朝はいつもの朝礼ではなく御用納めの代わりの会だった。というのも今年は12月29日の毎年恒例の青雲会病院御用納めが日曜日で出来ないためだ。この会は畠鏡総務部長の業績報告とラブカメ先生の1年を振り返るスライドスピーチがある。業績報告は先週の朝礼で、今週はラブカメスピーチというわけだ。
例年、このスピーチの前にはラブカメ先生に「青雲会の職員の今年の写真を提供してくれ」と頼まれるのだが、腰痛で10日ほど休んでいて、頼まれるどころかスピーチそのものが危ぶまれていた。そんなわけで、いつもよりはスライド少なめにして後半はこの前の忘年会の公式写真とビデオから取ってきてうまくまとめていた。ただ先生も80歳になられたので、会の後、畠鏡総務部長から「来年はこてる院長に頼むことになるかも」と打診めいたことを言われたわ。ふむ、覚悟しておこう。朝の内視鏡業務の前に情報提供書がいくつか届いていて、その中に、先月大学に紹介した膵癌疑いの患者の報告があった。その患者はそれまで当院を受診したことがなく11月半ばから「食事が摂りにくい」などの症状で消化器内科にやって来た。腹部エコーや胃カメラで十二指腸に狭窄があることが分かり腹部CTの結果も踏まえてすぐに大学に紹介したのだった。結果は私の見立てどおりで、悪いことに手術は不可能で、抗がん剤と通過障害を軽減する処置のステント留置を実施したということだ。ある程度こちらの予想どおりの報告だった。膵癌はねぇ・・他の癌はどうにか対策も出来るがいまだに治療がやっかいで根治が難しい。
パラパラと報告書を見ていると、大学で外科が消化器内科に内視鏡依頼を依頼したプリントがあって、その内視鏡術者を見て「ほう・・」と思わずつぶやいた。私の大学時代に同じ内視鏡室の研究グループ員だった山ンバDrの息子だったからだ。山ンバDrは私と同い年だが卒業が後だったので医局内では後輩だった。しかし私が旧の青雲病院に就職して胆膵系でちょっとやっかいな患者さんがいてERCPがらみの処置を山ンバDrに依頼したことが一度だけあった。2002年の5月頃だ。それから10年弱経った頃、出水市方面である医院が後継開業を探しているところを私が仲介して彼が開業することになった。順調に行き、まだまだこれからという2016年、彼は心筋梗塞で急死してしまったのだ。その時、彼の長男は宮崎の医学部生だった。確か卒業1年半前くらいだったと思う。あれから8年、息子氏は医師になって今では父親と同じ消化器内科医師としてばりばり活躍していたのだ。私は親子二代に渡ってお世話になったことになる。ちょっと感慨にふけってしまったのも当然か。
あと10年もすれば私も引退か老体医師で片隅でぼちぼち仕事をするくらいだろう。で、私たちの子ども世代が中心になっているはずだ。それでいい。それを見ることが叶わなかった山ンバDrは無念だったろうが、私はしっかりと見ているよ。安心して休んでいておくれ。↓の写真は2011年、うちのセージ、チッチと同じ高校の運動会に来ていた在りし日の山ンバDr。彼も息子3人で同じ小学校だったが、見事なくらいうちの息子3人とは学年が一致しなかったな(笑)。
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