2017年12月15日金曜日

事務系忘年会

今年は全体の忘年会がなく各部署の忘年会も意外に少なく盛り上がりに欠ける年末だ。ただ今日は事務系の忘年会があって参加した。実は事務系の忘年会に誘われるのは珍しく過去1回あったかどうかだ。しかも今回はドクターの参加が多かった。私、シマッチ院長、キブンDrの他クニンダ、ピッピ、村紘の内科系Drはすべて参加した。1ヶ月前から医局の山の神さんや朝カラシタさんから「ぜひ参加を」と念を押されていたからかも。

場所は「きずな」で鍋料理に唐揚げやおつまみ、飲み放題と飲食も満足出来る内容だった。さらにビンゴゲームもあってこれが意外にといっては失礼かもしれないが盛り上がった。私やピッピDrなど全然数字が来ないのに事務系女性陣は次々にビンゴ!し森舞さんやウイングスラさんなどまさに飛び上がらんばかりに喜びを爆発させ狙っていた上等なアロマ製品をゲットしていた。(↓上がやったー!の森舞さん、下が幹事に飛びかかって抱きついたウイングスラさん)

ようやく当たった私は「蒸気でアイマスク」というのをもらった。(翌日、TVを見ていたら「嵐」の櫻井君がCMに出ていて結構有名な製品のようだった)わーい!と喜べば良かったナ?

そうそう、日ごろあまり接触のない職員が多い事務系の面々だが、私の隣にたまたま座っていた女性を見て、あ、彼女がユーミー岩さんかな?とピンと来た。というのも名前は知っていても一度もお顔を見たことがなく、電子カルテの書類スキャン実施者の名前でしか知らず、ここ1、2ヶ月前から「ユーミー岩」さんってどんな人なのと事務系に尋ねていたからだ。午前中だけで帰るためなかなかお目にかかれなかったのだ。職員の写真をたいてい撮っている私が知らないお顔だったのできっと彼女だろうと本人に尋ねたら案の定そうだった。へーえ。まじまじと見れば何と皇室の「真子様」にそっくりじゃありませんか。「ねえねえ、真子様に似ていると言われない?」と聞くと「ええ」とはにかみながら答えてくれた。「さすが今度お嫁さんに行かれるだけあって」・・と言うと、年齢こそ近いがすでに子どもは二人もいて体もやや大柄なママさんだった。
(↓が真子様とは1才しか違わないユーミー岩さん)

会話がそれぞれ弾めば個人情報なども知ることになる。医局の朝カラシタさんとその仲良しのサッコさんはどちらも来年早々には入籍するそうだ。どちらも20才代半ばで病院勤務も比較的長い。実家と彼氏の住まいとすでに行き来している点も同じで、式は後で予定しているというのも今風だ。私らのころは何をするにしてもまずは結婚式を挙げてからだった。そういえばここ20数年で結婚式は様変わりした。仲人は全くといっていいほど見なくなった。200人300人もの列席者が集まる披露宴はほとんどなく100人未満の近しい人々が集まって演出に凝るパターンが多い。仲人不在は現在の雇用制度が昔の終身雇用のイメージから大きく離れついてゆくべき上司に仲人を頼む風潮がなくなったためとか、結婚が「家と家」からという考えから「個人と個人」の結びつきに変化して来ており、家と家を仲介する仲人の必要性が薄れたという要因もあるらしい。なるほどねえ。そういえば葬式も家族葬など以前とは違った形もある。

2、30年単位でみれば世相は変わっていく。忘年会も以前よりは皆おとなしくなった。今日の忘年会も二次会に行こうという話はあまりなく、お酒を飲まなかった私は結局同じ団地のクニンダDrを車に乗せて一次会でさっさと切り上げていっしょに帰宅したのだった。

2017年12月14日木曜日

誤嚥性肺炎に青雲がからむ

KKB朝の情報番組「かごとき」の今日の特集は「誤嚥性肺炎」。ゲストは当然愛甲先生だが取材先が青雲会病院で関係者が多数出演した。まず誤嚥性肺炎なるものの概要を外科の信号Drが解説し、その後は病棟で脳外科のポンシンDrや呼吸療法認定士を持っているリハビリのチクショウ君にエチキカNs、臨床工学技士フジキョーさんなども人工呼吸器につながれた患者さんを前に呼吸療法を語っていた。
で、卑近な例として愛甲先生自身が誤嚥性肺炎にかかっていたんだとレントゲン付きで解説をし、その画像も提供していた。「何か調子悪いナアと思いながらもゴルフに出かけコースを回るのもきつく入院する羽目になったんだ」と。
医者も案外自分の病状の診断は遅れがちなるもので私も10年前の頸椎症、2年前の帯状疱疹など症状や所見からすぐには診断が付かず結論が出たのはしばらく経ってからだった。

肺炎は高齢者の死因では2位になり、今後高齢者はまだ増えるからますます重要な疾患になってくる。ワクチン接種、口腔内の清潔、胃液の逆流を防ぐなども重要だが基本、体力が弱らないようにすることだ。しかしどんなに頑張っても高齢者は最終的には肺炎がらみで亡くなることが多い。「肺炎は老人の友」とは有名なウイリアム・オスラーの至言で「肺炎は免疫力が自然に低下した高齢者に多く、発症し老人をそう苦しませることなく、安らかな死へと導いてくれるという意味だ。今回外科や脳外科のDrが肺炎がらみでTVに登場したのもそれだけ科を選ばず多くの患者に関与する疾患だということである。私も90才までは生き延び、その後肺炎を数回はクリアし100才くらいで老衰か肺炎で静かに眠るように死んでいくのが理想かなと思ったことだった。

2017年12月13日水曜日

増元信子さんの死

夜、ニュースをぼーっと見ていたら、ハッとして飛び起きた。北朝鮮拉致被害者の増元るみ子さんの母親が昨日亡くなったと通夜の様子が出ていたからだ。いつもなら「へーえ」と見過ごすのだがその母親の名前は覚えがあったというか、つい一昨日のこと、私が病院内で検査し処置し息子さんに病状説明した患者だったからである。昨日の朝亡くなったことも知っていたが、拉致被害者の母親だってことを私は全く知らなかった。主治医は他科Drで検査を頼まれるも状態が悪く途中で検査は中止し必要な処置まで行い、長男さんに「残念だがここ1日2日もつかどうかです」と話した。すると「こてる先生には病気を見つけてもらったときもお世話になりまして・・」と言われ「ええ」と返事はしたがそれも去年のことで覚えていなかった。長男さんは今思えば見たことある人だった。

いやー、まさか亡くなって全国ニュースになる患者さんを診ていたとは。でも知らずに診療していてよかった。本来はそんなことは余計なことなのだ。検査時に具合が悪くなって処置が必要なため「増元さん、分かる?今からXXするからねー」と言うとうんうんと肯いてくれ、私の言っていることは理解していたようだった。病室に帰った後は、主治医が長男さんに詳しく病状説明していた。でも結局、娘さんの帰国を40年近く待ちわびながらも高齢と病気には勝てなかった。

増元さんやその家族にとってその死がニュースになるよりもならない方がずっと幸せだったはず。普通の人生を送れることがいかに貴重なことか、だ。

2017年12月12日火曜日

「変な」電話応対

えーい、また当直だ。でも結果的には珍しくヒマな夜だった。20時半ごろ当直室で休んでいたらそのまま未明まで寝てしまっていた。

そうだ、夜に入ったころ電話で相談があったんだ。80才代の義父が喉に何か詰まらせているということだった。で、よーく聞くと喉の奥、食道あたりに詰まらせているようだ。義父の名前は「中村徹(仮名)」という。「ほう、名前は『とおる』だけど物は通らないですか」とボケるとクスッと笑ってはくれた。でも、今すぐに来てもらっても胃カメラができない(出来ないことはないが緊急性はない)ので明日来てもらえないかと掛け合った。その御老人は一度も胃カメラを受けたことのない人だった。「そうですか、分かりました」と答えてくれたが結局来なかった。ちと、冗談が過ぎたか。

翌、当直担当だったタッピーNsに話を聞くと、夜の22時頃、変態電話が掛かってきたという。「それがですよーセンセイ。『はうん、はうん』と苦しそうな声だったんで、これは心臓でも悪いのかと『どうされましたか?大丈夫ですか?』と返事をしてやったのよ」「ほう、で、実はどんなことを言ってきたの」と尋ねると「いや、その後の言葉は恥ずかしくて言えない。即、切ってやったわ」とダンマリだ。ええー。おしゃべりで有名(?)なタッピーNsが言葉に出来ないとはよほどのことだ。

「でもさー」と私。「まさかその男、電話に出たのが50代半ばを過ぎたばばあナースとは思ってなかっただろうねぇ」アハ!

2017年12月11日月曜日

酸蝕症になりやすい習慣

朝礼でのスピーチは山守Drだった。タイトルは「歯が溶ける酸蝕症を知っていますか」というもの。かつては職業病だった酸蝕症が食習慣、生活習慣の変化、高齢化などにより近年増加しており、大きな問題として注目されるようになったそうだ。そして酸蝕症に陥りやすい典型的なパターンを例示していった。

「毎日のジョギングのあとの水分補給にビタミンドリンクや黒酢ドリンクを愛飲している。口の中はカラカラ、汗をかいて脱水に傾いていると、唾液の分泌も減少している」

「部活中、熱中症予防のため、頻回に少量ずつスポーツ飲料を飲んでいる。頻回に飲むことにより、歯と酸との接触時間が増加、また中高生の場合、奥歯が萌出して時間がっておらずエナメル質がまだ脆弱」

「朝食は必ず健康のためグレープフルーツを食べ、直後に歯磨きをしている。柑橘系の果物は酸性度が高くエナメル質を軟化させる。そのタイミングでブラッシングするとエナメル質が削られてしまう」

「お酒はチビチビ飲むのが好き、つまみもいらない。酸と歯の接触時間が長く、酸蝕のリスクが増大、つまみを摂らないので唾液もほとんど分泌されない」

ふむふむ。それは気をつけないといけませんな。ところがー。

仕事中に大好きなコカコーラゼロを飲む。ペットボトル入りになり少しずつ飲むのに便利→でも、少しずつ飲むことで酸と歯の接触時間が長くなり、結果的に酸蝕のリスクが高まっている」ときた。ここであちこちでクスクスという笑い声が。これって明かに私のことを指している。

で、対策はどうしたらいいかというと、
「酸性の飲食物を口にしたら、そのあとすぐに水やお茶を飲む。食事の後、すぐに歯を磨かない。まずは、お茶を飲み(水で口をすすぎ)。30分ほどたってからブラッシングを行う。ガム(キシリトール)を噛む。フッ素入りの歯磨き剤やジェルを使う」なんだそうだ。ふーむ、しかし心はゼロコーラが本当によくないのかという疑問でいっぱいだ。酸性度だ一番高いのがコーラだと図入りでも示されていた。

でも、私は9年間ずっと毎日飲み続けている。とっくの昔に酸蝕症になってもいいはずだがそんな兆候はなく困ってもいない。ホントかぇ〜、朝礼が終わって医局の冷蔵庫からゼロコーラを取り出しぐいっと飲んでいると、そこに酸蝕症退治の教祖が現れた。「あー、また飲んでいる」とばかりに私を指さす。そこをパチリ。へへーっ。

2017年12月10日日曜日

「やばい」写真をピックアップ

久しぶりの朝礼スピーチを前にまたもや悩んでいる。もともとは間違いやすい言葉使いを紹介しようとネタ本も読んでいたのだが、退職する静宮Nsや竹の香りNsの昔の写真をピックアップする作業をするうちに、昔の青雲病院時代の写真をみんなに披露しようという気になった。面白、やばい写真が結構あったからで、ちょうど1年を締めくくる時期にもなったしこのタイミングかなと。で、それらの写真をフォルダに入れ込んでいるとこれが時間を食うのよ。ちょうど大片付けを始めると「あ、こんな本が」「あ、こんなものがまだあったか」といちいち作業が止まることあるでしょ、あれが起きるんだ。病院の写真だけでなく子どもらのちっちゃい時の写真も見るので懐かしさや新たな発見などあって、しかも全部で何万枚もあるしで一向に進まない。2002年、03年、04年に差し掛かったところで今日は終わった。

青雲会病院に就職して17年半すべては無理だ。青雲病院時代の7年くらいがせいぜい。2008年からの写真がアクセスしづらい状況もありそれがいい。膨大な写真の中からどれをみんなに紹介するか、それがこの1週間で悩むところだ。それでテーマを「やばい」写真ということでまとめることにした。「やばい」は本来の「危ない」の意味だけでなく「すごい」の意味も含む。となると真っ先に思いつくのはシマッチ院長の2005年の忘年会の「レーザーラモンHG」か。こてる日記にも披露したことがあるが、職員の間で「一度みてみたい」という要望も聞くし・・。いずれにせよ、忙しい1週間になりそうだ。

2017年12月9日土曜日

代役日直

朝から土曜外来だった。今日は本来は午前のみ勤務のはずだが午後も日直をしなくてはならなそう。というのも院外Drの土日の受け持ち患者が危ない状態でどうしても主治医が付いていないといけない事情があり土日当直に来られない可能性が高かったからだ。で、土の日中は私、夜は信号Dr、明日当番医午前はなんと可愛いんだ理事長がするという。ただ明日は二人体制になりもう一人は合い言葉Dr、昼からはポンシンDrとなんだか総動員体制だ。

午前はバタバタする忙しさはなかった。ただ、施設から肺炎の恒例女性を受け入れできないかとの打診があり、ちらっとこれまでの経過をみると肺炎よりも癌の末期であることが問題のようで担当していた外科に任せた。午後はふらつき、めまいで救急で来た高齢女性が完全房室ブロックで心臓を診てくれる病院に転送する必要があった。約50cmのわらの上から転倒し頭を打って血が止まらない高齢男性、自宅芝の段差で転倒し打撲と手の骨折で救急車で来た高齢女性は私が診て処置や他科紹介状書いたりしたが、自宅で死んでいた高齢女性の警察からの検視は断った。検視をする担当医は一応決まっているはずだがたまにうちにこうした依頼が来る。時間も17時頃で検視を受け入れると2時間ほど手続きの手伝いをしなくてはならない。まだ診察中だったし、本来は当直はなかったはずの信号Drにまで迷惑がかかりそうだった。こちらに余裕があるときは受け入れすることもあるのだが、病院は基本生きている人を助けるところだからねえ。

あれま、午後は時間あれば来週退職する竹の香りNsのためにこれまでの写真をピックアップするつもりが全く出来なかった。また医局の山の神さんには次回朝礼スピーチに使う写真は何がいいか意見をもらおうとも思っていたのにそれも出来ず。ただ言えるのは、日直業務だけをして代役は十分に果たしたってことか。

2017年12月8日金曜日

今日は何の日

12月8日といえば何の日?という質問を昔某産婦人科の教授が室員や学生に質問したところ、「わかりません」とか中には「ジョン・レノンが殺害された日ですか」と答える連中が多く、怒ったり呆れたりしたという話をその教授の回想記で読んだことがある。今だと「あ、分かりました。AKB48が秋葉原で初公演した日でその日は毎年記念公演があるんですよねえ」って答える輩もいるかもしれない。だとしたら教授は青筋立てて怒りまくったかもね。「君たちは12月8日は真珠湾攻撃の日で太平洋戦争開戦の日だと知らんのかっ!」ってご立腹だったらしいから。

昼過ぎだったか、外科の信号Drから「生まれたんで」と聞き「えっ、おお、おめでとうございます」とお祝いの言葉を言った。で、さっそく今から初対面に駆けつけるそうだ。先生はすでに50才過ぎ、これからまた子育てとは大変だろうが活力もまた湧いてこようというもの。病棟に上がってみんなにこのことを教えると「まあ」という声の中に「クレーンNsもさっき生まれたんですって」との情報もあり、そうだった彼女もお腹ぽっこりの写真を10月に撮ったと思い出した。(↓クレーンNs)
いずれも男子で誕生日もいっしょ、親の職場もいっしょかぁ。ともかくもおめでとうございます。記念日は平和で未来がある日がよろしいようで。

夜はまた串木野でトリオリーグ。今日はアベレージは201とそこそこの成績だったのだが、3ゲームとも10フレの最後の1ピン残りをミスってしまった。それまでほとんどミスらずにすんでいたのに・・。最後をイージーミスするともやもやが残ってなにかしっくり来ない。見れば1ゲーム目の1フレ目も1ピンミスしていた。締まらないシリーズだったなぁ。



2017年12月7日木曜日

カールTV出演する

早帰りすると、フロントガラス修理に出していたプリウスが帰って来ていた。きれいなガラスになっているが何の感激もない。これからは気をつけようと思うにも飛び石破損には気の付けようがないからもやもやする。この一件は早く忘れようゾ。

さて、夕方のMBCニュース。特集で「年賀状のコツ 手書きでも簡単に」というのがあった。実は事前にカールから「絵手紙教室に取材があって私たちの先生が出るの、もしかしたら私も映るかもしれない」と聞いていたので予約録画していた。
18時半になりいよいよ始めると、教室の先生がインタビューを受けレポーターに簡単な指導をしてみせていた。
「先生たら、私たちには何も言わずに妙におめかしして来てたもんだから変だなあって思っていたのよ」「うんもう、事前に教えていて欲しかったわ(私もちゃんとした格好で出かけたのにー)」とはいかにも女性らしい感想だ。1時間ほども取材がありカールも少ししゃべったと聞いていた。すると、次の場面、「絵手紙教室に通ってから年賀状を手書きにするようになった受講生もいます」と紹介されたのがなんとカール様。そして「もらったら素敵でなんか私も書きたいなって。伝わって来るものが違うんじゃないかな、もし自分が逆にもらってもすごく良いなと思う」と20秒近くも画面に出ていたじゃない。しかもアップだったぞ。

カール本人もここまで出るとは思わなかったようで「うわー」と驚いていた。私が「いろんな人から反響があるんじゃないか」と言うと「でも、この時間帯はみんな忙しいから誰も見ていないはずよ」と。しかし、さっそくLINEが届いていた。
ママ友のOZさんからだった。「まあ、見ている人いるんだ」そりゃそうだろう。地上波は誰かが見ているもんだよ。去年は私もTV初出演したが今年はカール。生きていればTVくらいは出られるもんだわっ。

2017年12月6日水曜日

シュミーズNsの感激

今、昔の写真を整理している。で、人間ドックのシュミーズNsにたまたま彼女が写っているのを見せたところえらく感激してくれた。
「え、どこが」と見せた私が聞く始末。「私が青雲病院に入ったばかりのころで人生の中で髪を切っていたのはその時だけで、子育てもあって忙しくて写真も撮っていないしとっても貴重なんです」と写真が欲しいと言いだし、それは後で上げるからとなだめ、今度は別の写真を見てさらに感激の度を高めたのだった。「こ、これはー私が入職時の紹介と挨拶をする直前の写真だわー」「隣のええでNsといっしょだったから間違いないわ。ああ、あの時の写真が残っているなんて」とウルウルし出した。(↓手前中央がシュミーズNs。2002/6/3)

へーえ、朝礼で新人さんが紹介されるときは必ず写真を撮っているが、これほど本人を動揺、感激させるくらいのものだったとは驚いた。15年という歳月、それを一瞬にしてよみがえらせたからなんだろう。他人にとっては何でもない写真が当人にはかけがえのないお宝のような力を発揮する。これが1週間前に予告した内容で、今見ても他人の私は首をかしげるくらいの写真に彼女はよほどうれしかったらしく人間ドックのスタッフにこのことを言いふらしていた。

今、NHKBSで火野正平の「日本列島こころ旅」をやっているが、そこに出てくる風景は他人から見たら変哲もないのに本人には忘れられない眺めのようで火野正平がお手紙を読んで初めて視聴者も共感できる。画像、映像パワーは後になればなるほど威力を発揮する。そのために私はせっせと撮り続けているのだろう。

2017年12月5日火曜日

さむいボウリング場

夕方、七五調病院で感染症の会議に難ガターさん始めうちのスタッフと参加した。帰りは国分スターレーンでいつものメンバーとボウリングをするのが恒例になっていて今回もその予定だったが、私と難ガターさん以外は都合が付かず二人だけの参加となった。で、着いてみて驚いたのが18時半ごろの夕食時で客の少ない時間帯とはいえ我々以外だーれもいなかったことだ。難ガターさんなんか、もしかして今日はボウリング場はお休み?かと勘違いしたほどだ。動く姿はボウリングスタッフがレーン整備しているのみ。

こんな一見贅沢でとても寂しいところで二人で練習すること30分、ようやくポツポツと人が集まってきた。でもそれはリーグ戦に参加する物好きな連中だけでいわゆるハウスボウラーは来ていなかった。いくら平日とはいえボウリングの将来はそれほど明るくはないぞ。ゲーム結果も前回やったときと同じコンディションなのにまたしても攻略できず190がいいところだった。ボウリング、さむいわー。

2017年12月4日月曜日

読売新聞「人生案内」

今日の読売新聞人生案内を読んで「ああ、なんか以前もあったような質問に、回答もよくあるパターンだな」と思った。「長男の妻が忠告聞かない」という題で義父が嫁を非難している内容だ。文章に起こすのが面倒なので写真を以下に貼る。字は小さいが写真をクリックすると画像は大きくなるのでやってみて。

さて、この相談に対して回答者はどう答えたのだろうか。あるいはあなたならこの嫁に対してどう対処する?読売の回答(作家:久田恵)は以下の通りだ。

おやおや、相談者の方が逆に悟らされている。私もこの80才代の人生の先輩である御仁が私の言うことを聞いてくれるなら同じように回答するかも。この相談者は自分の価値観(嫁はこうあるべき)があってそれにそぐわなければ認めないというやや頑な姿勢でずっと(20年以上も)接してきたようだ。言うことを聞かないから「関係を絶ち、我が家への出入りを禁じたい」とはいったい何様なんだろう。20年も離婚もせず、子どもらを育て、年に4、5回も訪問し、外食も共にしてあげている。それ以上何を望むのか。彼女は妻であり母である。嫁である部分は大したことではなく妻や母としてそつなくやっておれば何も口出しすることはない。いや、義理の親が妻や母の部分にも口出しするのは控えるぐらいでないといけない。

この投稿をわざわざ写真に撮ったのは私の周囲にも(うちのことではないよ)思い当たる節があったからだ。だいたいにおいて嫁の悪口を聞いた場合は実際はそうではないことが多い。それに、投稿相談って相談者が逆に叱られたり、諭されたりすることが多い。「読売人生案内」もしかり。
以下に載せるのは、多くの新聞読者やツイッターで回答者のキレのある回答が評判になったケースだ。私も強く印象に残った。相談者の母親は今回の義父と似ているでしょう。
読売の人生案内、始まりは1914年(大正3年)というから100年以上の歴史がある。100年を記念して『きょうも誰かが悩んでる -「人生案内」100年分』(中央公論新社:2015年)という本も出ているそうである。人生に悩みは尽きない。

2017年12月3日日曜日

霧島紅葉ドライブ

昨日の南日本新聞の「顔」欄に「奄美の世界自然遺産登録に向けて奔走している」として県の自然保護課長が出ていた。記事は特に読まなかった。私が注目したのはそのお名前だ。「羽井佐幸宏」さんで「はいさ・ゆきひろ」と読む。
何だこれ!?この人こそ「ハイサおじさん」だぁ〜〜〜。絶対、アダ名は「ハイサおじさん」だってば!(⌒о⌒)

今日はカールと霧島に紅葉を見に行った。時期的には若干過ぎつつあるのかもしれないが日曜でないとなかなか出かけられない。霧島のどこが紅葉の名所なのかよく知らずとりあえず霧島神宮を目指した。サブアラドDrの過ごし安病院がこの場所にあるんだよとカールに教えたら神宮はわずか数分だった。土産物店近くの駐車場に駐めて階段を上っていったが、実は上の方に大きな駐車場があって多くの人はそちらから参内していた。10何年ぶりだから知らなかった。でもじっくり階段上るのもいいもの。日曜で意外に人が多く、中国人や東南アジア系の人も結構いた。最近は本当に外国人が多い。彼らは写真のポーズにかなりこだわる。(下の写真のおじさんのように地べたに座るなんて日本人なら決してしないよな)


参拝では子どもたちの健やかな成長を祈り、このあと街道のきれいな紅葉を見たあと、道の駅「神話の里」で昼食にした。
昨日サブアラドDrに霧島に行くと行ったら「お昼はぜひ神話の里の『黒豚しゃぶ鍋定食』がいい」というんでね。メニューを見ればカツカレーなんかも美味しそうだったが、お勧めだったのでそれにした。
お味は確かに美味しいが値段も1650円。コストパフォーマンスを重視する私は次来るときはきっと別のを注文するだろう。後で彼に話すと「あそこはカツカレーも評判だよ」だって。あいた、そっちだった(^^;。

帰りは食後ということもあって睡魔が・・。カールに代わってもらいどうにか帰宅したのだった。

2017年12月2日土曜日

9名の忘年会

夜はかつての鹿大2内科内視鏡室(いわゆるパラマーゲン)の忘年会に出席した。場所は恒例の中華料理店「日火炎」で19時前に会場に着いた。だが・・だぁ〜れもいなんだ。場所の間違いか?と思ったがちゃんと「平成29年度内視鏡研究室忘年会」と表示がある。
がらんとした座敷の円形テーブルを前にぽつんと座った。誰もおらずやることと言えばスマホをいじるくらい。途中、戸が開いて「あ、来た」と思ったら店のスタッフだった。私がいるのを確認したらすうっと閉めよった。おい、なんかやばくない?料理が出るじゃなくて私が料理されるとか・・(怖)。

15、6分経ったかな。幹事のコンガDrが来てようやく安心した。開始時刻は19時半だったんだって。てっきり19時だと思い込んでいた。それにしても座布団の数はたったの9名分。研究室がなくなったのでじり貧なのは分かっていたが参加者が10人を切るとは・・。かつては12月28日と開催日も固定していたが遅すぎるのではと去年から12月第1週に変更になっていた。最盛期の平成2年だったか90名近い参加者で余興にビンゴ押すな騒ぐなの賑わいだったのが・・すでに実体がなければ新規のDrもいないわけでこうなるのもむべなるかな。

参加者は創設者の渋ちんDr、元かしましい病院院長のジュンセイDr、鹿屋の泣かす王Drに重吉Drの還暦以上の4名と、私、川内のビッグウエスト、大口の代田、幹事のコンガという50才代の「若手」Dr4名、それにラボを勤めていたポンダさんの計9名である。会の始めに渋ちんDrが「もうやらなくていいんじゃないか」発言があったのも当然かと思ったが、すかさず「こういう会でもないと会うことすらチャンスがない」というジュンセイDrの意見が出て今後も続けるとなった。もしこの日記を読んでいる関係者の先生方、毎年第1週の土曜開催なのでよろしく!

だた、意外に楽しくもあった。先輩の現在の状況を聞けば10年後20年後の自分の姿も想像できるし後輩の活躍を聞けば自分も頑張らねばと思う。9人も集まればそれなりに話に花は咲くものだ。終わりに各自の挨拶で私は「この会に来たのは2年ぶりです。後からその時来て良かったと思いました。同年齢のヤマンバDrと久しぶりに会い旧交を温めることができるもまさかその8ヶ月後に彼が急死するとは思わなかった云々」と話した。渋ちんDrを始め来年も会えるとも限らない。年に1回の集まりはとても貴重なもの、続けていって参加するにしくはないよ。

2017年12月1日金曜日

フサンコ画伯

昨日の居残り、今日の当直、明日の午前外来と12月に入ってなお忙しさが続く。

夕方、最初に来たのは魚骨が喉に刺さった御婦人で、これは私にとって得意な患者だ。喉頭鏡で舌を押さえ、喉の奥の骨を見つけられればOKだ。嘔吐反射にちと苦労したが無事タイの骨を取り出すことができた。タイの骨は意外と危ない。食道などに引っかかり壊死させてしまうと穿孔など起こす場合もある。喉頭鏡で取れなければ内視鏡をもと覚悟していたがよかったよかった。

この後、発熱患者はいいとして物が二重に見える人やてんかん発作の脳外科患者を二人入院させた。いずれもオンコールのシマッチ院長に電話連絡して指示を仰いだ。前者は軽い脳出血があるも持病の方がひどくて翌朝ポンシンDrに預けるも彼にも手に負えず鹿児島市内の病院に転送となった。私は血圧管理をしただけ。それくらいしかできないしそれが一番大事なポイントだった。

そんな忙しい中、「ヒトミンチョさんから電話あってフサンコ従兄のお祝いに来ないかってお誘いがあったの」とカールからLINEが来た。なんでもフサンコ従兄の描いた絵が何かの美術展に入選して11月19日の南日本新聞にその絵と彼の写真が出ていたという。へーー、そいつは知らなかった。絵も描いていたっけ?ああ、確かお稽古に行っているとか聞いたような・・。カールも行きたかったようだが都合付かず、私も当直だ。で、どんな絵だった?と聞くと「橋の絵らしいけど新聞は捨ててしまってどんなのか分からない」だって。ううむ、見てみたかったが2週間近く経っていて新聞は病院にもなかった。それから1週間経った今でもフサンコ画伯の絵を拝見できないでいる。こうなったら正月年始回りまで待つしかないか。それまで楽しみにしておこう。

2017年11月30日木曜日

58才男性突然死

午前は内視鏡担当だが救急車当番でもあった。11時ごろ交通事故の高齢女性が運ばれて来た。息子夫婦の運転する車の後部座席にいたところ自損事故でガードレールに衝突、下肢を中心に打撲、挫創で意外に重傷そうだった。はたして左の腓骨は骨折しておりしかも傷がやや深い。こりゃうちで診るのは無理だ。整形外科がいる病院に転送したほうがいい。さてどこか受け入れてくれるところはあるかいなと思案していたら、渡りに舟というか、息子夫婦が運ばれた加治木のおーい病院から「家族がお母さんもいっしょに診て欲しい」と受け入れ要請が来た。そっか、そりゃそうだよね。受傷者が3人以上になると受け入れ病院を分けて搬送するのはよくあることだが、みんな入院となれば家族は一つにして欲しいはずだ。有難く要請を受け入れた。夕方にはおーい病院から「御配慮いただき誠に感謝致します」と丁寧なFaxが届いていたよ(⌒о⌒)。

今日の当直は院外Drが大学病院の手術で遅れてくるので毎週交代での居残り当直手伝いだった。早ければ1時間ほどで交代となるが1ヶ月前はクニンダDrは21時半ごろまで待った上に救急車対応で大変だったなどどうなるか分からないところがある。で、今回はクニンダDrを上回る大変さだった。尿管結石の患者を手始めに5人の患者を診て、結局交代したのは22時20分、この間救急車も診たし入院させた患者もいた。あとで当直看護師のカッチャンNsに聞いたら、5人診た後は朝6時までまで誰も来なかったそーな。うへっ。ま、待機中は他にすることがないので日記書いたり当直表の最終修正を行ったりとそれなりのメリットもあった。

で、朝方救急車で運ばれた患者はどんなのだったのと聞くと、これが58才男性で朝奥さんが呼吸停止に気がつき連絡したがすでに冷たくなっていた。胸骨圧迫、気管挿管、強心剤など施すも全くダメだったという。7時46分には死亡宣告、小さい方の息子はまだ中学生くらいで状況をすぐには理解できていない様だったとのこと。58才男性と言えば私と同い年。突然死だなんていやだよー。

2017年11月29日水曜日

写真パワー

今日は外来担当。これが忙しいんだな。胃や大腸の検診後精査が相変わらず多い。住民へ一斉に行われ一斉に結果報告が届くからだいたい同時期に集まってくる。もっとばらけてと言いたいが、インフルエンザや風邪の時期と重なっていないだけマシと思おう。この他、紹介で来る患者の中には一見内科と思いきや、実は泌尿器科の病気だったり外科対応しないといけない患者だったりする。嘔吐で紹介された高齢男性も診察してみると鼠径ヘルニアによるイレウス(腸閉塞)と診断し外科に頼んだ。ただ外科も相当忙しくすぐには診られない。幸い嘔気がやや落ち着いていたので待機できた。用手環納が無理とのことで手術が午後に組まれるそうだ。(結果は鼠径ヘルニアではなく腹部手術後の腹壁瘢痕ヘルニアだったとのこと。まあ当たらずいえども遠からず、外科にお願いして正解だった)

逆に皮膚科から内科で治療をお願いと院内紹介されたのが右下肢の蜂窩織炎のこれも年配男性患者で専門科の診断確定しているので後は治療指示出して経過観察だからある意味気楽だ。入院指示を出して、昼食にありつけたのが午後の14時前だった。ふう、今日は半ドンで帰る予定だが3/4ドンだったな。

さて、医局の机に着くと、なにやら感謝状とお礼のケーキ(バウムクーヘン)が置かれていた。10日ほど前病院を退職した静宮Nsからだった。彼女は17、8年勤務していたのかな。独身時代から知っている。子ども3人いて確か一番上が中3のはず。このところは透析室勤務になってそう会う機会もなかった。でも、透析室スタッフから「彼女の送別にアルバムを作るのでこてる先生のストックしている写真を提供して欲しい」と頼まれ、2001年から最近まで彼女の写っている職場写真などを集め、USBに移して何十枚か上げたのだった。自主的に院内の写真係を務めている私の本領発揮場面だな。ただ、この4年はMacの「写真」ソフトで顔認識させてあったので簡単に抽出できたが、それ以前はハードディスクに収めてあるフォルダから1枚1枚チェックしなければならずかなり時間がかかった。日ごろから顔認識させ入力していく大切さを感じるわ。

で、そのサプライズプレゼントのアルバムは「青雲会病院での思い出がたっぷり詰まった世界にひとつだけのもの(本人談)」でうれしすぎて号泣したんだそうだ。「いつの間に撮られていたのか笑ってしまう写真や大好きな同期や先輩スタッフ、青雲会が凝縮されていて感動でした♡」と提供した私にお礼が言いたかったとのこと。そうか、私も面倒と思いつつもやって良かった。そして、これまで職場で多少迷惑がられながらもコツコツと写真を撮っていて良かった。人はたった1枚の写真でも感情を揺さぶられることがある。写真にはみんなが思っている以上のパワーがある。どんなに雄弁な見合い仲人の口上より1枚の見合い写真に心動かされることもあるように。

で、この日から1週間後、またたった1枚の写真が某職員にエモーショナルな場面を引き出すのを私は目撃することになる。写真はすごい。(また1週間後に・・)

2017年11月28日火曜日

女の人生

先週の金曜からムッちゃんNsが不在だったところ、今日は沖縄土産の「ちんすこう」や「サーターアンダギー」「紅いもタルト」など持って来たので「沖縄、行ったん?」と言うと「(次女の)あかんねの結婚式だったの」だと。へーえ、あの高校生だったあかんねちゃんが結婚かぁ。「もう29才よ」と言われれば、以前うちの子らといっしょに食事したのが13、4年前かだからそれくらいになる。住んでいるのは東京だけど結婚式はごく親しい人たちを沖縄に招待して挙げたんだという。ああ、グアムやハワイでやるパターンの沖縄版ね。最近は結婚式も様々だ。

娘といえば有優Nsの20才過ぎの娘広池ちゃんが今日手術を受けているという。できれば手術は回避したかったが仕方なかったらしい。中学のころから病状は聞いていて相談に乗っていたが会ったことはなく、今年の4月にたまたま入院して初めてお顔を拝見できた。その時は比較的体調は良かったんだがねー。今はつらいが長い人生、きっといいこともある。

4階病棟に行くと、憂鳥Nsと福鷹Nsの妊婦鳥二人がいた。どちらも4、5ヶ月だという。写真撮らしてと頼むと応じてくれた。これが不思議なんだがだいたいにおいて妊婦さんは素直に撮らせてくれる。出っ張ってもいないスタイルのいい時はなぜか恥ずかしがってイヤイヤするのにお腹が出てくると恥じらいながらもOKだ。特に福鷹Nsは「妊活しているんですけど・・」と聞いていたのでうれしさもひとしおだろう。憂鳥Nsの写真は妹の光鳥NsにLINEで送った。「いい写真ですね」と姉に転送してくれるという。

医局に戻って、12月1月の当直予定表をボードに貼りだした。当直表作成は私が係で事前にみんなの都合を聞いて作る。それでほぼ決定なんだが貼りだして一応みんなの確認を取る。表の片隅に「案です」とその意味を書いておいた。で、それをじっと見ていてふと思いつき小っちゃな(下手くそな)イラストを付け加えた。↓

側にいた医局秘書(医師事務作業補助者)の山の神さんに「これ、何か分かる?」と質問した。彼女はちょっと考えて「山?」と正解を言ってくれた。「ふふ、そう。でも正しくは『山脈』。案ですに山脈、だからアンデス山脈」そう言って煙(けむ)に巻いたのだった。

2017年11月27日月曜日

九州人が方言だと思っていない三大言葉

内視鏡室でハイダアイNsが「先生、生検鉗子をナオしていいですか」と聞いてきたので「ああいいよ」と答えた後、一言注意した。「その『ナオしていい』ってのは鹿児島や九州地方の方言だぞ、『片付けていいですか』が正しい言い方だ」って。もし関東あたりで今の言い方をしたら、相手に「え、この鉗子はどこか壊れているの」と怪訝な顔をされることだろう。

似たようなケースで、カールが鹿児島に来たころ、奉仕作業の時にお偉方に「あ、カールさん、そこをハワいて」と言われ、きょとんとしたという。あとで「ハワいてっていうのは掃いての意味だから」と教えられたという。それにママ友から「ランドセルをカラう」と聞いてピンと来なかったが、ランドセルが出てくるからああ「カラう」ってのは「せおう」の意味なんだなと何となく分かったという。

このナオす、ハワく、カラうは「九州人が方言だと思っていない三大言葉」らしい。指摘されるまでそれが当たり前と思っている。私もナオすは当然のように使っていた。カールに指摘されてから「片付ける」または「かたす」を使うようにしている。

もうだいぶ前だが、萩本の欽ちゃんが40年以上前、鹿児島で公演をしたとき、素人の女の子が「(背中を)かかじる」と言うのを聞いて「え、なに?『かかじる』ってなに?」とかなりのツッコミを入れていた。「かかじる」はお母さんのお汁ではなく「引っ掻く」の意味だ。このほか「きびる」も「紐と紐を結ぶ」の意味だが、カールはどっちも全く意味が分からなかった。どちらも鹿児島だけでなく九州地方全般で使われる。

そんなやりとりを机の反対側で聞いていた千門Drが私にもこんなエピソードありますって教えてくれた。彼は香川医大(現香川大医学部)の出身だが「私が香川にはじめて行った年の夏に級友らに『今日は暑いね。白クマを食べに行くがー』と言ったらみんな目が点になった」そーだ。そりゃ、熊を食べるなんて想像すらつかないことだからネー。

こんなエピソードが各地方にはいっぱいあるだろうから、当初1年持つかと噂されていた読売TVの「ケンミンショー」が10年以上も続くわけだわい。

2017年11月26日日曜日

ネコ、ヒトあれこれ

朝はモリサンチー家のキタローとハッピーちゃんがかわるがわるにうちのロフトにやって来ておねだりをする。それをソファからじっと見つめるゲンちゃん。ほんと最近は大人になって騒ぐこともなく余裕を見せている。(上からキタロー、ハッピー、ゲンちゃん)



ゲンちゃんは夜になると私がソファ寝でグロッキーしていると自分の居場所なのに邪魔だよとばかりに下腹部に乗っかってくる。この時写真を撮られているとは分かっていたが体のだるさで動けなかった。10分近く私に乗っかっていたらしいがそのうちあきらめてどっかへ行っちゃった。うむ、ここは私の勝ち(?)だったぜ。

前にも書いたがゲンちゃんは体重が増えていたのでここ1ヶ月はエサを減らしている。そのおかげで少しは痩せてきているよう。ずっと家ネコで運動不足もあるしストレスもないからエサのやりすぎには要注意だ。それは人間である私にも当てはまり、カールが「少し食事を与え過ぎだった」と反省し、最近は少しだが量が減ってきている。メタボおじさんにはいいことだ・・な。

2017年11月25日土曜日

本の敵

朝から1日休みだ。そこでこの前から懸案だったMacのメジャーアップデートを始めた。OS10の12のSierraから13のHigh Sierraに変更するのだ。こうしたアップデートは何かトラブルがあっても大丈夫なこんな日にするに限る。忙しい平日の夜にやってしまうと以前の環境と違いすぎて困ったり新しい仕様に慣れなくて戸惑ったりしがちだ。

さて、バージョンアップすると小1時間はネットなどパソコンでやることが何もできなくなる。そこで数ページしか読んでいなかった村上春樹の「ノルウェイの森」を読み始めた。この間この小説を話題にすると大学同期の寝太郎先生より「村上春樹を読んでみたがどこがいいのかさっぱりわからない」とのコメントを頂いた。「ノルウェイ、田崎つくる、1Q84など、読んではがっかりし、今度こそはと繰り返し、結局、読まなければ良かったと思っています。あくまでも主観ですが、くどくどした粘着質な描写にうんざり」だと残念がっていた。ほう、ノーベル賞も取るのではと話題に上る作家をこのように評価する向きもあるのか。私は読んでいないのでなんとも言えない。世間の評判どおりなのか寝太郎先生のいうとおりなのか、まずは読んでみましょうぞ。

主人公は37才の男、高校、大学生のころを直子という女性を軸に回想している。高校時代の同級生の直子とは東京へ出てそれぞれの大学に通い付き合ってはいるがそこには自殺したともに友人の男子の影があるようだ。淡々と回想していてこれは作者の体験がもとになっているかと勘ぐった。Wikipediaで調べると作者は神戸から早稲田に入学したとありそのようである。で、読み進めると、74ページで二人のベッドシーンが描かれていた。流れの中で読んでいると特にいやらしい感じではないのだが、改めて文章にしてみればそこいらへんのエロ小説とほとんど変わりないゾ。

僕は彼女にくちづけし、乳房をやわらかく手で包んだ。直子は僕の固くなったペニスを握った。彼女のヴァギナはあたたかく濡れて僕を求めていた。

このあと直子は主人公の前からふつりと姿を消す。主人公は神戸の彼女の実家に手紙を出すがすぐには返事がない。ようやく短い手紙が来たところでバージョンアップが終わって私は本を閉じた。ふむ、まあ読みやすいしこのあと二人はどうなるのだろうという興味も湧く。今のところ可もなく不可もなくまた続きは今度というところか。

で、ネットをまたやり始めてふと思った。前回「ノルウェイ・・」を読んだのは10月半ばで1ヶ月前だった。その時も新幹線に乗っていてネットが出来ないときだった。今回も同様だ。ということはネットをやれば面白いことがいっぱいあるからわざわざこの本を読まなくてもいいということだ。最近、本が売れないわけである。「ノルウェイ」もいずれ読み終えるだろうが、ネットの誘惑を振り切るほどの磁力はなさそうで感想を書くにのはまだまだ先になりそうである。

2017年11月24日金曜日

実はその患者は

昨日が勤労感謝の日の休みで明日が土曜日、そんなこともあってか今日の外来はすごく多かった。カルテがいっぱい並んでいるのでてきぱきと済ませていきたいが、内服処方だけの患者さんだけならまだしも、初診の訳の分からない患者さんが相手だとどうしても時間をくう。できるだけ効率よく診察するために診察→検査の順番を検査→診察と先に検査をやっておくこともしばしばある。看護師の問診の段階でどうしても検査が必要と分かることも多いので先にやっておくのだ。

そんなバタバタ忙しい中、今日で辞める服緑Nsが早々外来に来て私に挨拶した。おいおい、夕方でいいんじゃないのと思ったが、その時間でよかった。終業間際まで彼女と会う機会がほとんどなかったのだ。

10時を過ぎたあたりだったか、ベテランのカッチャンNsが「先生、タクシーから降りられずに冷や汗いっぱいの患者さんがいる。心血管系を先に調べておくべきと思います」と言ってきたので、診察はかなりあとになるはずなのを心筋梗塞を念頭に指示を早めに出した。先に患者さんを診るのが筋だとは分かっているが次から次へと新患が来るので検査優先にした。それに、その患者は昨夜当院を腰背部痛で受診し当直Drが腹部CTなど含めすでにいろいろ検査をし一旦帰宅させていたから、というのもあった。ただ今日は胸が痛むという。心筋梗塞を疑うも、血液検査や心電図でそれを示唆するデータが出てこなかった。うーむ、違うか。元々は脳出血の患者でリハビリによく来ている私よりも若い患者だった。気にしつつも診断を付けぬまま12時を過ぎていった。

その間も看護師らから情報が入って来る。喀痰が多くうまく排出出来ていないと情報もあった。そこでなんか違和感を覚えつつ胸部CTを撮るよう指示を出した。そうこうするうち、9時からずの外来患者もだいぶ減り、残るはその患者とあと1名くらいになり、ようやく私は本腰をいれて診察に入った。そして胸部CTを見て驚愕した。

「胸部大動脈瘤解離」

何と大動脈の直径は9cm(通常の3倍!)ほどにも拡大し大動脈弓から下は裂けているように見える。そりゃ冷や汗かくはずだ。胸も痛いはずだ。だからうまく喀痰排出もできなかんだ。そう、脳出血を起こすということはもともとひどい高血圧があったわけで、ならば大動脈にも負担がかかり動脈瘤を作る可能性は高い。いくら若いとはいえこの危ない病気は十分に考えられたのだった。そうと分かれば青雲会病院では治療は不可ゆえ、さっそく鹿児島市内の病院に治療依頼をかけた。幸い、即答とはいわないがカイリョー病院が受けてくれた。急いで画像データや紹介状、検査結果を集め救急車に乗る看護師に手渡した。すでに14時を過ぎていた。

いやー、やっぱり早めに診察すべきだったかな。カッチャンNsが早く連絡してくれたは良かったが、自分も診ていれば早く治療開始できていたかも。ま、来院後はすこし落ちついていて致命的な状態にならずにいたのが幸いだった。このいきさつを知らないホントだ外来師長が「さすが先生、そんな患者を診断して専門病院に早々と送ったんですか」と感心してくれたが、早々じゃないしたまたま幸運だっただけだ。これで良かった良かったで済ませてはいけない。そう肝に銘じたことだった(‾□‾;)。

2017年11月23日木曜日

保険代

例のフロントガラス破損をトヨタにみてもらうために家の駐車場に向かうと、モリサンチーのネコ、キタローがのっしのっしとやって来た。こいつ、隣の家ネコなのにまるで我が家だとばかりの表情を見せる。「なんだおめー、ここはおれっちの縄張りだぞ」とでも言いたそう。
そしてカールがエサをあげ、そばからゲンちゃんも様子をうかがっていた。ま、半分我が家といってもいいかもね、キタロー。

トヨタに着くとしばし待って下さいとのこと。30分以上は待ったかな。整備員がやって来て「結論からいいますと、全面ガラス張り替えが必要です。見積もりで20万ほどかかります」って言われた。がびーん。小さな小さな傷だけどガラスの中程まで深くヒビがはいっておりこのままだといろんな衝撃で広がる可能性があるんだとか。全面張り替えするしかないなんて・・。よっぽどヒビが広がるまで走り続けようかって思った。「しばらく考えさせて」と言い残して帰宅した。

カールは「まだこれから何年も乗るし高速も使うのだからちゃんと張り替えるしかないんじゃない。今まで保険に入ってなくて得していたんだと思えば」と20万出しての修理を受け入れましょうとのこと。そうか仕方ないか。

で、今日は11時から久しぶりに見せたまえ雀荘で麻雀の約束があり、また出かけた。途中、サブアラドDrから電話が入った。その時、私はフロントガラスの一件をぐちった。「ああ、私も同じケースに遭って保険入ってなかったから結構修理代高く付いたよ。それは仕方ないんじゃない」と自分の経験を語ってくれた。「やっぱりそうよねえ。そうだ、これからお金もかかるんで、少しでも足しになるよう今日の麻雀は頑張りますわ」というと「なに、返り討ちにしちゃるぞ」だってさ。

結果、出だし私は満貫、満貫と修理代稼ぎがうまくいくかに思えた。しかし好事魔多し。ラス前に親で決定打を出すべくリーチしたところ、見せたまえDrの逆襲リーチに放銃しトップ逆転を喰らった。これが今日の麻雀を象徴していた。ここから見せたまえの超絶好調の波に呑まれ、後半ずるずる沈みだし、久しぶりの大負けとなった。

帰り際、私は苦笑いし「修理代どころか、負け代もないくらい・・・そうだ、麻雀にも保険ってないのかな」全く惨めなつぶやきをするだけだった。トホホ。

2017年11月22日水曜日

大腸癌の天下

インフルエンザワクチンが足りない。青雲会病院はいつもなら11月になれば週1集まってもらい地域住民のために接種をするのだが150名分しかなく、予約制にして今日の午後初めての接種をした。私は問診と許可サイン係でせっせと質問、サインを繰り返した。みんなの関心は高く予約していたうち来なかったのはたったの1人だけだったそーな。このあと職員の接種もあって私の右腕はフル回転。いつも達筆なこてるのサインがますます達筆になりもはや本当にドクターの字なのか判別不能なくらいに。しかし私はちゃんと問診はチェックしているのよ。特に男子職員はいい加減に「はい」「いいえ」のところに〇を付けているケースがあって、「あなたは妊娠していますか?」の問いに「いいえ」に〇をしているやつや、子どもの場合にのみ問いかけしているのに〇を付けているケースが結構あった。注意すると「勢いで(〇を)つけてしまって」などと言い訳しよったわ。こら、接種不可にしちゃるぞい。

接種には1時間以上かかり、この後は外来業務を夕方までしていた。終業間近、ムッちゃんNsが内視鏡が終わって来て、「センセ、また見つかったんですよ、大腸癌」という。ここ数ヶ月、大腸癌が見つかる患者がとにかく多い。10月初めから今日までこれで10名という多さだ。で、彼女がわざわざ言いに来たのはその患者が30才前半だったからで、今年に入って一番の若い大腸癌患者かもしれない。確かに若すぎるが8月以降40才前後の大腸癌患者がぱっと思いつくだけで7、8人もいる。若くても大腸癌というケースが増えて来ている。早期癌の人が多いものの発見時進行癌の人も数人いる。便潜血陽性で見つかる人は早期癌が明らかに多いので30才過ぎたらぜひ検便検査を受けることをお勧めする。これに対し胃癌はこの2ヶ月で1人か2人くらいかな。かつて癌と言えば胃癌だった時代はとうに過ぎた。肺癌が確か一番多いと聞くが消化器癌では大腸癌の天下だ。大腸癌は癌が発生しても進行がやや緩やかで助かるケースが多い。嫌がらず、怖がらず、検便か可能なら大腸内視鏡を受けて欲しい。検査を受けた人はみんなすっきりしたお顔で帰って行くヨ。ぜひ!

2017年11月21日火曜日

フロントガラス破損

朝、出勤前に車に乗ってフロントガラスの異常に気がついた。なんと、1cmほどの傷が出来ていたのだ。え、どうして?何かモノが落ちたのか。ううむ、家の駐車場でこんな傷が付くはずがない。
そういえば・・昨日の夜帰宅途中、何かバキッと異音がしたのを覚えている。その時はビートルズを大きな音で流していてオーディオがらみの音かと思いそのままやり過ごした。でも考えるにこれは飛び石がフロントガラスに当たって出来た傷と考えるのが妥当だろう。特に運転走行には問題ないがこれは一度トヨタに相談せねば。

実は私は車両保険に加入していない。もし全面修理となれば15万から20万はすると、夜のボウリング練習が終わってアンドキサMRから聞かされた。彼はスバル車に乗っていて「最近のフロントガラスにはスバルのアイサイトのようにセンサーがあったりアンテナ回線があるから高いんですよ。私は保険が出たからよかったですけど」という。私やカールは車両保険は損という感覚がありこれまで一度も加入したことはない。今回のがアンドキサ君並みの支出なら入っておけばとなるが、果たして・・。

2017年11月20日月曜日

クヌッセン機関長、エルトゥールル号、栄進丸

毎月大塚製薬から送られてくる「大塚薬報」の特集にクヌッセン機関長が取り上げられていた。クヌッセン機関長・・初耳だ。荒れ狂う紀伊水道で火災を起こした日本の船の乗組員を助けようしたが殉難したデンマーク人でその後日本とデンマークの友好と交流の象徴として語られているんだそうだ。和歌山県日高町にはヨハネス・クヌッセン機関長の勇気にあふれた行動を称え日ノ岬パークに「クヌッセンの丘」と名付けられた一角があり、そこに彼の顕彰碑と胸像が建てられており、毎年2月には、ヨハネス・クヌッセン遺徳顕彰会による慰霊献花が行われているという。以下顕彰文。

「1957年(昭和32年)2月10日午後9時40分頃、名古屋から神戸へ向け航行中のデンマーク国マースクライン会社所属エレン・マースク号が、和歌山県日高郡美浜町日の岬灯台の北北西5マイルの海上で、徳島県海部郡海南町船磯庚一さん所有の機帆船「高砂丸」が火災を起こしているのを発見した。
エレン・マースク号は、ただちに接近して救命艇をおろし高砂丸の乗組員3人の中、ただ一人の生存者を救助したが極度の疲労のため縄ばしごで本船に乗り移るさい力つきて舷側から転落した。
これを見たマースク号の機関長として初航海に従事していたヨハネス・クヌッセン氏(39才)は身の危険をかえりみず暗夜の激流の中に飛び込んだ。たまたま同夜は風速20メートルの北西の季節風が吹き山のような大波が荒れ狂っていた。
クヌッセン氏の尊い犠牲的な行為も闇夜しかも凍てつく激浪の中如何ともしがたく無念、船員と運命をともにしたのである。
クヌッセン氏は、翌11日早朝日高郡日高町田杭海岸で水死体となって発見され、この救命艇も氏の遺体からほど遠くない場所に漂着したのである。私たちはクヌッセン氏の国境を超えた深い人類愛に燃え身命を賭して救助に立ち向かった勇猛果敢な行為を広く顕彰するためこの救命艇をここに保存し遺徳を後世に伝えるものである。」


大塚薬報ではマースク号の船員らが「危ないから」と言う間もなくクヌッセンは飛び込んだという証言や後に彼の兄が日本にやって来て弟が日本の人に顕彰され胸像や碑まで建てられていることに感激したということも触れられていた。クヌッセンのエピソードはその後地元に人にずっと語り継がれるだけでなく教科書の副読本にも載るなど日本人にもよく知られるようになった。たまたま私は習わずこれまできていた。

同じ紀伊水道では有名なトルコ(当時はオスマン帝国)の1890年のエルトゥールル号遭難事件がある。こっちはもっとすごくて500名以上の遭難者を出すも69名が助かりその際に地域住民が救助にあたり日本政府も尽力した。これでトルコの人たちは日本に親近感を抱きその後日露戦争で日本が勝利するとロシアによる圧迫を受けていた住民は東の小国日本の快挙に熱狂したと伝えられている。それが巡り巡ってイラン・イラク戦争の際に生きる。在イラン邦人がイランから脱出できない状況に陥っていて、野村豊イラン駐在特命全権大使がトルコのビルレル駐在特命全権大使に窮状を訴えたところ、ビルレルは「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、飛行機を派遣し215名の日本人全員がトルコ経由で脱出出来たのであった。私もその時に初めてそのエピソードを知った。

国は違えども災難に陥った外国の人を身の危険があろうとも助けようとする。私はクヌッセンのエピソードを思いつつ、すこし目頭が熱くなっていた。人類愛に満ちた崇高な行為に感激した・・からではない。もう一つ、紀伊半島沖で起きた名もなき海難事故のことを思い出していたからだ。この付近は昔から海難事故の多いところなのだ。それは1965年(昭和40年)10月中旬のこと、鹿児島の栄進丸というごく普通の貨物船が大しけの中で荷崩れを起こし転覆し船長以下5人は荒れる海の中に投げ出された。デンコー船長は崩れ落ちた材木に右脚を骨折しイチオジ機関長も材木に掴まり助けを待った。たまたま通りかかった別の日本の貨物船に運良く発見され全員救助されたが栄進丸は沈没した。夕方6時台のローカルニュースでこの事故が報道されたのを小学校入学前だった私は覚えている。

もしこの時に投げ出された船員たちが助かっていなければ・・おそらくは今の私はないだろう。私の運命を変えた海難事故だったのだ。父デンコーが一命をとりとめたのは最大の幸運で、栄進丸がなくなったのもある意味運が向いた。「もう、陸(おか)の仕事をせい」と祖父デンシローが船舶保険で割烹旅館を買わせ小学校から鹿児島市内に出てくることになったのだ。家にいないことの多かったデンコーは毎日家(旅館)にいるようになり私はまじめに勉強する習慣がついた。あのまま南薩の田舎でゆる〜く育っていたらこの道に進みたくとも出来なかったに違いない。

命からがらの事故は国や人のその後をも変えるものなのである。

2017年11月19日日曜日

ゆるキャラブームもそろそろ

投票でご当地キャラクター日本一を決めるゆるキャラグランプリが18 、19の両日、三重県桑名市で開かれ、千葉県成田市のウナギと成田空港にちなんだ「うなりくん」が今年のグランプリに選ばれたとのニュースがあった。うなりくん?へー、全然知らんわ。実は日本一になるために成田市が必死になってキャンペーンを施し念願の1位になったようで、この間グラビアで話題にした週刊現代11/4号の69ページに10月17日時点での様子が出ていた。

「得票数をかさ上げするために、成田市が市職員に対し、一人で大量のメルアドを取得させ、何票もの投票を行わせているのです(成田市職員)」との発言もあり、そこまでするかという意見にはルール違反ではないと悪びれる様子はない。そこまでこだわるのは第2回ゆるキャラグランプリで一躍有名になったくまモンのもたらした熊本県への経済効果が2年間で1244億円にもなったという事例があり、「うなりくんが市のキャラクターとして知名度を上げ大活躍するためにもグランプリで1位を獲ることがぜひとも必要(成田市観光プロモーション課)」「ゆるキャラの笑顔の裏には、まったくゆるくない大人の事情があった」(週刊現代11/4号)

別の報道記事によると、うなりくんは10月30日まで暫定1位だったが、翌31日に愛知県知立市の「ちりゅっぴ」に追い抜かれたという。今回はこの2体が3位以下を大きく引き離し事実上のマッチレースだった。そこで「2位じゃダメなんですか? ダメなんです!」とネット投票期間の“ラストサンデー”となった11月5日、成田市内のショッピングセンターで開かれた防災関係のイベントであいさつに立った小泉一成市長は、うなりくんへの投票を来場者に呼びかけ、会場には「必勝」の鉢巻きを締めたうなりくんも駆けつけた。
今回の“出馬”に向けて市は9月に「選挙対策本部」を立ち上げ、小泉市長が本部長に就任。市長自ら企業回りやイベントの場でアピールを積み重ねるなど、必勝態勢を敷いたんだそうだ。いやはや。

ところで、このゆるキャラグランプリイベントは再来年の東京オリンピックの年には終了の予定との情報もある。ま、それも当然だろう。ちなみに歴代のチャンピオンたちを列挙すると、第1回2010年「ひこにゃん」、11年「くまモン」、12年「バリィさん」、13年「さのまる」、14年「ぐんまちゃん」、15年「出世大名家康くん」、16年「しんじょう君」、そして今年の「うなりくん」、私は2年前に鹿児島にゆるキャラが集まってカールと見に行った時に「さのまる」を見て知っているが14年以降のキャラは知らない。全部知っているとしたらそれは相当なオタクだけだろう。

あるエンタメ誌ライターはこう語る。「非公認とはいえ、年収7億円ともいわれたふなっしーの凋落が象徴するように、ゆるキャラは完全に飽きられました。一時は地方自治体でも人気キャラクターを作ることが町おこしの一番の近道とも言われましたが、庶民をゆる~く楽しませるためのものが、いつの間にか職員の組織票やゴリ押しが取り沙汰されたり、さらに各業界でもキャラクターの乱立が起こり、世間が食傷気味になってしまったんですね。結局、ほとんどが淘汰され、国民も『ゆるキャラは“くまモン”だけでいいのでは?』という気持ちになったことは否めません」確かにねえ。ここ数年の受賞史を振り返るだけで、いまやオワコンと言われるのも確かにうなずける。

一般のヤフーコメントで「あからさまな組織票で決まるようになったら芸能人もゆるキャラも終わりだと思う」「ゆるキャラの役目は終わったよね。ご苦労さまでした」とい言われており、特に反論する気は起こらない。ま、地方自治体ってこの手のブームによく乗っかかる。今から3、40年前には「ミニ独立国」ブームがあった。岩手の「吉里吉里国」あたりから盛り上がり、各地でミニ独立国の建国が相次ぐミニ独立国ブームが起こり、最盛期には200カ国を数えTVにも紹介されるなどした。で、どうなったかというとWikipediaによれば「しかし、乱立によりインパクトが無くなったこと、後発国の無計画性などで飽きられ、ブームは沈静化した」んだそうだ。あは、今回のゆるキャラブームも同じ末路を歩むのはほぼ間違いない。ただ、エンタメ誌ライターが書いているように、少なくともくまモンだけは残るだろう。造形の出来の良さに加え、県の管理がしっかりしているし、熊本地震でもそのキャラが県民に潤いを与えていた。ゆるキャラはこうでなくちゃいけないナ。

2017年11月18日土曜日

セントラル先輩後輩Dr近況

今日は土曜だが午前中外来だった。ところがシマッチ院長が午後居残り日直担当なのをうっかりしていて私が代理で担当することに。悪いと思ったのか来週水曜の私の当直を代わりにしてくれるとのこと、そっちの方が有り難い。

17時半までの5時間くらいの日直時間ですんなり終わることも多いけど、今日は濃かった。救急車は3台、しかも17時を過ぎて外傷と高齢者肺炎が同時に来るという。その前にはよくある釣り針が指に刺さって取れない患者も来ていた。「月に1人は来るかな」とつぶやくと「いえ、2、3人は来ます」とベテランのカッコちゃんNsが言う。麻酔が効くまではその中年釣り人はビビっていたけど、手順通りにぐいっと針を突き破らせペンチで切りハイお終い。「え、もう終わったんですか」だって。

17時半前に救急車2台入り、私は肺炎の患者を診た。もう一人は左の大腿部をノコでざっくり切られていて17時半から来る院外外科Drに任せた。さすがに二人同時には単独Drでは無理で内科と外科でそれぞれ対応出来てよかった。でも指示出しに1時間ほどかかり帰宅出来たのは19時前だった。

実は19時から年1あるセントラル高のドクター会に出る予定があった。で、20分遅れでカールに天文館のイタリアンレストラン「NOVI」におくってもらった。参加者は20名ほどでだいたい顔ぶれは決まっている。1期生のそろそろ古希を迎える産科のクララ女史が対面で久しぶりにお話を聞いた。かつて五つ子の担当もして今は民間の産科病院で昼間だけの出産にあたっているとか。私が「五つ子はセントラル高の1年生の時でした」というと、隣には「私、五つ子と同じ年の生まれです」と40才過ぎの超せち代女医がいてさらに「子どもはクララ先生に取り上げてもらいました」だと。いやはや、歴史を感じるわ。

全員とは会話できなくともみんなのスピーチを聞くだけでも近況、体調、趣味など分かり面白かった。60才代後半のマンシDrは透析スタッフ長をしているころ早朝高血圧に悩まされていたが今はやや楽な仕事になっていつのまにか高血圧は改善して「みなさんもストレスには注意が必要ですよ」と有難い忠告をしてくれた。幹事の浜ふとDrはここ数年は登山で今年は北八ヶ岳に登り、途中歩荷(ぼっか)を初めて見てあんなに大きなのを背負って山小屋まで運ぶのかと感心したとか。モンデンDrは京都の東福寺につい最近行ったが有名な紅葉にはちと早かったと残念がっていた。小児科のドツボDrはインフルエンザワクチンが手に入らず予約もしているのに困ったとつぶやき、永良Drは医師というより会社経営がメインで陽子線治療を行っているも「日本は厚労省の指導で200万円でやっているがアメリカは2千万、中国ですら4、500万だ。200万では月50人やっていても赤字になる」と嘆いていた。陽子線は固形癌に非常に有効で「ぜひ患者さんの紹介を」とミニパンフを皆に配っていた。上乗りDrとは2内科出身だしよく顔を合わすが「先生がブログをやっているのを知ってびっくりしました」と挨拶に来た。彼は吉野地区で開業しておりプーさん病院のてげてげ院長の雑感で知ったそうだ。ほう、こてる日記もいろいろなパターンで知られているな。(調べると2017/10/31の雑感に私の10/4の日記「ユー ダマス ナリ」がそのまま取り上げられていた。
http://www.nanpuh.or.jp/ones-impressions/ones-impressions-171031.html

2時間ほどであっという間に会は終わり、私はまだ風邪とその後の気管支炎が治りきっておらず次会に行くことなくタクシーで帰宅したのだった。

2017年11月17日金曜日

お目出たさん

昨夜は疲れてそのまま床寝し、目覚めて午前2時半頃からゴソゴソしだした。で、天鳳を打ったらこれが3連続ラスで1800ポイントから一気に1400台へ逆戻りした。なんてついていない、と最初はそう思った。しかし見直すと1局目親のダブ東、中ポンの手に最大に警戒しないといけないところ、まだ序盤だ大丈夫だろうと安易に牌を切ったのがいけなかった。6巡目だろうがすでに終盤親リーチと同等の危険な状況だったのだ。相手をリーチだと思えばやすやすと切る牌ではなかった。要するに打ち方が甘いのだ。こんなことでは七段昇段はまだ遠い。

さて、タナカッツMRからドクターズボウリング大会について、泣かん薗Dr夫妻が都合で不参加とのニュースを知らされた。この瞬間、私は大会の延期を決めた。10名以下になり大会ならぬ小会になってしまう。今年は7月に1回行っているのでまあいいだろう。もう少ししたらいい時期が来ると思う。でも中止で心の負担が軽くなったことは確かだ。幹事は準備、進行などいろいろ大変やからな。

病棟外来あちこち動き回っていると栄養科の長かよNsにばったり出くわした。見れば下腹部がぽっこり。
お目出ただったとは全く知らず「大きくなってるねえ。もうそろそろ?」と尋ねると「(出産で)休みに入ります」時期なんだって。2番目か3番目かは聞きそびれたが旦那の長政薬剤師も楽しみやろねえ。院内には看護師、リハビリスタッフとお目出たさんが何人もいる。妊活をしていた福鷹Ns、今年結婚したばかりの憂鳥Ns、リハビリの双子の片割れのミズマホさん、去年出産したばかりの相恵まれるNs、一昨年出産のハイダアイNsなどなど。みんないずれ帰ってきて欲しいが子どもも増えると必ずしもそうはいかない。病院人事も大変。ムラムラ看護部長の気苦労が忍ばれるのであった。

2017年11月16日木曜日

ダブルス2連敗

この前から何度もチャレンジしている胃石患者の最終内視鏡を行った。2個のうち残り1個が半分ほどまだ残っているのだ。大きめのスネアの輪っかが胃石を挟み込む。そこに把持鉗子でかじっていくと胃石がどんどん分解されていく。何回目かにしてようやくスムーズに摘出作業が進んだ。それでも約1時間は要した。1個目は約3時間、2個目めは3回合計約5時間かかった。全部で8時間ってあなた、並の手術よりも時間を掛けているじゃない。実際、最初から手術で摘出していれば入院も長くはならずにすんだだろう。ただ、切開されずに済んで患者さんは感謝しているようだった。お互いにお疲れ様でした。

夜は国分スターレーンで久々の練習だった。サンシさんにアンドキサ、エリック両MRの4人で、最初はシングルで投げアベレージを出し、1位と4位のチーム(サンシ、アンドキサ)、2位と3位のチーム(こてる、エリック)でスカッチダブルスを2ゲームした。これがなんと私たちはサンシ・アンドキサチームに2連敗してしまった。アンドキサ君はたまにストライクを出すがそれがことごとくサンシさんとのダブルになり2ゲームとも200アップした。私たちも2ゲーム目など186点出してダブルスにしてはそこそこのスコアだったんだけどねえ。200アップはないよ。結局ジュースのおごりを2本提供する羽目になった。

このスカッチダブルスのフォーマットを今月末予定のドクターズボウリング大会に持ち込もうと目論んでいるのだが、今回は少し参加者が少ない。すでにヤマヒロDrがキャンセル連絡あり、もし直前キャンセルが出たら・・と危惧していたが、悪い予感は翌日当たることになるのだった。