2014年3月20日木曜日

台湾初日

「そもそも誰が台湾行きの言い出しっぺだったの?」これは昨日、私が医療事務の丸純君に尋ねた一言だ。「ムッちゃんNsです」やはりそうか。シホねえNsともども気合いが違っていたもんな。大勢で行けば多少安くなるからと職員に参加を募り、丸純君に旅行会社との交渉を頼んだのだ。そして今回はムッちゃんNs、シホねえNs、私、カール、ブックリバーDr、光鳥Nsとその母里鳥さんの総勢8人の「丸純グループ」御一行様となった。

私とカールがぎりぎり鹿児島空港国際線ロビーに着くと他の6人はすでに到着していた。うん、旅行前の高揚感いっぱいだね。中でもムッちゃんとシホねえNsはその格好からして違っていた。ムッちゃんは帽子、シャツ、パンツ、バッグ、靴下に至るまで全部青でコーディネートしていてシホねえに至っては薄手のノースリーブで私今から南国に行くんだからって主張が明かだった。前日から今朝にかけておたおたと準備し服も長袖か半袖かで迷っていた私たちとは違う。現地は15℃から22℃なので長袖は必要とのことだが今日の鹿児島が暖かかったので私は車を降りる直前車内に置いていたポロシャツをバッグに入れるというバタバタぶりだった。

飛行機に乗るとシホねえ、ブックリバー、丸純君らはすぐに缶ビールを開けぐびびと飲み始めた。ブックリバーDrは「日頃家では飲まない」んだそうだ。そして「昼間から飲めるってのは幸せですねえ」とはまあ分からないでもない。私は例え機内サービスで出だされてもノーサンキュー、旅の始めにいきなりゲロるって冗談でもしたくないしー。

2時間10分ほどで台湾に着いた。外国でも北海道よりは明らかに近い。入国手続きで並んでいる時、みんなの写真をフラッシュオフで撮った。それを見て丸純君が私もと撮ったのだがこれが職員に早速咎められた。実は台湾の空港は撮影禁止なのだ。丸純君がすでに書いている台湾見聞録にその一件をこう書いている。

「・・入国管理局の所で調子に乗ってデジカメで写真をパチパチ撮ってたら、いかつい顔した入管の職員が走ってきて「写真撮るな」って怒られました。謝った後でポケットにカメラを仕舞おうとしたら、「画像を消せ」って言われました。正直怖かったです・・」
準戒厳令は解かれたものの日本とは違うということを最初に痛感する一コマだった。(この後別場所で私も何回か写真ダメと注意を受けることになる)

手続きが終わり現地ガイドが待っている所までたどり着くとすぐに説明を受けたのが「外は寒いからね、長袖で温かい格好でないとダメよ」だった。そして一行の最後にいたシホねえを見て「ああ、あの人、あれ、ダメ、ダメねー」と強い口調で言い「その格好ダメよ。ここはハワイじゃないんだから。すぐ上着着てー」と注意した。慌ててボストンバッグから服を取り出すシホねえ、私はその様子をしっかり写真に撮ったのだった。
ガイドはチンタイゼンという30才代の男性で小学生のころ大阪に3年間住んでいたそうでかなり日本通でもあった。帰国直前までお世話になり彼のおかげでなかなか快適なツアーだったことを先に書いておこう。カールに言わせれば「チンさんは(芸人の)小藪に似ている」とのこと。なるほど、だから初っぱなからあのツッコミだったか。

最初に行った観光地は忠烈祠(ちゅうれつし)で日本で言えば靖国神社のような戦争物故者を奉るところだった。衛兵交代式のパフォーマンスをみるのが観光客の定番ということで中には入らず正門前でそれを見守った。5人の一糸乱れぬ動きや門番の2人が瞬きもしないほどの微動だにしない構えなど確かに見所があった。ただ、ここが寒かった。チンさんの言うとおり、半袖、ましてやノースリーブなんてとんでもなかった。昨日は28℃だったと言うけどこの時期は気温変化が激しいとのこと。ここでの印象が強かったせいか旅行中半数以上が長袖や羽織る物を買う羽目になった。ちなみに私は買わず中に部屋着を着込むことで対処したがー。(↓寒かったけれど写真に写る時はパフォーマンスを忘れない)

(忠烈詞については以下の二つのサイトも参考にしてみて。私が書きたいことを代わりによくまとめています。
http://www.taipeinavi.com/miru/43/
http://www.tabitabi-taipei.com/html/data/10199.html
これで私たちの見たのは空軍兵士だということが分かります。)

次に行ったのが故蒋介石を記念した中正記念堂だった。途中、総督府前を通ったが厳戒態勢で人も通っていなかったような・・。飛行機の新聞で学生らがなにか運動しているのは分かったが馬英九総統の中国との対応について学生や市民の怒りを買い立法院占拠をしたのが国際ニュースになるほどとはその時は知らなかった。ただ旅行中、市民生活はいたって平穏で観光客に問題が出るような事態は何もなかった。

中正記念堂は非常に大きく立派な大理石の建物で蒋介石が台湾に残した足跡はやはり大きいのだとよく分かった。ここでも衛兵交代式(ここは陸軍の緑色制服)がありチンさんは「同じだから2回見る必要ないよ」とチラ見だけで終わらせた。なかなか手際がよくてよろしいネ。後でカールに聞いたがここでもシホねえがネタを提供した。彼女曰く「今更だけどショーカイセキって誰?」とのたもうたのだ。チンさんに尋ねるわけでもなかったのだが彼は呆れたような表情を見せていたという。心中察するに「台湾をハワイと勘違いするくらいだから台湾の偉人を説明しても始まらんわ」ってところか。地元の進学校を卒業した割りに物を知らないなと後日指摘すると「歴史の先生の教えは明治で終わって後は習わなかった」との言い訳だった。歴女が増えたというけれどまあ女は地理歴史それに機械には弱いものとの相場どおりだぜ。

ここでもだったが旅行客で一番目立つのが中国本土人で、どこに行ってもいた。チンさんによると5、6年前に開放されてから増え始め今では日本人観光客をはるかに上回り倍以上の年300万から400万人は来て大きな経済効果を生んでいるという。馬英九政権は中国に依存して経済を立て直そうということだし言葉が通じる上に何せ13億人もの人口だ、飽きられて客が来なくなる心配はほとんどない。そのうち中国に乗っ取られるのではという潜在的な不安が今回の学生らの行動に拍車をかけたと推察されるということだ。

さてこの後は国内線専用である台北松山空港からプロペラ機で東海岸の花蓮へ向かった。私はYS11に何度も乗ったことがあるのでプロペラだからといって多少の揺れは気にならなかったがブックリバーDr、丸純君、シホねえなど怖くてたまらなかったという。ジェット機とは違って低空を飛ぶし風が強かったのでなおさらだったようだ。ここで丸純君の感想。「・・しかも、見たことのないような小型のプロペラ機。飛行機嫌いの私にとっては地獄の時間です。しかし、どんなにイヤでもトランスアジア航空機は離陸するのです。いや~揺れました!!揺れた揺れた!!冗談抜きで墜ちるんじゃないかと思いました。いや~ちょっとした臨死体験でした。・・」ちょっと大げさだろ、臨死体験は。私がYSで長崎に行った時は上下左右に大きく揺れこんなもんじゃなかった。人生で唯一飛行機内でゲロッたんだよその時はー。それでも無事に着き、タラップ降り、はは、それも旅の思い出よと風の中機体の写真を撮っていたら係員に気付かれ、ほいさと空港内に逃げ込んだ。空港は軍と共用のため撮影禁止なのだそうだ。皆さんも訪台の際は気をつけて。

ホテルでの夕食はまずは台湾ビールや紹興酒で乾杯し広東料理を味わった。割に日本人好みの味付けで美味しかった。丸純君曰く「っていうか、旅行中にご飯が不味かったことは一度もありませんでした」ということで確かに食事についてはさほどの違和感なく受け入れられるだろう。ただ八角などの匂いが嫌いなら大変かも。それら香辛料が入った五香粉とかが入っていてたいていの料理に使うらしい。どこに行ってもこの手の匂いがあって韓国で言えばキムチ臭のようなものか。さらに夜市などではもっと臭い匂いがあってそれだけはとてもすぐには慣れそうな代物ではなかった。まあそれ以外は問題ない。帰国後もたまに思い出すくらいの匂いで台湾を印象づける一大要素と思った。

食事が終わってムッちゃん、シホねえはぜひ夜市に行きたいという。ホテルの近くにはないのでチンさんに教えてもらいタクシーで光鳥さん丸純君を従えて出かけたようだ。私は疲れもあるし遠慮した。部屋に入ってまずネットが出来るかを調べた。ここで有線LANにつなぐWiFi接続機器を忘れたことに気付き青ざめた。新しいMacBookProには必要で準備していたのに家のテーブルに忘れたみたい。ただ、このホテルは無線LANも出来たため事なきをえた。ふうー。

台湾で少し不便と思ったのはおそらくほとんどの日本人がそう思うだろうがトイレットペーパーを便器に流してはいけないことだった。詰まるおそれがあるらしい。で、お尻を拭いた後備え付けのゴミ捨てに入れるのだ。違和感ありまくりでつい便器に落としてしまい(そうなったら流すしか方法がないよ)滞在中何度も失敗することになった。それにウォシュレットや温座じゃないので便器に座るのが今一快適じゃない。きっとトイレの快適さは日本が世界一だろう。

そうこうするうち眠くなってきた。日記を書いた書かなかったか・・書いてもごく簡単に済ませたと思う。明日は花蓮の太魯閣(たろこ)渓谷観光か・・むにゃむにゃ。

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