2014年3月26日水曜日

院内素描

今日の私は内視鏡検査日ではなかったけれど朝一で可愛いんだ理事長の胃カメラを仰せつかった。今月来月が職員の健診月になっているのだ。

外来では久しぶりというかグッドタイミングというかシオシゲ監督の診察に当たった。話題は当然センバツ高校野球で昨日の大島高校のことだった。元監督に言わせると「細かい野球が出来ていない。レフトが捕球した時に3塁ベースなら本塁突入もあるがコーチャーの判断が出来ていない。あと2、3点は取れていた。私は渡邉監督にも(甲子園での心得を書いて)手紙を送っていたのだが・・。でもいい顔で野球をやれていたな」との感想だった。

午後大腸内視鏡をした患者は19才の痩せた女性で潰瘍性大腸炎ではないかと心配したが虚血性大腸炎だったようで一安心した。同じ腸炎でも経過が一生と一週間の違いがありえらい差だからだ。でも問診表にタバコ15本とあったのはいただけなかったな。

近隣の病院「山師だ分かるやないか」から胃瘻造設依頼の患者が来た。明日造設して1週間ほどで帰るパターンでお互いの連携が取れているのだが平成27年度からそれがスムーズにいかなくなるかもしれない。厚労省の方針では胃瘻造設術年間50例をこえる施設では経口再開患者などが一定%いないと保険点数2割削減をするという厳しい査定になるそうだ。青雲会病院では昨年は64例もの患者がいた。そのうち何十%かは他院からの紹介によるものだ。依頼に「はいいつでもどうぞ」なんて請け負えなくなるかも。一人の高齢寝たきり患者に多くの医療人を割けない、それに小家族で家でも簡単に親の面倒を看ていけないからこそ胃瘻患者が増えて来ていると思うのだが「無駄に生かしている」との嘘くさい批判を厚労省はこれ幸いと医療費削減に利用しているように思える。

それともう一つ。日本人の多くは死生観というものをあまり持っていない、持っていても確固たる信念がない人が多い。「食べられなくなったらお迎えを待つまでよ。点滴や経鼻チューブや胃瘻で生きながらえるなんてまっぴらごめん」と本人も家族も思いその通りにしてくれたらこんな問題は出てこない。多くは何となくできたら長生きしてもらえたらぐらいに思っていて実際胃瘻で長生きしていても受け入れる家族が多い。でもそんな曖昧な態度でもいいと思うのよ。死生観を必ず持てというのはだいたい欧米流で日本人の感性には合わない気がする。私も食べられなくても胃瘻で生きていてくれるならいいなと思うタイプだ。来年度の胃瘻査定方針が長く続かないことを望む。

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