あと、臨床実習(ポリクリ)での井形先生の外来診察を見学する機会があり、診察室に入って来た50歳代男性の風貌を見て「おっ」という顔をされ、筋肉の萎縮と強直(筋肉が固まる)を特徴とする進行性の遺伝性疾患の「筋強直性ジストロフィー」だろうとピンと来たと言われたのが印象深かった。この遺伝疾患は若〜中年期から前頭部から髪が抜ける「前頭部禿髪(ハゲ)」が特徴的に見られるそうだ。
弟子先生らの井形先生を慕うエピソードは他にもいくつか見聞きして来た。ネットでも2013年に高知大学で神経内科学講座を立ち上げ初代教授を務め2022年に定年退官した古谷博和先生が「今も心に残る井形先生の言葉」という一文をネットに投稿されている。ちょうど2016年に井形先生の訃報を知り投稿されたようだ。
私(古谷博和)は前述のように卒後、九州大学の神経内科に入局して神経診察手技などは九州大学の故・黒岩義五郎先生に習いました。しかし臨床医や研究者としての心構えは井形先生に教わったと思っています。黒岩先生からは「好きで選んだ道だからこそ正確に、厳密にやりなさい」ということを習いましたし、井形先生からは「君たちには無限の可能性がある。どんなことをやってもいいんだ。医学は人間に関する全ての事をカバーしているからね」という発想の広さとその自由さを教えてもらいました。このお二人の教えを受けることの出来た私は本当に幸せだったと思いますし、その教えの何分の一かでも次の世代に伝えて行くのが仕事だと思っています。井形先生のご冥福をお祈りします。
てげてげ先生は昨夜宝山ホールでの坂東玉三郎のトークショーと地唄舞「残月」を見に行かれたとか。そのトークショーで40代男性が「今から踊りを習いたいと思っているが大丈夫か」との質問を受け、「大丈夫です」と答えた後に「一つ大事なことを言いますと、習うのはいいですが誰を師匠に選ぶかが重要です」といった意味のことを言われ、それを聞いて先生は「自分はとても良い師匠に恵まれた」と感慨深かったそうだ。そこに早朝、こてる日記を読むと、恩師のことが書かれており、私に連絡して来たというわけだ。
古谷先生は鹿児島大学出身ではあるが、鹿大第三内科には入らず九州大学の神経系の内科に入局されたので直接の弟子というわけでない。しかし、学生時代に講義などで先生の言われたことを覚えておりそれがとても役に立っていたという。
「私は鹿児島大学医学部卒業後すぐに九州大学医学部脳研神経内科に入局したため、井形先生に教えを受けたのは医学部の4年生から6年生までの2年半ほどにしかすぎません。しかし授業の合間に先生がお話しになった言葉が別にメモしたわけでもないのに、今も心の中に刻み込まれ日々の診療で困った時に助けてくれます。いずれも授業中に語っていただいた言葉で、それが何の疾患の授業だったかは全く思い出せないのですが、皆様方も先生の言葉を味わって下さい」
● 「皆さん方がお医者さんになって、日直や当直で看護師さんからコールがかかった時、どんなに眠くても、ほんのちょっとでもいいから、患者さんの顔を見に行って、手で触れてごらんなさい。 『この人は大丈夫』とか、『この人はただごとでない』 という事が、初心者でも不思議なほど良くわかります。決して電話で検査結果だけを聞いて対応しないようにしてください。」
学生として授業中にこの言葉を聞いた時は、「そんなことはないだろう。人の生き死が一目でわかるようになるには相当な経験と知識が必要だ」と思ったのですが、国家試験に合格して医者になり、当直アルバイトの病院で夜中に電話でたたき起こされた時、井形先生のこの言葉を思い出して患者さんの顔を見に行くと、本当にピーンとわかりました。生死に関する人間の本能というものは凄いということを実感した言葉です。
● 「患者さんの訴えた症状は、たとえどんな突拍子もないものであっても、全て『ある』と考えて対応しなさい。最初から、『そんな変わった症状はあるはずがない』、『単なる気のせい』、『精神的なものだろう』などと考えてはいけません。私(井形)は、訴えの原因となる所見がほんの少しも無いような患者さんにこれまで一人も会ったことがありません。」
思い込みの怖さを教えてくれる言葉です。思い込んで診察すると明らかな所見を見逃したり、無視してしまいます。
●「教科書に載っている知識というのは既に過去の物で、解明されマニュアル化されているものでしかありません。皆さん方は最先端医療病院であろうと、市井の小さな診療所であろうと、どんな医療の現場にいたとしても、教科書に載っていない新知識を見い出すように努めなければいけません。」
新人の頃は診療手技のマニュアルを求め、それに従って治療を行ってうまくいったら、いっぱしの医者になったような気がしました。でもそのような技術は、今やあっという間にロボットや人工知能に置き換えられてしまうものにすぎません。人間はそのさらに上を行かなければならないのです。
●「難病という病気はありません。どんな疾患でも原因はあります。ただその原因を私達が気づかなかったり、わかろうとしていないだけです。」
神経内科という難病(特定疾患)と切っても切れない診療科を生涯の仕事として選んでから、時として疾患の重篤さにこちらの心がくじけてしまいそうになる事があります。 その時にこの言葉を思い出し、「このわけのわからない病気にも原因があるのだ!」と自分を鼓舞しています。
●「1例変わった症例を診た時にはその所見をきちんと記録しておきなさい。2例同じような変わった症例を診た時には、『ただ事ではない』と思いなさい。3例同じような変わった症例を診た時には、それらの症例に共通する背景(遺伝歴、生活習慣、環境要因など)を徹底的に捜しなさい」
この言葉のおかげで稀な中毒や感染症を何度か見つけ出しました。まさに長年 SMONやHAMなどを診てこられた井形先生ならではの言葉と思い、私も教科書を書く時にはこの言葉を欄外のコラムに記載するようにしています。今にして思えば、3例集まると統計学的処理が可能になるという意味もあるのですね。
●「目の前の患者さんは誰一人として教科書通りの人は来ません。たとえインフルエンザの患者さんでも、みんな少しずつ症状や検査結果は違っています。逆に教科書や試験の臨床症例問題どおりの患者さんがやって来たら気持ちが悪いくらいです」
これも本当にその通りで、重症筋無力症の患者さんで両まぶたが同じように下がって、テンシロン(エドロフォニウム)試験を行うと両眼が同じようにぱっちり開くという人には、そうそうお目にかかるものではありません。
私も一度大学病院の委員会で誤診例について詰問されたことがありますが、その時に某教授から「こんな学生にもわかる所見を見逃していたのですね」とせせら笑われました。 「私が診た時にはその所見は無かったと思います」と言っても証拠が無くて信じてもらえず辛い思いをしましたが、「君たちは決してそのような事をする医師にはならないで下さいというこの言葉がなぐさめてくれました。
●「僕(井形)の授業のどこが悪かったのかな。どうしたら君が興味を持てる授業になるか教えてくれないか」
これは私より 2 つほど上で、九州大学の別の診療科に入局された鹿児島大学の先輩から聞いた話です。よく授業をさぼり、第三内科(神経内科)の本試、追試を落とした先輩の所に井形先生から呼び出しが来て、てっきり雷でも落とされるかと思って教授室に行ったら、この言葉をかけられたそうです。今の時代でこそ、学生のアンケートをフィードバックする授業が行われるようになっていますが、1980年頃に不出来な学生にこのような言葉をかけられた井形先生は素晴らしい教師です。
●「検査データは異常値をとる項目ばかりに目が行きますが、正常の値をとっている項目にも注意しなければなりません。 『この異常値が出ているのに、なぜこの値は正常なのだろう』と考えると、新しい展開が開けてきます」
●「富士山に登る人はたくさんいます。箱根山に登る人もたくさんいます。でも箱根山と富士山はつながっているのに、その境目に登る人はあまりいません。人があまり登らないその境目に登ると面白い景色が見えるかもしれませんよ」
これは臨床研究にせよ基礎研究にせよ、研究を行う人に向けての指針を示しています。人のやらない分野を別の視点から攻めて行くと、思いもかけない新しい事実が発見できる事を教えて下さったのでしょう。
●「ガンは(1982 年の段階で)午前4時の病気になってきました。 東の方が少し白んできて、進む方向がわかってきたのです。神経内科疾患は(1982年の段階で)午前2時の病気です。右も左も真っ暗でわからない状態にあります。でもこの時計の針を進めるのは君たちの仕事です」
6年生最後の神経内科臨床講義のおしまいに井形先生が述べられた言葉です。この時期は初めてガン遺伝子が同定された頃で、そのニュースに接した井形先生はおそらく、「これでガン研究の進むべき方向が定まった」と思われたのでしょう。それから難治性神経疾患の時計の針が進むのに20年近くかかりましたが、今、 まさに難治性神経疾患は午前4時か5時の病気になっています。
「私は鹿児島大学医学部卒業後すぐに九州大学医学部脳研神経内科に入局したため、井形先生に教えを受けたのは医学部の4年生から6年生までの2年半ほどにしかすぎません。しかし授業の合間に先生がお話しになった言葉が別にメモしたわけでもないのに、今も心の中に刻み込まれ日々の診療で困った時に助けてくれます。いずれも授業中に語っていただいた言葉で、それが何の疾患の授業だったかは全く思い出せないのですが、皆様方も先生の言葉を味わって下さい」
という出だしだが、かなり詳しく紹介されていて、以下に紹介してみる。医学生のみならず、研修医、医師、医療関係者全員に染み入る至言の数々だ。来月から研修医になるチッチにもぜひ読んでもらいたい一文だ。
学生として授業中にこの言葉を聞いた時は、「そんなことはないだろう。人の生き死が一目でわかるようになるには相当な経験と知識が必要だ」と思ったのですが、国家試験に合格して医者になり、当直アルバイトの病院で夜中に電話でたたき起こされた時、井形先生のこの言葉を思い出して患者さんの顔を見に行くと、本当にピーンとわかりました。生死に関する人間の本能というものは凄いということを実感した言葉です。
神経内科という難病(特定疾患)と切っても切れない診療科を生涯の仕事として選んでから、時として疾患の重篤さにこちらの心がくじけてしまいそうになる事があります。 その時にこの言葉を思い出し、「このわけのわからない病気にも原因があるのだ!」と自分を鼓舞しています。
●「前に患者さんを診たお医者さんの事を決して悪く言ったり、患者さんやその御家族に悪く聞こえるような言い方をしてはいけません。病気は後になればなるほど症状が揃ってきて、診断しやすくなります。最初に診た先生は情報が少ない状態で早急に診断せざるをえなかったのかもしれません。 自分がその立場に立たされ、そのように責められたらどんなにつらいか考えてみてください」
●「富士山に登る人はたくさんいます。箱根山に登る人もたくさんいます。でも箱根山と富士山はつながっているのに、その境目に登る人はあまりいません。人があまり登らないその境目に登ると面白い景色が見えるかもしれませんよ」
●「ガンは(1982 年の段階で)午前4時の病気になってきました。 東の方が少し白んできて、進む方向がわかってきたのです。神経内科疾患は(1982年の段階で)午前2時の病気です。右も左も真っ暗でわからない状態にあります。でもこの時計の針を進めるのは君たちの仕事です」
そして最後に訃報に接し哀悼の意を述べておられた。
古谷先生は昨年8月に「幽霊の脳科学(ハヤカワ新書)」という本を出して話題になった。(→https://www.hayakawabooks.com/n/n5d53346c8fe8)昔からある幽霊話が脳の機能障害によって説明できる可能性があり、本のエピローグでは怪談の3分の2は神経学的に説明できると書かれてあるようだ。これなど井形先生の「「患者さんの訴えた症状は、たとえどんな突拍子もないものであっても、全て『ある』と考えて対応しなさい。最初から、『そんな変わった症状はあるはずがない』、『単なる気のせい』、『精神的なものだろう』などと考えてはいけません。」を実践していたからこそ出来た本ではなかろうか。
そして、古谷先生もてげてげ先生も良き師匠に恵まれたことに感謝し幸せであったと思っておられる。と、その一文の最後にあった写真を見て驚いた。井形先生が亡くなられる2年前の2014年5月日本神経学会総会(福岡)にてと付け加えがあり、写真に写っていたのは「左から井形昭弘先生、てげてげ先生、私(古谷博和)です」とあるではないか。うわわー!


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