外来中に五月鍋Nsから相談を受けた。私の患者ではなくタクミDrが担当した膵臓癌末期の高齢男性の件だった。タクミDrは本日は定期の休みであった。
ああ、確かタクミDrに最初画像を見せられて「あ、これは膵臓癌から肝臓へ多発転移を起こしている」と指摘したんだった。その後大学病院に紹介されたものの、積極的な治療は出来ないと言われ、息子や娘のいる兵庫県の大学病院への紹介状を受け取った。そこで今日、娘が尼崎からやって来たが、「父親は食欲不振と倦怠感で急激に衰えている。兵庫の大学病院の受診日は6月10日だ。それまでこの状態のままで何もして上げられないのか」と病院に電話があり、五月鍋Ns曰く「何か見放されたような扱いをされているみたいだと娘さん結構不満気でした」とのことだった。
カルテの流れを見ると、最初、近医から紹介を受け、当院で採血、画像診断をし膵癌末期と診断し、その治療を鹿大病院に紹介依頼していた。これは普通の流れだ。で、鹿大は積極的治療はすでに難しく緩和療法すら提案したが、息子氏が自分らの住む近くでどうにか治療出来ないかと依頼したため、負担の少ない化学療法(抗がん剤治療)を検討してもらいましょうと提案され、当院が兵庫の大学病院へ連絡し紹介状を書いていた。なお、鹿大からは鎮痛剤などが処方されていた。
ふむー。特にどこの医療機関も不手際があるというわけではない。しかし、当院が紹介状を書いてから次の兵庫での受診日まで3週間ほどのブランクが生じていた。そこで私が電話に出て娘氏から聞くと、最初の頃は「特に症状もひどくなく」だったそうだが、今は急激な衰えがみられていて「今度の31日の日曜に兵庫まで連れて行く予定だが、6月10日の受診まで何の治療も受けられないのは座視出来ない」と。確かに家族からしたらそうだろう。鹿児島で治療を受けるのなら当院に入院も考えられるが、大学からは余命数ヶ月と言われ少しでも自分らの近くで看てあげたい。このケース、兵庫の大学病院への紹介状が足かせになっている。そこで私は「大学病院の受診は抗がん剤の治療方針を決めてもらうだけであって、今の(あなたの)父親の症状を和らげる治療には別の病院が必要のようだ。現在の病状を情報提供書として私が書くからそれを持ってあなたの住むところの近隣の病院(消化器内科か消化器外科)に行きなさい。今日中には書くが少し時間が欲しい。そうだ昼の14時以降に取りに来て欲しい」と伝えた。
私は外来診察中でもあったので情報提供書を医師事務作業補助者に書いてもらうつもりだった。しかしすでに3つの医療機関を受診し県外の4つめの病院に紹介中でありながら別の4つめの医療機関にも診てもらうというやや複雑な事情をまとめ上げて書くには医師事務作業補助者にも負担が大きい。そこで午前の外来が終わってすぐに自分で書き始めた。その紹介状を受け取った医療機関のDrに無理なく受けてもらえるようにだ。
午後は13時半から医療安全の会議があった。いつもは30分程度で終わるはずが意外に長引き1時間も掛かってしまった。やれやれと思って休憩していると、15時ごろ、その娘氏が来院している(患者本人が来ない代理受診でOKと私が承諾した)とのことで、直接説明し、情報提供署も内容を読ませ(コピーも上げた)さらに現在の状態に合わせ内服も追加した。
思えば、私はこの患者さんに最初から関わってはいたが、一度も本人とは会っていない。担当医はタクミDrだし、明日が彼の外来担当日だから「明日来てー」で済ませても良かった。しかしそうはせず受けることにした。つい一月前までは何事もなかった親の急な変調に対し、県外からやって来て医療機関のこともよく分からぬまま路頭に迷っているらしい家族の負担の重さと、次の受診日までのブランクの間をどうしていか分からず、放置されたと感じ、それが怒りに転化しそうだとスタッフが危惧し私に相談にやって来た。これは時を待たず対応すべきだ。
夕方、五月鍋Nsが私に言ってきた。「こてる先生、あの娘さんえらく先生に感謝していましたよー。先生に診てもらって良かった」と。ほう、それはそれは。ちゃんと情報提供書も書いたし直接アドバイスもしたしな。「いや、最初の電話での応対の時からです」と五月鍋Ns。電話に出て、事情を聞きつつ、カルテを眺め、現在困っている家族になんとかして上げたいとしゃべていたあの時かー。
やはり、患者やその家族が困って電話をして来た時は、何よりまずは傾聴することだ。聴けば医療に多少なりとも詳しい私たちはなにがしかアドバイスが出来る。そこが一番大事だったんだ。
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