2017年10月3日火曜日

大量殺人と銃規制

アメリカはラスベガスで悲惨な銃乱射事件が起きた。またか・・である。銃規制さえなされればここまでの被害は起きなかったろうにといつも思う。アメリカは憲法にも保障されるほど銃を持つ権利が大事にされている。それは開拓時代から始まりイギリスからの独立を果たす際には自ら銃を持って戦って勝ち得たそれこそがアメリカなんだという認識が多くのアメリカ人にあるからだと聞く。隣のカナダはイギリス連邦の一員となる道を選んだ。私が新婚旅行でカナダでガイドから聞いた話では隣のアメリカシアトルと比べバンクーバーでは年間の銃による殺人事件が十分の一、いや百分の一くらいだということだった。イギリスに銃を向けなかったカナダには銃規制は当然のように受け入れられている。

全米ライフル協会(NRA)は豊富な資金力にものを言わせ銃規制反対を行う議員や政治家に資金提供をする有数の圧力団体である。彼らはこうした事件が起きていつも言うのが「事件は銃が起こすのではない、人が起こすのだ」というロジックである。確かにそうだろう。日本なら「事件は包丁が起こすのではない、人が起こすのだ」と言っても確かに肯けるし、包丁が殺人に使えるといって包丁をこの世からなくすのは極論だ。でも、日本では包丁を公共の場で携帯するには規制がある。銃ならなおさら強力に規制をすべきだろう。性格が偏って殺人願望があったり、自殺を決めたはいいが「この俺様が死ぬのにのうのうとしている奴らも道連れにしないと気が済まない」という観念にとりつかれた輩にとって短時間で大量に殺せる銃ほど都合のいいものはない。包丁ならそうはいかない。

人の性格や精神ってそうそう変えたりは出来ない。ならば銃規制をすべきなんだ。いまさらアメリカはどこを開拓するというの?独立戦争の時代じゃないんだよ。銃による被害の現実を見据えない今のアメリカ社会は今後も毎年虫けらのように罪のない人が銃によって殺され続けるだろう。

20年以上前に読んだタイム・ライフ社の90年代前半に刊行した犯罪実録シリーズ「Тrue Crime」の一つに「大量殺人者」というのがある。今回の事件で真っ先に思い出したのが、この本にも出てくる時計台の銃撃魔チャールズ・ホイットマンだ。1966年、オースティンのテキサス大学時計台から銃弾を乱射し死者13名(15名とも)、重軽傷者31名を出した「テキサスタワー乱射事件」である。彼は幼い頃から厳格な父親から体罰をよく受け、また銃を幼児のころから触らせるなどの環境にあった。事件を起こした年になり発作的な暴力衝動や激しい頭痛悩まされるようになり世をはかなむ心境になったようだ。自殺願望があったに違いない、まず手始めに母や妻を殺してから事件現場に向かった。なぜかこの手の大量殺人を犯す人は手始めに身近な人を殺してから無関係の人を殺すことが多い。タワーに様々な銃器、道具、食料・薬品・生活用品を持ち込み眼下の人々を次々に撃った。https://matome.naver.jp/odai/2141808461009320101

今回の犯人は有名なこの事件を知っていたに違いない。この俺様なら連射装置を作ってもっとド派手に殺しまくれるぜ・・。50年経ってもこんな人間が次々出てくるのを抑えつけるのは困難だ。日本にも大量殺人者はいる。しかしアメリカのように毎年毎年はいない。結論ははっきりしている。このような事件を抑制できる一番確実な方法は「銃規制」だけなのだ。

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