寝起きを繰り返していた私は、明け方、ハナビが居間から廊下に出ようとしているのを見た。そこで「ハナビ!」と呼びかけた。すると、返事こそしなかったが、ハナビはピタッと歩むのを止め、私の座っている椅子まで引き返して来たのだ。うわ〜、これは初めてのこと。ゲンちゃんなどは「ゲンちゃ〜ん」と呼びかけると「ニャァ〜」って返事をするが、ハナビはこれまでまったく反応しなかった。それが明らかに私の呼びかけに応えてくれたのだ。うん、いいぞいいぞ。いずれ返事もしてくれるようになるだろう。嬉しくてお顔をなでなでして上げたわ〜。
午後は田舎の実家に帰った。今度の正月は行けそうにないので墓参りも兼ねてだった。知覧の実家に近づくと茶畑の間にいくつもこの時期の風物詩「大根やぐら」が見られた。これ、昔から見ているのでどこでもある風景かと思ったら頴娃、知覧のほか、大隅の一部ぐらいらしい。乾燥された大根は漬物の特産品になるそうだ。
実家ではチエコンさんが待っていてヒラーキもやってきた。ヒラーキは1週間ほど前に自宅階段で右足をひねってしまい、大きく腫れ「好きなゴルフが出来なくていらついている」(チエコンさん談)だって。庭に出ると、デンコーの時代から植えていたサワーポメロの木に大きな実がたわわになっていた。それでも今年は枝の伐採などで例年ほどではないそうだ。カールの顔ほどもあるサワーポメロの実↓。この他、ポンカンももらい、家には出水からもらったデコポンなどもあり冬はみかんづくしやぁ。1時間ほど過ごした後は、頴娃で墓参りし、その後指宿に向かった。1週間ほど前から国立病院に入院したという親戚を見舞うためだ。↓はその途中の瀬平公園から臨む開聞岳。
指宿国立病院に行くのはトシバーが腎臓を手術したのを見舞った以来で20年ぶりくらいだ。あの時の車はオデッセイで子どもらも連れてだった。カールが「幼いチッチがエレベーターに一人取り残されて慌てた」こともあったとか。その時に撮った写真がなくいつのことだったかな。一つ思い出したことがあって、駐車場で降りる時に私は車のTV画面で囲碁のNHK杯の決勝を見ていたんだった。私の推しの棋士である石田芳夫が久々に優勝して嬉しかった記憶がある。ネットで調べると2001年の3月のことだった。そうか、Canonのデジカメを買う1年前でチッチがまだ5歳の頃だ。写真をバンバン撮ってはいなかったしチーが迷子になってもおかしくない頃だった。あれから四半世紀も経った。デジカメもその間10台くらいを買い換えている。それくらい経つと身の回りが激変していることに改めて気が付く。トシバーは2011年に亡くなった。ギボヒサコは去年亡くなり、デンコー父は2007年没で、あこネーサ母は胃瘻のおかげで96歳だがまだ元気だ。チッチは来年30歳、セージには子どもがいるし、テルももちろん社会人で、みんな県外にいる。そういえばヒラーキとチエコンさんには男女4人も子どもがいるが長女のみ県内で他はみな県外にいる。まてよ次男のヒロヤン君は2001年にはまだ生まれてもいなかったな。
親世代は大方亡くなり、子ども世代は大人になった。我々世代は体の不調を気にしながら後の四半世紀を生き抜けるか・・だ。はっ、四半世紀だって?その頃は自分は101歳じゃないか。うう、おそらくは生き抜けるどころじゃないな。ただ願わくばせっかくもらった命、少しでも元気で100歳までは生きていけたらと私は本当に思っている。
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