2017年10月15日日曜日

トシバー七回忌

今朝はトシバーの七回忌があるため早めに家を出て南薩へ向かった。錫山街道から知覧まで南薩縦貫道を走り、ほぼ自動車専用道路ゆえに快適、迅速になった。自宅から1時間をオーバーすることもなく50分ほどでヒトミンチョ家に着ける。便利になったもんだ。着くと、ちょうどヒトミンチョとヨカトモ従兄が今から寺に向かうというので降りずに寺へ向かった。10時半の読経開始まで少し時間があり近くの共同墓地(といっても2階の建物)でお参りした。ヒトミンチョ家の兄弟やヒラーキ弟、親戚のおばさんなど集まってきて、本来ならあこネーサ母も来るはずが月遅れの敬老会があるとのことで欠席だった。読経は三部経で例によってここのお坊さん、良く通る響く声で朗々と読み上げていた。子どもの頃はこのお経が永遠に続くのかと思うくらいじっとして待つのがきつかった。今は昔ほどでもないのは年の功ってことか。

40分ちょっとで終わり、この後は近くのニュー無事会館で会食が設けられていた。ノリヒック叔父さんは見た目は変わらないがもう90才になったという。トシバーが亡くなった通夜の席で、私と囲碁を打ったのはもう6年も前だったんだ。「最近の囲碁は?」と聞くと耳が遠くなって聴診器を付けていて確かめるように「いいや、全然ダメだがよー」とのこと。でも色つやはいい。まだまだ長生きしそうだ。ただ父親世代はすでに全員80才以上で半分くらいは鬼籍に入っている。10年もすればほとんどがこの世から引退、ってことになるね。

食事は今回は一切食べることなくお持ち帰りすることにした。それを想定してかビニール風呂敷も準備されていた。カールも「これで夕食は手間が省けるわ」だってさ。
会館を出て駐車場から見下ろすと、かつて私やヒラーキが住んでいた実家跡が今は老人施設になってまったく跡形もないのが一目瞭然となっていた。(↓黄色い屋根の付近)

もう20年近く前だったか、土地を売ってくれと施設から頼まれ父デンコーが了承したのを覚えている。さみしいがすでに誰も住んでいなかったし住む予定もなったから当然の帰結だった。そもそも戦前は海沿いに祖父デンシローの家はあり戦後に引っ越した先が今の施設のところだった。40年50年と経てば田舎の風景も様変わりする。思い出は記憶の中にしかない。

帰りがけ、今の実家近くの公民館に立ち寄り、あこネーサ母を見舞った。ちょうどじいさんたちがカラオケを歌っている最中だった。来るとは思っていなかったようで驚いて「およー、来たかー」と目を丸くしていた。しかし話すことはこの前も聞いたような内容でこれも相変わらずやなぁ。自力で歩けるだけでもOK、このまま元気でいてちょうだいよ。

帰りの道にはセイタカアワダチソウがいっぱい生えていた。この外来植物は繁茂力がすごい。縦貫道の左右もこれがいっぱい。
見た目が今一きれいでないのが残念。喘息の原因と言われたりもしたが実はそうでなくブタクサの方が犯人ということになっているようだ。繁茂もしすぎると自分の根の毒で勢いが弱まるそうで昭和40年代ほどの勢いはないのだとか。へー、アワダチソウだらけっていうことにはならないか。何事も栄枯盛衰やぁ。

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