2026年7月17日金曜日

少年院を出て医師になった

 「月間保団連」の7月号(NO.1480)の巻頭ページの「道」に大阪の「水野クリニック」院長水野宅郎医師(1978年生まれ)が紹介されていた。この巻頭ページに紹介されるのは医師よりも他分野で活躍されている方が多く、この1年で言えば報道記者、大学教授、書籍編集者、獣医師、洋傘振興会の事務局長などである。だから、おやと思い見てみると、なんと「少年院を出て医者になった」とあるではないか。本人談からいきなり始まっていた。

かつて少年院にいたことがあります。
中学時代のシンナー遊びに始まり、18歳で自販機荒らしや覚醒剤取締法違反(使用)容疑でも逮捕され、少年院に送られました。少年院で行われた内観療法により、これまでの自分の行為を反省する中で、子どもの頃に父のような医師になりたいと思っていたことを思い出しました。

少年院を仮退院した際に担当してくれた保護司は、小学校時代に学習塾で教わった田中さんでした。最初の面接で、医師になりたいと打ち明けたところ、田中さんからは「高校行くんか?それとも大検(大学入学資格検定)か?」と聞かれました。何げない一言だったかもしれませんが、とても励まされました。当時、少年院を出たばかりの高校中退者の私が医師になる夢を打ち明けても、ほとんどの人から「無理や。諦めて働きなさい」と笑われるだけでした。それだけに、真剣に受け止めてくれたことが何よりうれしかったんです。

医学部受験に向けて、父と猶予は3年間だけ、と約束しました。田中さんとは保護司と対象者の関係が終わってからも、勉強に行き詰まると話を聞いてもらっていました。「1回や2回の失敗、気にするな」「医者になって、俺の死亡診断書を書いてくれよ」と励ましてくれました。

猛勉強の末、約束の期限の3年目に金沢医科大学に合格。医師になり、2020年から父のクリニックを継いでいます。日常診療の傍ら、いじめなどで不登校を経験している通信制サポート校の生徒さんに向けて、自身の経験について講演することもあります。かつての自分のように、もやもやした感情をくすぶらせている彼らに何かできることはないかと思いながら、「心からやりたいことを見つけてほしい」と伝えています。少年院で講演する時は、少年院にいた経験がある自分だからこそ、伝えられることがあると考えながら話しています。人はささいなことで非行に走ってしまいます。 彼らの悩みや率直な思いを聞き、一緒に解決していきたい。私は多くの人に支えられて立ち直ったので、今度は自分が支える番です。

また、子どもの虐待死の報道を目にするたび何かできないかと思い、クリニックの隣で子ども食堂を始めてみました。医療機関が運営する子ども食堂というやや公民館のような雰囲気のためか、実に多様な人が訪れます。おしゃべりする中で、地域の人々の暮らしの様子や医療をはじめ様々なニーズを知ることができます。会員の先生方で子ども食堂に関心のある方はぜひチャレンジしていただきたいと思います。

せっかく取らせてもらった医師免許です。地域医療のため、子どもたちの未来のために存分に活用していきます。

さらに水野医師の経歴紹介にはこう記されていた。

みずのたくろう
15歳、18歳で少年鑑別所に収容され、IQテストで1Q70の境界知能判定。次に送られた少年院の単独室で内観を行い、医師になる夢を想起。勉強の末に医学部に合格、30歳で医師免許を取得した。
現在は大阪府河内長野市で地域に根差した「町医者」として診療に尽力する傍ら、各地の講演会で自身の波乱万丈な実体験を通したメッセージを発信、子ども食堂の支援などを精力的に行っている。

いや〜、いろいろと寄り道をして医師になる人はいるが、少年院経験者ってのはこれまで聞いたことがなかった。実際、水野氏が入っていた加古川の少年院には「ここを出たらヤクザになる」と言っている連中が多かったそうだ。マンガの世界だとボクシングで日本中を熱狂させた矢吹丈が真っ先に思い浮かぶが・・。

水野氏を立ち直らせるきっかけになった少年院での「内観療法」というのはどういうものか?調べると「日本の吉本伊信が1940年代に開発した心理療法で、自分自身の過去の生活史における「特定の他者(主に母親や家族など)」との関わりを、「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つの視点から徹底的に振り返り、自己洞察と感謝の心を深めることを目的としています」というもので、確か開聞のアルコール依存症治療で知られる竹元病院もこの療法を行っていると聞く。

水野医師の経歴ほどではないが、うちのチッチもやや似通ったところがある。それは高校時代、勉強に身が入っていなかったこと(さすがに補導を受けたりや鑑別所送りにはなっていないが)、医師を目指した時点で医学部合格にはほど遠い学力だったこと、合格までに3年を要したこと、私立大学医学部でぎりぎり補欠合格(一般に私立大学医学部では合格者辞退が多く、成績順に補欠合格者が数十人から時に百人以上以上生じるのが珍しくない)したことなどだ。

氏は今年の春にテレビ大阪で長時間のインタビューを受けていて、保団連記事よりさらに詳しく少年院や入学までの経歴、医師になってから患者やその家族と関わった経験などを語っていた。2020年に父親が亡くなってからは診療所を継ぎ、最近では能登半島地震時に学生時代や研修医時代にお世話になった石川の人たちへの援助を惜しみなく行ったりしているそうだ。→https://www.youtube.com/watch?v=swHTocrMPNA
少年院を出て、医師を目指す時のエピソードで言うと、身内は別にして親戚の人たちからはたいていバカにされるか出来っこないと言われたという。まあそれまでの愚行を知られていたわけで当たり前の反応だったろう。「裸で町内を回ったるわ」とか「逆立ちしてうんぬん」「ポルシェを買(こ)うたるわ」とか「〇〇万円上げるわ」なども言われたそうで、水野少年はそれらを紙にメモして保存していたという。そして合格の暁(あかつき)にそれぞれ親戚の人に「言うてましたよね」と念を押すと「はて、そんなこと言うたかな」とか「良かったネ、おめでとう」とぼかされたり、「確かに言ったが(少額の)お金で勘弁して」などの反応だったそうだ。

その中で、祖母は「100万円くれる」と言っていて氏が確かめに行くと、祖母はすたすたと奥の金庫のところに行き、封筒に入った100万円を差し出した。そして「あなたに100万円渡すと約束したときから封に入れて3年間ここに保管しておいたのよ。きっと取りに来ると思っていたから」と言ったのだ。インタビューアーはテレビ大阪のウーデンジェニファー里沙という日本とオーストラリアのハーフの女性(余談だが、この女性色が白くて鼻が相当高い。どうしてもそこに目が行ってしょうがなかった)で、そのエピソードを披露されると思わずウッと来て顔に手を当てていた。
うちのギボヒサコもチッチの合格にすごく喜んでいた。孫のためと幾ばくかの資金援助もしてくれた。祖母の孫を思う気持ちはどこも変わらないようだ。ギボヒサコは惜しむらくはあと1年半、長生きしてくれれば医師になったチッチの姿を見せられたのだが。そこだけが少々残念であった。

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