昨日、「ゴジラの息子」の話題を挙げる際に久しぶりにその映像を見直した。UーNEXTで検索しての視聴だった。簡単に57年前に戻れるのは現代のネット社会ならではだ。「ゴジラの息子」はゴジラ映画が当時の怪獣ブームに乗って子ども向けにシフトしていった作品として記憶されシリーズの中ではそんなに評価されていないようだ。だが、実際に小学2年生でそのブームにどっぷり浸かっていた私にとっては「南海の大決闘」に続く二度目のゴジラ映画で非常に印象に残っている。また、人生の中で映画鑑賞日が昭和42年12月18日だと日付まで正確に覚えているのはこの映画くらいじゃないかな。そして人生の中でわざわざ2回も映画館に観に行った映画3本のうちの1本であったことも。
冒頭、気象観測機を操縦していた役者が黒田進だと今の私にはすぐに分かる。彼は東宝のニューフェイスでさほど演技力は評価されていない時期にTBSのウルトラマンの主役に抜擢された。そのウルトラマンが1967年の前半で終了してしまったが、この「ゴジラの息子」に特別出演していたとは当時小学2年だった私は知らなかった。海上にゴジラが現れそっちの方に当然注目していて操縦士のウルトラマンには全く気づいていなかったのだ。
しかしめざとい子どもには「あ、ウルトラマンの人だっ」ってワクワクさせる効果があったはず。この後映画は南海の孤島で大人のドラマがしばらく続くので、まずはゴジラとウルトラマン(笑)を出しておく必要があったのだろう。この映画には高島忠夫、平田昭彦、佐原健二といった東宝の怪獣映画やウルトラシリーズに出た俳優が多く出演しており皆30代(ゴジラ第1作出演の平田昭彦のみこの映画の封切り日に満40歳になっていたが)の現役バリバリの姿が見られるのもファンにとっては嬉しい。高島がひょうきんなキャラを封印ししぶい科学者役なのも今見ると新鮮。なお、ウルトラQの主人公だった佐原健二のみ存命で現在92歳だという。↓左、高島忠夫、右、平田昭彦。そしてこの映画で唯一の女性ヒロイン役で出ていたのが前田美波里だ。調べてみるとなんとまだ19歳!南海の孤島に科学者の父と二人取り残され、7年前に父が亡くなった後は一人で暮らしている娘サエコという設定だが、いきなり海辺でハワイアンのような格好で泳いでいるのを科学隊員に見つかるシーンには違和感がありまくりだった。隊員に気が付いたサエコはさっと海に潜り行方知れずになるが、ゴジラの息子ミニラが登場すると椰子の実(らしきもの)をちぎって何十メートルもの距離を苦もなく投げてミニラの口に収めさせ交流をするシーンもある。いや、若さあふれて実に魅力的だなー。前田美波里はアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、この映画の翌年わずか20歳で「バラが咲いた」で有名なマイク眞木と結婚し、その後歌手になった真木蔵人を出産するが、私はこの映画の20年後1987年になるまで彼女の名前も姿も全く知らなかった。彼女がマイク眞木と1976年に離婚し主に舞台で活躍していたからかもしれない。そしてその1987年、既に医師になっていた私は、「ゴジラの息子」以来20年ぶりに彼女を間近に見ることになる。それどころか彼女との肉体的接触を一瞬ではあるが果たすことになるのだ。最初にこの映画を映画館で二度観たと書いた。さらに日付もしっかり覚えていると。なぜか。実はヒラーキと映画鑑賞中のことだった。カマキラスが3匹出てきて暴れている頃、あこネーサ母の友人のタニさんが来て私たち兄弟を探していたのだ。そして「テルちゃん、ヒロ君、おいでー」と私たちを呼びつけていた。何事かと思ったら「デンシロー祖父ちゃんが亡くなったってー。今から田舎に帰るからすぐに出なさい」と言われたのだ。ええ、まだ映画は終わってないのにーと思ったが、子どもとはいえさすがに祖父死亡という知らせには素直に従い、その日のうちに田舎に向かったのだった。それから何年も12月18日が祖父の命日で墓参りやお寺に行っていたから忘れることがなくなった。「ゴジラの息子」は冬休みに入ってもう一回映画館に行き最後まで観たのだった。
しかし串木野の山にカマキラスが出現したせいで翌日もこんな怪獣ネタを書く羽目になり、夜は眠くて起きていられず、結局明け方に3時間以上もかけてようやく書き終えたのだった。ふう。
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