2026年1月26日月曜日

良知のお葬式

鹿児島から頴娃まで行くのに本当に近くなった。高速と錫山街道、南薩縦貫道を利用すると鹿児島の伊敷から石垣、御領まで57分くらいで着くとはー。私が子ども時代、市内を通って知覧峠を越えて行く必要があったので1時間半くらいはかかったのではないか。産業道路が出来て少しは緩和されたがとにかく鹿児島市内を抜けるのに時間を要したものだった。

頴娃に入ると遠く海岸線の向こうに薩摩硫黄島がきれいに見えた。
私が「昔、僧俊寛が硫黄島に島流しに遭って他の人は許されたのに俊寛だけが取り残された逸話があるよなぁ(平安時代末期は鬼界が島と呼ばれていた)」と言うと、カールは最初「へー、知らないわ」との反応だったが、「ほら、歌舞伎役者の中村勘三郎(勘九郎)が実際に硫黄島で「俊寛」をやったんだよー」と言うと、「あっ!私、勘三郎が鹿児島市に来た時にギボヒサコと舞台を見に行ったんだ。その時それをやっていたー」と思い出した。「ほら〜、知っていたじゃない」すると「ギボヒサコもあっちで今頃『あら〜良知さん、来たのねぇ』って言っているかも」とつぶやいていたヨ。

今日は高校同窓生のSさんも来ていた。彼女は「久しぶりなのにこんなところで会うことになるとは」と話し、生前の良知とも数回会ったことがあって、「とてもにぎやかで頼もしい方でした」と語っていた。ヒカル姫もDSKも一人立ちし、良知は少なくとも子育てでは思い残すことはなかったかもしれない。ただ、自身はまだまだこの世でやりたいことはいっぱいあったろうなー。

読経も火葬場でもしばし待つ時間があった。これは無駄ではなく故人との思い出や見送るための気持ちを整える時間に思えた。喪主の長女ヒカル姫が火葬の間に「みなさん、しばらく待ってくれると故人もこんがりと焼けますので・・」と挨拶して、皆ふっと笑った。いかにもヒカル姫らしい言い方で良知もうつむいてニヤけたに違いない。収骨場に行くと、こんがりどころかがっつりと焼けて生前の面影はなく本当に骨になってしまっていた。骨壺に骨を収め、一連の葬儀はほぼ終わった。遺族はまだいくつもやることが残っていよう。

私たちは遺族に挨拶をした後、鹿児島へ戻った。私も残り人生を考えるとせいぜい20〜30年程度しか残っていない。大事に生きなきゃな。

0 件のコメント:

コメントを投稿