は特にネットで調べて作ることが出来る。夕方近くになって9割方完成した。ふう〜。

ふと窓を見るとハッピーちゃんがまたエサをおねだりにやって来ていた。それをまたじっと見つめるゲンちゃん。

この後、ハッピーちゃんは大あくび。その時のゲンちゃんの気持ちを代弁して汗マークを入れてみた。
エサを上げるとすぐに食べ始め、カメラには「うん?何」ってマイペースなハッピーちゃん。気にしないで召し上がれ。😸

2021年3月13日土曜日

オタクを極める少年は

ゲンちゃんはエサが欲しければ1階居間のエサやり場にやって来る。ドアが閉まっていても背伸びかジャンプしてドアノブを下に降ろせば開くことを知っている。明け方の5時から6時がエサ上げ時間で、その時間に起きているとドアが開いて誰か来たなと思ったら誰もいず、ドア下からゲンちゃんが出てきてびっくりすることが何度もあった。今日はその様子を構えてビデオに撮影した。
ううむ、今日は日記ネタがあんまりない。またネコに頼ってしまった。TVはまだ震災の話題が多いし、自身は職員研修のスライド作りでそれ以外のことには集中出来ない。夜はボウリングのPリーグ放送もあったな。でも見るヒマとその気が起きない。そんな中で夜19時からのフジ系放送の「超逆境クイズバトル!!99人の壁」をチラッと見た。“植物博士"の小学生の男の子が花業界に携わって17年、農林水産省に勤めていたこともある“花のスペシャリストの大人とクイズ対決をするというもの、これは見応えがあった。知識の幅広さは全くの互角で花の出荷量を問う問題などは大人有利で元役人が正解したが小学生はその後盛り返しとうとう勝ってしまった。いやーすごい。
このあとに登場したのは小学6年で野菜ソムリエの資格を持つ男子が東大生99人を相手にかなりの難問早押しバトルを繰り広げる。それも結局勝ってしまうからイヤハヤだ。これら小学生に共通するのはそのオタクぶりだ。好きな物に関しては徹底的にやり尽くしたいというオタク気質をそのまま伸ばしてあげること、それがいいことだという社会的な受け入れが今はあるのだろう。魚好きが高じたあのさかなクンなんかその典型と思う。TV東京のオタク番組「TVチャンピオン」で何度も優勝しタレント活動も続けながら今では立派な魚類学者としても社会的に認知されている。

囲碁の井山裕太や将棋の藤井聡太なども囲碁将棋の超オタクが高じて超一流プロになったとみることが出来る。彼らはすでにプロ組織があったから良かった。せっかくの才能も生まれた国がプロもなにも囲碁将棋がない国だったら少しお勉強が出来る凡人だったかもしれないのだ。この手で懐が深い国といったらやはりアメリカだろう。大人になったいろんな変人奇人がごろごろいる。オタクが生きやすい今の日本も余裕のあるいい国といえるかも。

そんな中、さかなクン(本名:宮澤正之)のWikipediaを調べていて驚いたのが、父親が囲碁のプロ棋士宮沢吾朗(宮澤吾朗)九段だったこと。
へーーえ。一般にはあまり知られておらずタイトルを取ることは出来なかったけれど、石田芳夫、武宮正樹、趙治勲、小林光一らを輩出した木谷實一門の棋士で、戦いの棋風で見ていて面白い碁を打ちアマチュアには人気のある人だった。弟子捜しで北海道を訪れた木谷實が11歳の宮沢の打ち碁を初めて見た際、「久しぶりに尾のハネ上がった鯛をつかまえた」と言ったという逸話は有名で私も知っていた。ただ彼は、プロの碁打ちには成れ三大リーグに入れるなど一流にはなれたが、超一流というまでにはなれなかった。しかし同じような気質をもった息子はオタク振りを別の分野で活かし超一流になれた。木谷實は呉清源とならび昭和前期を代表する超一流棋士で「鯛のしっぽ」と宮沢少年を評したのは後のことを思えばなかなかに感慨深いではないか。うん。