2025年1月19日日曜日

天丼「一心」でお昼だよ〜

今日のお昼は「外食にしよう」と私が提案した。実は昨日の麻雀初打ちで大勝したからだ。土曜の麻雀で勝てば日曜の昼は外食というのがここ最近の定番パターンなのだ。外食にはカールも当然賛成なのだが、ここでどこに行く?でよく迷う。しかし今日は私が「中央駅の近くに天丼屋があるそうだがそこはどうか」と提案したら、「ああ、いいわね。そこでいい」となった。カールもたまにその辺りを通る時にチラッと見る店で「一心」という屋号だった。

なんで私が行ったこともないしかも天丼などと滅多に食べないものを言ったのかというと、昨日の麻雀の最中、見せたまえDrが「明日は天丼でも食べに行こうかと思っている」とつぶやいたからだ。ほうと思い、どこの店かと尋ねたら「一度も行ったことはないがネットで調べたら美味しそうだったから」と鹿児島中央駅近くにあると教えてくれた。天丼専門店ってあまりないのでその店で間違いないだろう。天ぷらはこの日記でも頻繁に出てくる「左膳」を利用するが天丼はあまり注文したことはない。たまにはいいかもとパクったわけだ。

「左膳」や寿司屋の「めっけもん」などは開店前には行っておかないと何十分も待たされるので念のため午前11時にはその店に着いた。しかし店内はガラガラでちょっと拍子抜けした。もしかしたら見せたまえファミリーとかち合うかもなんて心配も無用だった。

メニューは普通の天丼が1500円くらいでそれにカニやら牡蠣やらステーキやらをトッピングするとやや高くなる。私はせっかくだからと一番高い「贅沢天井」を頼んだ。これはサーロインの半身とイカ、温泉卵がエビに付いてくる。それで税込み2167円。カールは「牡蠣天丼」税込み2046円で二人ともまずまず高いのを選んだ。↓上が贅沢、下が牡蠣。
で、私のサーロインは美味しいけれど5つも乗っていてこれは2つくらいにして海老が3、4つくらいがバランス良かったかな。カールは海老2つがちょうどよかったそうで牡蠣は3つで2つでお腹いっぱいになったと私に残り1つをシェアした。ほいほいと食べたがこれで私もかなりお腹いっぱいになりちょっと苦しいくらいだった。天丼って脂で身をつつんでいるせいかなぁ。平日はランチ天丼というのが880円であり、かなりリーズナブルな値段で食べられるようだ。

この店は中央駅一番街からちょっと出たところにあり、昼にこの辺りに来るのは久しぶりで新鮮でよかった。うん、また麻雀に勝って日頃行かないような新たな店を開拓していこーぞ。

2025年1月18日土曜日

Disney+で「悪魔なカノジョは裁判官」を見る

年始早々のいわゆる喉(のど)かぜもようやくほぼ回復した。咳き込みもほぼないし倦怠感もない。朝礼スピーチが終わったのも大きい。あれはストレスのかたまりでアレを控えていると主立ったことが何も出来ない感じだった。ストレスフリーにもなって、ようやくネット配信のディズニープラス1ヶ月間分を申し込み、ドラマ視聴をし始めた。

このところのネット配信では王者のNetflixは無論話題作を次々に出しているが、1、2年前からディズニープラス(Disney+)も引けを取らなくなってきていて、昨年はなんといっても「SHOGUN将軍」の大ヒット&エミー賞受賞が大きく、見たくてもディズニーに入らなければ全く叶わない状況だった。それに韓ドラも話題作が多く、中でも「ジョンニョン:スター誕生」と「悪魔なカノジョは裁判官」は見たいと思っていた。それにビートルズの新作ドキュメンタリー『ビートルズ '64』もディズニープラスだけの配信だしー。2年前は1ヶ月無料サービスでディズニープラスでしか見られない「ムービング」「ビッグマウス」「わずか1000ウォンの弁護士」の3作を大急ぎで鑑賞したものだ。

正月にセージの家に行った時に、ディズニープラスに入っていたので「悪魔なカノジョは裁判官」の第1話と2話途中まで見て、続きを見たいと思っていた。料金は1ヶ月でスタンダードプラン990円とプレミアムプラン1320円の二つがあり、990円でも十分でそんなに高くなくそっち申し込んだ。少なくとも上記の3作を見ると思えばまあ安いものだ。貸しDVD時代、一作品がDVD1枚2話構成で200円、16話から20話くらいあったから一作品で1600円以上払っていたことを思えばねー。

で、途中視聴に終わっていた「悪魔なカノジョは裁判官」を早速見始めた。せっかくだからとREGZAの75型で見た。スタンダードプランでも画質は良好だ。ただディズニーは基本倍速視聴が出来ない。韓ドラはせめて1.5倍くらいの視聴がちょうどいい。それでパソコンのChromeに「ビデオスピードコントーローラー」という拡張機能が付いていて倍速視聴が可能になりこれを利用した。Safariにはないのでビデオ視聴にはもっぱらChromeを使っている。「悪魔なカノジョは裁判官」は子役時代から有名なパク・シネの最新作で、ラブコメがメインだった彼女の新境地を示す役柄がなかなかに面白い。殴る蹴る刺すなどの暴力出しまくりで、キャラも我が強く毒のある役なんだ。見た目は美人裁判官だがなんてったって中身は悪魔なんだから。
彼女が担当する被告人たちがまあ、クズとワルばっかしで、それを彼女が裁判でスカッと裁くのかと思いきや、予想外の甘い判決を連発する。だが実は・・という展開で、これがだいたい2話くらいで一挿話あり、後半は全体に通ずる悪の張本人と対決するストーリーだ。今日は一気に6話分を視聴した。全14話なのでこれでもまだ半分程度だ。

カールもディズニープラスを見られるように彼女のM2 MacBook AirにChromeとDisney+をセッティングしビデオスピードコントーローラーも出来るようにしてアクセスの仕方を教えた。で、さっそく「SHOGUN将軍」を見始めていた。

いやー、現在UーNEXT、Amazon Prime、NetflixにDisney+と4つもネット配信が見られる状況になった。このサブスクリプションというシステムは便利で安価でもあるが、はっきし言って全部を平等には見ることは出来ずその分無駄が生じている。私はこの他にYouTube Premium月1280円、ネット麻雀「天鳳」月550円に入っている。これらの中で毎日利用しているのはYouTubeだけだ。あれだけやっていた天鳳も2024年前半は600半荘ほども打ちまくっていたのに後半はたった1半荘しか利用していなかった。何も利用しなくても毎月少しずつお金を払っていることになっている。

ネット配信ではUーNEXTが一番高くて月2,189円、Netflixが同じくらい高いが実は青雲会病院のマリンNsのアドレスで視聴しているので0円だ。その分UーNEXTをマリンちゃんには一回線分ただで上げるという相互補助をやっている。Amazon Primeが年間5900円で月だいたい月500円くらいだがAmazonでの買いものは基本送料無料になるのでそっちのお得がある。メジャーリーグが始まるとSPOTVNOWが月2000円もある。そうなるとなにやかにかでサブスクに月8000円近く支払うことになり年10万円近くにもなる。ふぅー!

Disney+は見たい番組を集中的に見て1ヶ月経ったら解約しよう。いずれ見たいのがあるからずるずるとしていたら、いつの間にか銭失いになっちまうぜぇー。

2025年1月17日金曜日

グッちんDr、震災を語る

30年前の今日、阪神淡路大震災が起きた。

その頃私は沖縄出張中だった。前日に3連休で石垣島、八重山観光から帰ってきての火曜日で、朝6時台には起きてTVを見ると地震報道一色になっていた。火災も起き、高速道路も倒壊していた。当時あまり地震が起きないと言われていた阪神地方での発生に驚きもしたし、なにより被害の大きさが衝撃的だった。神戸には前年、前々年にDDW(消化器病週間)という大規模学会に参加もしていて全く縁遠い土地でもなかった。その年は確か横浜が会場に指定されていたので幸いにも開催されたが、もし神戸だったら中止に追い込まれたかもしれない。学会が大規模なためこれまで神戸のポートピアでの開催が半分近く(32回中15回)あり特に最近はほぼ神戸固定での開催になっている。もし第2の阪神大震災が起きたらと思うと他人事ではない。

震災後30年が経過し、今日はTV始めマスコミがそれぞれ特集番組をやっていた。昨日、元青雲会病院非常勤のグッちんDrが自身のホームページ(https://jushinkai.doorblog.jp)で「明日、2025年1月17日。阪神淡路大震災発生から30年目の節目となります・・・地元放送局の取材にお話をさせていただいた一部が明日の夕方のニュースで放送されるそうです。私の僅かばかりの経験も何かの役に立ってくれたら嬉しい限りです」と書いていたのでどこの局だろうとは思っていた。夕方18時を過ぎ、いつものように帰宅前のコスモスへの買いもので駐車場に着いた時、車中モニターを見るとKKBの天気予報の後に震災特集をするという画像が出て、瞬間「あれ?グッちんDrじゃないかな」と思った。直に会ったのは10年くらい前で少し髪に白いものが混じって違う印象はあったがたぶんそうだ。そのまま番組を見続けたいがCMが長いだろうしこんな時のREGZAタイムシフトがあるので後で見ればいい。でもカールには教えておきたくて電話で教えた。

帰宅後、カールが「出ていたわよ。若い頃のグッちん先生と奥さんの写真も出ていた」と教えてくれた。10年以上前、子どもたちが学年は違ったが同じ学校にそれぞれいてカールは奥さんとは運動会や奥様会などで面識があった。
今では災害医療では常識になっているトリアージやDMAT派遣、ドクターヘリなどはこの震災後に一般的になったというのは、指摘されて「ああそうか、そうだよな」と思った。
ただ、震災ごとにそれぞれ特徴が違い、グッちんDrは例えば東日本大震災では建物崩壊の被害より津波被害の方が圧倒的でDMATの派遣がさほど活かされなかったことや昨年の能登半島地震ではそもそも道が塞がれたどり着けない課題があったと指摘していた。そして↓のよに地震は多様でそれぞれの震災に応じた対応が必要だと締めていた。
ニュースでは話をしていなかったが、グッちんDrはもし地震が起きたらとの備えを自宅ではしていると語っていたことがあった。一度あんな大きな被災を経験したらちゃんとしておかねばとなるわけだ。その点、私たちはまだ甘い。この20年に限っても↓のように3年おきくらいに震度6強や震度7の地震が全国各地で起きている。つい4、5日前も日向沖で地震があった。30年前の教訓はきちんと活かしたいものだ。

2025年1月16日木曜日

2年ぶりのカジキマグロ病院

今日の午後は「医療安全対策地域連携加算に伴う相互ラウンドの視察」でカジキマグロ病院へスタッフ8人で出向いた。カジキマグロ病院には2年前の副院長時代にも行ったことがあり、今回で2度目だ(2023/1/27「カジキマグロ病院へ行く」参照→http://koteru-nikki-2015.blogspot.com/2023/01/blog-post_27.html)。前回は本来の目的の安全対策のチェックのことよりも知り合いのDrとの絡みを多く書いていた。しかし今回は島豊DrやマッキーDrとは会うことはかなわず、比較的まじめにチェックや視察に勤しんだ。カジキマグロ病院って規模で言えば青雲会病院より大きいんだ。入院患者数など倍以上で透析受け入れ数も倍以上、以前など3倍以上もいたとか。

その透析室で「あら、こてる先生」と声を掛けられたのが高メグNsだった。え?と思ってまじまじと見れば、確かに以前青雲病院時代に見かけた気がする・・。「組ちゃんNsを覚えていますぅ?」と、もう20数年前の病棟看護師の名前を言われ、「ええ、結婚して福岡に行ったよねぇ、覚えているよ」と返事した。てーことは仕事をしたのはずっと昔か。彼女は当時当直などしていた男性のサドル看護師と結婚して出産明けで復帰しすぐに辞めていた。「サドル君は元気かな」「ええ、青雲の後は看護学校の先生をずっと続けています」とのことで何よりだ。
この後は、2時間以上のチェック&視察を無事終え、小会議室で相手側スタッフに簡単な講評を各自話した。夏越院長からは「当院は救急の受け入れ患者が少ないのでそれに関する不備を指摘されていますね」と言われた後「お褒めにいただいた点や改善すべき点などとても参考になります」と謝辞を述べていた。先月のサンキュー病院訪問でも感じたが、施設が違うと「ほう、こんな対策をここではしているのか」などとハタと気がつく点が多々ある。やはり相互チェックは有効だね。

最後に2年前も撮影した近くにある日本の滝百選選出の「龍門滝」を写真に撮った。
「今日は水量が少ないですね」と言うと「ええ、大雨の日の後だとまるでカフェオレが大量に流れているみたいですよ」と案内看護師が答えてくれたが・・それって2年前と全く同じ応答だった。もしかしてあの時と同じ看護師さんだったかもしれない。私は心の中でクスっと笑って病院を後にしたのだった(⌒о⌒)。

2025年1月15日水曜日

噴出する出血を止めよ!

もう呼吸困難の発作はなくなり、嗄声と咳のみだ。いやー10日以上も苦しむとはねぇ。そもそも喉頭炎は完全に治るまで長引く傾向もあるようだ。で、咳のしすぎで腰痛も起こしている。腰痛というより背部の筋肉痛でカールに湿布を貼ってもらった。結局そのまま床寝してダウン。未明に覚醒というお決まりパターンになった。

今日は外来業務で先週までと違い、発声が出来るので診察がしやすかった。まったくこの前は患者との会話や診察がよく出来たもんだよ。

さつま川内の知り合いの猟奇Drが診察に来て、胃カメラもすることになり、その時だけは内視鏡室に行き検査をした。それでも12時半の定時に終わったので久しぶりに水曜日の昼休みを取ることが出来た。

そうだ、昨日夕方のタクミDrの入院患者の大腸内視鏡の様子を書くつもりだったんだ。新鮮な下血があるとのことで大腸内視鏡になった。タクミDrが「直腸から出血しているのはわかるが出血源がはっきりしない」というので急遽交代し観察した。ぱっと見、癌や大腸炎がないのは分かるので残るは急性の直腸潰瘍出血が考えられる。しかし、典型的な潰瘍所見がない。でも直腸の一部からの出血なので絶対に出血源はあるはずと踏んで私は観察を続けた。で、やっぱりあった。しかも動脈からで湧出性&噴出性の立派なやつだった。「うわー、こんな出血をするのもあるんですか」とタクミDrは驚いていたが、たまーにあるんよ。胃で言えばデュラフォイ型潰瘍出血と似ている。潰瘍らしい潰瘍を作らずに露出血管が粘膜表面に出てのいきなり出血パターンだ。↓は噴出直後の様子。

さらに動画でどうぞ↓。
肛門にかなり近く、止血法はクリップが一番安全で有効だ。
2個目のクリップでしっかり止血出来た↓。

この患者さん、ヘモグロビンが13g/dLから7g/dLまで急減していた。わずか1、2mmの血管からの出血でこれだけ失血する。動脈性の出血は怖い。それをわずか1cm長のクリップ一つで止血し助けることが出来るのだから内視鏡治療ってすばらしい。

今日は、将来の進路を迷っている医学生に「消化器内科って定年迎えたくらいの年齢で病み上がりでもばりばり活躍できるやりがいのある分野だよ」って教えてあげたくて日記にアップしたってことー。

2025年1月14日火曜日

やっぱり最強なのは・・

朝礼スピーチで少し心配だったのが発声だ。しわがれ声は完全に治ったわけではない。あまりにも聞き苦しければ聞かされる職員はきついだろう。幸いどうにか声は出てくれた。ただ発声に気を取られ余裕が全くなく、パソコンのスライド画面をのぞき込むだけのスピーチになった。

内容は昨日書いたとおりで、みんなの反応が良かったのが、冒頭のココちゃんと私のツーショット(12/31の写真)だった。やっぱり赤ちゃんの笑顔って強いんだよ。その他、パチンコの動画再生中、出玉が多くて足元にまで出玉の箱があるシーンは受けたねぇ。大もうけしている時ってみんな見てみたいものなんだな(実際は1円ももうけていないのだが)。とにかくチクチクとくすぐりを入れて笑いを取るスピーチで、9分ちょっとの最後は拍手で終わった。いやいやホッとした。副院長になって以来だから、ほぼ10年、毎年このスピーチが終わらないと年始がくつろげない。

そして、スピーチが終わったら、配信動画のあれを見ようこれを見よう、ネット麻雀もまたせねばなどと思っていたが、結局夜はそのままダウン。「見てね」で送られてきたココちゃんの笑顔に癒やされただけだった。やっぱり赤ちゃんの笑顔って最強!だ。

2025年1月13日月曜日

朝礼スピーチの元ネタって

さすがに残り1日、朝からスライドを作り始めた。タイトルは「新年を迎えて」。当初は今年の病院の総合目標をネタに話し始めようと思った。しかしどうも大上段に構えてしまいうまく作れない。で、淡々と「年末年始を過ごすため次男のいる船橋に行った」と作り始めたらすいすい行き始めた。↓はタイトル後1枚目のスライド。

で、次男家族の写真に続いて私がココちゃんを抱っこしている写真を載せ、元旦のおせち料理とココちゃんいっしょの写真も載せた。よし、ここまで来れば後はどんどん作れる。この後の約10枚はパチンコ「タンポポ」に行ってヒコーキ台を定量させる写真&動画を作るだけだ。ウシシ、堂々と朝礼でパチンコをしているところを見せられるとは。以前ボウリングビデオを見せ続けたのと同じで、嬉し楽しだわ〜。

元日が終われば翌日の銚子方面ドライブだ。これが10枚ほど。千人画廊の「ライオンの隠れ家」壁画や犬吠埼の東映オープニングシーンなどで、ここまで来て「これはこてる日記をそのままなぞっているだけやん」と思った。そうなのよねー。後半は1月5日の布団叩きから、咳、呼吸困難、倦怠感などの体調不良を時系列で見せていき、確か水曜日の1月8日あたりからスピーチのために職員に頼んで再現写真を撮ってもらったりしていた。↓など一番きつかった当直明け1月9日の朝の様子の写真であるが、当番日の1月12日に花ゆりNsに院長室に来てもらい部屋を暗くして撮影してもらったものだ。

ネブライザーや点滴、咽頭診察などの写真も全部使った。最後は職員の皆様の心遣いや対応に感謝し今年の病院の総合目標を掲げて終わりにした。

結局、作り終えるのに夕方までかかったが、意外に楽だった。なんてったって大晦日から1月12日までの「こてる日記」をスライドにまとめるだけの作業だったからだ。全スライド38枚中19枚がこてる日記に出した画像といっしょだった。元ネタは作っていたしすでに公開ですらしているんでスムーズに作り終えたのは当たり前。ふむ、こんな朝礼スピーチの作り方もあったんやな。これまでこてる日記とスピーチは分けて作っていた。ネタに困った時はこてる日記からそれを探そうゼィ!

2025年1月12日日曜日

日直当番医

まだ体調は完全ではないが、今日は朝から夕方までの当番医勤務をこなした。2人Dr態勢で外科系患者と新型コロナ患者は脳外科のカワゼンDrが診察、内科系とインフルエンザ患者は私が診察することになった。で、来院してくるのはほとんどがコロナorインフルエンザの検査が必要な発熱患者さんたちで50名くらいはいたんじゃないか。結局新型コロナは10名、インフルエンザはすべてA型で10名にプラスみなし陽性が3名いた。トータルで73名でこの時期の当番医来院患者数としてはまあ例年並みか。鹿児島県のインフルエンザ発生がやや減少気味なのでこれくらいで済んだ。20年くらい前は一人診察で70名を越えた当番医の時もあって、しかも朝から翌月曜まで日当直だったからきつかったね。今は当番医日直は2人体制、当直は別のDrがするからずいぶん担当しやすくなった。

で、その夜。まだ手を付けていない14日の朝礼スピーチのスライドを「さあ作ろう」とはならなかった。「ああ、まだ丸1日あるじゃないか」と思うタイプなのだ。それにやはり疲れていた。テーブルでこっくりこっくりやって気がつけば午前2時過ぎ。そのまま布団に入ってしまい、少なくともスライド作りにおいては一歩も進まないままの1日であった。

2025年1月11日土曜日

「捨て色」が似合う女

あー、咽頭痛はほぼ消えたわぁ。だるさも相当取れてきている。喉の引っかかりが残存ってところか。嗄声は軽減もこれもまだ残っている。この調子なら火曜日14日の朝礼スピーチは出来そうだ。この際、とっとと早く済ませておきたいという気になった。だが、まだスライド作成には取りかかる気分ではない。明日の日中当番医の仕事が控えている。気持ちが乗りきれないのよぇ。

朝、カールが「山形屋に行ってくるわ」と準備していた。で、赤いタートルネックを着て上から黒いコートを着けていた。そして「ねえ、この赤い服さー、ユニクロで買ったんだけどこんな派手な色を『捨て色』って言うんだって」という。「捨て色?」「うん、ユニクロじゃー原色の赤、緑、黄色などはほとんど売れない色なんだけど『捨て色』として販売しているんだって」「ほう」「そんな色でも隣に置いておく方が売れ筋の色の服を買いやすくなるからだって。でも、私ってそんな捨て色がよく似合うのよねぇ」とちょいとニンマリの様子だった。
うんうん、似合っているよ。ユニクロに限らず、スポーツジムで着るレオタードなんかもピンクなどの派手な色合いが多いって言っていたね。実はそんな派手色タイプは売れ残って安いことが多くて買う時に助かっているとも言っていたな。

AIによる解説;「捨て色」とは、アパレル業界で無難な色や定番色とは異なり、比較されるために置かれる売れない色を指します。人間は比較する生き物であるため、好む可能性が低い色を店頭に並べることで、売れ筋色の商品が一層目立つようになります。この戦略は、消費者が「捨て色」とされる商品を避け、他の選択肢に目を向けさせることで、購買意欲を高める効果があります。

ユニクロでは約20%の商品を「捨て色」にしているという。そういえば、車の新車キャンペーンが行われる時にCMなどで出てくる色は派手だけどちょっと選ばないなぁというのが多い。私の乗っている現行5代目プリウスもなんて言っていいかよく分からない色がフィーチャーされている。↓私は未だにこの車色をどう呼んでいいか分からない。ボディカラーを選ぶ際に真っ先に除外した色だ。アッシュというそうだが、私は「灰色」か「さび色」って言いたくなる。
この他、赤や黄色がトヨタのホームページでは利用されている。しかし実際は白と黒の2色がよく売れているそうで、車にも「捨て色」戦略は実行されていたんだと理解した。商売も奥が深いねー。

2025年1月10日金曜日

体調がすぐれないもので

昨日は午後から休んだのに、今日も倦怠感と嗄声、軽度呼吸困難は治っていなかった。朝の業務報告はきちんと受けるも、皆、私の声枯れを気に掛けてくれ、看護部長からはドリンク、内視鏡室のコッパマNsは「半夏厚朴湯が喉に症状にはいいですよ。グッちんDrもそう言っていて私も効きました」とわざわざ現物を持って来てくれた。鯛踊りNsは「もう休んだ方がいいですよ」と早退を勧めてくるし、ずっしり外来師長は「可愛いんだ理事長に診てもらってたらどうですか」と診察を勧め、「そうしようか」と採血と胸部レントゲンだけは診察前に済ませておいた。本当は自分で自分のカルテに指示を出したいがそれは法的に出来ないのだ。

私の自己診断では、採血は炎症反応異常は出るだろうがレントゲンでは異常は出ないだろうだった。自覚症状からすれば喉と気管支に異常がありそうで肺野の症状はほとんどなかったからだ。しばらくして出た結果が↓。どちらも私の予想通りだった。

CRPが7.50か。白血球はやや増加も一応正常内だ。肺野は正常。喉も自分でペンライトを当て中咽頭までは異常なしと分かっていたので、診断は「急性喉頭炎」が一番妥当だ。ただそれよずっと重症の「急性喉頭蓋炎」だと呼吸困難から命に関わることもあるので注意は必要である。

私の外来患者診察が一応の目途がたった頃、理事長診察室に呼ばれた。診察を受けるのが分かっていたのでこっそりニッシNsにデジカメを渡しそのシーンを撮影するよう頼んだ。喉にペンライト当てられ・・「異常なし」とすぐに理事長はライトを引っ込めたので「済みません、もう1回」と頼んだ。ニッシさんがシャッターチャンスを逃したのが分かったからだ。2回目はばっちし↓、私はニッシさんのシャッター瞬間を見ていた。この後、胸部聴診は呼気の時に私がどうしても咳き込み「よう聴き取れん」と言われたがそれが症状の一つなので仕方なかった。
結局「喉頭炎」との診断は一致した。ただ、ウイルスが原因のことが多いも細菌感染もありうるので抗生剤の点滴を外来で続けなさいと言われ、「明日は病院に来ないので今日だけなら」と受諾した。そして私の希望としてステロイドの点滴か処方を出してほしいと頼んだ。声帯付近の喉頭部に腫れがあるのは確かなのでその腫れを早く治したかったからだ。出来れば点滴を受けたかったが理事長はプレドニゾロンを1日30mgも出してくれた。自分へのステロイドの使用は点眼や皮膚治療では経験あるが内服や注射は受けたことがない。それで一度経験してみたかったのである。患者に対して使い方を誤らなければ万能薬ともいえる薬だが自身に試したらどうなるのだろう。その他鎮咳去痰剤、明日からの抗生剤内服、うがい薬など処方された。他に「気管支拡張剤のテープも出そう」と理事長に言われたが「実は同種の吸入剤アドエアがまだ自宅にありますので」とやんわり断った。テープと吸入剤は同様効果のため実は保険上両方出すと査定される。そして私の経験上、吸入剤の方が効果が高い。このあたりは医者と患者の関係じゃーなかったねー。

抗生剤点滴は比較的新しいラスビック点滴だった。呼吸器系の抗生剤では細菌の理事長の推しのやつで一番広範囲の細菌に有効ゆえ私も素直に従った。ただ点滴を受ける時間が少しもったいなかった。まだ仕事が残っていたんよ。
そして今日も昨日に引き続いて早退することにした。病棟で入院患者の診察と指示確認を済ませやっと帰ることが出来た。夕方は入職希望のドクターとの面接も予定されていたが理事長らに任せてもらうことにした。15時前に帰宅出来、シャワーを浴びてから即寝室で寝込み、夜20時までずっと布団の中で過ごした。もう分かって来ている。こうした風邪、呼吸器疾患では安静休息が内服よりも最優先なのだということを。一昨日の医師当直は交代することも可能だったのに無理をしたせいで、案の定病状が悪化し、反省していたのだ。

実は明日の1月11日は今年の麻雀初打ちがいつものメンバーで予定されていた。今の状態で打てるわけがない。自分の都合で中止にするのは心苦しかったが、なんと昨日、メンバーの一人の腹出しDrが「インフルエンザA型に罹ってしまった」と連絡が来た。渡りに船とはこのことで、堂々と「今回は中止にしましょう」と他の二人に連絡し延期となった。それに14日の朝礼スピーチも喉の調子が戻らなければ中止or延期になるかも。今回の体調不良でスライドにまったく手を付けていないんだ。職員にはみんな私の体調が悪いことが知られて来ている。仕事や麻雀に続いてこの体調不良をうまい言い訳にできそーだぜぇ・・えへへ、悪だくみ中の悪代官のような表情になる私であった。

2025年1月9日木曜日

「賢明なるお言葉を語る」

午前7時前から覚醒はしていたのだがきつくて起きたくはなかった。目を閉じても5分おきくらいに目が覚める。壁時計を見ても一向に時計が進まない。何度もそれを繰り返し8時前にどうにか起き上がり職員食堂に向かった。食欲は今一つないのだけれど朝ご飯だけは食べないとー。私にとってこれはもう強迫的な習慣だ。食堂はエアコンが入っておらず寒かった。食べているのか震えているのか分からないほどで急いで食べた。結局、全部は食べられなかった。

その足で医局に向かった。昨夜から今朝までの当直日誌への記載をするためだ。行くと、外科のDrはもちろん内科のタクミDr、泌尿器科や非常勤のDrらもすでにいて意外に混んでいた。4台ある電子カルテの空くの数分待たねばなかったほどだ。信号Drは「あれ?こてる先生は当直だったんですか」と少し驚いていた。昨日から体調がかなり悪かったはずなのにーって。「ええ、そうでした」とだけ答えてそれ以上はしゃべらなかった。大きく咳き込んでしまうので、医局員に少なからず不安感を与えたくなかった。院長室に戻ってから「ゲホゲホーっ」て吐きだしたのさー。

午前8時半にはムラムラ看護部長が「大変でしたねぇ」とリポビタンD、それに温かいブラックコーヒーを持って来てくれた。それは良かったが私は少しでも休みたくて椅子に深く腰掛け、部屋のライトを消しておいてとムラムラさんに頼んだ。そしてアイマスクを着けて仮眠の態勢を取った。先ほどよりは眠りにつけたようで5分おきの覚醒はしなかった。で、気がつくと9時15分は過ぎていた。あれ?!いつもなら各部署から5、6人は業務報告が来て印鑑やサインをするはずなのにー。誰も入ってこなかったのか、それとも遠慮したのか。どちらでもいいが私にとっては助かった。これで午前の内視鏡業務をどうにか続けることが出来る。

胃カメラは10件以上やったかな。大腸内視鏡も予約2件当たっていたがこれは非常勤のエイエイコーDrに代わりにやってもらうことにして、昨夜から今朝にかけて下血した入院患者の大腸内視鏡は私がすることにした。下血の性状からして動脈出血で大腸憩室出血が一番に考えられたが事前のCTでは憩室の所見がない。となると・・この患者は糖尿病放置例でしばし絶食点滴管理の後、今週から食事開始になっていた。宿便が直腸にあってその刺激で出血性の直腸潰瘍でも起こしたか?果たしてそのとおりで、肛門直下に2つ潰瘍がありそのうち1つに露出血管を認めた。出血源が判明すればこっちのものだ。止血剤局注後にクリップを掛け、今回はさらにその上にゴムバンド結紮法(EBL)も追加した。これでばっちし。念のため2日間は絶食点滴にしておけば例えゴムやクリップが外れても再出血はしない。

なんか内視鏡止血が上手くいったら少し元気が出てきた。昼食を摂ってすぐに病院を出た。当直明けは午後は毎回そうだが、今回はそうでなくても早退するつもりだった。帰宅してすぐにシャワーを浴びそのまま布団に入った。今は寝るに限る。

夕食時には右眼が痛がゆく結膜炎も起こしていた。抗生剤点眼薬があったはずだがー。するとなんと未開封の点眼薬がぞろぞろと出てきた。カールが「未開封なら期限切れでもたぶん大丈夫よ」との有り難いアドバイス。で、古そうなのを開けて使ってみたのだが・・深夜どうにも右眼の違和感が拭えず見直すとちっちゃい膿が残っていた。点眼剤を改めて確認するとぬわぁんと2007年使用期限の品だった。「げ、20年も前のが効くはずないよ〜」と今度は2017年期限切れのヤツを開封し点眼した。まだ2018年、2021年のが残っていたけどやはり古いヤツからだよな、うん。

調べると塗り薬も開封済み未開封合わせて10本くらいあった。こてる家の物持ちの良さもこうなるとどうなのか・・。ま、翌朝には結膜炎、かなり良くなっていた。使用期限過ぎても10年以内くらいなら有効というカールの「Speaking words of wisdom」は証明されたのだった( ・_・;)。

2025年1月8日水曜日

オマルさん訃報

今朝から声が枯れるようになった。しゃべる時もかすれ声で外来担当日でもあったので会話がきつかった。風邪か喘息かなどと自分の症状をうかがっていたがどうも喉頭炎を起こしているというのが間違いないようだ。しかし周囲は「コロナかインフルエンザを調べなくても大丈夫ですかぁ」と検査をするよう圧を強めてきた。おまけに今夜は当直が当たっているのだ。仕方なく受けたけどさぁ、私の予想どおりどちらも陰性だった。

昼の会議もきつくて会の進行を聴き取るのが精一杯。例の呼吸困難と咳が途中出てみんなを心配がらせたりもした。そして午後は救急担当もあるのよ。70歳代男性が運ばれて来て食欲不振やら脱力やらあるとのことで採血と点滴を指示ししばらく救急外来の端のベッドで休ませていた。脱水もありきっと入院だろうからと諸データがそろうの待っていたらなんとコロナ陽性が出た。抗原定量で4桁あったので今が真っ盛りのコロナ患者だ。お気の毒だがベット調整の都合で入院させられない。点滴を2本実施後、解熱鎮痛剤処方のみで帰宅してもらった。

そうだ、昼の会議前に老健青雲荘から「オマルさんの家族が面会に来ています」と言われた。その直前に「オマルさんがついこの前亡くなった」とゴッタンNsから聞いたばかりだった。このこてる日記でも7、8年前かくらいから頻繁に登場していた高齢男性患者だ。私とは医者と患者の関係よりも囲碁の師匠と弟子、最後は良き碁敵(ごがたき)であった。心臓や食道の病気で入院を繰り返し、そのたびに磁石碁盤を相手に過ごしている人で当然私の目にとまった。最初は5目を置いて対戦した。すぐに4目にはなったものの簡単には勝てない。かつて県の代表で全国大会にも1回だけ出場したことがあるという強豪の人で、病院内にも囲碁本や囲碁新聞を持ち込みずっと勉強をしていた。私もオマルさんに勝ちたいという一心で久々に囲碁への情熱が復活していた。最終的にはハンディなしの互先にまでなった。ただ、私が強くなったというより、さすがのオマルさんも晩年を迎え体調も優れずそれが対局にも出ていた。娘さん家族は「母がぜひともこてる先生にと」薩摩蒸気屋の菓子折りを持って来ていた。そう、最後の老健入所はどちらかと言えば奥さんのためにそうさせた経緯があった。ああ、最近はボウリングも麻雀もやっていなかったがこれで囲碁もまたする機会がぐっと減ってしまうな。こてる日記には「趣味のボウリング、麻雀や」と紹介文あるがここに囲碁に入れてもおかしくなかった。ブログ移行した2015年は囲碁から離れている時期だったので入れなかっただけだ。オマルさん、直前まで意識もしっかりしていたらしいが、93歳の誕生日に亡くなったということだ。↓はおそらく最後の対局となった1年3ヶ月前の在りし日のオマルさん。ご冥福をお祈りいたします。

夕方から救急と時間外の患者が数人来た。その中で70歳前半の男性は呼吸困難で胸水がたまり心不全症状があった。入院させる準備をしデータをそろえる段階で心筋梗塞も起こしていることが判明した。ここでどうするか。循環器専門の病院に診てもらうならこのタイミングだ。そこで電話連絡をし、結果また救急車で搬送することになった。その後は院長室で過ごしたが、疲労感、倦怠感がすごい。今日の当直は他のドクターに代わってもらえばという看護師らの意見もあったが、ちょうどコロナインフルが陰性だったこともあって「いや、やる」と意地を張ったのがよくなかったか。明け方も自身患者の下血があったり、病棟患者の看取りもあったりし、全く熟睡できなかった。このあたりから私の病状は一番のピークにあったようだ。

2025年1月7日火曜日

ネブライザー

(こてる日記は2日遅れで書いている。で、2日前の1月7日のことを書こうとして何をどうしたかよく思い出せず、この2、3日の体調は非常にきついもので、夢も見ていてその夢がかなり現実っぽくてそれを書き始めようともしていた。およそ1時間おきに目が覚めてはまた寝ての繰り返しで、とうとう1月10日の午前3時になってしまった。)

で、1月7日のデジカメ写真を見直してみた。いつもより撮っている枚数が少ない。夕方、外来スタッフに頼んでネブライザーをさせてもらった。これ、気管支喘息の患者に使うものだ。自分が喘息患者になってしまったとは未だ思えないけれど、自分の気道になにがしか異変があるのは間違いないはずで、この間の布団叩きが悪さしているならばこの処置も効果があるかも・・といった淡い期待からだ。

約15分↑のような格好でネブライザーをしたのだが・・今一効果があったとは言えなかった。救急で来た喘息患者にこれをやるとたいてい喘鳴が改善するものなのだがー。

帰宅しても体調は悪くスピーチスライドなんて作る気はまったくせず、1月5日のこてる日記をどうにか書くのが精一杯だったのだ。

2025年1月6日月曜日

「島根か鳥取か分からないけどそこら辺にいきました。」

まったく、仕事始めだというのに、昨日からの呼吸困難、咳は続いていた。内視鏡中も被検者に「ああ、ここは胃炎でこれはポリープですが特に心配ない」としゃべるのにも、息切れが生じて、一旦言葉を置いて発声しないといけない。発熱は?それはない。だからコロナもインフルエンザも調べてはいない。

どうにか夕方まで乗り切って帰宅出来たが来週のスピーチスライドを作るどころじゃない。そんなわけで「こてる日記」も何か大きなネタを詳しく書こうなんてとても無理。今日、外来に寄った時、ずっしり師長の正月のお土産が面白かったので↓に紹介するくらいだ。

「島根か鳥取か分からないけど そこら辺にいきました。」というのが、そのチョコレートパイのネーミングだ。あはは、笑っちゃう。結局どっちの県の土産かというと「島根」だ。男の子(「しまねSuper大使」を務める吉田くんと言うそう)がまたがっているのが島根県を切り取った図だしー。島根県と鳥取県が同一に見られたり「今どっちにいるのかよくわからない」という観光客の心理を自虐的に解釈したお土産だ。私はこの前の飛行機から「日本の地形を見るのが好き」というのでも分かるとおり、子どもの頃から結構な地理好きで島根と鳥取を間違えることは考えられない。しかし、多くの日本人にとって島根や鳥取は「あの中国地方の日本海側の県」ぐらいのイメージなんだろう。そこを逆手にとっての商品名ってことで、ずっしり師長に買わせたわけだから成功やね(⌒о⌒)。

2025年1月5日日曜日

パンパン叩いたらダメッ!

朝から体がだるかった。風邪を引いたかな・・。昼ご飯の後に「うん、これは風邪だ、だるいから2階で寝るわ」とカールに言うと「2階、布団ないわよ」だと。「何で」「ベランダに干しているの」「ああ、それなら取り込んでおこう」とベランダに向かった。外はぽかぽか陽気だ。だが夕方から雨が降るとの予報だし、ここは私がカールのも含めて取り込もう。取り込む前にはたきで布団をパンパンやると・・すごいホコリだ。こんなにも汚くしていたんかい。カールの布団はホコリは出るには出る。が、私のより少ない感じがする。

敷き布団も掛け布団も毛布もパンパン!パンパン!マスクをせずにやり始め、ちょいとまずいかなとも思ったが、体がだるくて1階に降りてマスクを着けるのは面倒くさかった。で、どうにか寝室に布団全部を入れ、並べ治してそこに潜り込んだ。まだ叩けばホコリが出る品だが温かくて気持ちいい。そのまま夕方まで寝入ってしまった。

夕食もやっと食べてシャワー浴びてまた寝ようとしたが、咳なのか呼吸困難なのかゴホンゴホンと出始めた。やはり風邪かもと家にあった鎮咳去痰剤や吸入薬など試してからまた寝た。しかし息を吸おうとすると急にゴホンゴホンが出てその間は非常に苦しい。だいたい2、30秒ほどそれが続く。気管支喘息かなぁ・・。それにしては気管支の狭窄音(喘鳴)はない。しかし少し寒い場所に行くと呼吸困難発作が出やすいのでやはり喘息か。

ああ、こうなったのはあの布団叩きがきっかけかも。布団にはハウスダストや目に見えないダニの死骸がいっぱいあるっていうじゃない。きっと腹いっぱい、いや胸いっぱい吸い込んでしまったんだ。叩いても叩いてもホコリは出てくるしー、腕は痛くなるしでいいことは全くなかった。干した後は何もせず部屋に入れ、ホコリやダニが気になれば掃除機で吸い取るのがいいんだ。そう気がついたものの後の祭りだったよ〜。


2025年1月4日土曜日

臨時出勤

今日土曜の午前は病院の仕事始めでもある。私は休みではあったが病院へ出かけた。1週間近く病棟の患者さんの診察と指示出しをする必要があったからだ。病状が安定している患者さんだけならそうしなくてもどうにかなるが、受け持ちの半分くらいが重症もしくは不安定なんだ。だから、前もって本日に採血やCTの指示も出しておいた。残念ながら一人は亡くなっていた。事前に「あと1日か2日・・」と家族に説明をしていたので特に驚きはなかった。

1時間くらいで終わるかなと予想していたが、6人ほどまとめての指示出しはとうていその時間では終わらなかった。やっぱり今日来てよかったよ。1月6日の月曜にこれをやったら院長業務に内視鏡検査もあって仕事が終わらなかっただろう。

あと、総務に立ち寄って1月14日の朝礼スピーチを私が担当することになっているかを確かめた。「ええ、先生になっていますよ」とのこと。ふう、やはり。これでまたスピーチ準備をしなくてはならない。来週は当直や日直も入っているし麻雀の約束もある。まだテーマが全く決まっていない中、スライド作成の時間が限られるなぁ。

出だしは年末年始を次男宅で過ごしたことなどを話すのは決めているが、後はどういったことを話そうか。去年までと違い院長先生で年始のスピーチをするのは初めてなんだ。シマッチ前院長の過去数年のスピーチスライドを写真に撮っているので見てみると、コロナ対策に明け暮れていた時期なのでかなり実践的な内容だった。うむ、ここは来週の可愛いんだ理事長の年頭所感スピーチを参考にしよう。畠鏡総務部長が「先ほど理事長が考えて、ついさっき決まったばかりです」と今年の総合目標を教えてくれた。

ほう・・例年より分かりやすく覚えやすい。とりあえず道筋は立った。で、すぐにでも作り始めればいいのだが、そこはいつもの私だ。「まだゆっくりするべ」と自宅で寝正月を決め込むのだった。

2025年1月3日金曜日

窓の外に夢中

今日は鹿児島に帰る日だった。飛行機は13時10分羽田発で、余裕を持って午前9時半にはセージ宅を出た。品川に着いて早めの昼食を摂ろうとしたが意外に食事するところがない。いや、本格的な料理を出すところはあるのだけれど、出発の時間を気にしていたため軽く済ませられるところがなかったのだ。で、結局羽田に着いてからハンバーガーを食べた。

出発は機材到着遅れのため30分も遅れた。右窓側の席をカールが取ってくれていて、良いお天気の中、富士山を始め、東海、近畿、宮崎、大隅の直下の景色をたくさん写真に収められ満足だった。↓は日本一の富士山。やはり雪があると見映えがアップする。

↓の湖が分からなかった。浜名湖のあたりというのは分かっていたが・・。後で地図を見ると浜名湖とつながっている猪鼻湖という湖だった。
↓は愛知県、渥美半島の先端。ここに椰子の実が流れ着いたという話を柳田國男から聞いた島崎藤村が「椰子の実」の詩を書いた。
↓は三重県の英虞(あご)湾。入江が複雑に入り込むリアス海岸で真珠の養殖で有名。
↓はどこだろう。そこそこの町だから市なんだろうが、このあたりは無論行ったこともないしー。後で調べたら大きな川は熊野川で向かって右が三重県、左が和歌山県新宮市だった。
↓は紀伊山地ど真ん中で山また山だ。ぽつんと一軒家があちこちありそう。
↓は宮崎で、上方に自衛隊の新田原基地がある。川は一ツ瀬川というんだそうだ。

少し進んで鹿児島に入ったと思って、どのあたりかなと見てみたら・・↓ちゃんと書いてありました(笑)。
この後、国分と隼人の町並みを見つつ、鹿児島空港に近づいた。国分に入る前に機内放送で「すでに車輪が出て着陸態勢に入っています」とアナウンスがあった。そういえば、この機体はボーイング737ー800でこの前の韓国で着陸失敗したものと同一だ。全世界で4千機ほども使用されているそうだが、ここ6、7年で3回も事故を起こしている。いやはや、無事に帰り着いて何より。飛行機は安全過ぎて悪いことは一つもないからね。

2025年1月2日木曜日

銚子&南常陸へ

今年の正月で唯一予定されていたのが銚子方面へのドライブだった。朝8時にセージ家の黒色のポロで大人4人と赤ちゃん1人で千葉の東端、犬吠崎まで行く予定だ。天気も快晴でドライブ日和だ。

船橋から高速に乗り一路東を目指した。マーヤさんが運転し、私が助手席、後部にはカールとセージそしてチャイルドシートにココちゃんだ。初めて通る道の土地名にはなじみのないものが多かった。「原木」って高速入口に表記されていて、まさか「バラキ」って発音するとは思わなかった。私の中では50年ほど前のチャールズ・ブロンソン主演のマフィア映画「バラキ」を連想してしまう。ま、この映画は知ってはいるけれど見たことがないので話題にはしなかった。次は「酒々井」。「シュシュイ?」と思って確かめると「シスイ」だった。東進し佐原・香取のインターで降り、銚子は近かったがすぐには行かず、利根川を渡り茨城県は神栖市に入った。ここは「カミス」と読む。ここで海岸線に沿って、マーヤさん「千人画廊に行きまーす」というので何だろうと思ったら「日川浜から鹿島港方面へ続く全長約6kmの南海浜護岸壁面をキャンバスにし、一般公募による神栖市民らが大きな壁画を描いたもの」なんだそうだ。30年くらい前からあって、今回はつい最近のTBSのドラマ「ライオンの隠れ家」に出てきた壁画があるんだそうだ。カールもマーヤさんもこのドラマを見ていて「ぜひ行って見たい」となったのだ。

壁画の横には風力発電の白いプロペラが並びなかなかの風景だ。壁画はドラマファンには「ライオン」を見に行ったというだけで通じるらしい。当然、私たちだけでなく見物の人たちが他にもたくさんいた↓。
実は神栖にはマーヤさんの実家がありそこにもちょこっと寄った。神栖は茨城の最南端に位置し、銚子とは橋一つで渡れるところにあり、彼女は高校、大学と銚子に通っていた。それで、同じく千葉の別の大学にいたセージと知り合ったというわけだ。東日本大震災では神栖から銚子に渡ろうとする車で銚子大橋は大渋滞になったとか。というのも、銚子は関東平野の中では一番古い地層が残る地域で周囲より若干高い場所が多いのだそうだ。だから津波被害を避けようと神栖市民は銚子へ銚子へと殺到したわけだ。しかしマーヤさんの両親は利根川近くの自宅から離れないと決断したという。橋の上で地震や津波に遭遇するのは怖いし、結果的にはそれは正解だったようだ。

午前11時過ぎに昼食目的で犬吠崎のすぐ近くの「島武(しまたけ)」という魚&寿司料理店に入った。気っ風のいいおばさんが注文取りに来て、私は寿司コースセット、カールとセージはしまたけ定食、マーヤさんは上天ぷら定食を頼んだ。
お腹いっぱいになって、この後目的地の犬吠崎へ。灯台のすぐ下はでっかい太平洋だ。
みんなで写真を撮った後、回りを一周すると、崖下に大きな岩があって波が打ち寄せる様子が見えた。
なんと、ここは有名な東映の映画オープニングシーンの撮影が行われたところだったのだ。これは意外な儲けものだったな。つい昨日もUーNEXTで「仁義なき戦い」をちょい見し、冒頭そのシーンを見たばかりだった。「荒磯に波」と呼ばれるこのオープニング映像は、昭和29年公開の作品で初めて使われたそうだ。↓「某映画」と書きながら下の解説ではちゃんと「東映映画」とばらしているのがおかしい。
この後は物品館でジオパーク展をやっていて、銚子はタモリ好みというか地質、地勢的に実に興味深い地域なんだと分かった。↓地層、黒潮、河口とこれはブラタモリでも取り上げられただけのことはある。2階の休憩所ではさすがに昼過ぎの睡魔タイムにかち合ってねむねむしていたらココちゃんとのツーショットを撮られていたよ(笑)。
この辺りの地層は1億2千万年もの古さで犬吠崎からちょっと南に車を走らせれば有名な屏風ヶ浦(びょうぶがうら)がある。この後、行ってみた。なかなかの景観でTVドラマなどのロケによく使われるのも肯ける。さっきの犬吠崎といい船越英一郎は絶対ここには来ていたハズね。
そして、せっかくこの辺りまで来たので初詣をしようとなり、鹿島神宮か香取神宮かで帰りの高速へのアクセスの良さから、また茨城に戻って鹿島神宮に参拝することにした。とはいっても26kmほども北上せねばなばらず、運転はセージが代わってした。私は助手席でまた居眠りをしていたけどね。三が日中だけあって参拝者が多く、鳥居をくぐらなくても参拝出来ますという簡易な参拝所で済ませた。
ようやく銚子&南常陸ドライブは終わりで、北浦にかかった橋を通り、高速で船橋へと向かった。16時半ごろにはすでに暗くなり始め、鹿児島より夜が来るのが早いと感じた。最後もマーヤさんの運転でお疲れさま。本当にありがとうだ。いや〜、なかなか楽しかった。東京近郊でもこの辺りをドライブ&観光する機会はあまりない。私なんか茨城県に足を踏み入れたのは生まれて初めてだったくらい。昨日のパチンコとは違った意味でなかなか充実したお正月を過ごせている。あらためて次男夫婦に感謝!