2025年11月12日水曜日

すわしんじのコント

YouTubeを見ていると、昔見て面白かったなぁと記憶している動画を久しぶりに発見することがある。と、ここまで書いて、以前ほぼ同じ文句でこの日記で披露したことがあった。2021年1月9日のことでタイトルは「今は痛みに耐える時、耐えて耐えて耐え抜く・・そうすれば」。まさにそのセリフを言う動画が面白くてネタにしたのだった。→https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2021/01/blog-post_9.html

これは「ザ・ニュースペーパー」という時事ネタが得意のコント集団の松下アキラの小泉純一郎モノマネだ。これはもう政治コントの大傑作と言っていい。なんど見ても笑える。再掲しよう↓。
で、今回だが、私がまだ独身時代で自前のビデオデッキを持っていなかったころ、志村けんの番組で「だいじょうぶだぁ」というコント番組があった。志村の作るコントが面白くて毎週見ていた。その中にある流しの役をするコメディアンが出てきてギターを弾き歌を披露するコントがあった。私がいまだに忘れずにいて自分でもよく歌うそのコントは、クールファイブの「東京砂漠」のサビをネタにしたものだ。当時、私はTVの前で吹き出し、そしてその言葉のセンスにいたく感服したのだった。それをつい最近見つけて非常に懐かしく思い、また笑ってしまった。名付けて「私は差し歯」、みなさんもぜひ↓!
「♪ああ、あなたがいれば〜」の後によくその歌詞を思いつくよねぇ(笑)。

このコメディアンは「すわしんじ」さんという人で本名は諏訪園親治(すわぞのちかはる)、名前からして鹿児島県出身だなと思うが、はたして鹿児島市の吉野町出身であった。元ドリフターズの見習い付け人をやっていた人そうで、現在72歳。志村けんよりは数年遅れて付き人になり昭和49年には「8時だよ全員集合」にブルース・リーのモノマネ役でTVデビューもしていたそうな。「ドリフ第六の男」と言われ、いずれ新メンバーとして正式デビューするのでは?などと言われていたそうだが、結局それは叶わなかった。志村とは親しく何かにつけて面倒をみてもらっていたという。「だいじょうぶだぁ」にもその縁で呼ばれたのだろう。ハリ扇を叩く志村との間合いも完璧だ。もう一つ、同じ席での歌パロディーを紹介しよう。シャネルズの代表曲「ランナウェイ」の替え歌「旦那うぇい」だ。元メンバーの田代まさしは少しはにかむし、桑野信義は笑いをこらえるのに必死だ↓。
他にもいっぱい面白い替え歌があり、これを極めればよかったのにとさえ思う。そう、あの嘉門達夫が平成に入ってしばらく「替え歌メロディー」で一世を風靡するのはこれらの動画から数年後のことなのだ。

「すわしんじ」さんをWikipediaで調べると、意外な事実を目にした。なんとすわさん、冒頭紹介した「ザ・ニュースペーパー」の初期メンバーの一人だったのだ。へーーえ。私が数十年経っても見たい聴きたいと思っていたコントにそんな共通点があったとは。

彼は志村けんが亡くなったとき、インタビューを受け「・・・僕がメンバーを差し置いて何かお話しするのはね…」「昔からよく言われるんですけど、僕が“6人目のドリフ”だというのは、みなさんの間違いなんです。正しくは志村さんが先輩で、僕は志村さんの4年も後に入った後輩。だから、本当の6人目は志村さんなんです。僕はただの付き人ですから」と謙遜していたという。その志村は亡くなり、田代は薬問題で社会的にはほぼ抹殺された状態だし、桑野は4年前に大腸癌で生死をさまよいどうにか生きながらえてはいるが、すわさんは元気なようだ。社会的成功はそこまではなかったかもしれないが、元気で生きていることがある意味成功者だ。同郷の人だし、陰ながら応援していきたいネ、すわさん。

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