2024年12月28日土曜日

渡辺恒雄という人物

NHK総合で「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた」の再放送があって視聴してみた。これは2020年から2021年にかけて読売新聞社トップの渡辺恒雄へのインタビューを行ったものの再放送で「昭和篇」「平成篇」とそれぞれ1時間40分のボリュームがあるロングインタビュー番組だった。最初に昭和篇を未明に生で見つつその日のこてる日記を書いていたら、番組の方が面白くて日記のアップが明け方までずれ込んでしまったほどだ。
渡辺は東大の文学部哲学科に入るも1945年に学徒動員で陸軍へ二等兵として徴兵されるが、そこでの理不尽な暴行、悲惨な実態を体験し、元々反戦争思想だった青年は大の戦争嫌い、反軍国主義・反国家主義への姿勢を強める。終戦後はしばらくして東大へ復学し、自分の思想、信条に合うと思った共産党へ入党を申し込み、ビラ貼りや演説会の勧誘など下積み活動を経験するなどし2年後1947年に正式に党員として認められる。しかし、同年9月のカスリーン台風の被害に対する党の見解、姿勢に疑問を感じ、脱会を申し込むが結局除名されてしまう。ただ「人びとを組織化する方法」などその後に役立つ経験もしたということで共産党での経験は無駄ではなかったという。

このあたり、12月17日の日記「ウォルター・ルーサーを知っているか」のルーサーと相通じるものがある。ルーサーは貧しい環境から抜け出すためにデトロイトの自動車会社に入るが、会社を解雇され、そこで「世界を見てみよう」とヨーロッパに渡り、ドイツとソ連に行き働いてもいる。当時ソ連は古くなったフォード社の車の製造機を買い取ったがその機械を動かす技術者が不足していたためルーサーは仕事にありつけたのだった。そして彼はファシズムと共産主義、全体主義のよくない点を実感したのちアメリカに戻って来るのだ。

朝日新聞は不合格で読売新聞に採用され、当時共産党が山村工作隊といって山奥の奥多摩に非合法極左テロ組織のアジトに単独で近づき取材をし、それがスクープとなりその後政治部記者となった。なかなかの行動派だわな。この山村工作隊は後で言えばオウム真理教のアジトとほぼ変わらないもので、工作員らは近づく渡辺を警察のスパイと思い「殺そう」としたが、リーダーの一人の後に作家となる高史明(コ・サミョン)がそれはよくないと周囲を思いとどまらせたという。

それからの渡辺恒雄の活躍には目を見張る。吉田茂から鳩山一郎と体を張って近づき相手の懐に入るのが得意だったようで、特に当時の派閥の領袖だった大野伴睦にはほとんど専属秘書のような役割も担っていた。今じゃちょっと考えられないな。その大野と仲のよくなかった中曽根康弘とを結びつける役割も果たしたり、大野亡き後はその中曽根と昵懇になる。さらに日韓の国交正常化にも大野や大平正芳らと韓国に渡り、大平と当時の韓国ナンバー2の金鍾泌(キム・ジョンピル)との交渉のメモをすっぱ抜いてスクープにしたりもしている。

いや、まだまだ面白いエピソードがいっぱいで書き足りないくらいだが、興味ある人はNHKプラスでも見られるかも。私はしばらく録画を消さずに保存しとくわ。「政治部記者が取材対象である政権中枢に入り込んでは公正な取材や報道が出来ないのではないか」といった批判については「懐に入り込まないと良いネタは取れない」と言い、それで政治家に「自分が正しいと思う」方向を分かってもらう、そう仕向けるといったことが面白くやりがいが出るということのようだ。そんな記者と政治志向が渾然一体となった人物で、かつかなりのリアリストであった。彼が98歳の死ぬ間際まで読売社内で「主筆」として論説の中心にいたということも驚きであり、一言で言って「傑物」だった。それこそ「巨人」だったと言い替えてもいい。

靖国問題(首相の参拝については大反対だった)や野球界への取り組み(本人は野球のことはあんまり知らないが勉強はしていた)などもネタにしたいが、相手が巨人ゆえに1日の日記ネタでは語りきれない。いつかまたチャンスあれば書こうか。

1 件のコメント:

  1. ヒトミンチョ2024年12月30日 22:30

    2045年はまだ来てないんじゃないですか?

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