1週間ほど前になるが日テレ系の9月上旬のお決まり番組「高校生クイズ」が放送された。私はすぐには見ずにビデオ録画を昨日見た。毎年応援する鹿児島ラ・サールは本戦出場はなったものの1回戦ではかなく散り各地を転戦する上位チームには入れなかった。10年くらい前まではスタジオで超難問ばかり出題する時期が続き、開成や県立浦和など受験難関校ばかりが上位独占することが多かったが、このところは運や運動なども味方につけないと勝ち上がれない従来のシステムに戻って見る楽しみが増えた。
出だしが関西万博の大屋根リングのランニング○×クイズでこれはタイムリーで良かった。今年しかできない形式だったしー。小田原城ではどろんこ〇Xクイズがあり、外れたら泥まみれってのはずっと昔から続いているけれど、参加者には悪いが見ていて楽しいんだよなー。↓を見れば一目瞭然。
3回戦は北海道のひまわり畑でのダッシュ早押しクイズで、ここでは走力も相当影響があった。正解は分かっても両サイドの両校は相手より早く走ってボタンを押さねば勝てない。ここで何番目かの対戦が東海勢同士、三重・四日市高校と愛知・旭丘高校になった。四日市がリードして決着が付くかもしれない問題が「顔写真がのこっておらず肖像画は弟やいとこの・・」ここで正解は西郷隆盛と私でも察しが付く。先に走り出したのは・・画面を見れば分かるとおりわずかに四日市が早かった。私はしかし、高校生クイズという立場を離れて、この2校の対決に興味を持った。この2校には見過ごせない共通点があったのだ。番組でもまったく触れられていなかったし、多くの視聴者が思いつきもしない視点だろう。どちらも古くからあり旧制中学由来の県立高校ってこと?うむ、それもある。四日市高校は三重のかつての県立二中だ(ちなみに三重一中は現在の津高校)。旭丘は愛知一中で今でも進学実績は愛知の公立ナンバーワン高校だ。ここまで書けばうちの三男のチッチならちょっと思いつくかも。実はこの2校、夏の全国野球大会の優勝校なのだ。今ではどちらも甲子園どころか夏の県予選を勝ち抜くことなど及びもつかないが、堂々たる優勝校だ。旭丘は愛知一中時代の大正6年(1917年)の第3回大会で関西学院中を破り優勝、四日市は昭和30年(1955年)の第27回大会で坂出商に勝って優勝している。
特に愛知一中は高校野球オタクならば知らない人はいないくらい特異な優勝をした学校として知られている。それは一度負けたのに優勝してしまったからである。実は第2回と第3回大会では敗者復活戦というシステムがあり、1回戦で長野師範に負けた愛知一中は勝ち進み、決勝では関西学院と対戦し6回裏2アウトまで来て0対1で負けていた。しかしここで豪雨となりノーゲームで、再試合となってしまった。もし、7回に入ってからの豪雨ならゲームは成立し関西学院中の優勝が決まっていたのだが・・。翌日の再試合では0対0のまま延長戦に入り、延長14回ついに愛知一中が得点し1対0で優勝したのだった。厳しい試合を勝ち抜き優勝を手にしたわけだが、敗者復活校が優勝したことは物議を醸し、翌年以降その制度はなくなった。
昭和30年の四日市の優勝はあまり語られることは少ない。しかし甲子園オタクの私は以前その優勝にまつわるエピソードを何かで読んだことがある。三重代表は実はこの頃は岐阜代表と決戦をして勝たねば出場は叶わなかった。当時岐阜は強豪県で三重代表はなかなか甲子園には行けず初出場の四日市でわずか県勢3回目のことだった。無欲の勝利という言葉があるが三重勢初の夏勝利からあれよあれよと勝ち進み、準決勝の愛知・中京商(現・中京大中京)戦が山場だった。なにせ昨年の優勝校(5度目)だ。しかしそこを勝ち抜いたところ、相手の坂出商には「中京商よりは組みやすし、勝てる」と思われたらしい。しかし勝負事は多少の心の隙があるとダメだよな。4対1で見事四日市は勝ち、甲子園初出場初優勝を遂げたのだった。ここ最近では2007年の佐賀北の優勝を彷彿とさせる。
しかしかつての強豪校がなぜ今は全く振るわないのか。まあ100年以上も前の大正時代は野球が東京大学から始まり、旧制中学や大学付属中に普及していった頃で、愛知一中のみならず、和歌山中(現・桐蔭)、神戸一中(現・神戸)、慶応普通部(現・慶応)、関西学院、甲陽中(現・甲陽学院)らが強くて優勝している。その後全盛となる商業高校が優勝するのは大正13年(1924年)の春の高松商、夏の広島商以降のことだ。昭和に入ると商業系の学校が野球に力を入れ、勉学もこなせねばならない旧制中学は徐々に勝てなくなった。そして戦後だが戦争の影響がしばらく残り、戦前の強豪校が勝てない時期が10年ほどあった。この時期の優勝校には夏は兵庫の芦屋、神奈川の湘南、春は静岡・韮山、兵庫・洲本、長野・飯田長姫などが優勝しているがいずれもそれ一度切りでその後は出場すらほとんどない。四日市はその混乱時期の最後を飾る優勝といっていいかもしれない。
いずれにせよ、野球では活躍出来なくなったが勉強やクイズで全国大会で活躍できるようになった。学校もその特色が年代とともに変遷していくものだと、甲子園大会やクイズ番組が好きな私には感慨深かったのであった。
あと余談だが、今日の記事を書くに当たって特に愛知一中のところは若干言い替えをしている。「夏の全国野球大会の優勝校」「高校野球オタク」と記しているが、その後は「甲子園優勝」とか「甲子園オタク」とか書いている。これは当然のことなんだが、当時の中等学校野球人気は凄まじく、西宮の鳴尾球場ではスタンドに収容しきれない観客がグラウンドに流れ込み、試合が一時中断したりするなどしたため、大正13年(1924年)第10回大会から新規に甲子園球場を開場し今に至っているので、それ以前は「甲子園」という言葉は絶対に使えないからであった。なお甲子園球場はプロ野球の阪神との関係でいうと、球場建設の経緯もあり、使用については今でも高校野球が優先されるのが続いているというわけである。
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