相互ラウンドでのチェックした内容はここではおいておいて、人材交流の話題をしよう。辛亥さんは行くところ行くところ、「あらまあ」と知り合いスタッフに声を掛けられ「ここを離れてずいぶん経ちますけど意外に知っている職員に会いますね」とニコニコしていた。私も回復期病棟に入った時、若干ふくよかな看護師が「まあ、こてる先生」と言うのでネームカードを見たら、こんもりNsだった。すかさず「あら〜山下さんじゃない」と返すと、彼女、眼をまん丸くして「センセ、そんな旧姓まで覚えているなんて」と驚いていた。いや、私にしてみれば結婚してのこんもりよりはるかに旧姓の方がしっくりくる。「15年くらい前かなぁ、訪問にいっしょに行ったことがあったよね」と、当時青雲会病院では終わりかけていた訪問診療のことを話した。彼女はまもなく辞めて、訪問もそこから10年ほど閉鎖されたのだった。チェックやラウンドも終わる頃にOI病院の泣かん薗院長と話をする機会があった。「11月からドクターカーを始めました。だいたい日に1回は出動してますよ」とドクターカー専用服にわざわざ着替えてきてくれた。そして「2年後くらいには病院が新しくなります」と完成予定図を見せてくれた。今の病院のごく一部を残し、現駐車場に新築されるそうですでに工事は一部始まっている。さらに屋上にはヘリポートが設置されるという。「これ、本当に出来るの?」と尋ねると「ええ、予算が下りました。これが出来ると鹿児島市立病院まで5分ですからねぇ」だって。ひえ〜、現状は救急車で急いでも40分以上はかかるぞ、わお!おお、そうだ。泣かん薗院長も旧青雲病院で確か6年くらいいっしょに働いていたんだ。彼はその後宮崎の病院に勤務していて10年くらい前からOI病院に入り、その後院長として活躍している。
で、当然いっしょに写真を撮ったわけだが、二人がそろえばやはり決めポーズは↓だ。旧青雲病院時代に「マイボール作ってボウリングをしよう」と私が誘い、その後ボウリングにハマった泣かん薗先生、今じゃOI病院での社会人チームを作ってボウリングの試合にあちこち参戦したり、去年まで国体のボウリング選手も職員として雇い、南日本新聞にも大きく取り上げられるほどにもなっている。その国体選手の野村経博君は現在京都在住で数年後ボウリングのプロテストも受ける予定だと聞いた(野村君、つい最近の有力アマチュア団体NBFの全国大会男子の部で準優勝してたよ)。
近くて遠かったOI病院、これからはほんとに近い病院になりそうだ。
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