2025年3月10日月曜日

お稽古を嫌がる子にアドバイスをってか

今日は当直明けの早帰りだったが、カールが「今日は帰りが遅くて16時過ぎになる」というので病院でいろいろ仕事をしてゆっくりしてから帰宅した。すでに早帰りというには遅すぎる16時前に着き、そのまま駐車場で車で待機することにした。すぐにでもカールが帰ってきて、車の入れ替えをしないといけない気がしたんだ。YouTube見たりTV見たりでぼうっと過ごしていると、隣のそろばん教室に学校帰りの子どもらが三々五々集まって来ていた。

その中に、車から降りようとしないまだ就学前くらいの男の子がいた。明らかにお祖母ちゃんと思われるオバさんがその子を捕まえて教室に行かせようとしていた。子どもは「いやだー」って感じで入ろうとしない。しかしこの時期の子はお祖母ちゃんには体格で敵わない。2階の教室へ上る階段でも幼子は抵抗していた。しかしお祖母ちゃんも頑として行かせようとしていた。私は「これは日記ネタだ」と思ってそっと車中からその様子を写真に撮った。

結局、お祖母ちゃんが勝って子どもは教室に入れ込まれたようだ。駐車場にいると先生の𠮟咤する声が聞こえてきた。あの子はそろばんなんかしたくもないのに親に言われてイヤイヤ続けているんだろうなぁ。私は自分の子どもの頃を思ってちょっぴり複雑な気持ちになった。

私は計算が苦手で算数、数学のテストでいつも時間ギリギリまでかかるのが常だった。どうにかして計算力をつけたい、それにはそろばんだと、中学生のころわざわざそろばんの本を買ってみたことがあった。しかし、いまさらそろばん力を上げて計算力をつけるには遅すぎた。大学入試でも数学は半分しか取れず、他教科で補えてどうにか医学部に通ったのだ。計算が苦手、数学嫌いはその後も数字のニオイのする医学分野は嫌で麻酔科とかは行きたくなかった。消化器内視鏡に入ったのも数字をこねくり回す研究や診療が少なかったからともいえる。

もし就学前か低学年のころに今の私がタイムスリップし、親にそろばん塾に行きなさいと言われたら喜んで行くだろう。今はフラッシュ暗算とかあって速く正確な計算力を付けられて数学も得意になったに違いない。あの幼子にも「今は嫌でもきっとあとから良かったと思えるからぜいそろばんをやったらいいよ」とアドバイスするな。

でもよー。もう一つ、私には思い出があり、小学1年になりたての頃、なぜか放課後に習字の稽古をさせられていた。これが自分にはつまらなくて仕方なかった。外ではワーワーキャーキャー友だちらが校庭で遊んでいるのになんでこんなことしなきゃいけないの?で、どうにか稽古が終わってすぐに校庭に遊びに行こうとランドセルを背負って教室を出た。が、習字に使う黒色のフェルト製の下敷きを忘れたことを思い出し、そのまま取りに行けばよかったのに重いランドセルを廊下に降ろして身軽になってから教室に戻った。そしてまたランドセルのところに行ったのだが・・。ランドセルがなくなっていたのだ。ええー?探し回るも見つからない。しまいには涙目になって校庭から教室、先生、生徒に尋ねるもその日は見つからなかった。親には叱られるし散々だった。

翌日、担任の先生から親に連絡が入った。私は詳しく教えてもらえなかったが、クラスメートの誰かがそこにあったランドセルを廊下からすぐ近くの裏庭の焼却炉に投げ捨て燃やしたのだという。数日後、その子の親が新しいランドセルを持って家に謝りに来た。そして「名前は聞かないでくれ」と言われたとかで(私にはそういうことにしたのかもしれない)、今もってどの友人がそんな意地悪をしたのかは分からない。ただ、それがきかっけで習字を習わなくてもよくなったのは子ども心にラッキーと思った。

それでさ、私は悪筆で「これ何て書いてあるんですか、読めないですー」なんて看護師や薬剤師などからよく言われていた。「ううむ、昔々、ランドセルを焼かれたからだよ〜」なんて言い訳もまあ分かってはもらえなかった。電子カルテになって字の汚さをあまり言われずに済むようなったのはよかった。

そろばんにしても習字にしてもお稽古事ってのはまだ成長期より前に習うのが一番なんだが、子どもってその良さや効果がそのころは分からないんだ。押さえつけられて階段を上っていったあの子が、なんだか昔の自分に思えてきた。小学生のころ、結局自分は塾や稽古事はいっさいしなかった。公園や学校や神社で友人らと毎日遊んでいた。それはそれでとても貴重で人格形成にも役立ったと思う。よくよく考えると、お祖母ちゃんその孫にも単純なアドバイスは出来ないなぁと思い直したのだった。

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