2024年12月21日土曜日

母を直接見舞う

昼過ぎに12月11日に枕崎の「おばらん」病院に入院したあこネーサ母の見舞いに行った。見舞い時間が午後指定になっていたため、先週は都合で行けず今日になった。

4階の病室に行くと2人部屋のベッドにあこネーサ母は寝ていた。うーん、それほどやつれた感じはなく今年2月に青雲会病院で造った胃瘻からの栄養補給がまずまず効いているのかも。額を触ってみても発熱はなく、話しかけみたが「アウアウ」と言うだけで会話は全く成り立たない。ふう。


と、詰め所からドクターがやって来た。あ、宮砂糖Drだ。「いやー、久しぶり。先週来るからと思っていたけど」と言われた。彼は直接の担当ではないが、私の母というのを知っていて見舞いに来るはずと思っていたようだ。そういえば去年の冬もここに入院したがあの時は直接見舞いは叶わず、1階のモニター室からのリモート面会だった(こてる日記2023/12/18「母をリモート面会で見舞う」http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/12/blog-post_18.html)。日記を読み返すと、宮砂糖Drには会えそうもないと残念がっていたのと母の頬を見て食事が足りずに痩せているという感想だった。久しぶりに会って彼に「太った?」と言われたがそりゃ太った。ボウリングもこの2年ほとんどやっていないしたまにお菓子のつまみ食いもやっているしー。その点、彼は全く以前と変わりない。
「枕崎のボウリング場はまだあるの?」と尋ねると「ある」という。彼はそこでのリーグ戦に参加しているが「最近は参加会員も減少気味」だとか。それでも続けているだけすごい。奥さんは鹿児島のラウンドワンで投げているそうで、みんなしっかり続けているなぁ。鹿児島から枕崎までは1時間ほどかかるため、毎日通勤はせずアパートがあって通うのは週2回程度なんだそうだ。なるほど、同じ遠距離のサブアラドDrの霧島の病院勤務と似ている。彼は副院長職で「この病院も若手が増えずドクターの平均年齢が上がっている」そうだ。ううむ、それはサブアラドや私の病院も似たような状況だ。全国的に若手医師が都会に多くまた診療科も偏っているなど医師偏在問題がはっきり現れてきている。

しばらくあこネーサと返ってこないピンポン球会話をしていたが、カールも「まあまあ元気そう」と安心していた。
昨年はチエコンさん母、今年はカール母と親世代が次々と亡くなっているのであこネーサにはまだまだ元気でいてほしい。来年は昭和100年になるからあこネーサは誕生日がくれば満の96歳だ。こんなに長生きしてくれたらどうせなら100歳までと思ってしまいつつ、病院を後にしたのだった。

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