明け方、ヒトミンチョから電話が来た。ああ、その電話を受け取る前に何の用かは分かっていた。
涙声で「良知が・・亡くなりました。午前0時半・・」と。
今日の夕方17時から通夜、明日午前11時半から葬式があるという。スマホで確認すると午前1時ちょうど、LINEに「良知が亡くなった」と連絡があったが、その頃は寝ていたので気が付かなかった。そうか、1週間前に指宿の病院で見舞った時にはもうまともに会話は出来ていなかった。その前12月21日に見舞った時はきつそうながらも会話やスマホを見たりは出来ていたが・・。約1年近くの闘病生活の末ついに力尽きたのだった。数え年で71歳、今の時代まだまだ早すぎる死だった。
夕方、頴娃のみやび会館に行くと、いとこ連中らがすでに集まっていた。しかし最初に会って挨拶されたのは良知の長男の嫁さんの母親だった。互いに初めて会ったのだが、実は彼女、すでにこてる日記には6年ほど前に登場していた。彼女は私の高校時代の同級生Sさんの姉で2019年の末に交通事故に遭い意識不明になって入院をしていた。心配したSさんは私に電話をし相談をして来た。1時間近く相手をしたが、「命に別状はなくしばらく様子をみるしかないのでは」と話した記憶がある。それから数ヶ月経った2020年3月10日にSさんから電話があり、姉が回復し「今日、退院したー」との連絡があった。それがその日の日記ネタになっていた→「プロウラー初投げ、Sさんからの電話」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/03/s.html。
電話が来たのは、昨日投げて大活躍したマイボールの「プロウラー」の初投げの日でもあった。1ヶ月間もの間「全く記憶はなかった」そうだが特に後遺症もなく回復されたのは何よりで、その後偶然にも娘が良知の長男DSK君と結婚したと知り驚いたものだ。それが分かるきっかけが作曲家吉俣良の存在だった。DSK君が結婚相手の母親に挨拶に行った際に、叔母にあたるSさんがその場にいたか話題になったのだろう。「吉俣良と高校時代同級生だった」と話の折に出たらしい。するとDSK君側も「うちの叔父のこてるも同級生だった」と返したところで、発覚したのだった。きっと通夜か葬式には来るはずで私も挨拶しようと思っていたところだった。
良知は棺に収まり静かに眠っていた。生前より若干痩せていた。通夜席のモニターにはここ30年ほどの写真が映し出され、家族写真や旅行、バイクでのツーリングの写真など楽しそうな姿がたくさんあった。本人以外の写真にはなぜかスイカ畑の写真が・・。ここ数年、良知がスイカを作っては親戚や知り合いに配って喜ばれていた。
思えば、私が家を建てた時も庭木もいっしょに選んでくれたり、その後も家の立て付けで困ったことがあったらすぐに来てくれとにかく腰が軽くて頼りになる存在だった。これまでのこてる日記では「ヨカトモ」の名で何度も登場している。タイトルにも登場したのが2020年11月で「ヨカトモ兄は神!」https://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2020/11/blog-post_10.htmlだった。たまたまこてる家を訪問したヨカトモにカールはあれもこれもと頼み事をし、それらを全部ヨカトモは手助けしてくれたのだった。そんな彼を偲ぶ会話が通夜の席であちこち聞かれた。明日の葬式に出るために私は青雲会病院の畠鏡総務部長や病棟に電話を掛け1日休みをもらうことと患者への指示出しなど済ませた。明日もまたこの会場だ、いったん自宅へ戻り、しばしカールと亡き従兄の思い出を語りあったのだった。
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