つい昨日のことだが、薬の説明会で業者が用意していた「お〜いお茶」のラベルに出ていた新俳句大賞の俳句に目が行った。昨年の優秀賞らしいが72歳男性の作品のその意味がさっぱり分からなかったのだ。
「母はもう 蛸かもしれず 夏の月」
はあ?何だこりゃ。母≒蛸?それになんで最後が夏の月なんだ?はてなマークがいっぱい付く。さっぱり分からないし、それがなぜ優秀賞なのか、これはAI先生に聞いてみなくちゃ。というわけで検索をかけてみた。すると、ネット上では私と同じような輩が大勢いたようで、「母もう蛸かもしれず夏の月 意味」という検索ワードが以前から出ていたようだ。で、その解説を読んで大いに納得した。以下抜粋しよう。
「母はもう蛸かもしれず夏の月」は、第35回伊藤園お〜いお茶新俳句大賞で優秀賞を受賞した、吉岡寛和さんの句です。松尾芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」を本歌取りしており、老いや介護、あるいは死を前にした母の姿を、夏の海の夜の静けさや儚さと重ね合わせた、切なくも美しい名句と評価されています。そうか。私は知らなかったけれどこの俳句、本歌取りを取り入れていたんだ。これは平安、鎌倉の時代から和歌にある手法で、有名な古歌(本歌)の語句や情景を意図的に1~2句借りて、新しい歌を詠む和歌の伝統技法だ。単なるパクリや模倣ではなく、元の歌の背景を活かしつつ、全く新しい情趣を重ねて表現の重層化を図る「敬意ある引用(オマージュ)」とされている。そこでこの受賞俳句では、高齢や認知症など、こちらの言葉が届かない、あるいは別世界(蛸壺の中のような閉じた世界)に行ってしまった母の様子を表現している。母が自分自身から切り離された存在になってしまったような、寂しい感覚が「蛸」という比喩に込められているってことか。抽象的で静寂な「夏の月」と、具象的で生々しい「蛸」の対比が、深い余韻を生んでいて、老いていく、あるいは亡くなっていく母への、諦めと慈しみ、そして深い悲しみが「夏の月」の静けさの中に凝縮された一句ということである。いや深いねぇ〜。
私のことでいえば、あこネーサ母が齢96歳、今年7月で97歳になる。認知と嚥下困難があり胃瘻管理で施設に入所して2年が経つ。時々見舞いに行っても私が誰か分からない。ただ、まだ蛸ではないようだ。で、こんな母を俳句で表現するとしたらどうしよう。俳句の知識も理解も浅い私にはとうてい無理な相談かな・・。
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