今日のネタは昨日の話の続き。
医局会では畠鏡総務部長から連絡を聞いた可愛いんだ理事長が「こてる先生は信号無視やって遅れるそうだ」とみんなの前で漏らしたそうだ。がーん。まあ仕方ない。会途中に遅れて席に着いた。終わっていつもの院長報告を受け、その後は病棟回診と入院患者への指示出しなどで内視鏡室へ降りるのが遅れた。ふう、面倒だなと億劫さを感じていた。というのも、今日は検査をする側と受ける側両方をしなくてはならないからだ。
こてる日記をずーっと読んでいる人なら知っていると思うが、私はだいたい4年に一度大腸内視鏡をこの30年ほど受けている。今日はその日と決めていた。どうしても今年中に受けねばならなかったのだ。となれば今週中に受けないともう時間がない。「だいたい4年に一度」と書いたが、正確には「夏のオリンピックのある年に大腸内視鏡を必ず受ける」と自分で勝手に決めている。大腸に何か問題があるからか?いやそんなことはない。これまで1992年から8回受けて来て、結果はすべて「異常なし」だ。ポリープの1個もない。ただ胃や大腸を専門にするものとして「胃腸の検査を定期的に受けるのはどのくらいの間隔を空ければいいか」という問いに「理想的には胃は毎年、大腸は4年に1回」と公言してきたから、自分でそれを守っているのだ。ま、あくまで理想ではあるがね。
大腸内視鏡は最初の2回は先輩のいる病院、クリニックで受けた。しかし2000年に青雲病院(現青雲会病院)に来て、当時は私以外には大腸内視鏡の出来るドクターはいなかった。それでやったのである、一人大腸内視鏡を。自分でお尻から内視鏡を入れ自分で観察をするのは後に私と同じような手技を公表し観衆の前でそれを実演までして2018年にイグ・ノーベル賞まで受賞したドクターもいたな(長野県昭和伊南総合病院勤務の堀内朗医師が医学教育賞を受賞。受賞理由は2006年発表の「座位で行う大腸内視鏡検査―自ら試してわかった教訓」)。私はその発表ががあったのをそのころ知っていた。「あは、自分を同じようなことをやっている。でも自分は絶対発表したくなかったけどな」と思っていた。いや、実は可愛いんだ理事長から「発表しろ」といわれていたんだ。でも、何の趣旨で発表する意味があるのかを見出せず断っていた。しかし、発表しろとうるさい(失礼)ので、年に1回ある院内勉強会でスライドとビデオを使って発表したことはあった。案の定、爆笑されたけれど・・。その後、2004年、2008年と4年ごとにやっていき、その頃は大腸内視鏡をするドクターも私以外に何人かいたのだがこてる先生=一人大腸内視鏡ということになっていたのでパフォーマンス披露の意味もあり続けてきたというわけだ。さすがに2020年は新型コロナの影響などあり初めて4年間隔実施をしなかったが、翌2021年は東京オリンピックが開かれ「オリンピックの年に大腸内視鏡」という原則を守るべく行い、こてる日記ネタにした。それから4年後、どうも億劫になってきていて年末にまできたというわけ。それに朝、交通違反を犯し悪ウンも流したかったしー。
その様子は今回も2016年12月3日、2021年10月26日のこてる日記とほとんど変わらない。内視鏡室スタッフにデジカメ写真も撮ってもらった。結果はやはり異常なし。「いつか一人ポリペクトミーをやってみたい」という私の密かな願望は叶わなかった(笑)。
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