今日は午後から通夜の準備、本番とあるので午前はゆっくりするつもりだった。朝は少し寒いし布団の中でむにゃむにゃしていた。すると、下からカールが「テルくん、病院から電話よー」と、固定電話の受話器を2階まで持って来た。今日は葬儀関連で当直も交代していると通知していたはずだが。それでも私に連絡してくるということは・・。
「先生、4階病棟の□△です。〇〇さんが下血して血圧も低下してヘモグロビンも5.5まで下がっていてー」と慌てた口調で伝えて来た。私が休みだと知っているので他の内科Drにも連絡したそうだが都合がつかなかったそうだ。私は「内視鏡室スタッフが一人は必要。すぐにスタッフの誰かに連絡してくれ。で、今何時?」「9時過ぎです」「え、8時過ぎくらいかと思っていた。まあ、いい。10時50分くらいには内視鏡検査が出来るように準備を。そして輸血も400ml2パックを他のDrに頼んで注文しておいて」と指示した。ここ最近、時間外の緊急内視鏡はほとんどしていなかったが、今回は自分の受け持ち患者でもあり、これまで2回も十二指腸潰瘍出血の内視鏡治療を行ってきた。それでも再々出血したか。今度こそ3度目の正直だぜ。
内視鏡室は五月鍋Nsが来てくれていた。なんでも朝早くから美容室に行き、まさに髪のセットを受けようとするところを呼び出されたんだそうだ。いやいや迷惑をおかけします。内視鏡で覗くと、潰瘍からの出血はすでに止まっていて血液付着はどこにもなかった。しかし露出血管の一つがまだ赤く残存していてそこを止血剤とクリップを掛けることでどうにか止血出来た(と思う)。
帰宅してカールが言うには、個人をしのぶパネルに書く追悼文はいったん葬儀社の係の人が雛形の文章を書いてくれたが、カールがそれをやや気に入らず、テルがほぼ全文を書き換えてくれたという。それをネット経由で葬儀社に送ると後わずかな字句の訂正のみでOKだったそうだ。ほう、なかなかやるね。
通夜の準備に行く前に、私とカールは鹿児島市長選の期日前投票を済ませた。明日が投票日だけれど何かとせわしないので今日にした。無論、下鶴隆央候補者へ一票を投じたよ。
この後、家族みんなでお菓子とお茶の買い出しに行き、明石屋にも寄ってお菓子を買った。葬儀場では家族控え室に入った。今晩はここで泊まれるように収納式のベッドもあった。冷蔵庫、シャワーなど並みのホテルより上等な設備だった。
通夜は17時からで読経が終わり、訪れた弔問の人たちが神妙な面持ちで死化粧されたヒサコのお顔をのぞいたりしていた。弔問客はほんとに近しい親族のみので10名もいないくらい、他は4年間お世話になった老人施設の職員たちのみだった。施設長だけでなく6名も来られて少々驚いた。聞けばヒサコは施設でも人気者だったらしい。いろいろエピソードを聞くと、決して人の悪口は言わず、よく話を聞いていた人柄がそうさせたのだろうと思った。カール聞くところによると「施設で長らく飼っていた白黒ネコのテンちゃんが亡くなった時に可愛がっていた職員が悲しんでいたのでいっしょに泣いていた」んだそうだ。「ヒサコはネコが嫌いだったのにね」とカールは笑って言う。そうそう、4年前の入所時「ここにはマヤー(沖縄でネコのこと)がいるよ〜」と少し顔をしかめていたんだった(笑)。残った親戚らと食事とお茶を飲みつつ、しばし故人の話題や親戚の人たちのことなどを語り合った。もう親世代で残っている人たちはほぼ90歳以上だ。ヒサコは満88歳で若い方だった。
20時になりしばしの通夜振る舞いはお開きとなった。死亡広告を出していないのでこの後も弔問客が来るとは思われず、私たちも控え室に戻った。夜は家族全員か少なくとも一人は居残りしないといけないが、相談の結果、子ども3人が残り、私とカールは帰宅することにした。私はシャワーの後、こてる日記を書かねばー。しかし疲れが残り、仮眠、覚醒、仮眠でどうにか書けてよかった。明日1日、まだ葬儀は続く。
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