2025年1月8日水曜日

オマルさん訃報

今朝から声が枯れるようになった。しゃべる時もかすれ声で外来担当日でもあったので会話がきつかった。風邪か喘息かなどと自分の症状をうかがっていたがどうも喉頭炎を起こしているというのが間違いないようだ。しかし周囲は「コロナかインフルエンザを調べなくても大丈夫ですかぁ」と検査をするよう圧を強めてきた。おまけに今夜は当直が当たっているのだ。仕方なく受けたけどさぁ、私の予想どおりどちらも陰性だった。

昼の会議もきつくて会の進行を聴き取るのが精一杯。例の呼吸困難と咳が途中出てみんなを心配がらせたりもした。そして午後は救急担当もあるのよ。70歳代男性が運ばれて来て食欲不振やら脱力やらあるとのことで採血と点滴を指示ししばらく救急外来の端のベッドで休ませていた。脱水もありきっと入院だろうからと諸データがそろうの待っていたらなんとコロナ陽性が出た。抗原定量で4桁あったので今が真っ盛りのコロナ患者だ。お気の毒だがベット調整の都合で入院させられない。点滴を2本実施後、解熱鎮痛剤処方のみで帰宅してもらった。

そうだ、昼の会議前に老健青雲荘から「オマルさんの家族が面会に来ています」と言われた。その直前に「オマルさんがついこの前亡くなった」とゴッタンNsから聞いたばかりだった。このこてる日記でも7、8年前かくらいから頻繁に登場していた高齢男性患者だ。私とは医者と患者の関係よりも囲碁の師匠と弟子、最後は良き碁敵(ごがたき)であった。心臓や食道の病気で入院を繰り返し、そのたびに磁石碁盤を相手に過ごしている人で当然私の目にとまった。最初は5目を置いて対戦した。すぐに4目にはなったものの簡単には勝てない。かつて県の代表で全国大会にも1回だけ出場したことがあるという強豪の人で、病院内にも囲碁本や囲碁新聞を持ち込みずっと勉強をしていた。私もオマルさんに勝ちたいという一心で久々に囲碁への情熱が復活していた。最終的にはハンディなしの互先にまでなった。ただ、私が強くなったというより、さすがのオマルさんも晩年を迎え体調も優れずそれが対局にも出ていた。娘さん家族は「母がぜひともこてる先生にと」薩摩蒸気屋の菓子折りを持って来ていた。そう、最後の老健入所はどちらかと言えば奥さんのためにそうさせた経緯があった。ああ、最近はボウリングも麻雀もやっていなかったがこれで囲碁もまたする機会がぐっと減ってしまうな。こてる日記には「趣味のボウリング、麻雀や」と紹介文あるがここに囲碁に入れてもおかしくなかった。ブログ移行した2015年は囲碁から離れている時期だったので入れなかっただけだ。オマルさん、直前まで意識もしっかりしていたらしいが、93歳の誕生日に亡くなったということだ。↓はおそらく最後の対局となった1年3ヶ月前の在りし日のオマルさん。ご冥福をお祈りいたします。

夕方から救急と時間外の患者が数人来た。その中で70歳前半の男性は呼吸困難で胸水がたまり心不全症状があった。入院させる準備をしデータをそろえる段階で心筋梗塞も起こしていることが判明した。ここでどうするか。循環器専門の病院に診てもらうならこのタイミングだ。そこで電話連絡をし、結果また救急車で搬送することになった。その後は院長室で過ごしたが、疲労感、倦怠感がすごい。今日の当直は他のドクターに代わってもらえばという看護師らの意見もあったが、ちょうどコロナインフルが陰性だったこともあって「いや、やる」と意地を張ったのがよくなかったか。明け方も自身患者の下血があったり、病棟患者の看取りもあったりし、全く熟睡できなかった。このあたりから私の病状は一番のピークにあったようだ。

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